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【ZERO】ZERO-Crystal Moon-  作者: 市尾弘那
13/29

第4話(1)

「ぬぉぉぉ……」

 ぼすんっ!

 這いずるようにロフトへの階段を上ると、そのままベッド代わりに敷いてある布団にダイブする。

 頭が重い。そして眠い。

 別に二人で話すようなことなんてないんだけどなんつって、結局あのままだらだらと一矢の部屋に居ついていた俺。気づけば朝だ。

 完全に日が昇ってからようやくのろのろと自宅へ戻り、シャワーを浴びて、世間が朝を迎えようというこの瞬間に俺は眠りに落ちようとしていた。堕落への道のりはもう僅かだ。

 良く考えれば昨夜は夜通しのバイト明けでスタジオに入っており、挙句飲み明かすなんつー暴挙を己の体に強いてしまった。眠いに決まってる。

 今日も夜はバイトがあるし、昼間は何もないし、とにかく眠りを与えようと布団を頭っから被る。と、まるで見計らったかのように携帯電話が鳴った。ええい、無視だ、こんなもの。九時半過ぎなんて、通常でも俺は寝ている時間なので。

 そう思ったものの、なぜだか片腕は布団からもぞもぞと這い出し、見えない携帯電話を探し当てていた。別に何の予感があったわけでもないが、手は動物的に何かを察知していたのかもしれない。

「もしもし」

 顔を出さずに携帯電話の方を布団の中へ引きずり込む。目を瞑ったまま耳に押し当ててくぐもった声を出した。早く眠りにつかせろと、疲労で飽和状態の脳味噌がストライキを起こす。

 ……その声が耳元で聞こえるまでは。

「もしかして、寝てました?」

 ぬっ……?

 一瞬の間をおいて、がばっと体を起こす。一気に目が覚めた。そして次の瞬間、俺は天井にしこたま頭をぶつけていた。大して高さがない上に更に斜めになっていて、ロフトの天井は極めて低い。

「ってえッ……」

 幾らなんでも荒っぽすぎる目覚めだぜ、べいべ……。

 まるでバウンドするボールのように一瞬で布団の中へと沈み直しながら後頭部を抑える。涙目になりながらも、俺は辛うじて口を開いた。

「ゆ、由梨亜ちゃん?」

「はい、あの、だ、大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫大丈夫……」

 なら良かったのにと心の底から思う。痛ぇぇぇぇ……。

「ごめんなさい、寝てたらんだったらまた後でも」

「全然っ! 全っ然っ! 寝てないよ、まったく!」

「まったく寝てない?」

 この電話を逃してなるものかと必死になる俺の言に、由梨亜ちゃんが耳をくすぐるように笑った。それだけで猛烈に幸せな気持ちになる。溶けそう、俺。後頭部が激痛を放っていなければ。

「ど、どうしたの? 珍しいね」

 いかんいかん。寝入り端の不意打ちで、完全に声が動揺している。平静を取り戻さなければ、胸の内を悟られそうだ。

 取り繕った声を出しながら、俺はついでに髪を撫で付けてみたりした。いやいや、布団を頭から被ってたのであって、乱れてるっしょ? ……別に目の前に由梨亜ちゃんがいるわけじゃないんだけどさ。

「あのね、良かったら相談に乗ってもらいたいなーと思ったんですけど……迷惑じゃなければ」

 はっはっは。由梨亜ちゃんの相談にならいくらでも乗りますよ。でもどうせ和希のことなんですよね。わかってますよ。嗚呼、また涙目。

「俺は全然。どうしたの?」

 言いながら、時計を目で探す。枕元に置かれたデジタル表示の目覚し時計が、無愛想な文字で九時四十五分と告げていた。

「えと、和希さんに誕生日プレゼントあげたいなって、思って」

「ああ」

 そうね。お誕生日ね。もうすぐやね。……泣くな、俺。彼女に和希の誕生日を教えてやったのはお前だろう。

 こっそりとため息をつきながら、布団の上にそのままあぐらをかく。ベッドヘッド的役割のボードに手を伸ばして、俺は灰皿と煙草を引き寄せた。このロフトは、高さはないものの広さはダブルベッドくらいはあったりする。

「いいんじゃない? 喜ぶと思うよ?」

「迷惑とか思われないかな」

 全然ないと思うな。

 煙草をくわえながら、俺はすとんと壁に背中を預けた。どこか力ない仕草になってしまったのは仕方がないってもんだろう。このくらい勘弁してくれ。

「大丈夫だと思うよ。何あげるかは決まってるの?」

「それが、何が喜んでもらえるのか全然わかんなくて。和希さんの好きそうなもの、わかりますか?」

 男の好きそうなものなんか、リサーチする気にもなれんのでわからない。

 和希が喜ぶもの、ねえ……。

 そりゃあ際限なく何でも良いって言うんであれば思いつくことは出来るが、現実的にあんまり高いものは無理だろう。論外。と言って、趣味が入るものだと結構難しいと思う。何だろうな?

