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【ZERO】ZERO-Crystal Moon-  作者: 市尾弘那
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第1話(1)

 一目惚れ、と言うのがこの世に存在するのだろうか。

 するのだとしても、そんなふうに一瞬で気持ちを掴まれたのは、後にも先にも彼女だけだった。

(すっげー、可愛い……)

 ライブハウス『あなぐら』に戻る為に青山通り沿いを歩いていた俺は、その姿を見つけて一瞬足を止めた。

 あと十五分ほどで十九時になろうかと言う時間帯だけど、六月も半ばを過ぎていればまだ空は明るさを残している。

 黄昏時――昼の名残と夜の始まりの境に染まる街の空気が、一層彼女を引き立てて見える。

 彼女は、雑貨店のショーウィンドウに見惚れていた。ちょうど俺が曲がる角の店だ。その店のすぐ裏に、俺が向かおうとしているライブハウスがある。

 視線を彼女に向けたまま、俺は再びゆっくりと歩き出した。

 小柄な俺より更に一回りは小柄そうな、華奢な体つき。緩くウェーブのかかった肩越しの淡いハニーブロンド。純粋な日本人ではなさそうだ。

 一心にショーウィンドウを見つめる横顔は人形のようで、俺の好みのストライクゾーンへ直球ド真ん中コースだった。

(うわー。可愛いなー)

 近づくほどに彼女の愛くるしさが明確になってきて、心の中で『可愛い』を連呼する。

 するものの、思うだけ。

 気軽にナンパを出来るような性分じゃない。へたれと言うならば言ってくれ。

 大体、見も知らぬ通りすがりの人にここまで目を惹かれたのは、この世に生を受けて二十年間……いや、ほぼ二十一年間、初めてだ。

 可愛い人も綺麗な人も山のようにいる街中、どうして彼女の存在にだけこれほど心奪われるんだろう。こんな経験はそうそうない。

(声、かけてぇー)

 自分の度胸のなさが恨めしい。気軽にナンパを繰り返す友人の顔を思い浮かべて、今初めてそいつを羨ましいと思った。

 これ、一世一代の出会いだったらどうする?

 だけどこのままスルーしちゃったら、これでおしまいだぜ?

 でも街角でいきなり声かけられるか? 普通の神経の持ち主なら無理だろう。そして俺は普通の神経の持ち主だ、多分。

 一方的に刹那の煩悩に侵されながら、彼女はもうすぐそこだった。で、角を曲がって通り過ぎてしまえばそれでおしまい。

 鼓動が速くなる。彼女が俺の気配に気がついたように、何気なく顔を向けた。目が合う。

「あ……」

 人生初のナンパをしそうになった世紀のその瞬間――――。

「おい、橋谷」

 脇合いからかかった柄の悪い声に遮られ、ついでに俺の体がぐいっと路地に引っ張り込まれた。

 視界が横滑りにスライドして、彼女の姿が俺の視界から完全に消える。次の瞬間、俺の背中は脇道沿いのビルの壁に押し付けられていた。

 ……なぬ?

「ってぇ……」

「いーところで会ったじゃんなあ? 何だ? これからライブか?」

 ぐいっと胸倉を掴まれる。

 何が起こったのかを把握しきれないまま、咄嗟に瞑った片目を開ける。そこで、俺の胸倉を掴んでいる男の顔に見覚えがあることに気がつき、内心舌打ちが漏れた。

 先日、下北沢のライブハウスでの対バンだったバンドの奴だ。確かベーシストだったと思う。その後ろにいる奴は、同じバンドのギタリストだったか。

 面倒臭ぇのに見つかったなー。

 こいつとはこの前揉めている。いや、揉めているどころか殴り合っている。こいつが一方的に絡んできたので、頭に来てぼこぼこにした。そして揃って、出禁を食らった。

 今日のコレは、その延長線だろう。

「この前貸した金を返して欲しいなあって思ってたんですよ、橋谷サンよぉ」

 はぁぁ?

