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【ZERO】ZERO-Crystal Moon-  作者: 市尾弘那
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第1話(3)

 国道246号沿いにずっと歩いて表参道駅と外苑前駅の間の道を左にそれたところに、一矢がよく出没するクラブ『コースト』はある。

 俺らが一緒じゃない時は六本木だの西麻布だの渋谷だのと節操なく行くみたいなんだけど、俺と和希は音楽の好みがヒットするところじゃないと行かないので、そうなると何だか勢い『コースト』にばかり来る羽目になる。

「ちわ」

 地下へ続く階段の手前で傘を折り畳み、滑らないよう気をつけながら降りていく。

 降りてすぐのところに受付があり、そこのお兄ちゃんは何度か来るうちに顔見知りになった。と言うか、一矢と一緒に来たせいで覚えられた。まったく節操なく顔の広い男だ。

「あ、どーもー。今日は一矢くんは」

「遅刻」

 簡潔に語る。俺の言い方がおかしかったのか、受付のお兄ちゃん、通称まるちゃんは五分刈りに刈り込んだ頭に被ったコーストモデルのキャップのツバを左手でつかみながら笑い転げた。

「ごゆっくり」

 金を払って中に入る。

 基本的にここはアダルトテイストの店で、年齢層が二十代半ばくらいとやや高い。十代くらいのやんちゃなお年頃が流れ込んでくることは余りなく、総じて大人びた雰囲気のクラブだ。

 受付からすぐロッカールームになっていて、コインロッカーがずらりと並んでいる。俺も和希も別に預けなきゃならないような荷物があるわけじゃないので、ただの通過地点だ。真っ直ぐダンスホールのドアを開けると、まるで鍾乳洞を模したような薄暗い空間に続いている。

 ところどころにテーブルやストゥールがあり、店中を赤や青の照明と低音が回っていて、全身を振動が伝わる。

 とりあえずバーでジントニックとウォッカのグラスをもらい、空いているテーブルに腰を下ろした。平日は週末に比べて圧倒的に空いているけど、それでもフロアには結構な人数がいる。

「一矢、すぐ来ると思う?」

 普通に話してるみたいだけど、実際は怒鳴ってる。普通に話したところで到底耳に届く環境じゃない。和希も俺の耳に口を寄せるようにして怒鳴った。

「途中で可愛い女の子でも見つけなきゃ、すぐに来るんじゃないか」

 この中で一番ここに近いのは、一矢なんだぞ。俺は新高円寺だし、和希は南阿佐ヶ谷なんだから。

 単車で来れば大した距離じゃないが、雨が降ってるから俺も和希も電車だし。

 煙草に火をつけながらフロアに目を向けた。俺らと同じくらいの年のコから、三十手前くらいの人までいる。男も女も、総じて大人びた落ち着いたムードだ。視界の隅で和希の指先がテーブルの上でリズムを取っているのが見えた。

「俺、踊って来ようかな」

「行って来れば」

「啓一郎、ここにいる?」

「煙草に火つけちゃったもん」

 ふうん、と和希が立ち上がる。

 ダンスフロアに向かうその背中を見送っていると、誰かが和希に声をかけているのが見えた。連れ立って歩いて行くところを見ると、知り合いに会ったらしい。俺は音楽に耳を傾けながらぼんやりとフロアを眺めていた。さっきの和希との会話を思い出す。

 彼女ねえ……。

 和希はいざ知らず、欲しくないと言えば嘘になる。

 いや、もっとはっきり言えば俺は欲しい。そりゃあ欲しいさ。要らないと言えるほどストイックじゃない。

 けど、誰でも良いわけじゃない。

「やらしい目で物色してる」

 うわあ。

 ぼーっとそんなことを考えていると、にゅっと俺の目の前に顔が突き出され突然そんなふうに言われた。

「あゆな」

 俺の顔の前からどいて、あゆなは両手を後ろで組みながら立ち上がった。長い髪を今日はアップにまとめ、ドレープの入ったシルバーのカジュアルニットの下にレースをふんだんに使ったキャミ、ボトムスは黒いデニム地のミニでぴたりと決めている。……あのね、驚くでしょそんな登場の仕方したら。挨拶するなり肩を叩くなり、ないの?

