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【ZERO】ZERO-Crystal Moon-  作者: 市尾弘那
20/29

第6話(1)

 時折ビールを飲む音だけが聞こえる。

 それと、煙草に火を点ける音。

 それから、煙草の灰を灰皿に落とす音。

 それ以外は静かなものだった。

 俺も一矢も、それぞれがそれぞれの考えに沈みこんでいる。

「……ま、落ち込んでたってしゃーないやな」

 一矢が、ビールの缶をコンと床の上に直接置いて、呟いた。床に座り込んで壁に寄りかかったまま、俺もぼんやりとその仕草を眺める。昨日『コースト』で「クロスを抜ける」と告げた和希の顔を思い出していた。

「まあ、ね」

 答えてはみたものの、和希が抜けるのは、正直痛い。いろいろな意味で痛過ぎる。このままクロスが空中分解するんじゃないかと思うほど。

「啓一郎が次期リーダーをやるしかないんじゃないの」

 まず、クロスのバンマスは和希だ。

「冗談。出来るわけねぇだろ?」

「だって他にいましぇん」

「俺、実は一矢の方が向いてると思うけど」

 人をまとめるのは、猪突猛進型の俺より慎重型の一矢の方が絶対向いてると思う。俺がバンマスになんかなったら、あちこちのバンドと揉め事ばっかり起こしまくる気がするし。

 俺の言葉に、一矢は頭を抱えた。

「そうなったら少しは自覚して自重しなさいよ。そうすりゃあんたも少しはオトナになんでしょ」

「十分オトナ。俺。もう二十一」

「年齢の話じゃねえ」

 一矢が投げた煙草のパッケージが、ポコンと俺の頭に当たった。

「まあ、バンマスをどうするだとかって話は、武人や美保も交えて話さなきゃなんないわけだから、置いといて……」

「ってか、いつ話すの?」

 今日クロスでスタジオに入った後、俺は和希が抜けたいと言っていることについて話す為、こうして一矢の部屋に寄っている。俺と和希が仲直りしたらしいことを喜んでいた一矢だったが、部屋に来て俺が告げた話の内容に愕然とした。

 そりゃ、するわな。

「さあ。まだ様子見なんじゃない。次のギターが見つかるまではクロスにいるって言ってるんだし」

 実りのない会話を続けているのは、結局のところ俺も一矢も途方にくれているからだろう。和希が抜けた後のクロスの活動と言うのが、想像出来ないのが情けないところだった。

「しゅーしょく、ね……」

 そら考えますわな、とあっさり言いながら煙草を咥える一矢の表情は、やっぱりどうしたって元気がない。

「卒業ももうすぐだもんなあ。考えなきゃなんない時期だよなあ」

 要するに、そういうことだ。

 大学四年生の和希は、来年の春になれば卒業する。他の同級生たちは既に就職活動をしていたり、内定をもらっていたり、卒業後の進路に向けてとっくに動いている時期だ。

 ――仕事をしながら遊び半分で良いんだったら、続けることが出来ないわけじゃないと思う。だけど、違うだろ?

 俺に説いて聞かせるように言った和希の言葉が、耳に蘇る。

 ――啓一郎も一矢も、この道で食っていきたいと思ってるだろ? まじにやってるだろ? だったら、俺みたいに中途半端なギタリストは、クロスにいちゃいけないんだ。

「まじにやってるけどさ……」

 昨日も和希に答えた言葉を、再び記憶の中の和希に向かって答える。

「まじにやってるけど、『今のクロスで』まじにやってくつもりでやってたよ……」

 自分の言葉が、妙にぽつんと聞こえた。一矢が黙って目を上げるのを感じる。

「ま、止めるわけにもいかんわな」

「……」

 一矢の言葉に、どこか見放された気分になった。

 いや、一矢が悪いわけじゃない。俺だって、昨日は物分りの良いフリをした。そりゃあ手放しで「おっけー」とは言っていないが、そして俺の本音は和希だって感じ取っただろうが、口に出して駄々をこねるような真似はしなかった。「わかったから、とりあえず一矢と相談させて」と言うのが、俺が和希に答えた精一杯の返答だ。

