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***


 八月半ば。ジョーこと城ヶ崎太一(じょうがさきたいち)が二十三歳という若さでこの世を去った。溺死だった。


 旅先での海水浴中、離岸流に巻き込まれた現地の外国人女児を助けようとして、そのまま二人帰らぬ人となったという報せを、ボクはまずSNSで知り、次に地元ローカルのスポットニュースで知り、そして夏休み明けの二年D組で知った。


 何やらジョーは、ネット上ではちょっとした有名人だったらしい。チャンネル登録者数十万人を誇る人気配信グループではリーダーを担当、来月にはなんと歌手デビューを控えていたのだという。その事実をボクは、つい最近まで何も知らなかった。


 始業式当日。午前八時過ぎ。教室に入るや否や、クラス中がジョーの話題で持ち切りだった。さすがは小さな片田舎である。ジョーが真夏ちゃんの恋人だという事実はすでにクラスメイトのほとんどに知れ渡っているようで、派手グループを筆頭に、普通グループ、地味グループまでもが会ったこともない人気配信者の死について、


「離岸流かあ」


「かわいそう……」


「ネット情報だと彼、背中に『真夏』ってタトゥーを彫ってたらしいよ。一途な人だったんだね」


 などなど、ああだこうだと偽善者ぶって騒ぎ立てていた。


 今、真夏ちゃんがこの場に現れたら、奴らはきっと彼女の周りを一斉に取り囲むに違いない。まるで低俗なマスコミみたいに。恋人を亡くしたクラスメイトの気持ちなんて露知らず、彼女の心に土足で踏み込むつもりなのだ。


 ボクは急にこめかみの辺りに鋭い痛みを感じ、そして同時に真夏ちゃんのことがひどく心配になった。今日くらいは欠席してほしい。奴らの退屈しのぎのネタになんかなってほしくない。そう願った。


 願いが通じたのか、この日、真夏ちゃんは学校を休んだ。体調不良とのことだった。ボクはほっと胸を撫でおろす。でも、予想外な出来事が起きた。彼女の欠席は翌日も、翌々日も続いたのだ。


「ええ、突然だが……冬木が退学した」


 藤沢多喜二、五十七歳児童買春疑惑ありが神妙な面持ちでそんな発言をしたのは、まだまだ残暑の厳しい九月下旬のことだった。


 一瞬にして教室中がざわめき出す。真夏ちゃんの中退を惜しむ声がそこらかしこで上がり始める。大粒の涙を流している者までいる。しかし――信じがたいことに、担任の口から告げられた驚愕の事実は、生徒らにとっては瑣末な出来事でしかなかったらしい。何せ次の日にもなると、真夏ちゃんのことを話題にする者は誰一人としていなくなっていたのだから。もうすっかりそれまでの日常を取り戻していたのだから。あいさつもなしに学校を去っていったクラスメイトを泣きながら憂いていた人間でさえ、今や人気アイドルの事務所退所報道に夢中になっているようだった。


 この教室で彼女のことを、冬木真夏のことを本心から思い続けている人間はおそらく、ボクただ一人だけだ。


「…………」


 十月に入り、夏服がその役目を終え、町を流れるそよ風にキンモクセイの甘い香りと心地よい冷たさが感じられるようになった頃、ボクは真夏ちゃんの自宅に電話を入れた。夏休み明け以降、相変わらず彼女のスマートフォンには一切の連絡が取れず、そんな日々に業を煮やした結果、自ずと導き出された行動だった。


 放課後、午後五時。自宅二階の閉め切った部屋の中、帰宅するや否やボクは、スマートフォンの通話ボタンをタップした。六畳の狭い空間を落ち着きなく行ったり来たり、心のざわめきを持て余しながら、やがて電話は六コール目でつながった。


「はい、冬木です」


 第一声、そのおっとりとした口調で、すぐに誰かわかった。真夏ちゃんのママだ。


 ボクは少し緊張しながら、


「もしもし、春原ですけど……」


「あ、小秋ちゃん?」


「はい、お久しぶりです」


「本当に久しぶりね」


 心なしか、声のトーンが沈んでいる。


 結論から言うと、自宅に真夏ちゃんはいなかった。ジョーの死をきっかけとして精神を病んだ彼女は現在、市内にある総合病院の精神科に入院中とのことで、その旨を語りながら、真夏ちゃんのママはすすり泣いていた。


「真夏は今、誰かに会えるような精神状態ではないの」


 だから、そっとしておいてあげてほしい。静かにそう懇願されたボクは、


「わかりました」


 と肯くしかなかった。


 正直な話、ジョーが死んだという報せを聞いたとき、ボクは不謹慎にも歓喜してしまった。ライバルが、恋敵がいなくなった、そう思ったのだ。でも肝心の真夏ちゃんはというと、精神に異常を来し、高校を中退し、そして今もなお亡き恋人に操を立て続けている。


「どうして……どうして優しい心を持った人にほど、大きな悲しみが降り注いでしまうんだろうね」


「…………」


「小秋ちゃんは命を大切にしてね」


「……はい」


 十分ほどの通話を終えたあと、ボクは鬼灯色の夕陽が射し込む自室で一人、真夏ちゃんのことを思いながら、ちょっとだけ泣いた。


 季節は一つ、二つと移ろいでゆく。ボクらが泣こうが喚こうが、そんなことはお構いなしに、何もかも構わずに。すべては移り変わってゆく――。


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