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【ZERO】ZERO-Crystal Moon-  作者: 市尾弘那
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第7話(5)

 でも、これ以上のものは、少なくとも今の俺らからは多分出て来ない。

 俺だけじゃなくて、多分みんなどきどきだっただろう。これでぼろくそに言われたら立ち直れない。だけど反面、言われたら言われたでもう知ったことかと言うようなヤケクソ気分があったのも否定しない。

 四分ちょいの長い長い時間を経て、やがて事務所内に静寂が戻る。口を開かない広田さんをそろっと伺うと、緊張する理由のない広田さんは俺らを振り返ってあっさりと笑った。

「うん。良くなったんじゃない」

 イジェクトボタンを押してCD-Rを抜き出しながら広田さんが頷いた。

「まだまだ改変の余地はあると思うけど」

 ぐえ。悪魔め。

「今の段階では及第点かな。これで出してくるよ」

 ほおーっと人知れず溜め息が漏れた。聞こえたらしく、広田さんがCDケースをデスクに置きながら苦笑する。

「だいぶ頑張ったみたいだね。お疲れ様」

「あ、や……はは」

 見抜かれた。誤魔化すように、俺は疲れきった笑みを浮かべた。

「今日も広田さんは出勤なんですか? それとも俺たちのせいですか?」

 きょろっと事務所を見回して和希が問う。広田さんはデスク上のCDケースを無意味に撫でながら、軽く肩を竦めた。

「こういう仕事をしていると、土曜も日曜もないもんでね。一応事務の女の子は週休ニ日にしているけど、実際問題としては滅茶苦茶ってのが現実だよ。マネージャーなんかはアーティストの動向によるわけだし」

 ああ。なるほど。

「上のスタジオも、今日は全部埋まっているんじゃなかったかな。Blowin’は相変わらずレコーディングやってるしね」

 ふうん。まあ、それもそうか。俺らだって曜日感覚はおろか、時間感覚だって滅茶苦茶になってる時もあるし。

 ともかくも肩の荷を降ろした気分で事務所を後にする。気が抜けたせいか、一歩外に出た瞬間あくびが零れた。それを見て、和希が笑った。

「いきなりそうくる?」

「眠ぃーー……」

 このまま運転するのは危険かもしれない。事務所の自販機でコーヒーでも買って眠気覚まししてから帰ろうかな。

 財布を探してポケットを漁る。次の瞬間、俺は血の気が引いた。

「どしたん?」

 俺の横を通り過ぎようとした一矢が、俺の表情を見て立ち止まる。

「財布」

「は?」

「やっべー。俺、財布、スタジオに忘れて来てるよ」

 そう言や、ジャケットを床に放り出した時に財布が飛び出したのを見たような気もする。

 他人事だと思って、一矢が軽い口調で俺の肩を叩いた。

「あらら。んじゃ取りに行かなきゃ。ご苦労さん」

「うわー。帰って寝てぇぇぇ」

 とは言っても、財布がないのはやっぱり良くない。

 仕方なく、帰って即効寝ると言うミナサマと別れ、俺は美保をバックシートに乗せて単車でスタジオへ戻った。嶋村家に到着するや否や、「もう寝る」と自宅へ戻る美保と別れて一人でスタジオへ向かう。

 美保の家は豪邸なので、庭も結構広い。スタジオは家の裏手の方にあって裏門からの方が近く、警備員がいるものの、俺らの顔は覚えてくれてる。顔パスで中に入ると、俺はスタジオの建物に近付いた。

 スタジオそのものにはもちろん鍵はかかっているけど、暗証番号でロックが解除出来るタイプのものだ。クロスのメンバーは、当然全員が暗証番号を知っている。

(あれ?)

 スタジオの前まで来た俺は、眉を顰めて足を止めた。……ロックが解除されている。

 ちゃんと閉めて出なかったんだっけ? 思い返してみるものの、何せぼーっとしてるわ慌てているわで記憶が定かじゃない。そろそろと中に入って防音扉を引っ張ると、スタジオの中にぽつんと人影が見えた。

(…………えっ?)

 瞬間、自分でも情けないくらいに心臓が跳ね上がった。

「由梨亜ちゃん」

 開いたドアと俺の声に、由梨亜ちゃんが振り返る。

 明り取りの天窓から差し込む陽の光が、由梨亜ちゃんの淡い色の髪に透き通るように降り注ぐ。

「どうしたの? 和希と、待ち合わせ?」

 上擦りそうになる声を何とか平静に保ちながら、中に入る。ギイと重い音がして、ドアが自動的に閉まった。

「ごめんなさい、勝手に入って」

「全然。別にいいよ。って俺ん家じゃないんだけど」

 由梨亜ちゃんが微笑む。……繰り返し繰り返し、心を引き離そうとする度に引き戻される。さすがに、苦しいほどの切なさで途方に暮れた。

 会いたかったよ。

 だけど……会いたくなかったよ……。

「今日はもう、みんな来ないと思うけど」

「うん。方宮くんから、何となく聞いてます」

 ああそうか。由梨亜ちゃんは武人と同じクラスなんだっけ。

「じゃあ、どうして?」

 目の前に由梨亜ちゃんがいると言うのに、連日たまった睡眠不足とこの二日の徹夜がたたって、今にも眠気で目の前がくらみそうだった。

 スタジオの隅っこに置かれている小型冷蔵庫を覗くと、缶コーヒーを取り出す。一本を由梨亜ちゃんに放り、俺はコーヒーを開けながら煙草を取り出した。当初の目的である財布を見つけて、拾い上げる。

