62:「新たな火種」
「……くそッ!」
薄暗い室内で、白髪の老人が土造りの壁に拳を強く打ち付けた。
鈍い音が土造りの部屋の中に響き渡り、その衝撃でよく陽に焼けた浅黒い肌からは、血が滲み出す。
小刻みに震える拳。
食いしばった奥歯。
もうどうにもならない現実。
「……くそ」
深い皺が刻まれた表情を歪め、今度は小さく、男は今にも消え入りそうな声で呟く。
そのまま糸が切れた人形のように、力なく地面に座り込むと、冷たい土の床の感触が身体に浸透してきた。
ぼーっと室内を照らす天井のランプを見上げると、光に釣られて集まってきた羽虫の一匹が、ランプの熱に身を焼かれて落下している場面が視界に映った。
「……なあ、お前……本当に死んじまったのか?」
もう問いかけることの出来なくなった相手に、男は問いを投げかける。
だが、勿論返ってくるのは、虚しい沈黙だけだ。
死者は、何一つ答えてくれない。
それが、二十年前に自分と喧嘩別れしてここを出て行った息子であれば、尚更だろう。
化けて出るにしても、自分のところには、来てくれそうにない。
「……二度と帰って来るなって、言っちまったもんな」
また、いつか会えると思っていた。
それまでは、くたばるまいと思っていた。
あいつが自分に謝罪をするまでは、どんな病魔でも乗り越えてやろうと思っていた。
けれど――。
「……先に死ぬのは、反則だろ?」
こうなることが分かっていれば、あんな別れ方はしなった。
命は無限ではない。
今日の命は、明日の命を決して保証してはくれない。
その教訓は、戦争で散々味わったはずの苦渋故、理解しているはずだった。
けれど、まさか。
あいつが。
「……」
虚ろな眼差しで、手のひらを見つめる。
滲んだ血が混じった、枯葉のように萎れた老人の手のひらがそこにあった。
もう、あれから二十年。
随分、歳を取ってしまった。
「……お父さん」
扉の陰からよく見知った少女の声がして、老人はそちらを振り返った。
いたのは、今年15歳になる彼の一人娘であるカノンだ。
亡くなった母親に良く似た、意志の強さが感じられる真っ直ぐな瞳が、こちらをじっと見つめていた。
「どうしたカノン、こんな時間に」
「……お父さんこそ、どうしたの?」
問われ、返す言葉が見つからない。
まさか、大嫌いだと散々吹聴していた息子が死んで項垂れているなんて、そんなことを言えるはずがない。
そのまま、男はバツが悪そうに娘から視線を逸らした。
だが、カノンはそんな父親に、何もかも分かっているような微笑みを返す。
「安心して、お父さん」
そう言って、カノンは瞳を閉じた。
彼女の決意を表すよう、拳を固く握り締め、再び瞼を開く。
その表情は氷のように冷たく、笑みは消えていた。
「……お兄ちゃんの……ジークフリードの仇は、必ず私が取るから」
遅くなってしまい申し訳ありません。
第四章、始まります!
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