51:「薄汚れた両手」
「安っぽいドラマは、その辺で終わらせてもらえるかしら?」
重厚な扉の向こうから、長身の女が現れる。
背中の方にまで及ぶ光沢のついた銀色の髪を靡かせ、血のように赤いドレスに身を包みながら、全てを見透かしたような薄ら笑いを浮かべていた。
その銀の髪は、俺の腕の中にいる聖女と同色ではあるが、どこか静謐さを感じさせるイリスの貞淑な銀とは違い、銀の弾丸が吸血鬼の息の根を止めるように、辺りに明確な殺意と死の匂いを振りまいていた。
女の背後には四人の男たちが佇んでおり、そのうち一番背の高い男は、瞳に肉食獣のような威圧感を宿している。
闇の中、明らかにこちらを見下すように笑う女を睨み上げながら、俺はイリスを抱き寄せた。
「……あら、いい表情をするじゃない。生意気な男は好きよ。初めまして、聖女様を救いに来た坊や。良いシーンだったわね。囚われのお姫様を救いに来た、王子様みたいだったわ」
女は、子供はコウノトリが運んでくると信じきっている幼気な幼児に、生々しい真実を突きつけるような、そんな狂気を孕ませながら、表情を醜く変化させる。
「結界を解いて見せたり、門の前で失敗作を刺し殺したり、城の階段を怖い顔で下ったり」
まくしたてるように、女は饒舌に、聞いてもいない真実を告げる。
それは、城に来てからの俺の行動を全て把握していることを意味していた。
間違いない、やはりこいつは――ルーシェ。
光の届かない地下室。立ち込める闇の中から、俺はマナを集中させる。
「……驚かないのね。それとも、恐怖で凍り付いちゃったかしら――?」
瞬間。女の全身から、火山が噴き上げるようにマナが溢れ出す。
銀の長髪がぶわりと持ち上がり、両手に二本の短剣が出現した。
女はそのまま地面を蹴り、猛スピードでこちらへと――いや――違う。
ルーシェの全身から迸るオーラは、急速に静まっていく。
背後に佇んでいた男の一人がゆらりと身を躍らせ、俺の方へと地面を滑空した。
最も背の高い男の左隣りにいたずんぐりとした体形の、表情の薄い、肌が浅黒い男だ。
「馬鹿ねえ、わざわざ私があなたごときの為にマナを使うと思ったかしら?」
足払いをするように、男は右手の長剣で俺達の足元を滑り込むように斬り上げる。
イリスを奥に突き飛ばし、しゃがみ込んだまま跳躍すると、鋭い剣先は行き場なく虚空を彷徨った。
跳躍の最中、俺は扉側にいるルーシェと男達にも注意を払いながら右手にブレードを召喚する。
思考を、戦闘に切り替える。
瞳に、屍の山を築き上げた底知れない闇が満ちる。
ルーシェがいる以上、手加減は命取りだ。
――斬る。
冷徹な雰囲気を全身に纏い、俺は刃を握りながら、一瞬で間合いを削る。
光のない、ただ目の前の敵を殺す機械のような相手の瞳に、動揺と戦慄が浮かび上がる。
俺はそのまま敵の懐に潜り込み、有無を言わさぬ速さで斬撃を叩き込んだ。
部屋に血の雨を降らせながら、敵は扉側まで吹き飛んでいく。僅かに両の手足を痙攣させた後、男は動かなくなった。
「……どうした、恐怖で凍り付いたか?」
肩を震わせながらも、その場から全く動こうとしない千里眼の女神に、俺は冷たく言い放つ。
ルーシェはしばし沈黙した後、微かに微笑んで、合図をするように顎をしゃくった。
その瞬間。
背後にいた一人の男の瞳に、複雑な感情が入り込む。
それはこれから自爆テロを行う兵士のように、帰還を許されない者達の、決意と諦観を表しているように見えた。
何か、わけありなのだろうか。
獣のような眼光を崩さぬ長身の男と金髪の男を背後に残し、男は歯を食いしばりながら、敵地に特攻をする戦士が如く、俺の方へと滑空する。
俺はその行動に疑問を抱きながらも、構わず、剣を走らせる。
道を邪魔する者は、誰であろうと屍へと変える。
戦争中、俺はそうやって生きてきた。
そうであるから、生き残ることが出来た。
