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【ZERO】ZERO-Crystal Moon-  作者: 市尾弘那
19/29

第5話(4)

「凄く。クレイグ・シェイファーみたい」

「……それ、合ってんの、『傷だらけ』ってとこだけじゃないの?」

「まあ、青春って年でもないですよね」

 余計なお世話だ。青春真っ只中の奴に言われると返す言葉がないじゃないか。

「風邪で寝込んでるって聞いてたけど、本当はボクシングの修業でもしてたのかと思って」

 言いながら、武人は鞄を放り出して制服の上着を脱いだ。

「人って、誰と会ってたの」

 煙をぱかーっと吐き出しながら尋ねると、クールな武人の表情が崩れた。ぱっと赤くなる。一矢がすかさず、にやーっと嫌な笑いを浮かべた。

「あらー? たっけっとっくんったら〜……妃名ちゃん?」

「妃名ちゃん?」

「ほらー」

 誰?と目で一矢に問い掛けると、一矢が口を開いた。武人が赤い顔のままわぁわぁ言うが、それを黙れと言うように左手を広げて制す。

「前に武人が宝華のコに告られてどうしようなんてうざってーこと言ってたっしょ」

「うざってーって……」

 がくっと武人が肩を落とした。美冴ちゃんが声を立てて笑う。

「ああ。あれが妃名ちゃんって言うの? 可愛い名前じゃん」

「何? ついに付き合うことに決めたんだ」

 一矢の問いに武人がこくりと頷いた。普段大人びた表情をしていることの多い武人だけど、こんなところは年相応……と言うよりむしろ純情かもしれない。

「えー。方宮くん、彼女作っちゃったの」

 美冴ちゃんが俺の脇にしゃがみこんだまま武人を振り返った。武人が口を尖らせる。

「何だよ。悪いの」

「悪くはないけど。わたしの友達に方宮くんが好きってコいるから」

「そういうこと、付き合う前に言ってくれる?」

「わたしが勝手に言うわけにいかないもん」

「陰で言ってないで俺に言ってよって言っといてよ。じゃなきゃわかんないよ」

「いっつもむっつりしてて、怖くて近寄れないじゃないのよー」

「怖いって……」

 武人が、困ったように頭をかき混ぜて俺を見た。そんな縋るような目をされても困る。

「武人って学校とここだとキャラ違うの?」

「全然違いますってっ! 別人ですよっ!」

「人見知りなんだよ俺はっ! 苦手なのっ」

 赤い顔のまま武人が怒鳴った。ふうん? 人見知り? そりゃあ人懐こいタイプでもなさそうだけど、あんまりそういう認識も俺にはなかった。

「同年代の奴らとか、苦手なんだよ」

 ああ、それでか。俺ら、何だかんだ言って一応は年上だもんな。

 家庭環境のせいだろうか。武人は三人も姉がいる。ついでに言えば双子の妹とやらもいるらしいが、そんな面白いものを俺は未だに見れていない。

 鼻の頭に皺を寄せて武人が言うと、美冴ちゃんが肩を竦めた。意外と良いコンビだと思うんだけどな、この二人。

「んで、啓一郎さん。何で和希さんと喧嘩なんかしたんです?」

 灰皿に煙草を押し付けていた俺は、吐き出していた煙草の煙でむせそうになった。

「……な、何で?」

「考えりゃわかるじゃないですか。いつも一番に来てる和希さんがいなくて、和希さんのギターが床に倒れてて、啓一郎さんがこんだけボコボコだったら、和希さんと啓一郎さんが殴り合いの喧嘩でもしたと考えるのが筋でしょう」

