57:「一件落着」
「……やっと帰ってこれたな」
ようやく視界に現れた孤児院に、俺は感慨深くそう呟いた。
ここを出た時は真夜中だったが、既に夜は開け始めており、東の空は薄青い。
帰って来るまでの間、俺達は失った二年間を埋めるように、様々なことを語り合った。
俺の言葉は話す前からイリスに伝わっているはずだが、俺の口から直接聞きたいという彼女の要望で、自分の身の上をイリスに話した。
ティアの話をする度に、『……会っていきなり妹を主張するのはどうなのよ……』と若干不機嫌そうにぼやいていたが、そのすぐ後、何か腑に落ちたように『……あ、じゃあ私も姉を主張すればいいのか……悪くないわね。……これからはお姉ちゃんて呼んでもいいわよ』と頬を赤らめながら腕を組んで来たので、俺は苦笑いを返すより他はなかった。
「……本当に、ありがとうねジーク」
「いや、たいしたことな――」
礼に対し俺が返答しようとした時、唐突にイリスの唇が頬に触れた。
虚を突かれた俺が彼女を振り向くと、イリスは悪戯っぽい表情で笑いながら、今度は反対側の頬にキスをしてきた。
俺は苦笑する。
「……なんだ、いったい」
「助けてくれたお礼。そう言えば、まだ何もしてなかったなーと思って」
「さっき顔を胸元に押し付けたのは、礼じゃないのか?」
「……あれはお説教の一環、よ」
そう言って、イリスは髪の毛をいじりながら少しだけ頬を赤らめた。
「随分至り尽くせりなお説教だな」
「……だって、しょうがないじゃない。私はあなたが好きなんだから」
俺の腕をぎゅっと掴み、身体を寄せながら、イリスは俺の耳元で恥ずかしそうに囁く。
苦笑いしながら俺は「そうだったな」と返事をした。
☆★☆
「お兄様―!」
孤児院の敷地に足を踏み入れた瞬間、目の下に少しクマの出来たティアが、俺の元へ一目散に飛び込んできた。
走ってきた勢いで俺の腰をぎゅっと掴み、それから何を思ったのか急に恥ずかしそうに顔を赤らめて、飛び跳ねるように俺から手を離した。
後からアリスに聞いた話だがみんなが寝静まった後も、入口の前で夜通し俺のことを待っていたらしい。
「……あ……す、すみません! つい勢いで……」
「俺達のことを待っていてくれたのか?」
「……は、はい……。……すみません、お兄様を信頼していると言ったのに、どうしても不安で……」
上目遣いで俺を覗きながら、ティアは瞳を潤ませた。
俺は少女を安心させようと、髪を優しく押し撫でる。
「ありがとう、ティア」
「……そんな、私は待っていただけです」
ティアが泣きそうな顔でそう答えると、横からイリスが笑いながらため息を吐く。
「いいのよ、待っているだけで。ジーク……ゼロは女の子を待たせておくのが趣味なんだから」
「それは、嫌味か?」
「……嫌味なんて言うはずないじゃない、わ、私はあなたが好きなんだから」
「さっきからそればっかりだな」
「……だって好きなんだもの」
顔を赤らめながら、イリスはボソリと呟く。
確かに大胆な愛の告白を俺に聞かれた手前、もう隠しても仕方がないのかもしれないが、こう至近距離で何度も何度も言われるとこっちが少し照れくさい。
俺が苦笑いを浮かべていると、ティアはイリスをぽかんと見つめた後、唐突に表情を蒼く染め上げた。
「え……え……す……好きとは……好きとはどういうことですか?」
「お、おい。どうした、ティア」
「そ、そ、そ、そ、そちらの方が、い、イリス様ですか?」
明らかに動揺しているティアを尻目に、イリスはまるで見せつけるように俺の腕を取った。
身体を寄せ、ティアを見下ろし、にこやかな笑みを作る。
「ええ、そう。私がイリス……好きっていうのは、多分あなたが考えている通りの意味よ」
「と、と、と、と、と、言いますと?」
「愛してる……ってこと」
「――――」
ティアはまるで魂の抜けたような顔で、口をぽっかりと開ける。
それから泣きそうな顔になり、なんとか自分を落ち着かせようとしているのか、胸の前に手を置き、震える唇で言葉を紡いだ。
「……そ、そ、そ、そうですか」
「ちなみに、どうやらこの人も私を愛しているみたい」
「え……?」
「さっき、いっぱい抱いてもらったの」
「え……?」
「おい待てイリス、それは少し意味合いが――」
確かに俺はイリスを愛しているが、それはやはり娘としてであって、少し意味合いが――そう言おうとした時、ティアの方から何かが壊れるような音が聞こえたような気がした。
「あ……あ……あ……」
ティアは顔面を蒼白にさせながら、俺達の方をがらんどうになった瞳で見つめている。
それからしばらく呆然自失の表情で沈黙したかと思うと、「お兄様がそれでいいなら、私は……私は……」と呟き、ぎこちない動作で孤児院の方へと戻っていった。
その姿を見ながら、「……少しやり過ぎちゃったかも」と独り言を呟くイリス。
さてこれからどうしようかと、俺はげんなり苦笑いを浮かべる他なかった。
☆★☆
「イリスお姉ちゃん!」
「……うわあああああああああああああん!」
「お姉ちゃん……お姉ちゃん……」
孤児院の中に入ると、俺達の帰宅に気付いた子供たちが、まるで雪崩のように押し寄せてきた。
イリスは子供たちに揉みくちゃにされながらも、一人一人優しく抱きとめる。
子供たちもイリスも皆、眦には涙を浮かべていて、俺はせっかくの再会を邪魔しないようこそっとその横を通り抜け、先に奥へと入ってしまおうとした。
「お兄ちゃん、お疲れ様」
廊下の角を曲がると、まるで俺がそう来ることを分かっていたように、アリスがにっこりと可愛らしい笑みを浮かべていた。
俺はアリスの金色の髪を優しく撫でる。
「ただいま、アリス」
アリスは俺を労うように親指を立てて、「流石はお兄ちゃん」と歯を見せて笑った。
俺が無言で笑みを返すと、アリスは何かを思い出したように「あっ」と声を発した。
「それはそうとさ……お姉ちゃんどうしちゃったの? 急に家の中に戻ってきたかと思ったら、奥の部屋で膝を抱えて蹲ってるんだけど」
「ああ、まあ……ちょっと色々あってな」
俺が苦笑いを返すと、アリスは小さな顎に手を置いて、「これは事件の匂いがするね……」と深刻そうな顔をした。
それから気持ちを落ち着けるように大きく深呼吸し、真剣な表情で俺の方を真っすぐに見つめ返す。
「ねえ……お兄ちゃん」
「……どうした?」
「……実はね、言わなくちゃいけないことがあるの」
来たか、と。
俺は海のように青々と揺れるアリスの瞳を、正面から受け止めた。
ティアとゼロは後でちゃんと仲直りするので大丈夫です。