 男の言葉に、内心眉根を寄せる。こちとら名前も知らないのに、金の貸し借りをするような間柄でもなければもちろんカツアゲた覚えもない。

(はー……)

 つまり『逆』か。カツアゲたいのか。

 ――こないだの仕返しに。

 そうとわかると、急激に腹が立った。

 馬鹿野郎、お前なんかに言いがかりをつけられている間に、彼女に声をかけるチャンスを逃したじゃねーか。言っとくけどな、声かけたいなんて思ったの、生まれて初めてなんだぞ。俺史上に残るかもしれないほど画期的な出来事なんだぞ。それをどうしてお前ごとき、『俺の人生における脇役』に阻まれなきゃなんねーんだ。

 小柄な俺より十センチは高いだろう男に胸倉を掴まれてるから、首も苦しい。ふつふつと怒りが湧き上がる。

「こないだ便器に抱きついた時の、洗濯代か?」

 ちなみにこいつが俺の足蹴りを食らって抱きついた便器は、洋式の奴じゃない。男子便所にむき出しでずらっと並んでる、アレ。

「クリーニングするほどの服じゃねーと思うけど。ああ、あん時、袖が破れちゃったんだっけ?」

「うるせえっ」

 もう彼女はそこにいないだろうか。俺が路地に引っ張り込まれる瞬間を見ているだろうから、普通は逃げちゃうだろう。あーあ。さよなら、俺の一目惚れ。

「うぜーんだよ。てめーで勝手に突っかかってきて、勝手に負けて、俺の知ったこっちゃねえっつーの。手ぇ放せよっ」

 声をかけられたかどうかもわからないと言うのに、チャンスを逃してみると一層惜しい。その憤りを、俺は素直に目の前に男にぶつけることにした。

 怒鳴る俺を意に介さず、後ろのギタリストがにやにやと男をからかうように口を開く。

「何だよ、お前。こんなチビにこないだやられたってのか?」

 むか。

「ちげーよ。こないだは油断してたんだよ。今日はあんなふうにいかねえからな。調子に乗んなよ、このクソチビ」

 むかむか。

「オンナみてーな顔して元気いいねー。女の子はおしとやかにした方が可愛いぜぇ」

 ブ・チ・コ・ロ・ス。

「……ぇんだよ」

 俯いてぼそりと言う俺に、男が胸倉を掴んだまま顔を近づけた。

「あ? びびっちゃってんのかよ? 聞こえね……」

「ごちゃごちゃうるせぇって言ってんだよっ!」

 言いながら、近づいた顔に思い切り頭突きを食らわしてやる。

 男が「ごふっ」とか何とか言いながら、思い切り食らって仰け反った。その隙に、解放された自分の襟元を軽く叩き、組み合わせた両手の関節を鳴らす。戦闘体勢。

 悪かったな。地雷を連発されて黙ってられるタチじゃねーんだよ。でもって『ゴメンナサイ』するタチでもない。

 いや、むしろ。

「洋服代が嵩んでもしらねーかんな」

 『ゴメンナサイ』をさせてやるっっっ!