「……」

 こ、こういうところ可愛げないよな。何かいやに論理的で。

「言わないのよ、それが。ケイちゃんたら」

 短くなった煙草を灰皿に落としてこれ見よがしに肩を竦めた一矢は、両の手の平を上に向けて肩の高さまで上げた。アメリカ人のようなポーズをする。

「ま、和希とお前があゆなちゃんを取り合って殴りあったわけじゃないだろーけど」

 ぶ。

「何であゆなさん? 意味深ー」

 さっきの逆襲のつもりか、武人がやたらと食いつきが良い。

「だって俺こないだ啓一郎ん家に見舞い行ったら、あゆなちゃんが出たもん。おまけにキッチンには雑炊を作ったらしい痕跡が」

 武人と美冴ちゃんが、一斉にこっちに視線を向けた。余計なことをべらべらと言いやがって。

 一矢の足を、黙って座ったまま蹴り飛ばす。

「事実でしょー」

「腹が減ってたんだよっ。動けなくてっ!」

 俺がそう怒鳴ったところで、スタジオの出入り口のところにカタン……と人影が姿を現した。思わずあちこち痛むのも忘れて立ち上がる。

「由梨亜ちゃん」

「由梨亜っ」

 俺と同時に、美冴ちゃんが声を上げた。由梨亜ちゃんが儚い笑顔でこちらに向けて微笑む。

 駆け寄ると、由梨亜ちゃんは泣いたような赤い目をしていた。

「啓一郎さん、大丈夫ですか?」

「俺は、全然……俺なんか、全然……」

「ごめんなさい。わたしのせい、ですね」

 由梨亜ちゃんがうなだれる。俺は慌てて両手を挙げた。

「そ、そんなことないよ、全然。和希は?」

 由梨亜ちゃんが黙って首を横に振る。顔を上げ、笑顔を作った。

「別れることにしました」

「えっ?」

 何……。

「和希さんとわたし、別れることにしました」

 泣き出すかと思ったけれど、由梨亜ちゃんは笑顔のまま、俺に繰り返し告げた。言われている内容が頭の中で形にならない。

「何で」

「今は、仕方ないです。……美冴」

「え?」

 俺と由梨亜ちゃんが話していることに遠慮したのか、こちらに来るのをためらうようにしていた美冴ちゃんが、由梨亜ちゃんに呼ばれてこちらへ来た。

「平気?」

「うん。わたし、帰るね」

「え? じゃあわたしも……」

「ううん。大丈夫。美冴はいて」

「でも」

「大丈夫だから。……じゃあ」

 最後の言葉は俺に向かって言うと、由梨亜ちゃんは後ろの一矢にも頭を下げるようにしてから踵を返した。美冴ちゃんが後を追うように声をかける。

「後で電話するっ」

 その言葉に、由梨亜ちゃんがちらりと振り返って手を振った。その姿が見えなくなって、俺と美冴ちゃんは思わず無言で顔を見合わせる。

「由梨亜、何て?」

 口元に片手を押し当てて口篭る。どうせ後で美冴ちゃんには伝わる話なんだろうとは思うんだが。

 少し躊躇った後、俺は掠れた声を押し出した。

「別れるって」

「えっ?」

 長い睫毛を繰り返し瞬くようにして、美冴ちゃんが俺を凝視する。そんな顔で見られても、俺だって事情がわからないんだから、これ以上答えようがない。

「俺にも良くわからないんだけど。和希と別れることにしたとか……言ってたよ」

「……嘘。何で」

「わからん」

 そのまま二人立ち竦んでいると、足音が聞こえた。大きなストライド。……和希だ。

 ドア口に佇む俺の姿を認めて、和希が一瞬足を止める。一瞬の緊張感に、美冴ちゃんが怯えたように俺と和希を見比べた。けれど、和希が構わずにこちらへ足を進めたので、俺も無言でドアの前を譲る。和希は、俺の横を擦り抜けてスタジオへ入って行った。