「啓一郎さんだったら、誕生日とか何が欲しいですか?」

「俺? 俺ねえ……」

 俺は、あんまり物欲ってものがないからな。

 今普通に欲しい物って、ギターのストラップが古いから新しいのに変えようかなとか、ヴォーカルマイクもっと良いの買おうかなとか……そんなんばっかりだし。

「うーん」

「洋服とか、無難かなあ」

 唇でも尖らせていそうな声を出して、由梨亜ちゃんが沈黙した。あまりお役に立てずに申し訳ない気持ちになる。

「今、どこにいるの?」

「え? 新宿の東口で。あちこちデパート覗いて来ようかなあって」

「……付き合おうか?」

「え」

 出過ぎだろうか。

 だけど、せっかく頼ってくれたのに悪いじゃないか。何の相談にも乗れないってのは。……それだけだよ? 本当にそれだけだよ? 別にプレゼント選びにかこつけて『由梨亜ちゃんとデート♪ るんっ♪』とかって下心があるわけじゃないよ?

「でも、悪いですよー」

「俺なら全然。まあ、無理にとは言わないけど」

 出来れば無理にでもつき合わさせて欲しいけど。

 由梨亜ちゃんが沈黙する。しまった、もしやこれは困ってるんだろうか。

 そう思って少しどきどきしていると、由梨亜ちゃんが少しこちらを伺うように尋ねた。

「ホントにいーんですか?」

「え? うん」

「えへへ。実は付き合ってくれたら嬉しいなあとか図々しいこと、少し考えました」

 ……感動のあまり一瞬涙が。

「すぐ行くよ。東口?」

「はい。アルタの前にいます。あの、慌てなくて良いですよ」

「うん。十五分で行くから」

 由梨亜ちゃんの制止を全く聞いていないセリフを返すと、即座に煙草を灰皿に押し付けた。通話をオフにして、ロフトを飛び出す。

 先ほどシャワーを浴びたばかりだけど、寝始めていたので一応顔だけ洗って身支度だけ整えると、俺は財布とキーケースと携帯だけ引っ掴んで飛び出した。

 単車にしようか迷うが、道が混んでるとしんどいし、停める場所とかそういうのも面倒くさい。新宿なら地下鉄の方が全然早いかと判断し、ちょうど滑り込んできた電車に飛び乗る。

 由梨亜ちゃんの待つアルタ前に到着したのは十五分後きっかりで、我ながら凄まじい行動力だと感心した。由梨亜ちゃんが目を丸くして、笑った。

「すっごい。ホントに十五分。啓一郎さん、どこに住んでるんでしたっけ」

 ……俺の住んでる場所さえ知らないけどね。

「新高円寺」

「あ、同じ沿線なんですねー。めちゃめちゃ近いんだー」

 俺は知ってたけどね……。

 由梨亜ちゃんは、黒のキャミソールに淡いブルーのミニフレアで、コットンレースの白いハンチングを被っていた。長い髪を緩く一本の三つ編みにして右から垂らしている。夏だと言うことを忘れさせるほどの愛くるしい爽やか感。道行く男もそりゃあ振り返るわけさ。

