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【ZERO】ZERO-Crystal Moon-  作者: 市尾弘那
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第3話(4)

 言って美保が立ち上がる。それをぼけっと眺めながら、そう言えばとふと思った。

 変と言えば、最近、確かに和希もいろいろらしくない気がするんだけど、美保もまた何か様子が変な気がするんだよな。

 別に何がどう変ってわけでもないんだけど、以前に増して過激に遊びまわっているような気がして。そんなことないかな。何でもないなら別に良いんだけども。

「出来上がりが怖い」

 そんなことを思っていると、録音からとりあえず解放された武人が、俺の隣に座り込んだ。とは言っても、俺はパイプ椅子に座っていて、武人は床に直接座っているから頭の位置にはかなりの差がある。

「お疲れ」

 労うと、座ったままの姿勢で俺を見上げた武人がにこっと笑った。少し離れた位置に座っていた一矢がころころとこちらへ転がって来る。キーボードもラインで突っ込むので、外音を拾う心配がない。ふわーふわーっと音色を選んでいる音がアンプから聴こえて来た。

「変なこと聞いても良い?」

 あぐらを広げたような座り方であどけなく俺を見上げた武人が、ふと思いついたように言う。足を組んで美保の出す音色をぼーっと聞いていた俺は、武人に視線を落とした。

「はい?」

「啓一郎さん、初めて女の子と付き合ったのっていつ?」

「ふえ?」

 またトートツに。

「えー? 中三だったかなあ」

「そうなんですか? 早いなあ」

「早いかなあ。普通だろ?」

「一矢さんは?」

「俺?」

 床にごろごろ転がったまま興味深そうに俺と武人の話を聞いていた一矢が、タレ目を丸くして自分を指差す。

「俺ねえ……付き合うって、付き合うでしょ?」

「……他に何があるんです」

「いや、付き合わなくてもいろんなことが起こるじゃない」

「その辺、一緒くたにしないでもらえます?」

「うーんうーん」

「も、いいです。何か参考になんないことだけは良くわかったんで」

 がっくしと武人が肩を落とした。俺の知る限りで言えば、一矢は高校一年の時に付き合ってるみたいな感じのコが、どっかよその学校か何かでいたと思う。けど、それ以前――中学時代はどうだったのかは良く知らない。