「俺、今日帰るね」

 低く、誰にともなく言って、和希は床に倒れたままのギターを取り上げた。ギターケースにチューナーと一緒に突っ込んむと、肩に引っ掛けて立ち上がる。

「ああ、うん」

 一矢が返事をした。それを聞いて、和希が再びこちらへ歩いて来る。

「和希」

 俺の前を通り過ぎる瞬間、咄嗟に声をかけた。

 何を言いたかったのかは、自分でもよくわからない。

 和希は一瞬俺の前で足を止めたが、結局何も言わずにそのまま歩き去った。それを見送ってから、そっと溜め息をつく。

「啓一郎さん」

「……大丈夫」

 心配そうに俺を見上げる美冴ちゃんの頭を軽くポンと撫でると、スタジオのドアを閉めて中へ戻った。一矢が、口をへの字に曲げて俺を見る。

「おいおい。ちゃんと仲直りしてくれよぉ?」

「知るか」

 俺が一人で頑張ったって、向こうに歩み寄る姿勢がなきゃどうしようもないだろう。

 そう思って、顔を顰める。手当してもらったはずの傷がずきずきと疼き、それに引き摺られるように、胸の内も疼くような痛みが走った。


          ◆ ◇ ◆


 『コースト』は、相変わらず繁盛しているようだ。

 大音量の音楽が、今の俺には傷に響く。顔を顰めながらあゆなの姿を探すと、テーブルにあゆながぼんやりと頬杖をついていた。人の間を縫って近付くと、俺より先に男性の二人組みがあゆなに声をかけるのが見えた。

「ごめん、俺の連れ」

 後ろから一人の男の肩に手を置いて言う。「何だよ?」と言うように振り返った男が、俺の顔を見てぎょっとしたような顔をし、そそくさといなくなった。

 ……失礼だと思う、それはやっぱり。

「ちょ……どおしたの?」

 あゆなも俺の顔を見て唖然とした。俺は何も言わずに顔を顰めて、その場を離れる。カウンターでドリンクをもらって、あゆなのテーブルに戻った。

「こないだ、ありがとう。お礼言う前に帰っちゃうから」

「それは良いんだけど……だからどうしたのよ? ここの雰囲気と相まっていよいよ夜道で遭遇したくない感じになってるけど」

 まったく、みんな人の顔を見て言いたい放題言うよな……。

 和希が帰ってしまい、俺もこんななのでリハなんか出来るわけもなく、今日はあのまま解散になった。

 一旦家に帰って亡霊のようにぼうっとしていたわけだが、ふと思い立って二十時過ぎた頃にあゆなに電話をした。ここ数日バイトを休んでいるので、しばらく夜はバイトに出ずっぱりになる。礼を言うなら今日しかない。

「ほんっとひどい顔。ねえ、寝込んだ後に今度は怪我して、そんなに痛めつけて何のメリットがあるの?」

 やめれば良かった。

「喧嘩でもしたの?」

 俺がぶすっと黙りこくるので、さすがにあゆなも悪態をつくのをやめて頬杖をつきながら首を傾げた。

 ジントニックのグラスを持ち上げ、黙ったまま頷く。一口飲むと、口の中が沁みた。殴られた時に口の中も切れたらしい。顔を顰める。

「誰と?」

「和希」

 俺の返答に一瞬ぎょっとしたように黙り込んだあゆなは、目を丸くして俺を覗き込むように身を乗り出した。

「あのおっとりしてる和希? 殴り合いでしょ? これ」

「……」

「何したのよ。……由梨亜ちゃん?」

 俺が一方的に悪いみたいに言うなよ。

 そう思いながら頷く。あゆなはあきれたように溜め息をついた。

「よくやるわね」

「るさいな」

「無茶よ。和希って細いけど筋肉あるもの。身長だって啓一郎より十センチ近く高いんだから。そんな華奢な体で和希と殴りあうなんて無茶苦茶」

「あのねえ、俺、こう見えても喧嘩って結構慣れてるんだよ?」

 ガキの頃から、女っぽい見た目でからかわれたり絡まれたりすることが少なくなかった。おかげで俺は喧嘩する率も高く、自分の体格にあった喧嘩の仕方を体得している。とは言え、病み上がりには堪えたわけだけど。さすがに。

「実際ボコボコじゃないの」

「同じくらいこっちも返してる」

 威力は俺が受けたほどではないのは確かだが。

 俺の言葉に、あゆなは「へえ」と少し感心したように呟いた。

「やるじゃない」

「まあ俺の方がボコボコなのは確かだけど」

「……どっちなのよ」

 ほっとけ。別に勝敗が必要な喧嘩じゃない。……本当の意味での勝敗は、最初から既に決まっている。

「まったく。女の子取り合って殴りあうなんて、昔のドラマじゃないのよ」

「別に、取り合ったわけじゃない」

 頬杖をつき、俺は指先でグラスの雫をなぞった。別に、取り合ったわけじゃ、ない……。

 取り合えるほど、由梨亜ちゃんの心に俺はいない。

「そう?」

「そ。由梨亜ちゃんの心は、和希って決まってるから。殴り合って結果が変わるもんじゃない」

 言って、グラスのジントニックに浮かぶレモンをぼんやりと眺めた。

 ……でも、別れるって言ってたんだよな。

 和希と、何を話したんだろう。

「啓一郎」

 不意にあゆなが声を潜めるような仕草で、あゆなが俺の袖を引いた。ぼうっとグラスを眺めていた俺は、顔を上げてすぐにその理由がわかった。人ごみの間、和希がこちらへ向かって来るのが見える。