「啓一郎さん、何か爽やか」

「え? 俺?」

 何をおっしゃいますか。ただのTシャツにジーンズですよ。お洒落に決めたかったのはやまやまなんですが。

 ちょっと照れ臭くて、俺は被ったキャップのつばを軽く下げた。そんな俺を見て、由梨亜ちゃんの方もどこか照れたように笑う。

「何かデートみたいで照れちゃいますね」

 神様ありがとう。

「ごめんなさい。呼び出した形になっちゃって」

「別に。どうせ暇してたし。どこ行こうか」

 さっき軽く押し下げたキャップを、また親指で軽く押し上げて、俺は今いる通りの先へ目を向けた。この通り沿いには、少し歩くと大型デパートがいくつかある。

「とりあえず歩こうか」

 軽く笑みを覗かせて促すと、由梨亜ちゃんがこくりと頷いた。その仕草だけでも俺を幸せにする。

 夏休みの今、新宿も渋谷同様に毎日週末状態で、混雑が凄い。はぐれないよう手でも繋いで歩きたい気分だが、ここはぐっと我慢をするしかない。

「大丈夫?」

 振り返ると、由梨亜ちゃんは帽子を片手で押さえながら笑顔で頷いた。……あー、可愛い。ホントにまるで天使のようだよ。こうやって休みの日に二人で新宿の人込みなんか歩いていると……くぅぅ……ホントに、俺の彼女だったらな……。

「今日は、スタジオとかなしですか?」

「うん。昨日なんかはレコーディングしてたけど」

「新しくCD作ってるんですか? 楽しみだなあ」

 ようやく並んで歩ける辺りまで来て、由梨亜ちゃんが俺の隣で嬉しそうに大きな目を細める。夏なのに、透き通るような白い肌。

「今日と明日は美保が用事あるみたいだし。和希もあんまり都合良くないみたいだったから、なくなったんだ」

「へえ? 和希さん、用事ですか?」

 なつみに「夏休みの課題を手伝って欲しい」と言われて図書館に呼び出されているらしいとは言えない。

「一応まだ大学生だからね。学校の課題とかいろいろあるんじゃないかな」

「そっか。……あ、ここ、入っても良いですか?」

 由梨亜ちゃんに引っ張られるままに、大通り沿いのデパートをはしごしていく。女性物に比べて男性物と言うのは売り場が圧倒的に限られているが、それでも明確な目的もなく歩き回ればそれなりに大変だ。

 一応は洋服に焦点を当てて見て回る。和希の服装の趣味くらいは何となくわかっているはずなんだが、由梨亜ちゃんのお財布事情と照らし合わせつつ、「これだ」としっくりくるものを見つけるのはなかなか難しいことではあった。

「ないもんだなあ」

「啓一郎さん、ホントごめんね。つき合わせちゃって」

 少し離れた場所にある大型デパートなんかにも足を向けてみたが、残念ながらやはりコレと言うものを見つけることが出来なかった。時間も正午を回って十三時近くなり、昼メシがてら、デパート近くのコーヒーショップへ足を向ける。

 由梨亜ちゃんと二人でメシ♪と浮かれる俺の内心に気づくはずもなく、席に腰を落ち着けた途端由梨亜ちゃんが俺を拝んだ。

「疲れちゃったでしょ?」

 いやいや。二日寝てないくらい、どうってことないですよ。

「いいよ、ホント。俺こそあんま参考になれなくて悪いなあ」

「そんなことないです、全然。凄いちゃんと和希さんの好きそうなの一生懸命考えてくれて、嬉しいし」

 サンドウィッチを小さな口に運びながら、由梨亜ちゃんがそう小首を傾げる。ざわざわと周囲を取り巻く喧騒も、今は一介のBGMに過ぎない。俺にとっては、由梨亜ちゃんと向き合っているこのテーブルだけが視界の全てだ。幸せ一杯。目的に和希の顔がちらつきさえしなければ。

(あー、もう、浮かれてどーすんだよ)

 後で奈落に落ちるだけだと重々わかっているのに。

 自分の頭を冷ますために、俺はキャップを外して軽く頭を振った。少し癖がついていそうで、くしゃりと髪をかきあげる。何を考えているのか、由梨亜ちゃんは両肘をテーブルについて顔の前で組み合わせながら、大きなガラス窓の向こうの通りに目を向けていた。長い睫毛が時折揺れる。

 はあ。女優みたいだよ。ここだけ切り取って飾ったって違和感のない完成された光景だ。

 ……好き、なんだけどな。

 誰よりも、君のことが。

 ばれないように静かに吐息を落とすと、ジーンズのポケットをまさぐる。煙草を取り出そうとして、一緒に出て来たキーケースが床に転がり落ちた。カシャンと軽い音を響かせる。