 あー、腕が痛ぇ。

 もうすぐ、俺がヴォーカルを務めるバンドGrand Cross――通称クロスのライブ本番が始まる。

 今日は、DOUBBLE FOXと言うバンドに誘われてツーマンライブをやることになっていた。要するに先ほどの喧嘩は、俺にとっては本番前の出来事だった。

 男の肘鉄を食らった二の腕が痛い。雑然とした狭い楽屋で一人、ぼうっと腕をさすっていると、威勢良くドアが開いた。

「ばーーーーーーっかじゃないのっ?」

 そして暴言が投げつけられた。

 顔を顰めて振り返る。入って来たのは、北川あゆなだった。三ヶ月前まで通っていた音楽系専門学校時代の同窓生だ。卒業した今、彼女は新宿の楽器屋で店員をやっている。

「あゆな……人の顔を見るなりそういう暴言はだなあ……」

「だって、馬鹿以外の何者でもないじゃないの。これからライブをやるってバンドのヴォーカルが店の前で暴力事件起こすなんて」

 あゆなは腰まで届く艶やかな長い髪をさらっと後ろへ流しながら、切れ長の目を小馬鹿にするように細めた。

 言いたかないが、美人だ。垢抜けたファッションが、小柄で華奢なルックスに良く似合っている。中身を知らなければ声の一つもかけたくなるかもしれない。

 だけど中身を知っているので、ならない。

「暴力事件とか言うな。人聞きの悪い」

「暴力事件じゃないの。喧嘩でしょ? 何よ、ふっかけたの?」

「馬鹿言えよ。俺は自分から喧嘩をふっかけるような真似はそうそうしねーっての」

 先ほどの喧嘩は、大事になる前に今日の対バンのメンバーに止められて、決着は立ち消えになった。ライブハウスの人間が騒ぎに気づいて見に来た時には、俺はウチのバンドのドラマーに物陰に引きずり込まれて、頭を叩かれながら説教されていた。

 もちろん、先ほどの彼女の姿は、もうどこにも見えなかった。……嗚呼。

「全くもう。少しは自重するってことを覚えなさいよね」

 呆れ返ったようなあゆなの言葉を聞きながら、壁に張られている鏡を覗き込む。あいつの拳が当たった頬が、微かに赤味を帯びていた。

「見た目のわりに短気なんだから。啓一郎は」

 答えない俺に構わず、ぼやくように言いながら、あゆなは手近な椅子を引っ張った。すとんと腰を下ろすのを横目に見ながら、改めて鏡の中の自分を眺める。

 ふわふわの、茶色がかった少し猫っ毛っぽい髪。目は大きくきっちりと二重瞼で、髪と同じ茶色がかった瞳に長い睫毛。

 高校くらいからようやく身長は160台半ばを越えたものの、肩のラインなんかはまだ華奢っぽい。顔も女顔で、俺にとっては容姿の全てがコンプレックスの塊だ。

 もう少し男っぽく生まれてりゃあな。この容姿のせいで絡まれて俺がブチ切れることも少なくない。

「誰に聞いたの?」

「何が?」

「喧嘩」

「一矢」

 楽屋の薄い壁からは、ギャラリーの方から流れてくるBGMと客の笑い声が漏れている。それを聞きながら、首から提げているチェーンに通した指輪を弄んでいると、再び楽屋のドアが開いた。顔を覗かせたのは、長髪を後ろでラフに束ねたひょろっと長身の男だ。

「噂をすれば」

 クロスのドラムを担当している神田一矢、別名『Grand Crossのナンパ師』は、俺の言葉に軽そうなタレ目を瞬きながら中に入ってきた。

「は?」

「今、お前の名前が出たところだったから」

「いやん、アタシの噂? アタシが素敵とかそういうハナシ?」

 別にオカマなわけじゃない。単にふざけ癖がある奴なだけ。

 一事が万事この調子でノリが軽く、ついでに女の子にも軽く、こいつが関係を持っている不特定多数の女の子は俺にすらわからない。

 言いながら一矢は、壁際に置いてあった自分のスティックケースを取り上げて俺を振り返った。

「啓ちゃん、顔に痣が残ってるみたいですけど」

「残ってるみたいだねえ」

「だねえじゃないっしょ? ったく。俺が止めに行かなかったら、あんたの顔の傷、もっと増えてたんちゃいますか?」

「同じくらいあいつにも増やしてやったのに」

「そういう問題じゃねえつーの」

 温厚そうな人好きのする顔を顰め、一矢はボコンと俺の座る椅子を蹴った。俺が鏡越しにへろっと舌を出して鼻の頭に皺を寄せるのを見て更にもう一度蹴るが、続けて諦めたようにため息をつく。

