犯罪領
監獄と呼ぶ施設の完成には、まだ時間が掛りそうだ。
貧乏領主──正確には極貧領主というべきか。
すでに葬ったが、義母がバカをやりまくってくれたせいで領土の財政はエライ事になった。
対策として行ったのは、”呪いの金”と呼ばれる高純度の金を使って巨大な商会を設立すること。
おかげで借金は解消したわけだが、全てが消えたわけではない。
残りの借金が少々厄介な事になっている──のだが、気分転換も必要だ。
アーシュは執務室で、手元にある金属を弄っていた。
魔導具の作成だ。
以前から色々と作っていたが、それらは実用性のある物。
一方でこれは、ごく個人的なものだ。
手元にあるのは懐中時計。
地球の物とは違い、歯車と魔法陣を組み合わせた構造をしている。
すでに時計としては機能しているが、もう1つの機能は納得のいくレベルにはなっていない。
──♪──♪──♪
魔力を流して鳴らしてみる。
だが、頭の中にある音とは一致してくれない。
ずっと昔に聞いた歌。
歌詞は忘れてしまったが、かろうじて音程だけは覚えている
頭に残っている部分位は残したいのだが、うまくいっていない。
覚えているといっても、ハッキリと思い出せるわけではないのだ。
漠然とした記憶を頼りに再現しているのだから、トライ&エラーの繰り返しとなっている。
周囲の大人に聞けば、作業が進むかもしれない。
だが、これは個人的なものだ。
誰かを頼ったら、個人の空間に他人の足跡が着けられそうで嫌だ。
きっと錯覚なのだろうとは思うが、焦る必要はない。
気長に調整していくつもりでいた。
──今日はここまでにしよう。
作業に没頭した後の、心地よい疲れを感じると共に集中力を切らした。
すると気付いてしまうものだ。
目を背けたくなる現実に。
「ウフフフ。アーシュちゃん、今日もキレイ」
最近、彼女のために増設した机。
そこからジッと向けられる黒い瞳。
瞳の主は間違いなく美少女の類。
普段であれば、9歳とは思えない凛とした雰囲気を持つ彼女。
しかし今は、だらしのない表情をしているせいで全てが台無しとなっている。
彼女の正体は公爵令嬢。
お嬢様の中のお嬢様と言うべき立場にいるハズの存在。
屋敷に来た頃は金髪碧眼だったが、魔導具を使い黒髪黒目にした。
アーシュが雇った家庭教師の娘という設定で、この屋敷に住まわせている。
「ウヘヘヘヘ」
ゾワっとした。
感じたのは魔物と対峙した時とは全く別種の恐怖。
おそましい寒気だった。
彼女は時折こうなる。
普段はもう少しまともだが、アーシュの傍でしばらく放置しておくと勝手に堕ちていくのだ。
こうなったときの対処法は一つしかない。
「有能なる執事モリス。少しマルグリート女史と話をしたい。ついでにセレス嬢を別の部屋にお連れしてもらえるかな」
「え゛っ……オホン。かしこまりました」
変態と関わるのは嫌だったらしい。
珍しく動揺をした。
それでも、さすがプロというべきか。
コチラに変態的な視線を送る美少女を説得して、みごと部屋から連れ出すことに成功した。
「それとクライズも呼んで欲しい」
「かしこまりました」
部屋を出る執事モリスの背に向かって追加の要求を出す。
今度は、動揺することなく丁寧なお辞儀がかえってきた。
ようやく集中できる。
懐中時計を片付け、報告書に目を通す。
領土内部の借金はなんとかなった。
だが、やはり外部の借金が痛い。
借金その物というよりも、貿易などの許可を出す権利が他の領に流れてしまっているのがキツイ。
その原因を作ったのはあの継母。
死してなお領土全体の足を引っ張っているのだ。
下手な悪霊よりもタチが悪い。
「お二人をお連れいたしました」
モリスが戻ってきた。
さらに彼の後ろにはライズ。
そしてローレリア女史。
ライズとはリクレイン家で、裏の仕事を取り仕切っている者。
ローレリア女史は、今でこそアーシュの教師という立場にいる。
だが元々はブレヒド公爵家の夫人。
変態──もとい娘と自分の身を守るため、リクレイン家で別の人間として振る舞っている。
モリスは、全員が部屋に入ったのを確認するとすかさず鍵を閉めた。
ドアも同様だ。
鍵が閉まったか入念に確認をしてさえいる。
「大丈夫でございます」
「ありがとう」
モリスの言葉を聞くと、アーシュの目が鋭くなる。
子どもの目ではない。
領主の目だ。
未来を見据え、場合によっては非道を平然とやってのける者の目。
彼の変化に合わせ、場の空気が静まり返った。
「どうぞ」
2人はアーシュに促され、ソファーに腰掛けた。
「集まってもらったのは、ローレリア女史から前に聞いた犯罪領の話について、ライズが面白い事を見つけてくれたからだよ」
数年前から社交界で、ある噂が流れていた。
それは犯罪領という、あらゆる非道が許される領の話。
犯罪領に住む者には何をしてもいい。
また犯罪領内では、合法非合法を問わずあらゆる取り引きが許可される。
そんな創作物めいた話。
一見するとただの噂であったが、これまでのリクレイン領土の扱いを考えれば──。
「リクレイン領の借金ですが、一部の貴族や商会が中心となって回収しているのが分かっております。それを地図に書き込んでみるとこのようになります」
この場を任されたのはライズ。
リクレイン家の裏側に生きる者。
皆が囲むテーブルの上。
そこに地図を広げた。
楽園の技術で可能となった印刷技術。
それを用いて複製した地図だ。
「私どもがもっとも注目したのは他の領の借金です。特にここ5年以内に大きな借金をするようになった領──その借金を集めている貴族領を書き込むとこのような結果になりました」
次に取り出したのは、透明なフィルター。
地球でいえば、大きめのプラ板といったところか。
それを何枚も地図の上に重ねていく。
「これは……」
ローレリアが表情を変えた。
他の者たちも同様だ。
「今さら言う必要はありませんが、貴族には寄親と寄子の関係がございます。子は親に従うのが一般的で逆らうことは難しいのはご存知かと思います。その親と子の関係を色分けをするとこのようになりました」
さらにフィルターを地図の上に重ねた。
それは各領ごとに違う色が塗られている。
「この通り、3つの領が孤立する形になっております」
地図にすると全てが明確になった。
親と子の関係のある領の場合は、親が孤立した領の借金を集めているのが分かる。
そして子に当たる領によって囲まれる形で、アーシュのリクレイン領など3ヶ所が孤立している。
「犯罪領を作ろうとしていたかは判明しておりません。ですが、この3つの領に対して何かを行おうとしていたと考えるのが自然だとアーシュ様は仰っております」
周囲が囲まれれば、物理的に身動きが取れなくなる。
また食料品の流通を制限することも可能だ。
それだけではない。
例えば従わないのなら流行病が広まったとき、領に行く道を閉鎖すると予め宣言したらどうだろう?
治療をする医師団も向かえないだろうし、心象を操作すれば領民による暴動を引き起こす事も難しくはない。
更に多額の借金という弱みが加わると──。
「3つの領のうち、海があるのはウチだけだからね。すでに海を使った悪さがされている可能性が高い。運び込むか持ち出すか……どっちか分からないけど、一度徹底的に調べた方が良さそうだ」