「だいじょぶですか」

「ん。へーき」

 体を屈めてそれを拾い上げながら、ふと頭に閃いた。キーケース……そう言えば。

「由梨亜ちゃん、変更しない?」

「え?」

「プレゼント。今思い出した。和希って確か、キーケースぶっ壊れちゃって持ってないんだよ、今」

「そうなんですか?」

「うん。事故ったって聞いた?」

「あ、はい」

 そうなんだよな。

 確かの事故の時にキーケースも一緒に大破して、あいつ、よくわかんない金具のわっかに鍵を通してて。

 キーケースだったらそんなに高い物でもないし、実用的だろ? 強烈なものでさえなければ、さほど趣味が入るようなものでもないし。

「じゃあ、そのネタもらいます」

「あげます」

 ストローを咥えながら俺を上目遣いで見て、由梨亜ちゃんが笑った。それに一抹の寂しさを覚えながら、煙草をくわえて火をつける。

「啓一郎さんの誕生日っていつですか?」

「俺? 六月」

 俺の答えに、由梨亜ちゃんが微かに柔らかそうな唇を尖らせた。

「六月かー。ちょっと遅かったなー」

「俺にもくれんの?」

 煙を吐き出してアイスコーヒーを口に含みながら尋ねると、由梨亜ちゃんがぺろりと舌を出した。

「かなあって思ったんだけど。凄いお世話になっちゃってって感じで」

「お歳暮みたいじゃん」

「近いかも」

「……和希と偉く差があるって言ってもいいですか?」

「そんなことないですよー」

 きゃらきゃらと笑う。いやいや、そんなことありますって。

(ま、いっけどさ)

 目的が和希へのプレゼント選びでも、由梨亜ちゃんと今一緒にいるのは紛れもなく俺なんだから。

 もう二度とこんな時間が訪れないにしても――。

 一時間ほどたっぷりと休憩をしてから、再びプレゼント探しの旅に出る。

 単車乗りの和希だったら、俺と同じで、変にブランド物とかよりはちょっと武骨なレザー製品とかの方が頑丈で良い。

 俺の意見に従ってデパートを巡るのをやめ、俺と由梨亜ちゃんはもっと小さな店を回ることにした。俺の知っている店をいくつか回ってみたものの、最終的には西口の裏の方にあるレザー用品店で、ようやくプレゼントを決定する。かなりかっこいい、お洒落で頑丈そうなレザーキーケースだ。これなら和希も喜んで使ってくれるだろう。

 買い物が終わってしまうと、一緒にいる理由がなくなってしまった。

「ホント、ありがとう。啓一郎さん」

 駅へ戻る道を辿りながら、由梨亜ちゃんが幸せそうに目を細める。時間は十七時になろうとしているが、夏の日はまだ明るさを残している。

 もっと一緒にいたい。本音を言えば、帰したくない。

 だけど、そういうわけにはいかないよな……。

「いいえー。ようやくお役に立てたみたいでボクは満足ですよ。ってゆーか、もっと早く思いつけよボケって感じ?」

「なんてこと言うのよ……。そんなこと思うわけないじゃないの。本当に感謝してるんだから」

「お褒めに預り光栄至極」

 答えてみせなながら、プレゼントの包みを幸せそうに抱き締める由梨亜ちゃんを横目で見下ろす。何を思っているんだろう。喜ぶ和希の顔でも思い浮かべているんだろうか。

「喜んでくれるかなあ」

 全く……適わないよ、本当。

 俺が君を想うのと同様に、君の心の中は本当に和希でいっぱいなんだな。

 知ってるよ。……そう、わかってる。

「俺の、勝手な見解なんだけどさ」

「うん?」

 言いかけた言葉は、俺にとって余りに残酷なものだ。ともすれば飲み込みたくなる気持ちを叱咤して、俺は顔を上げた。由梨亜ちゃんに俺の表情を見られたくなくて、空を仰ぐようにしながら頭をキャップに深く押し込む。