 だって、知ってるんだ。俺だって。

 どうして和希が今の大学に入ったのか。

「教師になんの、あいつの夢だもんね」

 一矢が、煙と共に吐き出す。

 俺たちの高校が付属している城西大学は、高校が難関なわりには決して有名な大学じゃない。高校時代、学年で十本の指に入る成績を保っていた和希だったら、もっと有名な大学にいくらでも行けたはず。

 なのに城西大学に進学したのは、そりゃ楽だからってのもあるだろうが、和希のやりたい教育課程が充実しているからなんだ。余談だけど、同じく優秀だったなつみが同大学に進学したのはひたすら和希を追いかけただけ。本当に余談だけど。

 ともかく、つまり和希は目的を持って大学に進学している。そもそも城西大学に進学しやすい付属高校を選んで進学して来たんだから、志したのは中学以前だ。

 その過程の中で音楽と出会って、今こうして俺らとやっていて、正直音楽を続けたいと思っていた時もあると言っていた。

 いや、正確に言えばずっと迷い続けていたし、今も迷っていると言う。

 だけど、初心貫徹したいと……決めることにしたらしい。

「良く暴れなかったじゃん。偉い偉い」

「あんなあ。俺だってちっとは考えるっつーの」

「……探さなきゃな」

 一矢の言葉に、俺は押し黙った。

 和希以上の人間がいるのか? クロスのギターとして。

 和希が果たしている役割は、クロスの中でかなり大きい。みんなを纏めるバンマスとしてだけじゃなく、メロディメーカーも七割がた和希だし、レコーディングでエンジニア的な役割をしているのも和希だ。ライブやメディア関連のブッキングも和希が取ってくるのがほとんどだし、クロスのウェブやフライヤーなんかも主に和希が手掛けている。

 みんなで分散すりゃあやってやれないこともないかもしれないが、和希ほどにこなせる自信もない。そして代わりがいない役割として、メンバー内の相談役みたいなのも、概ね和希だ。

 こうなってみて、痛いほどわかる。

 どれほど和希に頼り切っていたのか。

「参ったなあ……」

 二人して沈黙した後、同じところに辿り着いたのか、深いため息と共に一矢が床に転がった。仰向けに天井を眺める横顔が深刻だ。

「いっそ啓一郎がやれば。ギター」

「ギターヴォーカル?」

「そう。元々ギタリストじゃん。お前」

「無理」

「やってから言え」

「出来ねえってっ! 何でギター弾くのやめたのか、知ってんだろっ?」

 俺のギターの腕前は頭打ちなんだよっ!

「Stand Aloneの世良は?」

 Stand Aloneと言うのは、一矢が高校時代組んでいたバンドのことだ。

 ギタリストの世良は、一矢とは中学時代からの友達で、今もちょいちょい連絡を取っているはず。……そう。入学式の日に一矢を呼んだのは、まさに世良だったと思う。

「世良くんは、もう今はギター触ってないみたいよん」

「今からまた何とか思い出してもらって」

「うー……聞いてはみますが……。他に誰か心当たりある?」

「いいギタリスト? Blowin'の如月さん?」

「……お前ねえ。頼めるもんなら頼んで来なさいよ。現実的に引きずり込める人を出して下さいます?」

 そんな荒唐無稽なことを頼めるくらいだったら、まずサインを頼むような気がする。

 へろーっと舌を出す俺に一矢が顔を顰めて体を起こしたところで、不意に甲高い音が響き渡った。静かだったものだから、妙にどきっとした。

「誰か来た」

 チャイムの音だ。

 そう気づいて言った俺の言葉に、一矢が盛大に顔を顰めた。

「うわ、出た」

「何が出たの?」

「恵理」

「え……」

 えっ?

