(4)
◇
人生初の告白場所は海と決めていた。
遠い水平線を眺めながら、潮風を浴びながらのベタベタなシチュエーションに、昔からなぜか憧れがあったのだ。そして幸運なことに、ボクの住むA市には海がある。
「海なんて久々に来たなー」
S駅のホームに降り立つや否や、真夏ちゃんがそのウィスパーボイスを弾ませた。
ここは、母校のあるA駅から私鉄でニ十分の距離に佇む無人駅。一日の乗車人数はグーグル調べによると平均で五十人程度らしい。地元でも非常にマイナーな駅であるため、実はボク自身ここに来るのは初めてだったりする。
簡素な屋根と青いペンキで塗られたベンチが二つだけという、至ってシンプルな造りの古めかしいホームから眺める景色は、控え目に言って絶景だった。
平日の真っ昼間、そして深刻な過疎地域ということが起因しているのか、辺りにはボクたち以外に人の姿はない。海が見える駅に、夏服の女子高生が二人きり。さながら青春映画のワンシーンのようなシチュエーションである。
「小秋ちゃん、誘ってくれてありがとね」
「ううん、こちらこそ」
あのね、真夏ちゃんと一緒に夏の思い出が作りたいの。そう言って彼女をここに誘い出したのが、ほんの数十分前の出来事。
真夏ちゃんは明日、早朝の便でイギリスのレスターという街へと旅立ってしまう。そして、帰国は一ヶ月先。そんな事実を彼女の口から聞かされて間もなく、ボクは告白を決意した。なんとしてでも気持ちを伝えなければならないと衝動的に思ったのだ。
明日からのことを考えると、真夏ちゃんがいない夏を思うと、とても辛い。辛くて仕方がない。一ヶ月会えないだけでこんなにも寂しく、切ない気持ちになるなんて、ボクは知らなかった。
「わたし、日焼け止め塗ってくるの忘れちゃったよ」
「あ、じゃあ、ボクの貸してあげる」
「わー、ありがとう」
ボクたちはホームのベンチに並んで腰かけている。真夏ちゃんとの距離はわずか二、三十センチ。心の距離はもっと近い――と信じたい。
何気なくスマートフォンを確認すると、時刻はまだ十三時にもなっていなかった。もっとも、悠長に構えている暇はない。二人きりでいられる時間は限られている。
一時間。きっと、長くても一時間程度だ。真夏ちゃんの都合を考えると、それくらいが妥当だろう。けれど、つい数十分前までの勢いはどこへやら、ボクは完全に委縮し切っていた。人生初の愛の告白を前に、端的に言うとビビッていたのだ。
ボクたちはもともと、それほどおしゃべりな方ではない。二人きりのとき、自然と沈黙が生まれてしまうことも珍しくはなかった。もちろん、お互いに気を許しているわけで、そこに気まずさのようなものは一切ないのだけれど、
「…………」
「…………」
会話らしい会話もないまま、気づけば五分、十分、二十分と、時はいたずらに経過してしまった。
さすがに、これはちょっと気まずい。そして何より、真夏ちゃんに申し訳ないと思った。彼女は忙しい中、ボクにわざわざつき合ってくれているのだ。
「真夏ちゃん」
「何?」
「あのさ……」
どうして、こんなにも声が震えてしまうのだろう。どうして、こんなにも息が詰まってしまうのだろう。
寄せては返す波の音だけが慎ましく響くこの空間から、ボクはだんだんと逃げ出したくなり始めていた。
「ちょっと飲み物買ってくるけど、なんかいる?」
結局、告白の言葉を寸前で飲み込んだボクは、自分自身をいったん落ち着かせることにした。
真夏ちゃんは艶めく唇に人差し指を添え、少し考えるような素振りを見せたあと、
「コーラが飲みたいかも」
「コーラね、了解」
「あ、でも全部は飲み切れないと思うから、二人で半分こしよう?」
「いいねいいね、そうしよう」
直後、ボクはホームの端に設置された自動販売機まで小走りで向かい、真夏ちゃんのリクエストである缶コーラを一本買った。
このとき、ボタンを押した指先は、意識とは別に小刻みに震えていた。危うく隣のファンタグレープを買いそうになってしまったくらいだ。
受け取り口に右手を伸ばし、痺れるほどに冷えた缶コーラを手のひら全体で感じながら、一度深呼吸。
「ふう……」
お腹の底から勢いよく二酸化炭素を吐き出したあと、ボクは本日もう何度目かの覚悟を決める。今度こそ、今度こそ本気だ。
「お待たせ」
ベンチに戻るや否や、ボクは真夏ちゃんにコーラを差し出した。
「ありがとう」
と例の目のなくなる笑みを浮かべた彼女は、手のひらに六十円を用意していて、ボクはその律儀さをあらためていじらしく思い、危うく悶えかけた。
すんでのところで持ち堪えたボクは、
「ボクのおごりだから、お金はいらないよ」
だなんて精一杯のクールを気取り、真夏ちゃんの隣に腰かける。
「いいの?」
「もちろん。真夏ちゃんにはいつもお世話になってるから」
「あはは。全然そんなことないけど、でも嬉しいな」
直後、爪の長い真夏ちゃんに乞われ、ボクはコーラのタブを開けた。つけ爪やらジェルネイルやらに無頓着なボクには、いとも容易いことだった。
あらためてコーラを手渡すと、
「さすが小秋ちゃん」
と真夏ちゃんは案の定、にこやかに微笑んだ。
真夏ちゃんがコーラを一口飲み、そして次にボクが一口。なんだかいつもより甘みが強く感じられる。気のせいなんかじゃない。真夏ちゃんのセクシャルなリップにはきっと、甘いものをよりいっそう甘くしてしまう特殊能力が備わっているのだ。
そんなことを至って真剣に考えながら、ボクは真夏ちゃんの横顔を、口元を、ただただじっと食い入るように見つめている。不意に、触れてみたい、と思った。この薄くてささくれた唇を、彼女の厚く艶やかな唇に目一杯押しつけてみたい。そう思った。
真夏ちゃんの唇は、いったいどんな味がするのだろう――。