「和希……」

「大丈夫なの」

「何が」

「ここで続きをやり直しなんて、勘弁してよね。警察呼ばれちゃうわよわたし帰るわよ」

「しないよそんなこと」

 視線を和希に据えたまま、答える。和希がここに来たのは偶然? ないわけじゃないけど、さっきの今で和希が踊りに来るとは考えられない。

「やっぱり、ここにいた」

 案の定、テーブルまで辿り着いた和希が小さく笑った。さっきまでの、研ぎ澄まされたナイフのような鋭さは今はない。いつもの和希、のように見えた。

「電話したんだけど、出なかったから」

「え?」

 慌ててポケットの携帯を引っ張り出す。見ると、確かに和希から二回ほど着信があった。バイブにし忘れていたので、気付かなかったらしい。

「あ、悪い」

「いや。シカトされてんのかとも思ったけど、啓一郎だったら、シカトするくらいだったら正面から怒鳴る気がしたし」

 そんな単細胞くんみたいに言われても。

「和希もひどい顔」

「え? ……はは。そう?」

 あゆなの言葉に、和希が自分の顔を撫でて苦笑する。そうは言っても、やっぱり俺ほどじゃない。ちくしょう。

「せっかくの整った顔が台無しね」

「礼を言うべきか謝るべきか判断に困るな」

「礼を言われても謝罪されても困るわ」

「……少し、啓一郎を借りても良い?」

 立ったまま、和希が首を傾げる。あゆながじっと和希を見据えた。芝居がかったそぶりで笑いながら、軽く両手を広げてみせる。

「あなたがプーシキンを演ずるつもりがないならね」

「啓一郎はジョルジュ・ダンテス? それなら倒れるのは俺の方じゃん」

 俺にわからない会話をしないでいただきたいんだけど。

「『青銅の騎士』?」

「『スペードの女王』だけ。さすが博識だわ」

「それはあゆなちゃんでしょ」

 文学も歴史も勉強もまったく興味のない俺は完全に置いていかれ、ぼーっと二人のやりとりを聞いていた。

 少し落ち着いたんだろうか。少なくとも、言葉で分かり合えないほど感情的になってはいないことはわかる。

「いいわ。わたしが帰るから、ここに座ったら」

「でも、悪いよ。来たばかりなんじゃないの?」

「啓一郎の暇つぶしよ。和希がいるんなら必要ないでしょ」

 言ってあゆなは、じゃあねと席を立った。

「あ、あゆな」

「はいはい」

「とにかく、この前、ありがとう」

 慌てて当初の目的である礼を再度口にすると、あゆなはにこっと笑った。それから改めて片手を振ると、出口の方へと向かっていく。

 その背中が見えなくなると、俺はテーブルに頬杖をついたまま、和希を見上げた。

「飲み物でも持ってくれば」

 和希は「うん」と小さく頷いて、カウンターへ歩いて行った。間もなく戻ってきて、先ほどまであゆなが座っていた椅子に腰を下ろす。

「用事?」

 短く尋ねる。煙草を咥えて火をつけると、切れた唇の端が痛んだ。和希が小さく笑い、やはり痛んだらしく鼻に皺を寄せる。

「痛む?」

「自分もだろ」

「遠慮なく殴るんだもんな」

「啓一郎、喧嘩慣れしてるって聞いてたから。油断したら負けると思った」

「そんなヤンキーみたいに言わんで欲しいんですが」

「そうは言わないけど。大体ヤンキーって絶滅危惧種じゃないの?」

「……絶滅危惧種?」

 そもそも誰が危惧してるのかが、知りたい。

 和希は、背の低いグラスに入った琥珀色の液体を口に含んだ。また顔を顰める。

「傷口に染み入るようだ」

「何すっとぼけたこと言ってんだよ。染み入るんじゃなくて沁みてるんだろ。……和希、何かやってたの?」

「何かって?」

「格闘技とか」

「やってないよ」

 グラスをテーブルに置いて、ゆっくり首を横に振る。点滅するライトが、和希の顔にカラフルな陰影を落とした。

「ちょっと鍛えられた時期があったくらいで。でもやっぱりだいぶ鈍ったみたい」

 あれで?

