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***


 三年生に進級する頃にもなると、周囲や自分自身にいくつかの変化と呼べる出来事が起こった。


 まず一つ目。担任の、いや元担任の藤沢多喜二が警察に捕まった。女子中学生を買春したとのことだった。年齢は十四歳と十五歳。放課後、母校へ取材に訪れていたマスコミ関係者にたまたま声をかけられ、校門前でのインタビューを求められたボクは、藤沢容疑者に対し一言「いかにもやりそうな人でした」と答えた。その日のうちに放送された夕方のニュースでは、警察に連行される彼が、輝くばかりのハリウッドスマイルで「ロリコンで何が悪い!」などと叫び散らす異様な光景が映し出されていた。


「これはねえ、狂うてますよこの人は。顔を見てごらんなさい。目はつり上がってるし、顔はボォッと浮いているでしょう。こりゃあ完全にキチガイの顔ですわ」


「いや、谷崎さん。そういう発言はよろしくないかと……」


 上下真っ青な衣服に身を包んだ熟年男の卑劣な犯罪行為を、放送禁止用語を用いて批判した白髪コメンテーター。彼の発言がSNS上で物議を醸し、のちに大炎上となったのは、また別の話だ。


 二つ目。梅雨真っただ中の六月、ボクは十万字程度の長編小説を書き上げた。地方都市の商業高校に通う凸凹女子二人組のひと夏の恋模様を描いた、いわゆる百合作品って奴である。本当は児童文学が書きたかったのだけれど、思いのほか行き詰まり、気分転換として気楽に書き始めたものがこの処女作だった。


 真夏ちゃんの中退をきっかけにボクのことを何かと気にかけてくれるようになったスターリンこと星野凛いわく、「いいじゃん。なんかよくわかんないけど、いいじゃん」な物語らしい。ちなみに、タイトルはまだ決まっていない。


 そして、三つ目。ボクは進路を東京都内の中堅私大に絞った。家賃以外の生活費をアルバイトで稼ぎながら、四年間の大学生活では真面目に民俗学を学びたいと力説すると、両親は拍子抜けしてしまうほどあっさりとボクの上京を認めてくれた。


 まあしかし、本音を言うと、大学進学は言わばモラトリアムを確保するための口実であり、民俗学なんてこれっぽっちも――いや、さすがにそれは言い過ぎかもしれないけれど、とにかくボクは社会に出るまでの猶予期間を心の底から欲していた。四年という限られた時間の中で、かっこよく言うと、自分探しをしようと目論んでいたのだ。


 このようにしていくつかの出来事を重ねながら、やがて高校生活最後の夏休みが幕を開けると、ボクは町の県立図書館に入り浸るようになった。何十万冊もの本に囲まれた物静かで冷房の効いた空間は、受験勉強には打ってつけだった。


 その日も、八月十日も、ボクは図書館を訪れ、開館時間から現代文の過去問を解きまくっていた。


「小秋?」


 そんな声をかけられたのは、図書館二階休憩スペースのベンチでコーラを飲みつつ、一息ついていたときだった。


 誰だろう。思いながら、右方を向く。


「……青石くん?」


「白石だ!」


 ボクは白石くんの顔を見るとどうにも、脊髄反射的に名前を間違えたくなってしまう性分らしい。


 久々に会った白石くんは、相変わらずイケメンだった。デザイナーズブランドのロゴTシャツにくたびれたチノパン、足元はスニーカーといったなんでもないような格好も、彼が着こなすと妙に様になって見える。


 でもいったい、どうして白石くんがこんなところにいるのだろう。間違っても彼は、読書なんかするようなキャラではない。


「こんなところで何してるの? 受験勉強か何か?」


 すると、白石くんは実にあっけらかんとした口調で、


「まさか。涼みに来ただけだって。さっきまでここの近くの霊園に墓参りに行ってたんだ、俺」


「白石くん、おじいちゃんもおばあちゃんもまだご健在じゃなかったっけ?」


「一年ちょっと前……確か、ちょうどおまえとコンビニで鉢合わせた日の前日じゃなかったかな。野球部時代のチームメイトがバキュームカーにはねられて、あの世に逝っちまったんだよ。道路に飛び出したガキを助けようとして。即死だったらしい」


 ボクは言葉に詰まった。安易に踏み込んでしまった自分自身の浅はかさを猛省した。けれど、白石くんは依然としてあっけらかんとしており、


「そんな顔すんなよ」


「ごめん……」


「あ」


「え?」


「そういやおまえ、真夏のあれ、もう知ってるか?」


 真夏のあれ、と言われても、ボクには何がなんだかさっぱりわからなかった。もちろん、白石くんの言う「真夏」が、真夏ちゃんを指していることくらいは理解できる。ただ、「真夏のあれ」となると話は別だ。そして、思えばボクは、スターリン以外の口から真夏ちゃんの名前を聞くのが久しぶりだった。


 気づけば、真夏ちゃんがボクの前から姿を消して一年が経っていた。


 今、真夏ちゃんはいったい何をしているのだろう。退院はできたのだろうか。心の傷は癒えたのだろうか。ボクには皆目見当もつかないことだ。


「あれって?」


「やっぱり知らないのか」


「真夏ちゃんに何かあったの? っていうか真夏ちゃん、今何してるの? 元気なの?」


「まあまあ、落ち着けって」


 言いつつ、白石くんが緩慢な動作でボクの隣に腰かける。そして、チノパンのポケットからスマートフォンを取り出し、画面を数回タップしたあと、


「ほら、これ見ろよ」


 わけもわからずスマートフォンを受け取ったボクは、促されるまま画面に視線を転じた。


 ボクの心臓がドクンと大きな音を立てたのは、その直後だった。


 二つの眼球が、一枚のイラストを捉えている。


 海が見える駅のホーム。セーラー服を着た女子二人組。ベンチに座る彼女たちの頭上遥か遠くには、イルカのような大きな雲。そしてイラストの中央には、この作品のタイトルなのか「あの夏の笑顔を、もう一度」という文字が縦書きで表示されている。