「恵理?」

「そう。だと思う。ちょいちょいね、来やがりますんで。あんたもこないだ会ったんでしょ」

 会ったけどさ。

 そう言っている間もチャイムの音は続いていた。一矢が渋い顔で玄関の方に視線を向けるのにつられて、俺もそちらの方角へ目を向ける。壁でドアさえも見えないけど。

「入れちゃれば」

「他人事と思って豪勢なことを言いますな」

「豪勢って言うの? それ。だって、俺は別に被害ないもん」

 いや、ないとは言い切れないか。また腹が立つ恐れは十分にある。だけど、チャイムの音が続いても、それはそれで腹が立つ。

「俺がいるところで話聞いてやれば? 二人になるより、困ったことにはならんでしょ」

「それはどうですかね。そりゃあ、包丁持って暴れたりはせんでしょうが。いや、しかねんか」

 おいおい。

 言いながら、一矢は諦めたようにため息混じりに立ち上がった。インターフォンをオンにする。

「近所迷惑です」

「チャイムの音を外に向けて放送してるの?」

 おもむろに出た一矢の言葉に、恵理も恵理で間髪入れずに答える。見事な即返しだ。

「ちゃうわ」

「じゃあ一矢センパイの部屋の中でいくら鳴り響いても、近所に迷惑じゃないよね」

「近所に今橋谷センパイがいらっしゃいますので。近所迷惑されてるご様子ですが」

「うわ。橋谷センパイいんの? 何の陰謀企ててんの?」

 てめぇ。

「とりあえず、橋谷センパイが呼べばと仰るので、入れば」

 げんなりした様子で諦めたようにロックを解除する操作をする。インターフォンのカメラに向かって、恵理が投げキスをした。

「橋谷センパイ、らぶりー。キング・オブ・お人好し」

「やっぱ締め出せ、一矢」

「手遅れ」

 据わった目で俺が言った頃には、恵理は既に解除された自動ドアを潜り抜けてエントランスに入り込んでいた。さすが元彼女は、建物の中にさえ入ってしまえば部屋番号ぐらいわかっているらしい。

「さて。腹立つの嫌だから、俺、帰ろうかな」

「待て、てめ。言ったからには責任持って居ろ」

 そうこう言っている間に、今度は先ほどとは違う音色のチャイムが鳴る。こっちの音は、ドアの前だ。

「はいはいはいはいはいはい」

 無駄に返事を繰り返しながら、一矢が廊下に消えて行く。それを見送って煙草を咥えていると、火をつけた頃には恵理を引き連れた一矢が戻って来た。「おはろー」と片手を俺に振っている。

「こないだはどぉもぉ」

「元気にストーキングを続けてるみたいで」

「当たり前じゃん」

 いや、当たり前じゃない。

「電信柱の影から想うほどの殊勝さは、キミにはなかったみたいね」

「あたし情熱的だから」

 ストーカーの間違いでしょと一矢がぼやいて、恵理に缶ビールを放り投げた。

「おっと。ありがと。……何? 橋谷センパイ、車にでも轢かれたの?」

 受け取って嬉しそうに床に座り込みながら、傷だらけの俺の顔を見てそう評して下さる。車に轢かれたら、こんな傷にはならんのではなかろーか。

「今日は二人なんだ」

「二人だよ」

「いっつも女連れ込んで乱交パーティしてるんじゃないの?」

 死ね。

「お前さんと一緒にせんでくれる?」

 俺が何か言う前に、一矢がばしっと恵理の頭を叩いた。恵理は、それでも機嫌が良さそうに鼻の頭に皺を寄せて笑った。

「何だ。今日こそ混ぜてくれんのかと思ったのに」

「混ざりたかったの?」

「ドラッグパーティ?」

「や・ら・ね・え・っつーの。お前、まさかまだやってんじゃないだろうな? クスリに手出しする奴は、俺の部屋、立ち入り禁止。今すぐ立ち退け」

「やってないやってないっ。あたし、一矢に嫌われんのはやだもん」

 嘘は許さんと言う目付きでじとっと睨みつける一矢に、恵理は慌てて両腕をぶんぶんと振った。様子を見る限りでもそういう感じじゃないから、やってないと言うのは多分本当なんだろう。徹底した一矢のクスリ嫌いは恵理だって知っているだろうし、一矢のことを好きだと言うのが本当なら、出来るはずもない。

「信じましょう」

 立ったままの一矢は、そう駄目押しをして、冷蔵庫から更に新しいビール缶を二本取り出した。一本を俺に向けて放る。それを受け取ると、俺は、温くなったビールを飲み干して新しい缶を開けた。床に座り込んだままの恵理が、目を細めて俺を一矢を見比べる。

