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【ZERO】ZERO-Crystal Moon-  作者: 市尾弘那
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第3話(2)

          ◆ ◇ ◆


「ばあーっかみたい」

 ライブ終了後の打ち上げは喧騒に満ちている。

 俺の隣に陣取ったあゆなは、何の前置きもなくおもむろに、デリカシーのかけらもない発言をして下さった。こういう打ち上げなんかにはほとんど参加しないくせに痛み入る。

「容赦とか遠慮とかっていう美しい言葉を知らないの? あなたは」

「そんな一円の得にもならない労力をどうしてわたしがあんたに割かなきゃなんないの?」

 あゆなは、先日のキスのことなんか記憶にないかのようだ。気にしている俺が馬鹿みたいじゃないか。迷惑なことに、あれ以来、少しだけあゆなが女に見える。

「一円の得になるとかなんないとか! そういう問題じゃないでしょー? 日本人の繊細な心の機微を汲み取るその日本語と言うものの美しさと複雑さを、だなあ……」

「歌は、好きよ」

 俺が得々と語るそのセリフは一切耳に入れず、あゆなはずばりと言い切った。……まったく聞いとらんな、この女。

「だから」

「曲は良かったわ。うん。わたしは好きだわ、あの曲。何?」

「……ありがとう」

 ……って。だからそうじゃなくて。

「本音なあたりが聴いてて泣けちゃうのよ。……まったく情けないったら」

 情けなくて泣くわけ?

 酔ってもいないくせに、どうしてこうも手控えのない毒を次から次へと吐けるのだろう。

 半ば呆れながらあゆなの手がビール瓶に伸びるのを眺めていると、そのまま俺のグラスにビールを注いでくれた。

「あ、さんきゅ」

「オトモダチを続けてるわけ?」

 あゆなの視線が、隅の方のテーブルで美冴ちゃんと顔を寄せ合って笑っている由梨亜ちゃんに注がれる。

「別に」

「相談なんか乗ってあげちゃったりしてるわけ? 良いの? それ」

「良いも悪いもないだろ。俺に選択権があるわけじゃないんだから」

 煙草のお尻をテーブルにトントンとぶつけながら、俺は視線をさまよわせた。

 先日オムニバスに誘いをかけてくれたAQUA MUSEも今日の対バンの一つだ。彼らとの合同打上げで、人数がめちゃめちゃ多い。

 座敷で長いテーブル二列になったその、俺とは違う列の壁際に和希と寄り添うようになつみがいるのを見つけ、俺は吐息をついた。

 どういう場面でも、なつみは必ず和希のそばにぴったりと張り付いている。おかげで由梨亜ちゃんが近付く隙がないらしく、結局彼女はいつも和希とは離れたところにいることが多い。今は武人と三人で話をしていた。

 あゆなが、これ見よがしに大きな溜め息をつく。それをよそ目に、俺は煙草を咥えた。すとんと背中を壁に預けながら火をつける俺の視界の隅で、あゆなが両膝を床について体を起こす。

「由梨亜ちゃんっ」

「お、おい」

 予想外のあゆなの行動にぎょっとして、思わず火のついた煙草を口から落としそうになった。慌てて手で押さえながら、壁から背中を起こす。

「何よ。うるさいな」

「何する気だよ」

「別に」

 目をぱちくりさせながらこちらを見ている由梨亜ちゃんに、あゆなが手招きをする。由梨亜ちゃんが自分で自分を指差して首を傾げながら立ち上がるのが見えた。

「わたし、美冴連れて、そのまま帰るから」

「はっ? 何で」

「麻里絵に言われてんのよ。いつだか凄い遅くなって親がおかんむりだから、早めに連れて帰ってくれって」

 あ、やべ。それって俺らのせいかも。

 俺があゆなに叱られそうなので胸の内だけでそう呟いている間に、由梨亜ちゃんが危うい足取りでこちらへ向かってくる。そばまで辿り着くと、由梨亜ちゃんは俺とあゆなを見比べながら首を傾げた。