「何かあったの?」

「青春の匂いがするねえ」

 一矢がごろごろするのをやめて体を起こすと、ふうっとわざとらしく溜め息をついた。武人が唇を尖らせる。

「そんなんじゃないんですけど。何か知らない人に付き合ってとか言われて。どうしようって思ってて」

 これはまた初々しいセリフだ。まだ二十一だと思っていたけど、ふと「俺っておやぢなのか?」と思ってしまうじゃないか。

「知らない人?」

 一矢が首を傾げる。俺はぽりぽりと頬をかいた。

「でも何か美冴ちゃんの話とかだと、学校で人気あるとかって聞いたけど。今更なんじゃないの? そういうの」

「まさかっ。そんなの、加賀が勝手に言ってるだけでしょ」

「そんな妄想しても彼女には何のメリットもないのでは?」

「そりゃそうだけどっ。だって俺、見に覚えがありませんもん」

 俺の突っ込みに、武人は照れたような怒ったような表情で俺を見上げた。

「高校入って、告白されたりとかそういうの、全然ないし」

「そうなの?」

「ないですよっ。啓一郎さんはモテるからそんなこと当たり前なのかもしんないですけど?」

 非常に残念なお知らせだが、俺だって特別もてた験しはない。今だって玉砕寸前の片想いでしょーが、俺。

 だけど悔しいので教えてやらない。

「ともかく。……なんです」

「ふうん。可愛いの?」

 あぐらをかいた膝の上に前屈みに頬杖をついた一矢が尋ねる。ごろごろしてたもんだから、後ろで束ねた長い髪に埃玉がくっついていた。指先で弾いてやる。

「いや、特に可愛いとかそういうんじゃないんですけど、優しそうで。俺より一コ上の宝華のコなんだけど」

 宝華女子は、特別お嬢様学校と言うでもなく、かと言ってイケイケばかりの馬鹿高でもなく、平均的な女子校だ。俺の周囲でも何人か行った人がいる。

「ふうんー。何だ。結構気に入ってるんじゃないの? 武人」

「あ、気に入ってるとかそういうわけじゃ……。ただやっぱ、好かれると嬉しいし」

 妙に照れたように自分の頬を叩きながら恥ずかしそうに笑う武人に、何だか和んだ気持ちになった。ああ、青春っていいよね……。

「良いと思うんなら、付き合ってみれば? 知らない人でも付き合ってみると凄い好きになるかもしれないし」

「そういうもんだと思います?」

「そういうもんじゃない?」

「……ここ、ストリングスくどくないですか?」

「……やっぱり? 俺もそう思った。和希」

「え?」

 ヘッドフォンをはめている和希は、頭からヘッドフォンを引っ張ってこっちを見た。

「ここ、ストリングス薄くしようよ」

「ああそう?」

「うん。何か通して聴いてると、妙にくどい」

 美保は構わず弾き続けている。

「まあ、じゃあ後で全部聴いてみて、いらなかったら削るし。……それで良い?」

「うん」

 美保は、明日、明後日と用事があると言う。

 なので、とにかく美保の音だけは今日ひたすら録ってっちゃうことになり、それが済んでから解散した時には九時を過ぎていた。

「んじゃ、また明日―」

 スタジオを出て、単車を停めてあるスペースへ歩き出す。

 和希はもうしばらく残っていくと言うことで、武人もそれに付き合ってくらしい。

 一矢と並んで歩き出しながら、そう言えば先日恵理と遭遇した話をしていないことを思い出した。

「あ、そうだ」

 俺より頭一つ近く高い顔を見上げる。

「え?」

「こないだ、お前ん家の帰りに、恵理に会ったぞ」

「……あらあ、災難ねぇ」

 一瞬ぎょっとしたように俺を見下ろした一矢は、それから深々とため息をついて見せた。

「災難なのは俺じゃなくてお前。……付き纏われてんの?」

「あー、やー……」

 一応は恵理に気を使っているのか、一矢が曖昧に誤魔化す。

「俺、言ってやろうか?」

「いや、平気。平気じゃないけど、平気」

「ならいーけど。お前、どうせキツく言えないんだろうから」

 お茶らけてばかりいるこの男だが、人を傷つける言動をひどく嫌う。別に俺だって好きだってわけじゃないが、言いたいことは口から全部駄々漏れになってしまう俺とは大違いだ。

 一矢が苦笑いを浮かべて肩を竦めた。

「平気。おかしな様子はありませんでしたか」

「んー。まあクスリやってるとかって風じゃなかったけど」

「やめたはずなのれ。一応。少なくとも俺と付き合ってる時はやめてたみたいだし」

 その瞬間だけ真剣な眼差しで前を見つめる。

「お前、やめさしたの?」

「俺、クスリとかやるやつ、大っ嫌いだもん」

 話しながら単車を道路まで押して出ると、跨ってメットをかぶりながら一矢が俺を振り返った。

「来る?」

「え? ……ああ。そうだなあ。行こうかな」

 別に敢えてわざわざ二人で話すこともないんだけどさ。この後、何の用があるわけでもないし。

 いったん一矢のマンションの駐車場に単車を停め、近くのコンビニで買い物をしてから部屋へ行く。最近大人数で訪れることが多いものだから、久しぶりに二人だけでいると妙に広く感じた。

