54:「怨みの連鎖」
イリスは顔面を蒼白にさせ喚くルーシェを睨み付けながら、こちらに向かってコツコツと地下室の絨毯を踏みしめた。
扉に背中をもたれながら見苦しく尻餅をつくルーシェに、俺は喉元に剣を突き立てながら言い放つ。
「ギアスを解除する方法……それは二つだ。解除するか、殺すか」
「……ああ、そうだ……だがお前は解除も、殺しもッ……!」
「初めからお前を殺すことなど容易いんだよ、ルーシェ。だが、今回はどうしてもお前の口から話を聞きたかった。だから、こうして生かしたんだ」
「答えになってないぞッ……!」
ルーシェは瞳に様々な感情の入り混ぜながら、動揺を言葉にして吐き出す。
自分達が生きているのも関わらず、どうしてギアスが解除されてしまったのか。
苛立ちと恐怖からか、苦虫を噛み潰したような表情で、奴は歯を食いしばる。
喉元に、一筋の血が流れる。
「ギアスが発動してから実際に死に至るまでには、タイムラグが発生する。俺はその時間で、お前たちを殺すことも容易いと、そう言ったんだ」
黒服の男がこちらに向かって跳躍してきた時。
その最中、男とルーシェ丁度が一直線に並ぶ瞬間があった。
狙いは、そこだった。
直線であれば、俺の加速はギアスの発動を上回る。
「だから、答えに……ッ!」
「まだ、わからないか」
「……何?」
「この剣を見ても、まだわからないか。こいつは全てを無に帰す剣だ。今回はお前のギアス、取り除かせてもらった」
俺の言葉に反応して、ルーシェはレーヴァテインの刀身を見つめる。
薄闇の中、燦々と煌くその刃。
レーヴァテインは、全ての事象を無効化する。
故に魔法によって施されたギアスや呪いを解除することも可能だ。
最も、剣先によって相手に傷がつくことは避けられないので、普段は解除を使う。
この力を使うのは、緊急時だけだ。
「……この剣が、どうしたというんだ……そんな物に見覚えは……」
記憶の引き出しを探るように、ルーシェは独り言を呟く。
「忘れたか? いや、お前は覚えているはずだ。お前はずっと、千里眼で俺のことを見ていたのだからな」
「……何?」
「……もう、二十年以上も前の話だが、な」
俺が何を言っているのかわからないと、女の表情に混乱の色が浮かぶ。
「二十年前……だと?」
「実際会うのは初めてだな、ルーシェ」
だが、だんだんとその色は、まるで死んだ人間が生き返ったのを目の前で見たような、深い困惑に塗り替えられた。
「……まさか……お前はッ……!」
両の手のひらを床に付き、ルーシェは突然後退りをする。
道端で死神に出会ってしまった人間のように、女は顎をがくがくと鳴らしながら、瞳の奥に恐怖を渦巻かせる。
「……そんな……馬鹿な……ジークフリードは……ジークフリードは……ッ」
こちらを見上げながら、ルーシェは破れたドレスを抑え、困惑を露わにする。
「ジークフリードは死んだ……か?」
「ああそうだッ! ジークフリードは死んだ……森で哀れに……ッ!」
「残念だったな、ルーシェ。まだ……地獄に行くには早かったようだ」
「そんな馬鹿な……お前は……死んだはず……死んだはず……死んだはずだあッ!」
ルーシェが喚き声をあげた瞬間。
その声を打ち消すように、イリスの怒声が響き渡る。
「ジークが簡単に死ぬはずないでしょうが!」
背後から現れたイリスは、俺の腕を取り、胸を押し付け、身体をこちらに預ける。
それはまるでルーシェに俺達の仲を見せつけているようで、俺はその場違いな行動に少しだけ苦笑いをした。
「……イリス・ラフ・アストリア……ッ!」
「何よその目は……羨ましくたって代ってあげないから」
「小娘があ……ッ」
「ええそうよ、私はこの人の娘。あなたみたいな厚化粧のおばさんとは違うの。よくわかってるじゃない」
「……貴様ッ!」
「……あなたって可哀相ね。あなたの心……憎しみと劣等感だけで、何の思い出もなく、空っぽ。好きな人とか、いなかったの?」
「アインハルト、今すぐにこいつらを殺すの! アインハルト!」
ルーシェの悲痛な叫びは、けれど薄闇の中に虚しく吸い込まれていった。
「アインハルト! どうしたの、返事をしなさい!」
「……鎖では、人の心までは縛れない。ルーシェ、いい加減気付いたらどうだ」
「どういう意味よ……ッ!」