「この場所が、見たくなって」

 ポケットに財布を押し込んで煙草を咥える。

「この場所をって?」

「楽しかったなって……思ったりして」

 口に煙草を咥えたまま、俺は近くのパイプ椅子を引き寄せて座った。由梨亜ちゃんは、そこに立ったままでくるりと俺に背を向ける。ふわりとスカートが翻り、柔かそうな髪が揺れる。

「……まだ、昔を懐かしむお年でもないでしょ」

「ふふ。ホントそう。でも、いろんなことがあった気がして」

「そう?」

「うん」

 最初に会った頃より、少し大人びた表情。

 彼女の中の和希への想いが、和希とのいろいろな出来事が、彼女をそんなふうに見せるんだろうか。

 どんな表情をしていても、綺麗だけど……。

「……俺、今も由梨亜ちゃんのことが好きだよ」

 由梨亜ちゃんが俺を振り返る。

 ……わかってる。

 君が好きなのは和希なんだ。

 知っているから。

 だから……。

「好きだから、由梨亜ちゃんの力になれるなら何でもしたいと思った。幸せになって欲しいって、今でもそう思ってる」

 和希が君を待たせているのは知っている。

 でも、ただひたすら待ってても、始まらないだろう?

 いてもたってもいられず、あいつがいないとわかっているこのスタジオにそっと一人いるくらいだったら。

「……早く、幸せになってよ」

「……」

「あいつが他を見てたとしても、由梨亜ちゃんが和希を好きなんだろ。だったら、ぐずぐずしてるあいつの気持ちを動かせよ。ここじゃなくて、和希のところに行きなよ……」

 幸せになってよ。

 幸せに微笑む君が見たいよ。

「少なくとも、和希にとって由梨亜ちゃんは、長年溶けなかった想いを溶かすほどの存在なんだ。自信持っていーよ」

 由梨亜ちゃんにだけ許される。

 由梨亜ちゃんだけが、和希の気持ちを動かせる。

「早くまとまってくんないと、俺もつらいしさ」

 自嘲気味に、煙草を灰皿に放り込んだ。指先で缶を玩ぶ。由梨亜ちゃんの目から、こらえていたように涙が零れ出した。

「待つって言ったけど、つらくて。会えないのが寂しくて。……わたしを見てくれていなくても良い。あの頃みたいにそばで見ていたい。……胸が痛くて、眠れないの」

「……うん」

 耳が痛い。

「好きなの。和希さんが、好きなの」

 し、心臓が痛すぎる。これが原因で心臓病になっちゃいそう、俺。

「うん……」

 胸が痛くて、息がうまく出来ない。

 ……情けないくらい。涙が出そうだよ。

 俯いて俺は呼吸を整えると言葉を押し出した。

「和希に、ちゃんと伝えておいで。……伝わるはずだから」

「啓一郎さん……」

「行きなよ。和希のところへ」

 精一杯の笑顔を向けると、由梨亜ちゃんは頷いて体を翻した。

 眩暈がするほどの孤独感の中、スタジオを出て行く彼女の後姿を見送る。俺はそのままパイプ椅子に深く沈みこんだ。

 天井を仰いだ顔を、そのまま右腕で覆う。

 まじで、泣けてきた。

 寝てるかもしれないけど、由梨亜ちゃんだったら許されるよ。

(好きだよ、今でも)