「あの……?」

「あ、ここ座ってここ」

「え、はい」

 あゆながあけた席に無理矢理座らされた由梨亜ちゃんに、あゆながにっこりと笑いかけた。いつもそうして笑っていれば、悪魔だとはバレないだろう。

「あのね、美冴、親が怒ってるからわたし連れて帰るから。啓一郎の相手してやってくれる」

「え。そんな、大丈夫ですか?」

「へーきへーき。じゃあ、わたし帰るわね。またね」

「は、はい」

「おいっ」

 抗議交じりの俺の声には一切全くお構いなく、あゆなはさっさとこちらに背中を向けた。由梨亜ちゃんのように控えめではなく、酔っ払いに蹴りを入れんばかりの勢いで美冴ちゃんの方へを歩いていく。

 あのなあ。あのさあ。あのねえ……。

「ごめんね、何か。別に戻っていいよ」

 はあっと複雑な心境でため息をつきながら言うと、由梨亜ちゃんが大きな目をきょとんと丸くした。それから小首を傾げて微笑む。

「でも、美冴が帰っちゃうと、わたしもどうして良いのかわからないし」

「ああ、そうか。知らない奴ばっかりだもんね。ごめんね」

「ううん。啓一郎さんとお話してるの、楽しいから」

 嗚呼、それは拷問ですか?

 食べられないとわかりきっている餌が目の前にぶら下がってる気分ですよ……。

 あゆなが、出入り口のそばで美冴ちゃんを連れたままひらひらと手を振る。美冴ちゃんも由梨亜ちゃんに向かって手を振り、俺に頭を下げた。それに応えてから、俺は指に挟んだままだった煙草を咥える。

「じゃあ、少し付き合ってもらおうかな」

 俺の言葉に由梨亜ちゃんはくすりと笑って頷いた。

 手近な、空いている綺麗なグラスを取って由梨亜ちゃんの前に置いてあげる。ビールとオレンジジュースの瓶を引き寄せて、目でどっち?と尋ねると由梨亜ちゃんはオレンジジュースの瓶を指差した。注いであげる。

「由梨亜ちゃんってさ」

「はい?」

 彼女の顔を正面から見ることが出来ず、俺は視界の隅でジュースを飲むのを認めたまま、ぽつっと口を開いた。

「いつから、好きだったの?」

 聞いてどうするんだろ、俺。

 由梨亜ちゃんの気持ちを知れば諦めがつくと思いながら、その実、聞けば聞くほどただ追い込まれてる。

「え、ええ? え、えーと。いつかな」

 由梨亜ちゃんは、グラスを両手で包み込むようにして膝の上に乗せた。正座をそのまま崩して両足を外側にぺたんと開いたような、器用極まりない座り方をしている。

「昔から知ってるような気が、したんです」

「え? 和希のこと?」

「あ、あは。変ですね。知ってるわけないんだけど」

 そう笑って見せてから、由梨亜ちゃんは視線を遠く彷徨わせた。記憶の中の風景を見ているような目付きだ。

「高校に通い始めたばかりの春先。まだ、四月ごろ。渋谷駅で偶然見かけた時、懐かしい気がしたんです」

 四月……。

「そう、なんだ」

「城西の先輩って言うのは、後で聞きました。話したこともない人を好きになるとは思わなかったけど、懐かしいって勝手に思っちゃったその、感じが、忘れられなくなっちゃって……」

「……へえ」

「気がついたら、いつも姿を探すようになってました。……あは。馬鹿みたいですね、何か。和希さんにしてみたらきっと、意味わかんない奴ですよね」

「そんなこと、ないよ」

 由梨亜ちゃんが、恥じらうように指先で髪を弄る。その姿に切ない痛みを感じながら、俺は煙草を灰皿に押し付けた。

 そして顔を上げた瞬間、ふっと和希と目が合った。

(……?)

 和希が視線をそむける。何だ? 今の。

「啓一郎さん?」

「え? あ、ごめん。何?」

「ううん。何考えてたんですか?」

「いや……何でも、ない」

 そんな俺と和希の微妙なやりとりには気付かず、由梨亜ちゃんが俺を覗き込むようにして笑う。

「え? な、何?」

「ふふ。啓一郎さんみたいなお兄ちゃん、欲しかったなあー」

 どごーんっ……。

「そ、そう?」

 笑顔が引きつらないよう細心の努力を払う。お兄ちゃんね、お兄ちゃん……。ああ、そう……?