 ボクは激しい動悸を感じながら、絞り出すような声で、


「何これ……どういうこと?」


 すると、


「あいつ、この作品で、大手出版社が主催するイラスト大賞の最優秀作品賞を取ったんだ」


「最優秀作品賞?」


「プロのイラストレーターとしてデビューすることも決まったらしい」


「それ、本当なの?」


「ちょっと待ってろ。今、サイトのURL送るから」


 言いつつ、白石くんがボクの手元からスマートフォンを取り上げる。


 ほどなくして、バッグの中のスマートフォンが小刻みに震え始めた。


 白石くんがトークアプリ上に送ってきたメッセージには、長々としたURLが貼りつけられていた。


 すぐにURLをタップし、二、三秒ほどでイラスト大賞公式サイトのトップページが表示されると、ボクはそこでようやく事実を事実として受け入れることができた。


 受賞者の欄には、冬木真夏の名前が記載されていた。


 真夏ちゃんは夢を叶えたのだ。


 十七歳の夏の日。海の見える駅のホームで空飛ぶイルカを眺めながら、真夏ちゃんはボクに「イラストレーターになりたい」と熱っぽく語った。そんな彼女に「デビュー作の表紙は真夏ちゃんにお願いしたいな」だなんて冗談半分で伝えたことを、ボクはまるで昨日の出来事のように鮮明に記憶している。


 でもまさか本当に叶えてしまうなんて。


「数週間前に俺、なんとなく真夏んちに連絡したんだよ。真夏が電話に出ないことわかってて、でもほんの少しだけあいつが出ることを期待して。結局、ママさんにつながったんだけど、そこで全部教えてくれたんだ。ちなみに、あいつ今、東京にいるらしい。精神的にも安定してるって」


「そうなんだ……」


 つぶやきながら画面を縦スクロールしていたとき、ボクはふと「マボロシ文庫大賞・募集要項」という文字を見つけ、思わず指を止めた。


 何やら同出版社が今年から主催する新人文学賞らしく、募集ジャンルは指定なし、受賞者はもれなく受賞作でのプロデビューが確約とのことだった。


 もし、もし仮にボクがこの新人賞で大賞を取り、うっかり作家デビューなんかしてしまった暁には、仕事関係で真夏ちゃんと再会、なんていう展開もあり得るのではないか。不意にそんなおめでたい考えを巡らせ、


「…………」


 次の瞬間には目を丸くしていた。


 なんとこの大賞作の表紙を担当するイラストレーターというのが、今年のイラスト大賞最優秀作品賞受賞者、つまり真夏ちゃんだったのだ。


 締め切りは八月十日――。


「今日じゃん!」


「は?」


「白石くん、ごめん! ボク、急用ができた!」


 最後まで言い切る前に、ボクはもう走り出していた。


「おい! ちょっと待てよ! いったいどうしたっていうんだよ!」


「今度ゆっくり話す! 本当にごめーん!」


 後方数メートルの幼なじみはまだ何か叫んでいるが、もはやボクには雑音程度にしか聞こえていない。ここが図書館だということも忘れ、全力で両腕と両足を動作させる。


 館内を出ると、外は炎天下。とろけるような盛夏の日射しに、響く蝉時雨。


 ボクは二ヶ月前に書き上げたばかりの長編小説をマボロシ文庫大賞に投稿し、大賞を受賞し、そしてデビュー作の表紙を真夏ちゃんに担当してもらうという、そんなたいそうな目論みを胸に抱き始めていた。真夏ちゃんがボクとの再会を望んでいない可能性ももちろん考えられたが、いやしかし人間には、どうにも抑えきれない感情というものがある。やるしかないと思った。そこに迷いはなかった。


「……っ」


 道の途中、右脇腹に痛みを感じ、太腿がつりそうになり、この鈍りきった身体はいよいよ体力の限界を迎えようとしていた。でも、それでもボクは、焼けたアスファルトを一心不乱に蹴り飛ばした。走ることをやめなかった。


 自宅に着いたのは、図書館を出てから十五分後のことだった。全身汗だくになりながら、盛大に息を切らしながら、ただいまの一言もなく、ボクは一目散に二階へと駆け上がる。


 閉め切った自室は案の定、サウナのように蒸していた。


「あっつい……」


 思わずめげそうになるも、それでいてクーラーには目もくれず、ボクは勉強机に一直線。そして、パパからのお下がりであるノートパソコンを素早く起動した。


 すぐに立ち上がった画面に簡素なログインパスワードを入力し、ワープロソフトを開く。


 一ページ目。十五・六インチの液晶いっぱいに文字が羅列されている。しかし、タイトル欄だけが空白のままだ。 


 手垢だらけのキーボードに指を置き、まぶたを閉じ、いったん深呼吸。


 数秒後、ゆっくりとまぶたを開け、そして不退転の決意で一気にタイトルを入力した。


「……アゲイン」


 まるで天啓のように脳裏をかすめた言葉は、この大作を冠するに相応しい、実にストレートなものだった。


 再び、ボクはつぶやく。心で、強く、つぶやく。


 サマースマイル・アゲイン――。


 あの夏の笑顔を、もう一度。


 

 

 





 





「サマースマイル・アゲイン」完

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