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【ZERO】ZERO-Crystal Moon-  作者: 市尾弘那
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第3話(1)

「どーおしたの、これ」

「昨日作ってみたら出来ちゃった」

 翌日、スタジオで俺が渡したコード譜とデモテープを手に、和希が目を真ん丸くした。それを横目に床にゴロンと転がると、和希の何とも言えないため息が聞こえた。

「やるねえ」

「浮かんだら止まらなくなってハマりこんだら眠れなくなって、挙句の果てに」

「徹夜?」

「……いえーす」

 答えながら、閉じた両目を片腕で覆う。視界が暗くなると、徹夜のせいで眠気に襲われた。

 あゆなと別れてからこっち、いろんなことが頭の中をぐるぐると回り続けている。由梨亜ちゃんのこと、和希のこと、恵理のこと、あゆなのこと……考えるのが嫌で寝てしまえーっと思うんだが、眠ろうとしても考えに妨げられて眠ることが出来ず、「眠れないなら寝るのやめちゃえーっ」と噴火した頭で脳内冷却がてら曲を作り始めたら……出来てしまったのだよ。

 ただし、あゆなに言ったようにスローバラードではない。どっちかって言うとぶっ壊れ気味の、もはや歌詞も何を言うておるのやらと言う……もう暴れるしかないでしょって感じで。

 いそいそとデモをデッキにセットしている和希を尻目に俺は床に転がった。眠い眠いあー眠い。

「和希、何時に来た?」

「俺も今さっき」

 今はまだスタジオには、俺と和希だけだ。なぜか、この同じ敷地内に住んでいるはずの美保でさえ姿を現わさない。

 スタジオ内は、機材のコンディションを保つ意味もあって、常にエアコンが稼動している。快適な涼しさに一層眠気を誘われてふわふわあくびをしていると、カチャンと防音扉の重たいロックが外れる音が聞こえた。ぎいとドアが開いて、美冴ちゃんが顔を覗かせる。ブルーのサマーセーターに白いジーンズが爽やかだ。

「こんにちは」

「はい、コンニチハ。まだ誰もいないけど」

 床に転がったまま挨拶をする俺に、美冴ちゃんが笑う。和希とも挨拶を交わして中に入ってくると、俺のそばまで来てしゃがみこんだ。

「昨日は、ありがとうございました。送ってくれて」

「いいえー。遅くなりまして。おうち、大丈夫だった?」

「はい」

 それからきょろっとその辺を見回す。和希はCDプレーヤーの前でしゃがみ込んでいた。さっきのデモを流そうという魂胆だろう。

「あのね。今日、差し入れを持って来たんです」

 何っ。差し入れっ。

「え、何? 何? さんきゅーぅ」

「チーズケーキ。作ったんですよ」

「え。作ったのっ?」

 俺に紙袋を差し出してくれるので、まさか寝たままもらうわけにはいかない、体を起こしてそれを受け取る。紙袋を覗き込むと、何だか甘い良い匂いがした。

「凄ぇー。ありがとう。冷蔵庫入れとこっか」

「じゃあ、入れてきます」

 美冴ちゃんが冷蔵庫に紙袋をしまい込んでいると、突然スピーカから爆音が流れた。

「今日は一人? 由梨亜ちゃんは?」

 由梨亜ちゃんの名前を出すと、昨日の恵理の言葉を裏付けるみたいに思われないだろうかと思ったりもする。だけど変に気を回すとろくなことにならないような気もする。

 意識して普通に普通にと思いながら口にすると、冷蔵庫の扉をパタンと閉めて美冴ちゃんが眉根を寄せた。

「風邪引いちゃったみたいなんです。後でわたし、様子見に行ってこようと思ってるんですけど」

「そうなんだ。夏風邪? 心配だね」

 あんな華奢な体で風邪なんて引いたらさぞつらいだろうに。ああ、可哀想だ。俺がそばにいたら何でもしてやるのに、うぅ。

 またもそんな性懲りもないとしか言えないことを考えつつ、俺が大枠だけ作ったデモに指先でリズムを取る和希の背中を眺める。昨日、どうだったんだろう。まさかいきなり由梨亜ちゃんが告ったりとかってことはないだろうが。まさか恋愛熱が上がって、一緒に体温も上がったわけじゃっ……あほか、俺。