 一矢は、中途退学しているとは言え高校時代の同級生なので、喧嘩っ早い俺の性格を良く知っている。文句を言っても無駄だと判断したんだろう。

 そう言う一矢自身はと言うと、極めて温厚で暴力沙汰を死ぬほど嫌う。喧嘩を売ることはまずない。そして売られても買わない。

「これ以上、出禁をくらうライブハウスが増えると、俺ら活動できる場所がなくなっちゃうんれすけろ」

「せっかく固定ファンがぼちぼちついてきたところなんだから、自爆するような真似、やめなさいよね。あんたの頭部って見た目だけ整えたハリボテなの? それともマゾなの?」

 あゆなは、口と態度の悪ささえなきゃイイオンナなのにな。

 特に、『対俺』となると極めてひどい。毒舌魔とはこういう人間のことを言うんだろうと、しみじみ思う。一体何が彼女をそうさせるのか。ちなみに俺は、マゾじゃない。

「だあー、もう、放っとけよ」

 自分が悪いことくらい俺だってわかっちゃいるが、いかんせん性格の問題だ。『ハイ、ソウデスカ』と変えられるもんじゃない。

「あゆな、一人で来たの?」

 ダブル説教攻撃に辟易した俺が強引に話をねじ曲げると、まだ何か言い足りなさそうな顔をしていたあゆなは、やれやれと顔を横に振った。

「違うわよ。泉と一緒。今、表で和希に引っかかってる」

 ああ、通りで和希が楽屋になかなか来ないわけだ。

 ウチのギタリストである野沢和希は、端正なルックスと大人で柔らかい物腰で女受けが異様に良い。あゆなの友人である置鮎泉も、その一人だ。泉は主にアマチュアやインディーズを対象としている音楽雑誌のライターで、その節はいろいろとお世話になったりもしている。

「さてと。わたしはそろそろ出てるわね」

「へいへい。あ、ウチのメンバー見かけたら、楽屋来とけって伝えといて」

「はいはい」

 俺の言葉を受けて、あゆなが出て行く。二人だけになった楽屋に、一矢がドラムスティックで太股を叩く軽い音だけが響いた。

 ――固定ファン、か。

 放り出してあった上着のポケットから煙草を取り出す。火をつけながら、俺はあゆなの言葉を胸の内で繰り返した。

 結成して、二年。

 最近になって、ようやく少しずついつも自主的に来てくれるようなお客さんが増えてきた。

 それに合わせて声をかけてくれるイベントやバンドも増えてきたし、やれるハコも増えた。

「そうだよなあ」

 突然ぽつっと呟く俺に、一矢が顔を上げる。

「何ですか」

「や、ようやく固定ファンらしきものがついてきたのかなあって思ってさ」

 ……だけど、まだ遠い。

 まだまだ遠い。

 ふわふわと漂う紫煙に目を向けると、その向こうに霞む一矢が小さく笑った。

「どんどん増やしていかなきゃ、プロへの道は遠いれすな」

「だよなあ」

「取り急ぎ……」

 今日のツーマンライブ。

「DOUBBLE FOXのファンをさらっていきますか」

 一矢が笑った。




 プロになりたい。

 そう思ったきっかけは、何だったんだろう?

 ライブ終わりで片付けた物販を、ライブハウスの駐車場に停めてあるバンド車に放り込む為に夜道を歩きながら、そんなことをふと考えた。

 お手製のCDや自分ら製作の物販品を詰め込んだダンボールを乗せて俺が引いているカートの音が、ゴロゴロと背後をついてくる。

 今日のライブはDOUBBLE FOX企画なので、俺らのステージが先だ。DOUBBLE FOXのステージも今さっき終わって、この後行ける奴で打ち上げに行くことになっている。

 俺らと年はそう変わらないはずだが、上手いバンドで集客力もあり、キャパ300くらいのライブハウスはいっぱいだった。二バンドでこれだけ集まれば上等、そう思うものの、それで満足をしてたら上になんていつまで経っても行けやしない。

「和希、打ち上げ行くの?」

 駐車場について、車を停めてある隅の方へ足を向ける。

 隣に並んでやはりカートを引っ張る和希を見上げると、和希は端正な顔をこちらに向けた。形の良い目の上で、右側で分けた前髪が揺れる。一房だけ赤いメッシュが入っているのが特徴的だ。