「うん。啓一郎さんて、お兄ちゃんでしょ?」

「俺? 兄弟?」

「そう」

「姉も妹も」

 つまり、兄でもあり弟でもある。

 へえーっと由梨亜ちゃんが驚く顔をするのを眺めつつ、落ち着かないので煙草のパッケージに手を伸ばした。

「由梨亜ちゃんは?」

「お兄ちゃんがいるんだけど、留学してるの。だから半分一人っ子みたい」

「へえ。そうなんだ。でもお兄ちゃん帰ってくると凄い甘えるでしょ」

 こんな些細なことでも、彼女のことを一つ知るのが嬉しい。

 きっと……。

 きっと、由梨亜ちゃんも、和希の些細な情報が嬉しかったりするんだろうな。

「えへ。わかります?」

「和希は弟がいるんだよ」

 わざわざ和希の話を振って提供してあげちゃう辺り、いじらしいを通り越して自分で自分が痛々しい。

「へえ。でもお兄さんっぽいもんね。弟さんっていくつくらいですか」

「由梨亜ちゃんと年近いんじゃない? 中学生だったかな、今」

「へえー」

 由梨亜ちゃんの顔が嬉しそうに輝く。和希の話をしている時の顔が、やっぱり一番生き生きしている。

「凄いブラコンな弟らしくって、時々愚痴が出るよ。『いつか俺も兄貴のようになるんだーっ』って熱血してる感じ」

「あはっ。可愛い。そうなんだあ」

「うん。あ、そうだ。由梨亜ちゃんって和希の誕生日とか知ってるんだっけ」

「え? ううん」

「あいつ、もーじき誕生日なんだよね。八月。えーと、二十七日だった、かな?」

「八月二十七日……もうすぐ、ですね」

 しみじみと呟いて視線を落とした由梨亜ちゃんは、ふいっと顔をこっちに向けた。

「啓一郎さん、優しいね」

 そりゃあ好きなコにはいくらだって優しくするでしょ、普通。泣きたいよ。

「はは。何で?」

「だって、わたしの為にわざわざそんな話してくれるんだもん」

 俺だってしたくないですよ。和希の話なんか。

「協力するって、言ったでしょ」

 ……和希と、話したいだろうな。

 目を細める由梨亜ちゃんを見下ろして、胸の内で苦く呟く。

 協力するよ。協力するさ。するけどさ。

 なつみを引き離すのは至難の業なんだよ。和希だけこっち呼んだって、絶対ついてくるん……。

「ずーるーいーなー……」

 和希の隣で華やかな笑い声を上げているなつみを眺めながらあれこれ思案をしていると、突然耳元で声が聞こえた。びくっとして体を引くと、一体いつの間にここへ来たのか、美姫が恨めしげな顔で俺の間近に顔を突き出していた。

「お前、いつの間に」

「さーっきから見てれば、あゆなさんと二人で話して、由梨亜ちゃんと二人で話して、そろそろ美姫の番じゃないの?」

「……順番性なの?」

 美姫の意味不明なクレームに、由梨亜ちゃんが吹き出しながらそれに答える。

「じゃあ、順番譲ろうかな」

 譲らんでいい。

 そう言いかけて、言葉を飲み込む。代わりに違う言葉を美姫の耳元に囁いた。

「ちょっとさ、和希と話したいことがあんだけど、なつみのこと和希から引き離してくんない?」

 美姫がきょろんっとした目で、至近距離から俺を覗き込む。

「何で? ……こんな近くで見るとキスしたくなっちゃうね」

「やめてくれる?」

「なっちゃんがいたら駄目なの? 何で?」

「……何でも」

「何してくれる?」

 由梨亜ちゃんは俺と美姫のやりとりは聞こえていない。小首を傾げたままこちらをじっと見ている。

「今日、この後ケーキ奢る」

「やった。デートッ」

 ぴょこんと美姫が立ち上がり、なつみの元へ飛んで行った。眺めていると、美姫がバッグの中から何かを取り出す。内緒話をするようにこっそりとなつみに見せると、なつみがぱっとそれに飛びついた。素早く飛び退った美姫が、そのままててて……と反対側の壁際の方へ移動していくのをなつみが追う。後には、ぽかんとした和希が取り残された。……凄い。何なんだろう、一体。俺には至難の業でも美姫には一瞬だ。