「ふうん。喧嘩とかしそうにねぇのに」

「そうかな」

「うん。一矢は昔やってたらしーけどね」

「何を?」

「空手と剣道。中学ん時って聞いたけど」

「へえ。意外」

「由梨亜ちゃんと何話したの」

 唐突な俺の問い掛けに、和希が視線を落とした。

 黙って煙草を吸いながら、返答を待つ。体を揺るがす振動。視界を行き交う人々。奥のホールでは、人が思い思いに体を揺らしているのが見える。

「別れた」

「聞いたよ。何でそうなるんだよ」

「ちょっと、冷静になろうと思って」

 和希が頬杖をつく。視線は、俺を通り越して、どこか遠くを見ているみたいだった。

「冷静に?」

「由梨亜、俺となつみの話を聞いてたんだろ。聞いたよ」

 俺がどこまで知っていて良いものかわからず、答えに困った。和希は構わずに続ける。

「半分当たってる」

「……っじゃあ」

「半分」

 半ば怒鳴りかけた俺に、和希は強調するように繰り返した。スタジオの二の舞になっても困るので、とりあえず和希の話を聞くことにする。

「忘れられない人がいたのは、確かなんだ」

「高校ん時?」

 和希が俺に視線を戻して、困ったような笑みを見せた。

「なつみだろ」

「まあ」

 まったくあいつは人のプライバシーをぺらぺらと……と大して気にした様子もなく呟いて、無意識か、耳からぶら下がったピアスの金色のプレートを弾く。

「本当にずっと、忘れられなくてさ」

「……」

「最初に由梨亜を見た時、本人かと思った。そのくらい、似てた」

「その人は今、どこでどうしてるの」

 俺の問い掛けに、黙って首を横に振る。それ以上は語らなかった。わからないのか話したくないのか、俺には判断がつかない。それ以上聞く必要も別にないので、俺は黙って先を待った。

「由梨亜に惹かれたのは、確かにそれが理由なんだと思う。他の誰にも目が行かなかった。どうしてもその人じゃなきゃ嫌だったから」

 目線を伏せて淡々と話す和希の上を、色とりどりの照明が通り過ぎる。

「そんな自分に俺は気がついてたし、だから出来るだけ彼女と距離を保とうと思ってたんだ。由梨亜に惹かれていても、それが、誰に惹かれているのかがわからない。重ねてしまう自分をわかってる。由梨亜が俺をどう思うかは別として、俺自身の気持ちが、彼女に失礼だとわかってた」

「うん」

「だけど……」

 言葉を切って、和希が顔を歪める。恋愛感情を吐露する和希を見るのは、恐らくこれが初めてだろう。

「別人だと知ってる、それは俺だってわかってる、だけど由梨亜が俺を想ってくれてると知って、突き放すことなんてどうしても出来なかったんだ……」

「……」

「身代わりにしてるつもりがあったわけじゃない。だけど、俺自身がわからなくなる。自分が今惹かれてるのが誰なのか。彼女にとってそれが酷なことくらい、理解してたよ。重ねずにいられない、重ねちゃいけない、他の誰かにも目が向かない、自分で自分の感情が、わからなくなってた」

