表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無能竜族と百合補佐官  作者: 高井塚イズ
2/3

2.

前回の続き、アラロアの記憶のお話です。

 ***


 ちょうど一年前。私が王立魔法術学校闇魔術科を卒業したその日のこと。


 私は王城・ハイリゲンブルク城の第二回廊を巡り、『英雄の書庫』に足を運んでいました。回廊を構成する剛健な柱と柱の間からは王城の中庭が覗き、緑の芝が光と影の中に鮮やかなコントラストを作っています。


 『英雄の書庫』とは文字通り、この世界に平和をもたらした英雄、つまり勇者である初代ハイリゲンブルク王とその後裔の王たちが蒐集した書物を保存する図書館です。王族と高位貴族、それに王立魔法術学校の学生のみが利用することを許されています。


 その地下にある貴重資料保存庫に足を踏み入れました。

 四方の壁の蝋燭が灯り、古びた本の墓場のような全容が明らかになります。


「アラロア・フォークト・フォン・ローテンシルト。ただいま参りました」


 片膝を床に着け、胸に手を当ててお辞儀をすること数秒。

 書架の陰から一人の男性が姿を現します。

 私の先生。上半身は人間、下半身は馬。ケンタウルス族です。


「うん。済まないね、こんな黴臭いところに呼び出して」


 先生は手に取った本から目を離さずに言いました。


「いえ、ここは通いなれておりますので」


「そうか。うん。確かに、君は最近の学生には珍しくこの書庫を使ってくれていた」


 彼はやっと本から目を離し、眼鏡の奥の理知的な目で私を見つめました。


「それで、クラインフェルト先生。こんなところでするお話とは、いったい何ですの?」


 今まで七年間お世話になった闇魔術科の恩師は、本を閉じて書架にしまいます。

 書架から容赦なく埃が舞い、先生は苦笑いを浮かべながら顔の前で手を振りました。


「ひどい埃だ。生徒がみんな、優秀な君のようにここを使っていれば、こんなふうにならないのだが」


「恐縮ですわ」軽く頭を下げます。「……でも、それだと聞かれてはまずいお話も出来ないのでしょう?」

 

 先生はニヤっと笑みを浮かべました。


「察しが良くて助かるね。その通り、これから話すことは他言無用だ」


「心得ております」


「ふむ。どう言ったものかな。……これは、君の進路の話であり、政治的な話でもある」


「進路であり、政治的?」


 一生徒の進路がどうして政治的な話になるのでしょうか。


「うん。君は就職先の希望を、調停執行府としていたね」


 調停執行府。先生の口からその語が出たとき、私の胸はとくんと高鳴りました。


「ええ! 人魔の間の係争を解決し、平和を守る、小さいころからの憧れですわ!」


「おめでとう。君はその調停執行府の、調停執行補佐官に内定したよ」


 クラインフェルト先生は恐ろしく自然体で言いました。が私は固まってしまいます。


「ほ、本当ですか?」


「うん、本当だとも」


 う、うわああああああ! 

 やりました! 私の夢、調停執行官! その夢が現実になるのですわ!


 人魔のあらゆる種族間にまたがる身体や言語や文化や慣習の違い。

 そうした違いがもとになって生まれる全ての係争を、武の力と知の力の両方を行使して解決し、平和を守るお仕事。それ取り仕切るのが調停執行府です。

 毎年倍率は三百倍を超え、任官時の階級も成績によって上下するという厳しい競争。そのなかで、調停執行補佐官はトップの成績の者が就ける階級なのです!


「補佐官ということは、誰か現職の方の補佐になるということですわよね!? そのお相手はどんな方なのです!?」

 

 きっとやんごとないお家の生まれで、学院を優秀な成績で卒業し、人格も伴った素晴らしい方に違いありませんわ!

 私はそんな期待を持ってこの官職を希望したのです。


 しかし、先生は普段の優しげな顔に僅かな緊張の色を走らせました。本の墓場たる地下書庫の雰囲気も相まって、私も一種の寒気のようなものを感じました。


「ここからの話が重要な機密事項になる。絶対に、誰にも聞かれてはならない」


 な、何故……?

 私は固唾を飲みこみました。


「あ、それでしたら」私は右手を上に掲げ、唱えました。「闖・侵・呪・泯シュテレ・デン・オーンマハト!」


 人差し指を飾る紫紺の指輪が光り、その光が同心円状に拡散し、私たちを包む空間全体を仄暗く照らします。


「これは……」


「この光の中に侵入した者を強制的に気絶させる魔法ですわ。この書庫の古文書で見つけましたの。あ! ちなみにエンテパラスト呪詛組換え法で(オーンマハト)の部分を(シュティルシュタント)に置き換えると、神経の活動を停止させる魔法にもなるんですの!」


