2 揺れる日常
「ああー、つかれたぁ」
夜のとばりが訪れて久しい通りを、一人凝った肩をほぐすように回しながら歩いていく。
周囲に家々は既に明かりが消えている場所も多く、こんな時間にまで明かりをつけて営業している店なんてものは酒場くらいのものだろう。
ふと横をがやがやと酔っ払った冒険者の一団が気持ちよさそうに歌なんか歌いながら通り過ぎていく。
この時間になってくると、冒険者が各地から集まってくる関係上、治安が悪くなる傾向がある。冒険者ギルドの前は、比較的大きな通りだから、ある程度街の治安維持のため巡回している騎士たちによって安全が確保されているが、大通りから一歩、さらにくらい裏道に足を踏み込もうものなら、そこは身の安全が保障されている場所であるとはとてもじゃないが言うことができない。
まあそれも、最近この地域の裏を取り仕切っているとされるメフィスト家のトップが交代してから、裏町における統治を重点的に進める方針になったようで、だんだん治安が安定してきている。
仕事をしていたさっきまではずっと速攻で家に帰ってバタンキューしようと思っていたけれど、いざ仕事から解放されて帰路についてみると、なんだかこのまま家に帰るのも忍びなく感じて、僕はぽつぽつ並ぶ明かりの内の一つに足を踏み入れた。
ガラガラと引き戸を開けると、店の中からはいらっしゃいませというお出迎えの声が飛んできた。
「好きなところにどーぞ!」
時間帯は深夜に差し掛かろうかというのに、店で働いている、少し子供っぽいエプロンを付けて、お盆に載った肉料理やお酒を運んでいる少女が威勢よく出迎えてくれた。
店の中はこんな時間だというのに、席の8割ぐらいが埋まっていて、この店が繁盛しているであろうことを如実に表していた。
僕はそんな店の、奥の方にあるカウンター席が空いているのを目ざとく見つけて、そこに陣取ることにした。
僕が席についてしばらくしたころ、さっきまで食べ終わった食器を片付けていた少女がサービスの水
とともにメニューを持ってきてくれた。
「先に何かお飲み物を持ってきましょうか?」
僕はこのあたりでは水をサービスで持ってきてくれるのは珍しいなと感心しつつ、メニューを開ける。
うーん。なかなかにお酒も種類が豊富でどれにしようかと決めあぐねてしまって、僕はもう少女にお願いすることにした」
「何かおすすめのお酒ってあるかな? 出来ればスカッとなるやつがいいんだけど」
「じゃあ、私おすすめ黒ビールなんていかがですか?」
「じゃあそれお願い」
「かしこまりましたー!」
少女はそのままパタパタと厨房の方へと走っていった。
「お待たせしました!」
しばらくたってから、泡が零れ落ちそうになっている黒ビールが僕の席にごとっとおかれた。
少女にお礼を言って、ジョッキを持ち上げ、今日の僕の仕事っぷりと、やがてまたやってくるであろう大量の仕事と、それを押し付けてくるシオンへ少し恨み節を込めてさみしく乾杯した。
ごくっ、ん! うまい!
キンと冷やされたビールには、炭酸による刺激と、その中にほんわり甘さを感じさせていて、それでいて後味はすっきりしている。まさに今の僕が求めていたものだった。
そんなチョイスをしてくれた少女がすこし面白く感じて、僕はすみませんと注文の声を上げる。
「はーい、お待たせしましたー!」
「何か君のチョイスでいいからオススメの料理をいくつかお願いできるかな?」
「わっかりましたー! あ、それでビールの方は口に合いましたか?」
「うん、うまかった」
僕はサムズアップと同時に返事を返す。
すると少女も、
「それはよかった」
と、こちらもサムズアップ。
そうも僕はあたりの飲み屋を引いたらしい。
結局そのあと少女がおすすめだという料理はどれもとてもおいしくて、なんだかんだで食べ過ぎてしまって、会計が思ったよりも高くなってしまって肝を冷やすことになった。
ありがとうございましたー、という声を背中に受けながら僕は店を後にする。
戸を閉めてふと店の看板に目を向けるとそこには「風車の音色」という店の名前が刻まれていて、僕の仕事終わりの楽しみを一つ増やすことができた。
僕の家はギルド前の大通りから十五分くらい歩いたところにある、少し入り組んだ裏道の先にある。
結構お酒を飲んでしまったみたいで、少しよたよたとした足取りながら、家の方に続く裏道に足を向けたその時、
「ハア、ハア、ハア、ックッ」
息を荒げた一つの影が、後ろから僕を突き飛ばすようにして裏道を駆けていった。
「いてて、ったく」
僕は壁に勢いよくぶつけた肩をさする。
一瞬ほのかに香った花の香りと、嗅ぎなれた匂い。
「なんなんだ、今日は。凶かよ、きょうだけに」
一人でそんなことを口走る自分に、やはり結構お酒が回っていることを自覚する。
さて、さっさと家に帰るか、と足を踏み出した僕を突き飛ばすように後ろから複数の足音が通り過ぎていった。
先程とは反対側の肩をさすりながら、僕は今日という日を恨んだ。
***
ハア、ハア、ハア
息が切れて、体が既に悲鳴を上げているという事実を意図的に無視して私は走る。
後ろを振り返る余裕なんか今の私にはない。
だから、今私がどういう上場なのかはわからない。
けれど、確かなことは、絶対に私をとらえようと後を追いかけてきている敵がいて、そいつらにつかまった暁には、碌な未来が待っていないということだけ。
ここまで私を逃がすために手伝ってくれた人たちに報いるためにも、こんなところで捕まるわけにはいかない!
もう何度目かわからない角を右に折れて、必死に腕を振り、足を前に進め続ける。
ヒュッ
何かが私の足をかすめて飛び去り、すぐ後に襲い来るは猛烈な痛み。
「ウッ、く」
それでも私は足を止めるわけにはいかない。
ただひたすらに、がむしゃらに。前へ。前へ。
嫌な予感がして私は近くの横道に逃げ込んだ。
すぐ後ろでは風切る音。
そのままくねくねと裏路地を逃げていて、目の前に人が立っていることに気付くのが遅れて、思わずぶつかってしまう。
謝らなくちゃ。 そう思う気持ちはあったけれど、満身創痍な私にそんなことを言う余裕はなく、私から漏れたのはただ荒い息だけ。
私は足を動かし続けた。
けれど、私の目に映ったのは高い門に閉ざされた一軒家だけ。
私の行く先に道が続いてはいなかった。
そのことが私の人生もここで終わるのだと告げている気がして、私の人生そのものを否定されているみたいで、どうしようもない気持ちになってしまう。
門までたどり着いた私はずるずるとその場に崩れ落ちて、もう一歩たりとも動けない。
先程よりもだんだんひどくなっているいたもの原因に目を向ければ、もう既に生暖かい地に包まれてしまっていて、通ってきた道にもしっかりと痕跡を残していた。
出血のせいか、だんだん意識が遠のいてくる。
ああ、ダメなんだ。
私の表情はこんな現状に、その情けなさと悔しさに思わず嗤いをこぼしている。
ああ。私だって、
「もっと、生きたかったな」
ざざっ。
薄れゆく意識の中、誰かが私に背中を向けているのがぼんやりと視界に入った気がして。
でも私はそのまま意識を手放してしまった。
***