「これ、新しい曲ですか?」

 俺のあほ全開の胸中を知るはずもない美冴ちゃんが、再びこちらに戻ってくる。すとんと俺の隣に腰を下ろした。並んで壁に背中を預ける。

「うん。昨日、美冴ちゃんを送った後、作ってみた」

「ええ? 一晩で?」

「いや、何となく。あの後あゆなと話してさぁ、『曲作れそー』とか言ってたその勢い余って……」

 あゆなか。

 あのキスは、一体何だったんだろう。

 深刻に悩むほど純情でもないけど、気にならないほど軽くもない。挨拶程度に出来ることじゃない。

 ……何だったんだろう。

「啓一郎さん」

 言いかけたまま物思いに沈んでぼんやりとしてしまった俺に、隣で膝を抱えた美冴ちゃんが覗き込むように呼びかけた。

「はーいー?」

「啓一郎さんって、あゆなさんと付き合ってたりとか、そういう感じですか?」

「……はっ?」

 昨夜のことがあるので、見透かされたみたいでどきっとする。ああああ、何だか昨夜はコトの多い夜だったような気がするよ。やめてくれよ、俺の脳味噌、許容範囲狭いんだから。いろいろ考えるとオーバーヒート起こして爆発しそうだ。

「まさか。何で?」

 どことなく引きつったような、取り繕ったような笑みで答えを返すと、なぜだか美冴ちゃんも少しぎこちなく笑った。

「違うんですか」

「違いますねえ」

 嘘じゃない。付き合ってない。ただキスがあっただけ。何で?

「そうなんだ」

「そう見えた?」

「仲良いみたいだったから。もしかしてって思っただけで」

「全然。男友達」

「あは。あゆなさんが聞いたら回し蹴りが飛んできますよ」

 その言い方があゆなを的確に掴んでいる気がして、思わず笑った。

「殴るんでも蹴るんでもなく、敢えて回す辺りがあゆなっぽいよね」

「でもあゆなさんって綺麗な人ですよー」

「んー。まあねー。でも俺は可愛い感じの人の方がいい……」

 言いかけて、口を噤む。やっぱり、昨夜の恵理の発言でちょっと過敏になってるんだろうか。

 だけど、美冴ちゃんも何やら複雑な顔をして黙った。何だろう。この、嫌な沈黙。

「そう言えば美冴ちゃんって彼氏とかいないんだっけ」

 ほとんど空気と化している和希の背中を眺めながら強引に話をねじまげると、美冴ちゃんはふるふると首を振った。長い髪が揺れる。

「全然。いないです」

「ふうん? 美冴ちゃんって年上とか似合いそう」

 何の気なく言うと、美冴ちゃんは微かにふっくらした頬を赤らめて俯いた。

「そ、そうですか?」

「うん。何か大人っぽいから。同い年とかだと子供過ぎて駄目ーとか言いそう」

 俺の言葉に、美冴ちゃんが吹き出した。

「でも意外と、お兄さんみたいな感じの人は駄目なんですよ」

「へえ?」

「年上だけど、ちょっとやんちゃくらいが……」

「面倒臭い人の方が良いんだ」

「め、面倒臭いって言うか……」

 言って美冴ちゃんは曖昧に笑った。それから、俺にじっと視線を注ぐ。しまった、寝癖でもついてるんだろうか。

「え、何? 変?」

「いえ……」

「はよーっす」

 美冴ちゃんが何か言いかけたところで、我らがドラマー一矢が登場した。その後ろから、武人が小柄な体を覗かせる。

「ういっす」

「おっと。ようやく揃ってきたか。んじゃあ啓一郎」

 和希が笑いながら立ち上がった。

「アレンジ、しようよ、これ」

「へいへーい」

 しょうがない。俺は尚もあくびをしながら、立ち上がって前髪をかきあげた。和希があきれたような声を出す。

「やる気あんの、アナタは」

「眠いんだもん。んじゃあ、やりましょおか」

 まだ美保がいねーけど。

 こきこきと肩を鳴らし、美冴ちゃんをその場に残して和希たちの方へ歩き出した。

 俺はあんまり曲を作ったりしないんだけど、作ったとしても和希みたいに打ち込みとかそういうのはちゃんと出来ない。ギターとオモチャみたいなシーケンサーで簡単に作るくらいだ。アレンジに関しては、各々のパートの人が好きに変えてくれと言うような雑把なありさまなので、手を加えるポイント満載でのお届けである。