「来てたの?」

「来てたのよ」

 あゆなも『コースト』にはよく出没する。学生時代、俺と仲の良かった友人と一緒に連れてきたら、それきり入り浸るようになった。

「お洒落じゃん。気合い入ってるじゃん。ナンパ待ち?」

「されてやんないよ」

「しねーよ」

 俺は思わずきょろっと辺りを見回した。

「泉と一緒なの?」

 泉はあんまり『コースト』で見かけることはないんだけど。

 もしもいるなら、この後和希は泉にべったり張り付かれることになるだろう。あゆなを介して一応俺らも友達ではあるものの、バンドの、いや、和希のファンをやってくれていると言うことで営業モードに突入しなければならない。

 そんな俺の警戒をよそに、あゆなは長い髪を指先でくるくると巻きつけながら否定した。

「違うよ。高校の友達と一緒なの」

「ふうん」

「啓一郎こそナンパしに来たんでしょ。これ、誰? 和希?」

 言ってあゆなは、さっきまで和希が座っていた俺の向かいに勝手に腰を下ろした。和希のウォッカのグラスを指先で弾く。

「そう」

「やっぱり」

「……どっちの話?」

「ナンパの話でしょ」

「ちーがーうー。グラスが! 和希のだって話!」

「ああ、そっちだったの?」

 んじゃいただきーと言って、あゆなはなつみや泉が見たら首でも絞められそうなことをした。

「うまーい」

 口に含んだウォッカを飲み下し、満足げな顔でグラスをテーブルに戻す。あゆなは異常に酒が強い。

「和希は? ダンスホール?」

「そう」

「で、啓一郎はここで一人で物色?」

「だーかーらー……」

 煙草の灰を灰皿に落としながら、俺はテーブルに突っ伏した。顔だけ前に向ける。

「一矢をね。待ってんの。煙草吸ってるし」

「一矢も来るの?」

「一矢に誘われたの」

「……どうして誘った本人がいないのよ」

「まったく同感だ」

 あゆなは、左肘をテーブルについて体を斜めに傾けるように頬杖をついた。ミニスカートから伸びた細い足を組んで、俺の煙草のパッケージに手を伸ばす。

「俺の」

「一本もーらい」

「買って来いよ」

「やーだ。わたし、吸わないもん」

 吸わないなら抜くなよと思う俺は間違っているのか?

