9:「お礼」
狭い馬車の室内。
俺を庇うように膝立ちをする、サクラと呼ばれた少女。
困惑を露わにするその父。
「た……助けたって……どういうことだ」
「そのままの意味だよ、お父さん。この人は、私にかけられた呪いを解いてくれたの」
容姿から快活な性格がにじみ出る少女は、毅然として主張する。
後ろで結ばれた明るい茶髪のポニーテール。
健康的に焼けた肌。
滑舌の良い、はっきりとした口調。
十六、七と言ったところだろうか。
少女はスラリとした体つきをしていて、髪の毛からはふんわりと甘い、良い匂いがした。
「の、呪いを……解いた?この小僧がか」
男は俺を凝視する。
未だに信じられない、という顔をしていた。
「そうだよ、お父さん。この人は私の命の恩人なの。小僧だなんて、失礼だよ」
不機嫌そうに、サクラは口をへの字に曲げる。
「で、でもお前……服が、服を着ていないじゃないか……こいつに、乱暴をされたんじゃ……」
「それは呪いの魔法陣が、服に隠れてたから。ねえ、お父さん。私……そろそろ怒るよ?」
念押しするように、語尾を強める。
サクラはほっぺを風船みたいに膨らませ、
眉間にしわを寄せた。
絶句したように押し黙り、視線を俺に向ける男。
「……ほ、本当なのか」
同時に頷きを返す、俺とサクラ。
その瞬間、
父親の態度は一変した。
馬車の中。
いきなり正座し、頭を床にこすり付ける。
これでもかというくらいの大声で、紡がれる謝罪の言葉。
「本当に、すまない!娘の命の恩人に、こんな失礼な態度を取ってしまって!」
地鳴りのような叫び。
溜池の前でおろおろと様子を見守っていたティアが、猫のようにびくりとしたのが目に入った。
どうやら、馬車の外にも轟いたらしい。
「いや、大丈夫。頭をあげてくれないか、親父さん」
しゃがみ込み、俺は苦く笑う。
涙目の父親と目が合った。
「本当に、すまん!気が動転していたんだ、さっきまでの俺は最低だ。娘の恩人の胸ぐらを掴むなんて……どう詫びていいのかも、わからない」
「侘びなんて、別に求めていない。俺が好きでしたことだから、気にしないでくれ。こっちこそすまなかった。勘違いさせるような行動をとってしまって」
笑顔でそう返すと、男の表情が曇った。
唇を噛み、顔を歪ませる男。
目尻からぽろぽろと零れだす涙。
「ありがとう……本当に、ありがとう……。なあ、あんたいったい、何者なんだ。あれほど複雑な呪いを解いてみせるなんて」
俺の正体、か。
……ゼロの大賢者、と答えるわけにはいかないな。
まあ答えても。
どの道信用されないとは思うが。
「別に、大した者じゃない。偶然だよ、偶然。今回はたまたま、何もかもうまくいっただけさ」
我ながら苦しい言い訳。
だが、男は何かを察してくれたようで、ハッとした後、うんうんと意味ありげに頷いた。
「そうか……わかった。すまない。娘の恩人様に、詮索なんて無粋な真似だったな。人には、言いたくないことの一つや二つ、あるもんだ」
いきなり怒鳴り込んできた時は、どうなることかと思ったが……。
その後の対応を見るに、
誠実で娘思いの、良い父親のようだ。
「……察してくれて、ありがとう」
「良いってことよ!」
目尻にたまった涙を拭きながら、男は豪快に笑った。
「ごめんなさい、こんなお父さんで」
その姿があまりに無邪気で子供っぽかったからか、サクラは恥ずかしそうに俯く。
「いや……娘思いの、良いお父さんだと思うよ」
「……うん」
サクラはどこか、照れくさそうに頷いた。
お互いを思いやる、仲の良い家族。
2人はそんな、理想の親子だった。
それから。
何か思いついたように父親は「そうだ」と呟き、掌をぽんと叩いた。
「あんた、旅の人なんだよな」
「そうだが?」
「だったら、今日はうちの宿に泊まっていってくれよ!」
「宿?」
「ああ、実は俺達は町で宿屋を経営してるんだ。是非そこで、おもてなしとお礼をさせてくれ!」
宿屋、か。
そうだな、どうせ今日はどこかで休むつもりだった。
丁度良い。
今回は、お言葉に甘えるとしよう。
「俺の他にもう一人……妹も泊まることになるが、大丈夫か?」
ティアを目線で指しながら、尋ねる。
妹、という単語がよほど嬉しかったのか、
目を丸くした後、
幸せを噛み締めるように、にんまりとするティア。
「あのお嬢ちゃんは、怪我した俺を看病してくれたんだ。断る理由はねえ!むしろ、大歓迎だ!」
はちきれんばかりの笑顔……という表現が、一番似つかわしい。
それくらい、男は嬉し気だった。
決まり、だな。
「じゃあ、そうだな。今日は、ありがたく泊まらせてもらうよ」
俺は笑顔を浮かべる。
サクラと呼ばれた少女は「やったあ」と声を上げた。
それからいきなり。
俺の手を包み込むように、ぎゅっと握るサクラ。
手のひらに感じる、少女の温もり。
心地よい、なめらかな肌の感触。
サクラ色に染まった頬。
ビー玉のように透き通った薄茶色の瞳で、少女は俺をじっと見つめた。
「……命の恩人さん、今日は色々サービスするね」
ほんの少し照れの入った笑顔。
「楽しみにしてる」
微笑みを返すと、サクラは「うん!」と大きく頷いた。