 一矢が女癖が悪い理由を、俺は何となく知っている。別に本人に聞いたわけじゃないけど。

 もちろん、元々の性格って言うのはあるんだろう。けれど、俺が知り合った高校一年の時点では、今ほどひどくはなかった。

 年齢的なものもあるのかもしれないけど……多分、それだけじゃない。

「二人って、何気に久しぶりじゃない?」

 トン、と俺の前にビールを置いて一矢が斜めに俺を見た。礼を言ってプルリングを引く。

「何か最近、アルコール摂取量過多って感じ。血液の代わりにアルコール流れてそう」

「まさか。そんなでもないっしょ? 家でも飲む? 一人の時とか」

「最近は飲む、かな。そんな浴びるほどってわけじゃないけど、ビールくらい」

 一人で家にいると、余計なことをいろいろ考える。

 考えるのが面倒臭いから、考えない為にと言うのはあるかもしれない。

 そんなふうに思いながら、生活感のない部屋を何気なく見回した。一矢は、一人でこの部屋にいる時間を嫌っている。

「相変わらずの、究極の放任主義?」

「そう。もう何年会ってないやら良くわからなくなってきた。……ま、きっちり金が入ってくるから良いけど。今更」

「ふうん」

 一矢の両親のことだ。

 一矢の家は結構複雑で、高校二年になった頃、夏を待たずに一家離散した。母親が行方不明で、父親は母親の妹――つまり一矢にとって伯母にあたる女性と、入籍こそしていないものの夫婦同然に暮らしているらしい。

 何がどうしてそんなことになったのかは俺だって根掘り葉掘り聞くほど無神経じゃないし、本人じゃないから詳しくはわからない。

 ただ、高二の夏を迎えようとしていた頃のことは良く覚えている。一矢が一週間ほど無断欠席をして心配していた矢先、ふっと俺の家にやってきて「学校、辞めることになった」と言った悲しい笑顔。……「愛されてないのかな」と笑った、寂しい笑顔を。

 多分、そういう家庭環境が原因なのだと思う。

 事実、一矢はひどく寂しがり屋だ。今は四六時中クロスのメンツでたまっているからそうでもないけれど、以前はふらりと俺の部屋に来ることも少なくなかった。

 この、必要以上に豪華なマンションは、その費用を出す父親へのせめてもの復讐なのだろう。

 生活感のないこの広い部屋で、独りで過ごす時間に何を思うんだろうか。

「……え?」

 ぼんやり考え過ぎた。一矢が何か言ったその言葉を聞き逃して、俺は問い返した。

「だからさ」

 いつの間にかテーブルの上に広げた柿の種を、わし掴んでは口に放り込みながら一矢が言い直す。こういう姿を見てると、先程考えていた繊細な姿は全て俺の妄想なのかと思わなくもないけどな……。