 あゆなは俺の制止を無視して、煙草を抜き出してくわえた。これまた俺のライターで火をつける。

「ごちー」

 ふーっと綺麗にルージュの引かれた唇で、真っ直ぐに白い煙を吐き出す。照明のスポットの下、伸びた煙がふわふわと形を崩していくのが見えた。

「そんで? あゆなこそお友達は?」

「ホール」

「ふうん。これで和希がナンパしてきたら笑うんだけど」

「ありえないでしょ」

 一矢じゃあるまいし、とあゆなが言い切ったところで、人の間を掻き分けるように長い脚を交互に突き出してこちらに向かう長身が見え隠れした。主催人物のご登場だ。

「あれー。何してんの、あゆなちゃん」

「おつ」

 あゆなが、ひらりと空いている片手を一矢に挙げる。

 一矢は軽いだけあって基本的にお洒落だ。和希のように顔貌が整っていると言うわけではないけど、痩せぎすの長身とファッションセンスで、目を惹く程度に目立つ。

「俺も酒もらってこよ」

「行ってらっしゃい」

「あ、一矢、わたしの分も」

「何?」

「ラムパイン」

「ほいほい」

 一矢があゆなのオーダーを受けて俺らのテーブルを通り過ぎていくと、俺はしらっと言った。

「今日はまた可愛い飲み物で」

「悪いの?」

「テキーラ、ストレートでいっても潰れないくせして」

「うるさいのよ。人の飲み物にケチつけないでくれる」

「遅かったじゃん」

 一矢が戻ってきて俺の隣に腰を下ろすと、俺は自分のジントニックを一口飲みながら言った。

「すんませんね。あゆなちゃん何してんの? 偶然?」

「偶然」

 俺の返事とあゆなの答えがかぶる。あゆなは煙草の煙をふっと吐き出して、灰皿に押し付けた。

「そう言えばさあ、陸って今この辺の会社に勤めてんだよね」

「まじでー。ってか俺、陸ちゃんって相当会ってないけど」

「あゆな、知ってる?」

「わたし、この前電話でしゃべった。元気そうだったけど何か超大変そうだったよ、仕事」

 共通の友人のネタでしばし盛り上がる。俺とあゆなの専門学校時代の友人だ。俺はしばらく連絡を取っていないが、あゆなは時々連絡を取ったりすることもあるらしい。

「あとね、彼女欲しーって言ってた」

 ……どこも人材不足は深刻だ。

「彼女なんか俺だって欲しいよ」

「啓一郎、欲しいの?」

「欲しいよそりゃ」

 そんなことを言いながら頬杖をつくと、和希が戻ってくるのが見えた。

「あれ、あゆなちゃん。どうしたの」

「どうもこうもなくて遊びに来たんです」

 それもそうかと和希がひとりごちて、あゆながつめたその席に座った。

「和希、さっき誰か一緒じゃなかった?」

「大学の友達がたまたまいて。……あゆなちゃん、誰と来たの? そう言えば」

 そう言えばと総入れ歯って似てる、と親父のようなことを呟いてから、あゆなはホールの方に視線を向けた。

「高校の友達と、その妹と、その友達」

「変なメンツ」

「そう? 友達と妹、仲が良いのよ。まあ、妹の友達はわたしも今日初対面だけど」

「何でここ来たの?」

「妹が、クラブに行ってみたーいって言い出して。そろそろ戻ってくるんじゃない」

 見学ツアーかよ。

 言って薄暗い照明にカルティエの腕時計をあゆなが翳したところで、女の子が二人、こちらに歩いて来るのが見えた。

「ああ、戻ってきた。あれよ」

「凄い豪勢にナンパされてるわねー」

 あゆなの姿を見つけて、一人がそう笑いながらこちらのテーブルへ近づいてくる。豪勢ってのは、あゆな一人を男三人で固めていることを指しているんだろう。

「してませんけど」

 思い切り否定をしてやると、あゆなが遠慮なく平手で俺の頭を叩いた。

「違うの?」

「違うわよ。元々の知り合いよ」

 それからあゆなは、彼女に向かって首を傾げた。

「由梨亜ちゃんは?」

「今、お手洗い。慣れない場所に連れてきちゃったから、疲れちゃったみたい」

 この二人が姉妹で、今外している一人が妹の方の友達ってところだろうか。

 あゆなたちのやり取りを眺めながらぼんやりと頬杖をついていると、あゆなが俺たちに向かって二人を紹介した。

「わたしの高校時代からの友達よ。加賀麻里絵。で、そっちのコが麻里絵の妹の美冴ちゃん」

「初めましてー」

 美人とは微妙に言い難い、けれど八重歯が妙に可愛らしい女の子が頭を下げる。こっちがどうやら麻里絵ちゃんだ。

 彼女の影に隠れるように、髪の長い、目じりのほくろが妙に色っぽい女の子の方が妹の美冴ちゃんらしい。だけど正直、妹の方が大人っぽい。

「座れば」

 とりあえず席を勧めると、麻里絵ちゃんはずかずかとあゆなの隣に腰を下ろし、美冴ちゃんはおずおずとその後ろに立った。

「あのね、これ、わたしの専門時代の同級生。橋谷啓一郎。こっちとそっちが、神田一矢と野沢和希」

「美冴ちゃん。こっちどうぞ」

 適当すぎるあゆなの紹介を受けてとりあえず頭だけ下げながら、立ち上がる。

 俺が声をかけると、美冴ちゃんは何だか気恥ずかしそうに俺の空けた席に腰を下ろした。それから、座る場所をなくしてテーブルの脇に立つ俺を見上げる。センターで分けた長い髪がさらりと滑り落ちた。