「俺、これ凄ぇ好きかも」

 ドラムセットに座ってセッティングしながら一矢がおかしそうに言った。

「まじでブチ壊れーって感じ」

「ああそう? まじでブチ壊れだから」

「……何かあったの?」

「……何もないですよ?」

 由梨亜ちゃんの笑顔が脳裏に浮かぶ。

 俺に出来るのは、彼女の恋を応援してあげることなんだろうな。

「そんじゃあ始めましょおーっ。和希ー、曲流してー」

「あいよ」

 大丈夫、俺はまだ本気じゃない。

 俺はまだ、由梨亜ちゃんのことを好きになったわけじゃない。

 ……まだ、引き返せる。

 軽く頭を振ってそんな気持ちを振り払いながら、俺はヴォーカルマイクに向かって深呼吸をした。


          ◆ ◇ ◆


「けぇいちろーさん」

「うん?」

「あのぅ……和希さんって、甘い物とかそういうの、平気な人ですか?」

「何で?」

「あ、や、差し入れとかそういうの、持って来ようかなあって思ってて……。でもあんまり甘い物とか好きじゃないのかなあって……」

「クロスって武人以外みんな甘いのとか大好き」

「え? ホントに? 啓一郎さんも?」

「俺、凄ぇ甘いの好き。和希もああ見えてめちゃめちゃ甘党。俺より甘いの好きかもしんない。あのカオで」

「あのカオでって。え、でも凄い意外かも」

「あいつファミレスとか行くと、一人でこんなでかいチョコレートパフェとか食べてけろっとした顔でストロベリーパフェとか追加するよ。笑うよ」

「えー。ホントにー。意外ー。じゃあ、今度持って来ますねっ」

 つい先ほど由梨亜ちゃんと交わした会話を思い出して、楽屋の壁に背中を預けていた俺はぼーっと咥えていた煙草を灰皿に放り込んだ。

 以前よりますます由梨亜ちゃんとの会話が増えたのは、良い。

 それは喜ぶべき事態だ。

 が。

 ……俺と由梨亜ちゃんの間で交わされる会話の八割が和希ネタと言うこの事態は、いかがなもんか。もはや、挨拶に匹敵する頻度だ。

 和希の話をしている時の由梨亜ちゃんは、本当に良い顔をする。

 間近でそんな笑顔を四六時中見せられ、どんどん惹かれていくのに話の内容は『和希』。けどしかし、和希の話をしているからこそそんな最高に可愛い表情を見せてくれるわけであって、この俺にとっての悪循環と来たら、アナタ……。

「はあ」

 少しずつ、だけど確実に気持ちが育っていくんだ。

 摘み取ってしまおうと思っていても、心の中で育っていく。

 好きだと思う気持ちを打ち消しながら彼女の恋の相談に乗ってあげると言うのは、これはなかなかしんどい作業ではあった。

 だけど、それでも……和希の話だとわかってはいても、話したいと思ってしまう。その幸せそうな顔を見て幸せになってしまう俺。何だかな……。

「じゃあスタンバイお願いしますねー」

 ライブ前の楽屋でぼんやりしていた俺は、その声で我に返った。

 一概にアマチュアバンドと言っても、頑張ればメディアを通して発信を出来るチャンスというのは意外にある。今日のライブが良い例だ。

 そりゃあ全国ネットのゴールデンタイムになんつったら夢のまた夢だけど、アマチュア支援をしてくれるメディアはそこここに溢れているもので、地方テレビなんかはその筆頭だろう。

 一応は電波に乗せる手前、審査のようなものは事前にあるが、本日それをクリアした選ばれし者だけがライブを行う権利を得ているのだっ。……何のことはない。デモテープを出して、悪くなけりゃ週一の放送の一回にライブをちらっと載せてもらえるだけ。出演する四バンドと、対バンでライブをするのとあまり変わらない。

 ちょっと違うのは、一曲だけカメラが回り、ライブを終えた後に一応綺麗なお姉さんがちょっとお話しするくらい。

 そうは言ってもテレビはテレビだ。一つのチャンスには変わりはない。

「集客力ありますね」

 一応クロスは、和希がホームページなんてものを作っている。そこで今日の告知をしていて、集まってくれたお客さんについて、インタビュアーのお姉さんがそう宣った。細っこくてすらっとしていてボディコンシャスな服装をしていてがっつり顔を作っている。