 頼んだくせして、ついつい唖然と見送った俺と和希の視線が合った。ちょいちょいと手招きをする。

「和希、呼んであげる」

「えっ」

 由梨亜ちゃんがぱっと顔を上げた。嬉しいような困ったような複雑な表情。和希も少し困ったような顔をしていたが、やがて俺の手招きに応じて立ち上がった。グラスを片手にこちらへ移動してくる。

「おつかれ」

「何?」

「何ってことはないんだけど。たまには違うメンツでお話をしてみるのも良いかと思いまして」

「はあ」

「まあ、ここにお掛けなさい」

 強引に座らせる。

 あっ……俺を真ん中に据えられても、それはそれで困るんだが。

 おもむろにいなくなるのもアレなので、しょうがない、とりあえずはこの場に留まったまま、俺と和希は今日のライブについてつらつらと言葉を交わした。由梨亜ちゃんは俺らの会話を聞いているだけだったが、それでもそばにいられて嬉しいのか、顔つきが先ほどまでとは全然違う。へこむ。

「ビール、足りないな」

 そろそろ立ち時か。

 十分ほどその場の空気を作り上げることに専念すると、俺は席を立つ言い訳を探してテーブルを見回した。手の届く範囲にあるのは、空の瓶ばかりだ。由梨亜ちゃんがぴょこんと姿勢を正す。

「じゃあわたし……」

「ああ、いいよいいよ。俺もらってくるから。待ってて」

 そう言い置いて立ち上がる。歩き出しながら、胸に痛みが走った。由梨亜ちゃんが和希のそばにいたいと思うように、俺も彼女のそばにいたいと思う気持ちは同じだ。

 ビールの瓶を探すような顔をして二人のそばを離れた俺は、そのまま隅っこの美姫たちの方へ足を向けた。あっちに引っかかった風を装えば、戻らないのもそれほど不自然じゃないだろう。それに、なつみが和希の方へ戻るのを止めることも出来る。

 本当に何をやっているんだろう、俺って奴は。泣けるぜ、べいべー。

「なぁにしてるの?」

 とほほだよ、俺。

 自嘲しながらもとりあえず、背後から美姫となつみの間に首を突っ込む。途端、美姫が「うにゃあッ」と何とも言えない雄叫びをあげて手にしていたものを抱き締めた。抱き締める一瞬前に、俺のスコープはとんでもないものを捉えていた。

「待て。何だこれ」

「いやあああああんっ」

「おーまーえーねええええ」

 思わず目をむいて取り上げる。

 美姫が抱き締めているのはデジカメで。

 デジカメなのは別に良いんだが、写っているものが。

「……ヘンタイ」

「変態じゃないもんっ」

 ちょうど画面に出ているのが、俺がシマムラスタジオで着替えている瞬間の写真だったりする。これをヘンタイと呼ばすして何とする?

「あっはっはっはっ」

 なつみがおかしそうに隣で笑い転げていた。構わずにデジカメを操作して画像を送ると、出てくる出てくる……しょうもない写真ばっかり。寝顔とかさあ、どうなの? そう言うの。このヘンタイ。

「こういうの盗撮って言わないの? ねえ、美姫ちゃん?」

 文句を言いながら尚も送っていく。だーかーらー、どうしてこう俺ばっかり写りこんでるわけ?と思っていると、ふいっと和希が出て来た。思わず目が留まる。

 セクハラすれすれの俺の写真とは違って、まるでプロが撮ったようなアングルの綺麗な写真だ。……ははあ。これでなつみを釣ったわけだ。

「これ、お前が撮ったの?」

 その写真を示して言うと、美姫はぶるぶると首を横に振った。

「泉ちゃん」

「ああ。なるほど」

 別に泉はカメラのプロでは全然ないけど、さすが出版関係の人間だ。オイシイ押さえ方をするよな。裁判に持ち込めそうな俺の写真とは偉い違いだ。

「ま、いーや。没収」

「いやあああああんっ」

 遠慮なくどんどん、俺の画像のみを消していく。ライブの奴は良いとしよう。寝顔だとか着替えだとか、いかがなもんかと思うものは遠慮なく抹殺する。

「あなたも可愛い後輩が変質者に付け狙われてるんだから、何とかしてあげようとか思わないの?」







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