「相変らず仲良いんだね」

「……まあ、悪かないだろうけど」

 そうしみじみ言われるのも何だか変で、ぼそぼそ答える。恵理は目を細めて、部屋の中をぐるっと見回した。

「部屋、全然変わらないね。何か懐かしいなあ」

「あなたねえ、今頃思い出したようにどうしたのよ」

 一矢がさっきと同じ場所に座り込んだ。呆れたような言葉に、恵理がきょとんと一矢を見返す。

「思い出した、のかもしんないけど」

「思い出したんかい」

「偶然ばったり会っちゃったからね。でも……」

 そこで恵理は、少しだけはにかんだように歯を覗かせた。

「あたし、やっぱり一矢センパイがいいなあって思った」

「思わんで良い。俺程度の男なんぞ、その辺にごろごろしておりますんで、使い古しよりは新しいものをお勧めします」

「新しいのもいろいろ見たけど、やっぱり使い古しの方が良い」

「使い古しとか言うな」

「自分で言ったのに」

「迷惑でございます」

 きっぱりと言う一矢に、恵理が唇を尖らせる。

「好きなもんはしょーがなくない?」

「そろそろ俺の迷惑も考えていただかんと。……って、お前、また手首切ったりすんなよな」

 目を半開きにして唸るように念を押す一矢に、恵理はビール缶を置いて手首をそっとさすった。恵理は一矢と別れる時に、自殺未遂を起こしている。今もその傷跡が残っているんだろう。

「うん。今度やる時はきっちりやるから安心して」

 次の瞬間、一矢のローキックが入った。

「うわあ。暴力だ、暴力」

「こんぐらいせんとわからんでしょうが」

 一矢は、クスリもそうだし、自殺とかって行為もひどく嫌う。本当に、徹底して嫌う。その理由までは、俺も知らない。

「だってあたし、もう後悔したくないんだもんっ」

 一矢に蹴られた腰を軽く撫でながら、恵理は不貞腐れた顔でビールを手に取った。その缶を撫でて、恨めしげな目付きで一矢を見る。

「別れる時にぐちゃぐちゃして、もういろんなことから逃げ出したくって、あたしはあの時も一矢センパイがまだ好きだったけど、もうそういう全部から逃げ出したいってなっちゃって……逃げて。後になって、凄く後悔したんだ」

「何でやねん」

「あたし、あたしの本当の気持ち、ちゃんと一矢センパイにわかってもらおうとしなかったんじゃないかって」

 意外に真面目に話し出した恵理に、一矢はようやく突っ込みをやめた。果たして俺は、こんなところでそんな話を聞いていて良いんだろうか。部外者なんだけど。

 そうは思ったものの、恵理はお構いなしに話し始めた。

「あの時はあたしも精一杯で、いろんなことがあたしの中でぐちゃぐちゃで、マイナスな感情もたくさんあって、あたしが本当に好きなのは誰なのかってことをちゃんと伝えられていなかった気がする。そのままでみんなが分解しちゃった感じで、でもあの時はそのことに気がつく余裕さえなかったんだよね」

 一矢と恵理が付き合っていた当時、俺らは何人かでしょっちゅうつるんでる遊び仲間だった。その内部でいろいろな感情が絡み合って、縺れ合って、結局絡まったまま全てが収束してしまったことは多分事実だ。二人が別れた理由の一つとして、二人以外の原因があったことも確かだと思う。まあ、そもそも一矢自身が恵理のことを好きだったわけじゃないってのが最大の原因ではあるにせよ。

「後になってね、あたし、風俗で働いてたわけよ」

 ぶほっ。

 俺と一矢が同時にビールを噴き出した。

「そんでさあ、ああいうトコって凄いいろんな客がくんじゃん。知ってる?」

「知りましぇん……」

 口元を拭いながら、一矢がぼそっと答える。恵理が驚いたように「えっ。もしかして行ったことないの?」と尋ねた。一矢ががくっと頭を落とす。

「驚かれるところなの? そこ」






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