路傍の女
彼は仏教徒だった。輪廻転生を信じてて、良いことするように気をつけて生きてた。
いいことした気になっても、つけあがらなかった。
釣りが趣味でね。仏教徒のくせにって言ってやった。
そしたら、殺生を辞めて偉そうにするのも違うからねって。
ああ、この人はトロいけど良い奴だって、思ってさ。でも破戒僧って言ってやった。
彼女はタバコに火をつけた
そう、ほんとに破戒僧みたいな人だった。
私が、私がって乗り出してこなかったし、法事みたいにあれこれ注文をつける人じゃなかった。
ミニマリストの馬鹿ヒッピーみたいに何も抱え込まなかった。
それでも一つだけ願いを言ってた。土葬は嫌だって。後ろ向きな願い。笑っちゃう。
いつか掘り返されるとき恥ずかしいんだって。
骨が考古学者か、人類学者か、いつかめっちゃ見られて、他人に肉の無い裸見られるんだって。
本気だったのかな?ニコニコはにかんで笑ってた。
でもさ、いいことは続かないんだね。
両親があんな宗教にハマってさ。拉致監禁までして改宗迫ってさ。
必死で逃げ回っても、そのうち捕まっちゃってさ。
でも改宗しないでさ。仏教も割と信じてたしね。
古臭い灰皿がカタカタと鳴る。
仕事も堅実で、もっともっとって欲を出さなくて。うん、やっぱり仏教が効いたのかな。他にあんないい男は居ないよ。あんないい男は。
なんて汚れた灰皿だろう。
警察は成人の息子を虐待して殺す両親なんて信じなくてさ。
監禁が原因だって言ったら私が訴えられてさ。
誰も信じてくれなかった。奴らあれだけ貢いでるのに、裁判費用はどこから出たんだろうね。
私負けちゃった。彼も取られてね。地区のお偉い布教担当者の言うとおり土葬にするんだって。
葬式にも出るなって。墓の位置も教えないって。もう二度と連絡しないでくれって。
笑っちゃうよね。自分の殺した息子の葬式を、自分たちで仕切るんだって。来るなって言える立場かよ。
はは…笑っちゃうよ。ずっと泣いてたけどね、もうそこから笑い始めちゃってさ。
笑うしかないと思ったからさ、泣いて泣いてばっかもいられなくてさ。泣きすぎておかしくなったのかな。
泣きすぎると、暫くああなるものなのかな。笑ってたらいいこと思いついちゃったんだ。
彼女が人差し指と中指に挟んだ紙巻きタバコは、フィルターだけになってしまっている。
うん。私だって負けてばっかいられないからね。
今頃奴らひっくり返ってるよ。彼の死体盗んできちゃった。
はは。ほんと笑っちゃう。今、私の最愛の人が軽トラの後ろで腐ってんの。私、彼氏が死体になってもドライブデートしちゃってる。
ねぇ、どうしたらいいかな?焼くか、鳥にでも食わせるか。へへ…離さないからね、もう一心同体ってやつよ。死体と心中をさ…
…………嘘!騙されたでしょ。そんなことする女に見えた?はは。あんた面白いね。
さて、ここに二人でいると彼氏が妬むからさ。そろそろ行くよ。
またどこか会ったら、次は私が火を貸してあげる。スタイリッシュにこう…やって。「吸うかい?アンタ」って。はは。
ドアがガタンと開く。がに股で出ていったあの女の背中から、そっと目を離した。
喫煙所を出たら、彼女は死んでいた。何者かに刺殺されていて、財布にはいくらかの小銭と身分証しか入っていなかった。
悔しそうに、とても悔しそうに泣きながら、車に向い数メートルは這って行って、声も出せずに息絶えていた。彼女の車の荷台には、何も載っていなかった。
その破戒僧が実在したなら、仏になっても人を妬んだだろうか。警官に聞いたところ、専門外だと追い払われた。