「今も、代わりなのかよ?」

 自分で自分の額を覆うように俯く和希に、低い声で問いかける。返答次第では、『スタジオの続き』でも仕方がないと思った。

 顔を上げた和希の視線は、ここではないどこか――自分自身の胸の内を見つめるような目付きで、口を開いた。

「知れば知るほど、由梨亜は由梨亜だと思ってる。離れたいかと言えば、離れたくない。俺が彼女を大切にする。そう思ってる。……代わりじゃないよ」

 和希の口から、こんな明らさまに由梨亜ちゃんへの想いを語られるとは思わなかったので、心臓が痛かった。

 別れたと言う話が本当だろうが嘘だろうが、二人は間違いなくお互いを想いあっている。

「じゃあ、どうして」

「……うまく言えるかわからないんだけど。一度全部リセットしたい。自分の気持ちすら収拾がつかない状態で付き合い始めた、それを引き摺ったままじゃなくて……ちゃんと、『由梨亜と』始める為に。過去を引き摺ってた気持ちに、ケジメをつける時間が必要だと思った」

「……」

「俺自身の我侭だよ。それも知ってる。だけど、今はまだ、また彼女を傷つけそうな自分が怖い」

「由梨亜ちゃんは、お前のそういう気持ち、全部知ってるのか」

「うん。俺の正直な気持ち、全部話した。『待ってる』って、言ってくれたよ。もしも待てなかったとして由梨亜の気持ちがどこかへ逸れてしまったとしても……」

 和希は少し苦い顔で笑った。

「その時は、俺が片想いするしかないかな」

 それはないな。

 由梨亜ちゃんがどれほど和希を好きか、知っている。和希のそばにいられる日がいつか来ると言うのなら、由梨亜ちゃんは辛くても寂しくても、その日を必ず待ち続けるんだろう。

「……やーってらんねー……」

 小さくぼやく。別れたのが本当だろうが何だろうが、いずれにしても俺には何を出来る余地もない。

 そう告げられてる気分だ。俺に残されている選択肢は、どうあがいても、諦めることでしかない。

「啓一郎……」

「わかってんだろ、別に。俺が彼女を好きなことくらい」

 テーブルに前のめりになって、だらしなく頬杖をつく。和希が複雑な顔をして頷いた。

「最初は俺、啓一郎と付き合うのかと思ったもんな」

「まーさーか。相談されてただけだよ。和希のことが好きだ好きだってさ」

「え?」

 驚いたように和希が俺を見る。微かに頬が赤らんだのは、ライトの点滅のせいだけじゃないだろう。

「そ、そう……?」

「そうだよ。当て馬もいいところだよ。……自分にケジメつけんなら、さっさとつけろ。いつまでも彼女を待たせるな。じゃなきゃ今度こそ俺がもらっちゃうぞ。遠慮してやると思ったら大間違いだぞ」

 半ばヤケクソのような気分で、人差し指をビシリと和希に突きつける。

「今度泣かせたら、まじで許さないからな、俺」

「……わかった」

 バツが悪そうに、和希は頬を人差し指で掻いて僅かに俯いた。

 その顔を見て、本当に……本当に、諦めなきゃなと思った。

 次はない。

 和希もそれはわかっているだろうし、きっと大切にするだろう。そう言ったからには、和希は絶対にそうすると思う。

 それは……二人は二度と壊れることはないだろうと言うことだ……。

 だけど、これは俺自身の問題。俺が自分の気持ちにどう整理をつけるかって、それだけの話。

 息が詰まりそうなほどの切ない痛みを見せまいと、俺はグラスの酒を煽った。

「啓一郎」

 俺が俺でため息を飲み込んでいる間、何かを考えるように黙っていた和希が、やや改まった声で俺を呼ぶ。空けたグラスをテーブルに置いてそちらを見ると、和希は真っ直ぐな眼差しで俺を見ていた。

「実は、啓一郎に会いに来たのは、もう一つ話があるんだ」

「話?」

 何だろう。心当たりがない。和希に改めて「話がある」と言われるようなことなんて、後はクロスのことしか……。

 そう考えて、胸の内に暗雲が湧き上がった。

 ――そう。クロスのことしか考えられない。

「ずっと、いろいろ考えてた。俺がこの先、どうしたいのか」

 先ほどとは違う緊張を孕んだ声に、俺の背筋も心なしか強張る。

「ちょ……」

「啓一郎。ごめん」

「待……」

「俺」

 何かに踏ん切りをつけるように、無理矢理言葉を押し出すように一度目を閉じた和希は、再び目を開けて一気に言った。

「俺、クロスを抜けようと思う」

「な……」

 ……にぃぃぃぃぃ?












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