「あくまで俺から見ての話だけど」

 彼女に幸せになって欲しい。

 彼女に泣いて欲しくない。

 その恋を後押ししてあげることが、俺に出来るたった一つのことならば。

「和希、由梨亜ちゃんのことを気に入ってると思う」

 だったら俺は、そうするよ……。

 違ったら却って傷つけるのかもしれない。

 だけどこれは確かな直感。俺だって伊達に和希と友達長いわけじゃない。

「……え?」

 由梨亜ちゃんが足を止めるのがわかった。右手でキャップのつばを掴んだまま、目元を隠すようにしたまま、俺も足を止めて振り返った。

「多分だけどね。俺も和希に確認をしたわけじゃない」

 由梨亜ちゃんは、言葉をなくしたままで俺をぼうっと見ていた。自分が想い過ぎているから、きっと信じられないんだろう。それに、実際確かなことじゃない。

「違ったら却って傷つけるから、本当はこんなこと言うべきじゃないのかもしれない。だけど俺は、少なからず好意を持っていると思う」

「まさか」

「頑張って」

 苦ぇ。

 声は掠れずに保てただろうか。

 彼女の恋を応援する言葉。

「由梨亜ちゃんから動けば、可能性はゼロじゃない」

「啓一郎さん……」

 少しでも、君の恋の背中を押して上げられたら。

 そう願いながらも痛む胸に顔を微かに顰めていると、由梨亜ちゃんが小さな声で呟くように言うのが聞こえた。

「……ありがとう」


          ◆ ◇ ◆


「あ、啓一郎っ?」

 興奮したような声で和希から電話があったのは、その日の夜のことだった。

 自分で自分の首を絞めている俺は、由梨亜ちゃんへの気持ちを持て余して完全にローテンション気味だ。何もする気もなくずべーっと床に転がってぼーっとしている様はまるでナメクジのよう……。

「あー……?」

「……何よ、『あー?』って」

 そんな凄ぇハイテンションであなたこそどうしたの……。

「何?」

 完全にグズ状態で、帰ってきた服装そのまま、ごろんと寝返りを打つ。かけていたCDのボリュームを、リモコンを操作して少し落とした。

「や、あのさ、ロードランナー」

「はあ」

 そう言や昨日スタジオ出る時に、和希が夜電話してみるって言ってたっけ。

「ああうん。何だって?」

「オムニバス作ったじゃん?」

「うん。ああ、そう言えばあれって、いつ頃出来るの?」

「あれね、十月末には……ってだから。話それてる」

 すみませんね、脳味噌が由梨亜ちゃんにいっちゃってるもんだから。

「んで?」

 のそのそと床から体を起こして、壁に背中を預ける。片膝を立てて煙草を咥えながら和希の声に耳を傾けた。

「ウチに来ないかって話では残念ながらないんだけど、ワンショット契約でミニアルバム作ってみないかって」

「わんしょっと契約?」

「単発契約だよ。専属でロードランナーでずっとアーティストやるんじゃなくて、一枚だけ向こう出資で作ってくれるって話」

「へえ? そんなことしてくれんだ?」

「うん。インディーズだから、作ったって別に全国展開とかするわけじゃ全然ないんだけど。ってかこれまでと何がそう変わるわけでもないんだろうけど、んでも費用向こう持ちでCD作ってくれるって言ってるんだからさ、これって凄いラッキーじゃない?」

 向こう持ちでCD……作って……。

 ……。

「……えっ? やるやるやるやる、やりたい」

 ようやく脳味噌が動いた。俺ののろまな反応に、和希が受話器越しに吹き出した。

「せっかく向こうから声掛けてくれたんだからさ、ノっとこうよ」

「ノるノるノるノる」

 おっ。落ちてたテンションが、ちょおーっとだけ上がってきたぞおっ?

 恋愛はうまくいかなくたって、全てがうまくいかないわけじゃない。

 和希も明るい声で、俺の返答に応じた。

「良かった。何かすぐやろーよって話だから、メンバーに話回したら、すぐ返事しちゃっていいよね?」

「もちろんっ」

 元気良く頷きながら、レコーディングを実際に進めてくれた藤野さんと中原さんの顔を思い出す。二人とも良い感じの人たちで、レコーディングそのものも和やかにフレンドリーに楽しく進んだのは彼らのおかげだろう。

 そりゃまあ、こっちはお客さんなわけだから邪険にするこたないだろうけどさ。

「でも何で? 他のバンドは?」

「さあ? 淳奈ちゃんはふてくされてたから、AQUA MUSEにはその話、ないみたい」

「……あ、そう」

 それは気まずい。

「室崎さんと話したんだけどさ」

「誰だっけ」

「ロードランナーの社長でしょー?」

 そだっけか?

「うん。で?」

「良かったって言ってくれてたよ」

「まじで」

「うん。ワンショットだったらやってみたいと思ったって言ってた」

「……何かそれ、喜ぶべきか悲しむべきか微妙じゃない?」

「……やりたくないって言われるよりは、喜べるんじゃない?」

 比較対象が良くないと思う。







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