「ありがとうございます」

 和希がギターの弦を張り替えながら、笑顔で答えた。

 クロスの収録は一番最初の早い時間で、十七時半スタートだ。仕事持ってる人なんかは来るの大変だろうし、それを考えれば、一応サマになる程度は集まって下さってアリガトウと言いたい。

 少しずつ、少しずつ、来てくれる人が増えていく。

 プロへの階段は、まだまだ遠い。

 だけど、この道がいつかそこへと繋がっているのだと信じているから頑張れる。

 壁に背中を預けて座り込んだまま、俺は首から提げたリングに手を掛けた。チェーンとぶつかって、チャラ……と微かな音を立てる。

 いつも俺の背中を押してくれた奴が、俺に遺していったもの。いつも俺が首から提げているリングと、お揃いのバングル、そして――約束。

(見ててくれよ)

 あいつが見てると思うと、負けてやるかと言う気になれる。

「それじゃあお願いしまーす」

 お姉さんの声に促されてステージに上がると、目の前に人影が作り上げる暗闇が広がっていた。四バンド分の集客。

 まだ足りない。まだまだ足りない。

「きゃー」

 誰のものだか全く判別のつかない、声のカタマリ。ステージ上の圧力と言うのは、結構なものがある。ここにいる人の視線が、こっちに集中しているという圧迫感。それを感じると、ますます負けてらんないような気がしてくる。ステージ上の熱気と客席からの熱気が、ライブをやっている間にいつの間にかひとつになる……その瞬間が、たまらなく好きで。

 俺がセンターに立つと同時に、一矢のドラムが突っ込んで来た。イントロに入る前に俺はマイクをつかんでタイトルを怒鳴った。

「ADVENTURES!!」

 歓声の渦。滑り込んでぶつかって溶け合っていく音の、渦。人の熱気。……思い。

 だんだん何もかもがわからなくなる。理屈も、理由も、何もかもがどうでも良くなる。

 ただもっと、上へ上へ。ただひたすら、自分の今の全てをぶつけるように、吐き出すように。

 ……俺と言う存在を、わかって欲しくて。

 俺が感じていることの、生きていることの、その証が……自己表現と言うそれが、俺にとっては音楽だった。

 俺にとっての生きることの実感が、音楽だったんだ。

 音楽をやりたいと思ったことさえ忘れていた頃がある。何をして良いのか生きる目的を見失っていたあの頃……新宿のライブハウスで再び、音楽に出会った。

「今日は実は新曲が二曲あって。収録曲であるさっきの『KICK BACK!』と、もう一つ、これからやる曲」

 四曲を終えて、軽く息が切れる。髪をかき上げて額の汗を払いながら言うと、わあーッと声が上がった。

「ちょっと季節外れで、春の歌なんだけど……まあその辺は大目に見てもらって」

 ちらほら笑いが起きる。俺自身僅かに微笑みながら、暗い会場を見回した。

 ステージの左側――和希の立ち位置のその隅の方に、由梨亜ちゃんと美冴ちゃんの姿が見える。……目が、合う。

「ここに来てくれた、あなたの為に……歌います」

 あなたの為に。……由梨亜ちゃんの為に。

 目線をそらす。会場の正面、暗く広がる闇を見つめた。

「聴いて下さい。……『For LOVE』」


     五月の風に誘われて歩いた 新しい毎日の始まり

     鮮やかに街を彩るGIRLS 色取り取りに 僕の心誘って……

     見慣れた風景と軽い足取りの人々 楽しげな笑顔とさざめきが通り過ぎて


     君だけがいない……


     「あいつとうまくやんなよ」なんてオトナな挨拶

     僕の気持ち気付いて でも気付かないで

     好きな気持ち 押し殺しながら それでも君の力になりたい


     君が 好きだから……


     陽だまり揺れる日曜日の午後 穏やかな昼下がりのはずなのに

     なぜか心曇り空みたいで ハートのエース 指先で玩んで

     まだ引き返せると言い聞かせるけど 痛みが 心引き裂いて……


     君だけ見えない……


     「あいつのことをよろしく」なんて寂しい強がり

     僕の気持ち気付いて でも気付かないで

     好きな気持ち 打ち消しながら それでも君の力になりたい


     君が 好きだから……


「ありがとう」

 これが、今の俺が彼女に伝えられる……精一杯……。












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