 先生は一瞬の沈黙の後、人の好い顔で「ハハ」と微笑みました。

 きっと、教え子の成長を喜ばれているのですね。私も嬉しいですわ。


「まあ、君がその力を正義のためだけに行使してくれると信じることとして……。そう、君が補佐する調停執行官だが、とある竜族の女性なんだ」


「竜族、ですか! この国に!?」


「うん、かの伝説の竜族だ。200年前、魔王による圧政を打破せんとした勇者に、魔族でありながら静観を破って力を貸し、人魔の平和関係構築の多大な貢献をしたあの竜族の直系の後裔」


「す、すごいではないですか! そんな方の補佐官になれるなんて!」


「うん、それがね」先生は頭を掻きます。


「何かあるんですの?」


「実は……」先生は額に手を当てました。「それが、その、とてつもない無能らしいのだ……」


「む、無能? 竜族でありながら?」


 先生は大きく頷きます。分かる分かる、とでも言いたげに。


「そうなんだよ。しかもたちの悪いことに、自覚もないらしい」


「そんな。……なんでそんな人が調停執行官に? 罷免してしまえば――」


「出来たらいいのだろうけどね。出来るはずがないんだ。調停執行府、いや王国にとって、竜族は世界平和の立役者。もし罷免したなんてことが明るみになれば、王国が竜族の顔に泥を塗ったことになる。太古の昔から竜族はどの派閥にも属さず、自らの信じる正義を実行してきた。王国が竜族に恥をかかせる存在だと認識されれば、その時……」


「竜族が王国の敵に転じるかもしれない、と」


 クラインフェルト先生はうなだれるように頷きました。


「君の師として、君の夢を純粋に応援してやれないことが情けない……。それでも!」


 先生はやにわに顔を上げ、私の手を取りました。


「頼む! ローテンシルト君! あの無能調停執行官をカバー出来るのは、百年に一度の才英である君しかいないんだ!」


「ええ、でもぉ……。つまりは竜族のご機嫌を取れってことですわよね?」


「仕方ないじゃないか! これも世界平和のためだと思えば! なあ!」


「とは言っても、私だって私の思う正義のために勉強してきたんですのに――」


 すると、先生は突如、馬の脚を折りたたんで座ったかと思うと、頭を下げました。床にぶつけるような勢いで。つまりは、土下座です。


「お願いだ! この通り! ぶっちゃけるとな、先生圧力掛けられてるんだよ! 君が協力してくれないと、先生の首飛ぶんだよ! ほら、この学校、王立だから!」


「え、ええぇえええ…………」


 七年間信頼し、尊敬し、師と仰いだ人の泣きじゃくり土下座を見せつけられた二日後、私は調停執行府へと向かっていました。それはハイリゲンブルクの街の中心広場に位置し、左隣には市庁舎、右隣には王立魔法術学校の本校舎、背後には小高い丘の上のハイリゲンブルク城というとても便利な立地です。


 あの日は夏の終わりの、晴れ渡って空気もカラッと乾燥した、とても爽やかな日でした。が、私の心中には暗い雲が立ちこめています。私の知るクラインフェルト先生像は崩れ去り、調停執行官という生涯の夢は政治や大人の思惑と言った泥で汚されてしまったのですから。


 こんなことなら、一生懸命頑張って学校を首席で卒業するんじゃなかった。

 重い足取りで調停執行府のロビーを歩き、受付で来意を告げ、案内された執務室に向かいます。

 ああ、これから毎日、過去の恩を笠に着た竜族のご機嫌取りに終始する人生が私を待ち受けているのです。

 世界、滅びないでしょうか。


 そんな厭世的な気分に支配され、私はノックもせずにそのドアを開けました。


 書類がうず高く積まれた執務室の窓辺に、一人の女の子。


 彼女は不意の来客に、翡翠の目を大きく開き、振り向きざまに「ん、誰だ」と問いかけます。


 その潤った唇からは二本の小さい白い牙が顔をのぞかせ、あどけなさという華を添え。

 無垢を際立たせる控え目な胸。逆に雄々しい頭部の角。


「誰だ、と訊いている」

 

 栗毛を靡かせて私をねめつけ、歩み寄る身体の後ろで立派な尻尾が左右に揺れる。


「あ、あぁ……」


 彼女の目つきが、偉容が、そして後光が、私の膝から力を奪い、私はへたり込んでしまいました。


「なんだ。なんとか言ってみろ」


 美貌と可憐、尊大と純真、老獪と幼稚が混ざりあったその存在は、まさしく神々しい。

 私は言葉を失っていました。


 そして気が付いたのです。彼女を一目見たその時、私の心に垂れこめていた暗雲は吹き飛ばされ、夢を汚していた泥は綺麗に洗い流されたと。


 この時の気持ちを文字にする術を、私は持ちません。

 唯一言えることは、このリーザ・ジウーク・アルコアフバス様について行こうと決断した、ということだけなのです。


***


まだ続きを読んでやってもいいかなと思われましたら、

ブックマークや評価を頂けますと励みになります。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