 だけどこれで、決定打だ。

 ……幸せに、なってくれよな。


          ◆ ◇ ◆


 広田さんが、どんなふうに話を持っていったのかは俺たちにはわからない。

 とりあえず音源での審査は通過することが出来て、和希の元には三次審査に関する詳細が通知されてきた。

 年末押し迫った十二月の半ば――俺たちは、自分の人生のかかったステージに立とうとしていた。

「あー……あ、あ、あ、あー」

「啓一郎うるさい」

「うるさいって言うなよ。ヴォーカリストの声出しを」

 三次のライブ審査の当日。

 生き残ったアーティストは、十六組しかいないらしい。一次もニ次もかっ飛ばして割り込んだ俺らは、何だか気分は裏口入学だ。

「何にしても、今日が終われば何か変わるんだろうなあー」

「……何も変わらなかったりして」

「合格ももらえず、ブレインからも見切られたり?」

「どおしてそういう暗い未来を示唆するわけ?」

 控室はでかい部屋が一つで、そこに出演バンドが全部詰め込まれている。

 壁際の一角に陣取ってごちゃごちゃと話していると、少し緊張が薄れてきたような気がした。

「はよーっす。お互い頑張ろうねー」

 昨日は一日かかってリハーサルがあった。

 その時顔見知りになったバンドのコらが、元気良く挨拶をしながら通り過ぎていく。それに答えて、俺は床に座り込んだ。

「う……胃が痛い」

「何繊細ぶってんの」

「繊細なの俺は」

「どの辺が?」

 俺たちの出演は十六バンド中十三番目だ。

 トップは嫌だけどトリも嫌だし、無難な配置。

 昨日見た限り、審査を残ってきただけあって上手いバンドばかりだった。正直ビビってるところもないとは言わない。

 でもやれることは限られてるし、考えても俺には……俺たちには、俺たちのようにしか出来ない。

 既にライブはスタートしている。今は多分ニバンド目が始まったあたりだ。

「歌詞トチったりしないでよ」

「お前こそモタつかせたりすんなよ」

 一矢とぶつぶつ悪態をつきあう。多分、一矢も上がってるんだろう。

 ちなみに和希はヘッドフォンで何か聞きながらしきりと指を動かしているし、美保は相変わらずどっかよそのバンドの男と仲良くなっている。剛胆なのは武人で、壁に背中をもたせかけて眠りこけていた。こいつ、絶対大物になると思う。

「会場、行ってみようか」

 ふいっと和希が顔を上げた。ヘッドフォンを外しながら言う。

「うん。何聞いてたの?」

「……『Crystal Moon』」

「……」

 和希も上がってんじゃん?

 他のニ人を放っておいて、三人連れ立って会場に行く。通路にも結構お客さんとかがうろうろとたまっていて、俺たちは会場の重たいドアを引っ張って中に入り込んだ。結構座席、埋まってるなー。キャパ七百って聞いてるから……いつものライブとは比べ物にならない。

 大した規模じゃないなんて言っちゃいけない。こっちはまだ、最大でスタンディングのキャパ三百くらいのトコでしかやったことがないんだ。今日は座席七百で、しかもほとんど埋まっている。

 基本的に演奏は一曲しかやらない。インタビューが入るとはいえ、回転は早い。

 間もなく、今演奏していたバンドのインタビューが終わり、転換に移る。こうもハイペースで演奏者が変わるとなると、転換する方も大変だろうなあ。

「これ、三バンド目?」

 一矢が小声で和希に聞いた。

「じゃないか?」

 しばらくそうして、次々とライブが行われるのを見ていた。八バンドで一旦休憩が間に入り、十分の休憩後に九バンド目のステージが始まる。ニつ前のバンドのスタートでスタンバイに入れと言われているので、このニつ後で俺らは裏へ戻らなければいけない。

「さってっと……行きますかねえ」

 十バンド目が始まったところで、一矢が伸びをしながら言った。頷いて俺と和希も会場を出る。緊張のせいか、手の平が痛くなるような感じがした。顔を顰める。

「どしたん?」

「上がってるみたいなんですけど、ボク」

「……ボクって誰よ」

 控室に戻って眠りこけている武人を起こし、トリのバンドの男に張り付いている美保を引き剥がして、改めてバックステージへ向かう。

 搬入口とつながっているバックステージには、機材を入れて来たケースだとか台車だとかが乱雑に置かれていて、ステージスタッフがうろうろしている。挨拶をしながら壁際で出順を待った。

 ステージ袖のドアが開いて、スタッフらしき人が出て来る。中の様子が漏れ聞こえてきた。演奏を終えたバンドが裏へ戻って来て、口々に声を掛け合う。こういう奇妙な連帯感のようなものは悪くない。

 スタッフに指示され、セッティングの為に、一度暗転したステージに上がった。

 ステージから見ると、七百人と言う人数は、客席から見るより遥かに圧迫感がある。

 ここにいる客が、別に俺たちのファンなわけじゃないと言う事実にプレッシャーを感じていることもまた事実だった。最前列の審査員が、冷徹な眼差しでこちらを品定めしているように見えた。

 セッティングを終え、一度袖にハケる。――これから、ステージが始まる。

(克也……)

 深く息を吸い込み、瞳を閉じる。俺の背中をいつも押していた姿が、瞼に浮かぶ。

 握った片手を、無意識に胸元へ持って行った。指先に触れるリング。

(……見てろよ)

 上へ、向かうステージ。

 ――やるからには……。

 やるからには、やってやろうじゃん。

 俺は一人じゃない。

 共に同じ目的を持てる仲間がいて、それを支えてくれる人たちがいる。

 絶対に上へ行くと決めた。今日が正念場だ。……乗り越えなくてどうする。

 緊張で、膝が震えた。

 ……大丈夫、声は出る。

 いつもと同じだ。

 和希がいて、一矢がいて、武人がいて、美保がいる。いつもと何も変わらない。……俺たちらしいステージを見せれば、それで良い。それ以上でも以下でもない。

「Grand Crossの皆さんですー」

 ステージから、呼ぶ声が聞こえる。

「……行こう」

 和希の右手が、俺の肩を叩いた。











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