64:「お昼ごはん」
「何か見えるか、ティア」
「……ぎゅーっと目を凝らせば、何か見えるような、見えないような」
木造の小さな船の上、ティアは茶色く濁った水面をじいっと興味深げに見つめていた。
「ほぼ泥水なんだから、見えるはずないじゃない。本当に、子供は好奇心旺盛でお気楽ねえ」
俺の隣に座るイリスは、手のひらをヒラヒラさせながら、そう毒づく。
今俺達は傭兵団の本拠地へと向かう道すがら、土地を大きく分かつ河川を渡る為、船の上に揺られていた。この国では最も長いと言われている川で、川幅は大きく、水質は茶色く濁っている。
この濁った水の中に住まう生物は多種多様で、それを説明してやってから、ティアはずっと水面を眺めていた。
どうやら、中身が気になるらしい。
「……心が濁ってるイリス様にはわからないんでしょうね。この水の中に溢れる浪漫が」
「はあ? 一体何が浪漫なのよ。ただ汚いだけじゃない」
「見えないからこそ感じる浪漫というのがあるのですよ。一体中に何がいるんだろう、想像すると……ワウワクしてくるじゃないですか」
「さっぱりわからないわ」
「……お兄様にはわかりますよね、濁った水の浪漫」
そう言われてみると、わかるような気もする。
確かに、先が見えないスリルのようなものはあるだろう。敵がどんな相手かわからないのは、不安であるが、浪漫でもある。
「まあ、わからなくはないな」
そう返すと、ティアはニヤっと笑った。
「ほら、見てください。イリス様だけですよ、濁った水の浪漫がわからないのは」
「はーっ。さっきから一体何なのよ、濁った水濁った水って。一体何が楽しいわけ?」
「どんな生物がいるかわからない浪漫ですよ。……想像すると、よだれが出るじゃないですか」
目をキラキラさせながらティアは語る。
俺の想像していた意味合いとは少し違った。
「ははははははははっ。お嬢ちゃん達は面白いねえ」
舟を漕ぐ老人の船夫は笑った。その顔は日に焼けていて、ひょろりと細い体系をしている。
深い皺の刻まれた老人は、にこにこと気の良い笑顔を向ける。
ティアは何故か得意げな顔をこちらに向けた。
「お兄様。私達、褒められましたよ」
「褒められたんじゃなくて、笑われてるのよ。あなた、馬鹿なんじゃないの?」
「……イリス様の眼は節穴ですか。どう考えても褒められてました。濁ってるのは水じゃなくて、イリス様の瞳です!」
馬鹿と言われてムッとしたのか、ティアは頬を膨らませる。
正直、今回ばかりはイリスに同意だ。
だが、あまりにティアは純真な瞳を向けるものだから。
「私が正しいですよね、お兄様」
「……んあ……まあ、そうなんじゃないか……多分」
日差しの照り付ける空は、今日も青い。
「ほら、どうですか。以心伝心ですよ、私達」
「微妙に使い方間違ってない、それ?」
「いいえ、以心伝心です。私達は以心伝心なんです」
「多分あなたが言いたいのは、一心同体よ。馬鹿娘」
「俺もそう思う」
ティアのキラキラした瞳に見つめられると何とも言えなくなるので、先回りして退路を塞いでおいた。
すると、さっきまでニコニコしていた顔が唐突に絶望したような表情になり、再び水面に目をやった。
「……お魚さん、いますかー。出てきてくださーい」
「ははははははははっ。お嬢ちゃんのボケは最高だね」
老人は嫌味なく素直に笑う。
すると、ティアは嬉しそうにそっちを振り向いた。
「最高ですか!?」
「ああ、最高だ」
「お兄様、私、最高らしいです!」
「そうか、それは良かったな」
「はい、これでまた一歩お兄様に相応しい女に近付けました!」
嬉しそうなティア。まあ、喜んでるならそれで良しとしよう。
再びウキウキとした表情で、ティアは水面を眺める。
「……あれ、お兄様……何か見えます!」
「馬鹿言ってるんじゃないわよ。こんな濁った水で、中が見えるはずないじゃない」
「何かの影が」
「はあ、見せてみなさいよ、まったく」
だが、次の瞬間――
「……え、」
中から何か巨大な蛸のような生物が顔を出したかと思うと、イリスを逆さ吊りにした。
「ちょ……いやあああああああああああああああ!」
「お、おおおお! お嬢ちゃん、大丈夫かい!?」
舟夫は慌てたように声を張り上げる。
「た、大変だ! 誰か助けを……」
「おおおおおお、お兄様、イリス様が!」
ティアっも慌てふためいた様子。
ちゃんと心配しているところを見ると、どうやら本当に仲が悪いわけではないらしい。
俺は魔法を放ち、イリスが捕まっている蛸の足を切断した。
ぼとり、船の上にぬめぬめした聖女と蛸足の切れ端が落ちてくる。
「……さ、最悪……」
べとべとになったイリスは、げんなりと項垂れた。
「……お、おかしいな。これは海の魔物だ。こんな場所に出るような奴じゃねえんだが。……というか、兄ちゃん凄いな」
「いや、船が沈まなくてよかったよ。イリス、大丈夫か」
「……これが、大丈夫に見える?」
ぬるぬるになりながら、イリスは恨めし気な瞳を向ける。
そのただ中、ティアはタコ足を見つめて目を輝かせていた。
「お兄様、これ食べられそうですよ!」
というわけで、今日の昼ごはんが決まった。
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