53:「信念の剣」
ルーシェの言葉に従って、俺はマナを切り離す。
握りしめていたブレードが、淡い光の粒となって手のひらから消える。
そんな俺の姿を視線に捉えながら、ルーシェは勝ち誇るような笑みを浮かべた。
「よくできました。そりゃそうよね。お姫様を救いに来たのに、お姫様が死んじゃったんじゃ、元も子のないもの」
全てを見透かしたような両の瞳は、薄闇の中でも奥に不気味な光を宿している。
ルーシェは俺達を嘲笑いながら、なおも言葉を紡いだ。
「……さっきは想定外の事態に少し慌てたけど……なんのことはなかったわ。あなた達は初めから詰んでいたんだもの。体内に爆弾を植え付けられたお姫様。助けようにも、私がちょっと念じれば、すぐにあの世行き……初めから、あなたが聖女様を救う道なんてなかったのよ」
俺の背後で、悔しさからかイリスは唇を噛みしめる。
細くすらりとした身体を両腕で抱き、こちらを見下すような言動を続けるルーシェをきつく睨み付けた。
だが、ルーシェはそんなイリスを一笑し、わざとらしく深いため息を吐く。
「さあ、夢の時間は終わりよ、お姫様。あんまり不遜な態度を取るなら、私はあなたを殺すわ。脅しじゃないわよ? 上からの命令なんて、私には知ったこっちゃない。私にとって大事なのは、面白いか、面白くないか」
ルーシェは鷹揚に右手を前に出す。開かれた手のひらは俺の方を指し示していた。
「お姫様の目の前で王子様が血祭りにあげられるなんて、最高に面白いと思わない?」
背後で不気味に佇む長身の男に、ルーシェは合図をするように目配せをする。
男は小さくこくりと頷き、感情が一切読み取れない凍えた瞳で俺達を見据え、ゆらりと一歩前に踏み出した。
「さあ、やりなさい。アインハルト」
次の瞬間、男はこちらに向かって跳躍した。
それはまるで、光のような速さ。
先ほどのAクラスの魔法使いと比較しても、圧倒的な初速。
薄闇を妖しく反射させる皮のコートが、風を斬って残像を作る。
どこか獣じみた冷たい双眸でこちらを見据える男の右手に、長剣が出現する。
イリスには今、ギアスがかけられている。
ギアスとは、念じた相手にダメージを与えることが出来る攻撃魔法。
呪いよりも威力は落ちるがその用法は多種多様で、対象が指定した言葉を発した瞬間、ギアスが発動するような術式を組むことも出来る。
対象者を解除すればよい呪いとは違い、ギアスはかけた張本人に対して解除を施さなくてはならない。
つまり、今回はルーシェ本人を解除しないことには、イリスに仕組まれたギアスを取り除くことは不可能。
ルーシェは先ほどから、常に俺と一定の距離を保っている。
例え俺が無理やりにルーシェの首を刈りに行ったとしても、俺が奴に到達するまでの間にギアスを発動させることが出来るという牽制の意味があるのだろう。
直接ルーシェから仕掛けるわけではなく、あえて黒服の男に攻撃させたのは、恐らくそれが理由だ。
ギアスは術をかけた張本人が死ねば、あえて解除を施さなくても相手を縛る鎖は消え去る。
呪縛を解く方法は二択。
解除を施すか。
かけた相手を殺すか。
男は剣を振り上げ、弾丸のような速さでこちらへ猛進する。
イリスを人質に取られている以上、俺に出来ることは何もない――
「――とでも思ったか?」
「……!」
迫り来る風圧を感じながら、俺は地面を蹴る。
右手に光が寄り集まり、煌々と煌く一太刀の剣が顕現する。
レーヴァテイン。
決して消えない炎を刀身に宿し、全てを無に帰す信念の剣。
野生動物のようにしなった身体が、黒服の男と交差する。
男の瞳に、初めて困惑の色が浮かぶ。
突然の抜刀に対処しようと、既に勢いづいた身体の軌道を変え、剣を振り上げる。
だが、もう遅い。
「……後悔しても知らんぞクソガキがあああああああああああああああ!」
ルーシェは男の背後で金切り声を上げる。
ギアスに縛られたイリスが苦悶を吐き出す。
俺はその声を聴きながら、男の胴体目掛け剣を滑らせる。
「……ぐッ……!」
一瞬の出来事。
男は苦悶に顔を歪め、胴体を右手で抑えながら床に崩れ落ちた。
だが、次の瞬間。
明らかに致命傷を受けたはずの身体がそれほどの損傷を受けていないことに気付き、再び困惑の色を露わにする。
俺の勢いは、なおも加速する。
瞬きを許さぬほどの時間でルーシェとの距離を削り、驚愕する女に対し剣を振り切る。
ルーシェは身体を後ろにそらし、なんとか威力を減退させようとする。
だが、もう間に合わない。
奴の身体を貫通する、レーヴァテイン。
神仏修羅。一切合切を無に帰す、信念の剣。
「……ぐッ……!」
腹を抑え込み、ルーシェは床に膝をつく。
しかし、そのすぐ後。
自身の体に大きな傷がないことに気付き、一瞬の出来事に言葉を発する時間の余裕すらなかったルーシェの瞳は、理解不能だと喚き散らす。
「……一体何をした……聖女の命が惜しくないのかお前はッ……!」
「後ろを良く見てみろ、ルーシェ」
「……ッ! どうして……!」
ルーシェの背後にあったのは、凛とした表情で立ち尽くす聖女イリス・ラフ・アストリア。
その涼しい表情に、先ほどまで浮かべていた苦悶は影も形も見当たらない。
「確かにギアスは発動したはず……ッ! 何故生きている、イリス・ラフ・アストリア!」