「行くよ。別に帰らなきゃなんない用事もないし」

 和希は俺の一つ年上で、元々は高校時代の先輩だ。現在は大学の教育学部の四年生。

 正統派美形とはこういうものか、と唸りたくなるような丁寧な造作の顔立ちをしていて、一見すると切れ長の目元や作り物のように計算されつくされた部品の位置がクールそうにも見せる。

 だけど本人の性格は至っておっとりとしていて、生真面目を通り越した馬鹿真面目で、誰彼関係なく柔らかい態度だ。そんな性格が顔からも滲み出ているので、整形から受ける冷たい印象を払拭している。

 背もすらっと高いし、当然ながら殴りたいほどもてるが、本人にその自覚はなさそうだ。俺の知る限りでは、逆に心配になるほど奥手――そういう奴。

 クロスではギターと同時にバンマスも務めている。

「啓一郎、帰んの?」

 バンドのみんなで金出し合って買ったボロボロのバンの鍵を取り出すと、和希はカートから手を離して俺を見下ろした。

「んにゃ。帰らんよ。今日は内海くんと熱く語る約束をしていてだなあ」

「あ、そう。お前ら、合ってそうだもんね。二人で語ってたらさぞ暑苦しい……」

 涼しい顔で悪態をつきながら、トランクを開錠する。普段優しい顔をしているくせに、時々こいつはこうして何気ない顔で毒を吐いたりする。

「暑苦しいって何だよ、暑苦しいってっ」

「酒でも回った日には、夢がどうとかってことについて回らない呂律で延々と同じ話をしてそう」

 じとっと見る俺にお構いなしで、和希はカートにつけたダンボールを外した。それに倣って、俺もようやくカートからダンボールを外す。

「いーことじゃん。俺らの未来を語るのっ」

「はいはい。どうぞ語って下さい」

 俺の持ち上げたダンボールを受け取ってトランクにしまい、更にカートを折り畳んで隙間に適当に詰め込むと、和希はトランクを閉めた。

 そのまま運転席の方に回って、車に乗り込む。この後飲みに行くと言うことは、とりあえず車は置いてこなけりゃならない。俺も助手席に乗り込むと、ドアを閉めた。

「だってさ」

 和希がエンジンをかける。

 廃車寸前の中古バンは、必要以上にうるさいエンジン音を上げて大げさにボディを振るわせた。

「和希、聞いた?」

「何を?」

「DOUBBLE FOXさあ」

 レーベル決まったんだって、と言う俺の言葉と同時に、車がゆっくりとバックを始める。それから砂利を踏み締める音を響かせながら車体を転回させて、俺たちを乗せたバンは駐車場を出た。

「レーベル?」

「うん。インディーズって言ってたけど」

「……へえ」

 暗く車通りの少ない道を走らせながら、和希がさすがに複雑そうな声を出した。

「凄いじゃん」

「うん。凄いよな。だってそれって」

「うん」

「プロになるってことだ」

 車を置きに行く場所は、さして遠くはない。

 渋谷に程近い明治通り沿いに、一矢の住むマンションがある。その地下駐車場だ。今いる場所は青山だから、裏道を通れば混雑に遭遇することなく抜けていける。

 少しの沈黙を挟んで、俺は更に口を開いた。

「和希はさ」

「うん?」

「この先のことって、考えてる?」

 道の先には、明治通りの華やかな明かりが見える。あちらはさすがに大通りなだけあって、車がばんばん行き交っているのが見えた。

 そしてその向こうに、誰もが知っている大手外資系レコード会社の看板。

 その黄色い看板にぼんやりと視線を定めていると、俺の問いを図りかねているような横顔を見せていた和希が口を開いた。

「この先って、プロになりたいとかそういうこと?」

「……そういうこと」

 街から差し込む明かりが、和希の顔に陰影を落とす。前方の信号が、考え深げな目に赤い光を投げかける。

「そうだなあ。どうしたの? 急に」

「俺、明日で二十一になるんだ」






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