「……あの黒服の男……魔法で操っていたんだろう? 瞳に精気がなかったからもしやと思ったが……どうやら当たりだったみたいだ。お前が施した薄汚い魔法は、俺の剣で取り除かせてもらった。もう、お前の仲間はどこにもいない」
アインハルトという男の瞳は、明らかに意思を持っている者の眼ではなかった。
恐らく、ギルバルドが賊に矢を放たせた時のように、魔法によって操られていたのだろう。
結果は、当たりだった。
レーヴァテインを胴体に滑らせた瞬間、すぐにそれが分かった。
「……そんな馬鹿な……そんなこと、あり得ない……あり得ない……あり得ない……」
精気を失った顔で、ルーシェはうわ言のようにそう繰り返す。
既に戦意は完全に消失していて、瞳は逃れようのない現実から逃避をするように、虚空を彷徨っていた。
勝敗は、決した。
だが、まだルーシェに聞きたいことはたっぷりと残っている。
俺は糸が切れた人形のように地面にへたり込む奴に、問う。
「ルーシェ、答えろ。どうしてお前は、イリスを攫った」
「……私が負けるなんて……あり得ない……あり得ない……あり得ない……」
「答えろ、ルーシェ……黒い鷹は、イリスを連れ去って一体何をしようとしていたんだ」
「……ジークフリードが生きてた……そんなはずない……これは夢……夢……夢……」
俺は狂ったように同じ言葉を繰り返す奴の髪を乱暴に掴み、視線を合わせる。
語気を強め、放心状態のルーシェに睨みを利かせた。
その瞬間。
心ここにあらずだったルーシェの瞳に、恐怖の炎が再燃した。
瞳に涙を浮かべ、怯えに支配されたように全身を小刻みに揺らす。
「……答えろルーシェ、お前たちの目的はなんだ」
「――――ひっ……」
「早く言え」
「知らない、知らない。本当だ! 何故聖女が必要なのか、私は何も知らされていない!」
「……何?」
「ただ、大事な鍵だから手荒く扱うな、と……私が知っているのはそれだけだ!」
「本当か」
「横に聖女がいるのに、嘘など吐かない!」
俺は横にいるイリスを一瞥する。聖女は奴の瞳をじっと見つめた後、小さくこくりと頷いた。
「どうやら、嘘は吐いていないみたいよ」
「……そうか」
イリスの心眼は、心の内を読み取る。
だが、誰しもの心を完全に解読することが出来る、というわけにはいかない。
初めて会った人間の心を、完全に読み取ることは出来ない。
だが、そうであったとしても、聖女の前ではどんな嘘偽りも通用しない。
それを見越して、あえて何も知らさなかったのだろうか。
……この女も、所詮捨て駒……か。
「では、この場所は。城の中で出会った奇妙な黒い物体の正体はなんだ」
「あ、あの黒い生物は、人体実験の……失敗作よ!」
ルーシェは額に汗を滲ませながら、唇を舌で舐める。
人体実験の被検体……やはり、か。
「ここは、第一研究所で作り上げた不老不死の薬を、実際に人間に投与する実験場。あの黒い物体は、不老不死の成り損ない……哀れな出来損ないよ」
「本当か」
俺が確認すると、イリスは首肯した。
「ええ、間違いないわ」
不老不死の成り損ない。
ということは、あいつらは元人間……か。
「……面白いことにあの子たち、理性を失っているくせに、記憶だけは残っているらしかった! あなたが城門の付近で殺した子は元門番だったのよッ! 化物になっても仕事のことは忘れてなかったのかしらね! ははは、面白いでしょう!」
唇を震わせながら、ルーシェは表情を狂気で染め上げる。
俺に対する恐怖とサディスティックな本質とがごちゃ混ぜになったような顔で、叫び声を上げる。
「……下衆が」
「ええ、私は下衆よ。でも、あなたはどうなの! 戦争とは言え、罪のない人間を何万人も殺してきて、今ものうのうと生きながらえる、あなたの方がよっぽど化物なんじゃないのッ!」
「……ジークはッ!」
「イリス」
俺は前に出ようと身を乗り出したイリスを片腕で静止する。
「人を殺して何も感じないのは、化物だけだ。正解だよ、ルーシェ」
俺は剣を奴の首元に振り上げる。
血走ったルーシェの双眸は、俺をこのまま地獄に連れていくと言っているように、薄闇の中、確かな狂気を光らせている。
俺は奴を見下ろしながら、その怨みのこもった表情を、記憶に刻み付ける。
何も知らないこいつを、生きながらせておく理由はない。
――戦争が生んだ怪物は、俺がここで葬り去る。
「……恨むわよ」
俺は、剣を振り下ろした。
奴の首は俺の方を真っすぐに見つめたまま、ごろりと、床に転がり落ちた。