「和希がさ、あと半年くらいで卒業じゃん? どうすんのかなとか思ってさ。聞いてる?」

「ああ」

 そうか。やっぱり一矢も気にしてはいたらしい。俺も負けじと柿の種に手を伸ばす。

「俺はさ、プロになりたいって、そういうつもりでクロスをやってるんだけどさ」

「うん。知ってますが」

「一矢も、そう思ってると思ってるけど。それで、いーんだよな」

 俺の言葉に、一矢は少し虚を突かれたように俺を見つめた。

「何を今更」

 その言葉に、ふっと体のどこかに入っていた力が抜ける。

「うん……。そうだよな。今更だな。悪い」

「俺は、音楽しか出来ることがないし。やりたいことと出来ることが重なってるのは、幸せな偶然だと思ってるし」

 多分俺は、心のどこかで不安になっているんだろう。

 迷うような和希の横顔。

 不安定に見える最近の美保。

 動いているようで動いていない現状。

 だから、はっきりと頷いた一矢の言葉に安堵をする。

「ドラムだけは、出来ると思ってるんだ、俺は。……俺はね、誰がいなくなってもドラムを叩いていくよ。だけどさ」

「うん」

「だけどやっぱり、その場所がクロスであれば良いって思ってる。だから、和希がどうすんのか凄い気になる」

 一矢が、俺と同じ気持ちでいることが嬉しくて、咄嗟に言葉が見つからない。

「俺は、歌うよ」

 ようやく口にした言葉は、一矢の言葉をなぞったようなものになった。

 それから俺は、自分の言葉を探して、少し視線を彷徨わせた。一矢が無言で目を上げる。

「俺さぁ……中学の時に、約束したやつがいるんだ」

「約束?」

 ビールの缶を引き寄せて無言で頷く。俺の視界に今映っているのは、あいつの笑顔だった。

「死んだんだ」

 一矢は動かなかった。しばらく黙ったまま、やがて煙草を灰皿に押し付ける。

「幼なじみで、親友で、ずっと隣でお互いが大人になるのを一緒に見ていくんだと思ってた」

 出会ったのは、幼稚園にも入らない頃だ。いつでも俺の隣にいたそいつは、大人びていて、強がりで、かっこつけで――大人で、強くて、かっこ良かった。

 俺はいつでもそいつの背中を追いかけていた。

 そいつに追いつきたくて、そいつのようになりたくて。

 ……なのに。

「けど、あいつ、俺を置いて逝っちゃって」

 無意識に、肌身離さずつけているチェーンを通して首から下げたリングを玩んだ。右腕のバングルとお揃いのリング。

「高校に入る前に約束してんだ。『やるからには上を目指す』って。自分の足で立って、真っ直ぐ歩くって」

 音楽シーンに名を残してやると言った俺に、あいつは意地の悪い笑みを浮かべた。そして「やれるもんならやってみろよ」と笑った。

 だけどあいつは、いつでも俺の見本だったあいつは、この世にもういない。

「高校の入学式の日、覚えてる?」

 一矢が微かに頷く。

 入学式が済んでHRが終わった後の、誰もいない教室。

 遠くに喧騒だけを聞きながら、俺は一人自分の席に座ってぼんやりとしていた。あいつと一緒に通うはずだった高校。俺にとってはありえないくらいの超難関校で、約束したから、あいつがいなくなってからもただひたすら勉強に打ち込んだ。

 だけど、合格し、入学して……どうして良いのかわからなくなった。

 何を始めれば良いのかわからずに、茫然とした。

 廊下でざわめきと足音が聞こえたのは、その時だった。

「一矢ー。昇降口で待ってるぞー」

「わかったー」

 衝撃だった。一矢の名前があいつの名前に聞こえた。一矢の声が、あいつの声に聞こえた。そしてその長身が教室に飛び込んできた時、俺は立ち上がり我知らず涙が溢れて止まらなかった。

「似てたんだ。お前の声。全部悪い夢だったのかと思った。……名前、似ててさ」

 俺の言葉に一矢が身動きした。顔を上げ、掠れた声を押し出した。

「知ってる」

 ……え?

 言われている意味がわからず、黙ったまま一矢を見つめる。一矢は、バツが悪そうな表情で続けた。

「堀越だろ。堀越、克也」

「えっ? 何でっ?」

 あいつ――克也の名前を出されて、本気で驚く。素っ頓狂な声で問い返すと、一矢は口をへの字に曲げてから俺に答えた。

「市原ゼミナール」

 俺たちが通っていた塾の名前だ。

 言葉もなく見つめたままの俺に一矢は続けた。

「一緒だったんだよ。俺も。お前ら、目立って有名だったから」

「そう、なんだ……」

「堀越の話も噂で少しだけ、聞いてたから。触れられたくないだろうと思った。……今まで黙っててごめん」

 あ、謝られても……。

 反応に困って頬を掻いた。

「知ってたんだ」

「うん。……あの時泣いたわけが、俺と堀越が混乱したせいだとは思わなかったけど。啓一郎が堀越といつも一緒にいるの見てたから、ナーバスになってるのはわかってるつもりだった。だから何も聞かなかった」

「そっか」

 しばらく沈黙が降りた。

 俺と一矢の間で、こんな真面目な空気が流れることは珍しい。

「俺、絶対決めてるんだ」

「うん?」

「何がなんでもプロになるって。音楽やりたいって思った。『Release』で俺は救われた。だからこれが俺の、『やるからには上を目指』さなきゃいけないことなんだと思ったんだ」

「うん」

「……救われたから」

 音楽があって。

 俺は克也の不在で出来た心の空洞を、音楽で埋めることが出来たから。……いや、出来てはいないのかもしれないけど、少なくとも表現し、伝え、歌うことで俺は、心の痛みの出口を作ってやることが出来たから。

 学校を後にしてから新宿をさまよっていたあの日、偶然見つけたライブハウス『Release』。

 俺はそこで、一矢と改めて出会った。

「ずっと、一緒にやってこう」

 目線を上げる。一矢の目が俺を見ていた。

 あの時似ていると思った声、姿、雰囲気。一矢を知れば知るほど、別人だと言うことはわかってしまったけれど、俺は別に克也の代わりを一矢に求めたわけでもない。一矢は一矢として、俺にとっては大切な仲間ってやつだから。

「うん」

 一矢の軽そうなタレ目が、柔かい笑みを浮かべ頷いた。












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