「あの」

「はい?」

「Grand Crossさん、ですよね」

 一瞬、空間に間が出来た。

「……えええええ?」

 なぜそんなものを。

 全員がぽかんと見つめる中、美冴ちゃんが気恥ずかしげに顔を伏せる。

「すすすすみません」

 いや、すみませんとかそういう話じゃなくて。って言うか、謝ることは別にないわけで。合ってるんだから。

「あ、バンドのコ?」

 きょとーんとした俺らの空気に、麻里絵ちゃんがメンソールの細い煙草を取り出しながら言った。それを受けて和希が頷くと、麻里絵ちゃんは笑いをかみ殺すように八重歯を覗かせた。

「このコ、アマチュアバンドとか好きで結構詳しいの。そうなんだ。バンドやってるコたちなんだ」

「あの、時々行くし。この前のDOUBBLE FOX企画の……行ってるし」

「ほえー」

「そりゃまた……ありがとうございますですねえ」

 一矢の言葉に、美冴ちゃんがかあっと赤くなる。

 へえー。嬉しいじゃん。

「ありがとう」

「いえ。あの、武人くんのクラスメイトなんです」

「え、じゃあ高校生?」

 大人びているのでびっくりした。もっと上かと思っていた。

「城西かー」

 城西ってのは、俺たちが通っていた、そして武人が現在通っている高校の名前だ。正確には城西大学付属高校。和希となつみが通っている大学の付属高校だ。

 武人は学年首席で名前が知れているらしいし、クラスメイトだったら武人のやっているバンドの名前くらい知っていてもおかしくはない。アマバン好きなら尚更だろう。

 取り出したまま指先で玩んでいた煙草を咥えて火をつけながら、和希が尋ねる。

「じゃあクロスもそれで知ってたの?」

「ええ。方宮くん、有名だし」

「何で?」

「かっこいいって騒いでる女の子、多いし。バンドやってるって話も有名だから」

「ふうん」

 やるじゃん。武人。

「じゃあさ、来週もまたライブあるから時間あったら来てよ。来たら全然声かけてくれて良いし」

 言いながらポケットの財布からチケットを出そうとしていると、美冴ちゃんがふと顔を上げた。誰かを見つけたように片手を挙げるのを見て、そう言えばもう一人、彼女の友達が一緒にだったことを思い出す。そのコがきっと戻ってきたんだろう。

 つられて何気なく顔を向ける。

 その瞬間、俺の心臓が、大きく跳ね上がった。鼓動が耳に聞こえた気がした。

「由梨亜っ。こっち」

 ――もう一度会えないかな。……また会えたら俺、頑張るのに。

「聞こえるかな。由梨亜、こっちだよっ」

 嘘だろ……?

 人の間を危なっかしく歩く姿を、ホールから届く色とりどりのライトが照らす。

「美冴ちゃんの友達ってコ?」

 一矢の軽口を聞きながら、鼓動が加速していく。

「はい。彼女もクラスメイトで」

 緩やかに波打つ肩越しの淡いハニーブロンド。

 人形のように華奢で繊細な姿。

 美冴ちゃんの姿を見つけて、彼女は白い歯を覗かせた。

 その間も俺は視線を動かせずにいた。喉が、干からびるように乾き始める。代わりに手のひらに汗が滲む。

「外人さん?」

「いえ、ハーフなんです。由梨亜、あゆなさんのお友達」

 近づいてきた彼女は、テーブル脇に立ったままの俺のすぐ前で足を止めた。彼女から視線を逸らせずにいる俺に向かって、はにかむように目を細める。

 ――あの日、青山で見かけた姿そのままに。

「初めまして」

 まるで彼女の挨拶の為にとでも言うように、ホールに響いていた音楽が一瞬切れる。

 春風のような柔らかい声の響き。

 釘付けのままだった俺と視線が絡んだ。また、一際大きく心臓が跳ね上がった。

「羽村由梨亜です」




 この出会いが、俺と和希を三角関係に落とし込むような事態になるとは、この時の俺は夢にも思っていなかった。












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