今更、敵に情けや同情などしない。
男はさっきと同様に、ものの数秒で肉塊へと姿を変えた。
銀髪の女はやはり冷たい表情のまま、肩を震わせている。
「……次は、お前の番だ」
俺がルーシェを睨み付けた瞬間、奴は肩をぞわりと震わせる。
そのまま、哄笑。
まるで策に嵌ったこちらを嘲笑うかのように、ルーシェは表情を歓喜と狂気で染める。
異様な光景だった。
既に敵は、五人のうち二人が死亡した状況。
どうしてこの状況で、笑う余裕がある。
「楽しいショーを見せてくれてありがとう、坊や」
「……どういう意味だ」
「そのままの意味よ。楽しい舞台を、美しき予定調和を見せてくれてありがとう」
女は自身の顎を撫でながら、口元に全てを見透かしたような笑みを浮かべる。
予定調和だと――まさか。
「あの二人には初めから、死んで来い――って命令してあったの。良い散りざまだったわね……特に一人目は、演技だと思えないくらい切迫した表情で……よほど家族が心配だったのかしら」
恍惚とした表情で、女は歓喜に声を震わせる。
他人の生き死にを支配する驕りと快楽に、ルーシェは悍ましく表情を狂わせる。
そこで、完全に理解した。
あの二人は、黒い鷹の構成員ではない。
あの二人は――。
「無関係な人間を巻き込んだのか……ッ!」
「あら、ようやく気が付いたの? そうよ。あの二人は私達の仲間じゃないわ。あの二人はね、ついこの間見つけた、私の玩具。家族に鎖を埋め込んで、無理やりここに連れてきた、私の忠実なペット。死んで来い、って命令に背いたら、呪文が発動するように仕込んでね。よかったわね、坊や。あの人達の家族を守れて」
――さあ、演技は終わりよ。
ルーシェは右手を払う。
長身の男を残し、背後にいたもう一人の男が、こちらに向かって猛列な勢いで突き進む。
金色の髪を押し上げるその姿は、まさに弾丸。
薄暗い闇の中、残像を残し、稲妻のような速度で俺の命を刈りに来る。
さっきまでの生温さは、微塵も感じられない。
実力は、間違いなくAクラス。
俺は、そう確信した。
「どうしたの、ショックで動けなくなった? 坊やに“本当”の人殺しは早かったかしら?」
棒立ちを続ける俺に、女は蔑むような言葉を放つ。
距離を詰め、目の前に金髪の男が迫る。
両サイドを刈り取った髪型をしている男は、短く――
「――じゃあな」
と鼻で笑い、俺の右肩を目掛け、剣先を振り下ろす。
ルーシェは、もう戦いは終わったと言わんばかりに、髪の毛を指でくるくると遊ばせている。
この世界全てが、緩やかに静止していく。
敵の動きが、ルーシェの勝ち誇った表情が、表情を変えぬ奥の男が。
全てが一枚の静止画のように、止まって見えた。
そして、次の瞬間。
全身の肉という肉が切り刻まれるような音が弾ける。
紛れもない、断末魔。
豪奢な一室に、細切れになった人間の塊と、不気味な血の川を走った。
「ルーシェ……お前は少しも変わらないな」
瞳に怒りと哀れみだけを写し、俺は女を殺意の眼差しで射止める。
敵同士を戦わせほくそ笑んでいた魔女の姿が、脳裏にフラッシュバックする。
「……馬鹿な……」
ルーシェは肩を震わせ、今度こそ驚愕していた。
一体目の前で何が起こったのか、全く理解出来ない。
その表情は、物語る。
「ショックで動けなくなった、だと? ……ルーシェ、俺の両手はとっくに血で染まっているんだよ」
何かを守るには、何かを捨てなくてはならない。
悪魔に勝利するには、自らも修羅になるより他にない。
そんなことは、もう、嫌というほど思い知っている。
「……どうした、両足が震えているぞ?」
俺は、先からまだ生温かい血が滴るブレードを握りながら、ルーシェの方へ歩み寄る。
銀髪の女は唇を震わせ、一歩後退りした。
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