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50:「伝える」



 驚き一色に染まったイリスの瞳を、俺は微笑みながら見つめる。

 さっきまで奥に仄暗さを宿していた少女の瞳は、俺の姿を見た瞬間、鮮やかに色を取り戻した。

 くしゃくしゃになった顔から大粒の涙を滴らせながら、何が何だかわからないという様子で、イリスは唇を震わせる。


「……どぅ……いぅ……ことょお……」


 瞳の端からとめどなく溢れ出す涙は、少女の戸惑いを押し流す。

 弓なりの形の良い眉も、桜色の艶っぽい唇も、ガラス玉のような瞳も、今のイリスには、聖女と呼ばれていた頃の面影は影も形も見られない。

 そこにいたのは、凛とした美しさに人々の心を癒した聖女様というより、ただ純粋に喜びと戸惑いに声を上げて泣く、一人の女の子だった。

 

「あー……話せば……長くなる、な」


 何から話したかいいのかわからず、俺は困ったような苦笑いだけを返す。

 イリスは涙でぐしゃぐしゃになった顔で俺を見つめたまま、言葉を紡ぐ。


「ほんもの……よねぇ……? きぇたぃ……しなぃよぇ……?」


 舌足らずな言葉で、イリスは不安気にそう尋ねる。

 ひんやりと少し冷たい手のひらを俺の頬に重ね、そこに俺がいることを、必死に確かめようとする。

 

「ああ、本物だ。もう、消えたりしない」

「ほんとぅ……? ほんとに……きえなぃ……?」

 片手では物足りなかったのか、今度は両手で、イリスは俺の頬を挟みこむように撫でる。 

 涙で濡れた顔を俺の方に近付け、目と鼻の先に、イリスの艶っぽい唇。

 少女の頬は驚きと戸惑いと興奮からか、微かな赤に色づいており、至近距離で見つめられた俺は、心臓の鼓動が早まるのを感じた。


「……ああ、俺は消えない。ここにいるのは、確かにジークフリード本人だ」

「かみさぁが……さぃごのごほぉびで……あ……ぁわせてくれたとかじゃ……なぃよね?」

「……俺は、お前を助けに来た。ただ、それだけだ」


 俺が微笑みを返すと、イリスは喉を持ち上げ、何かをこらえるように唇を引き締める。

 それから、温もりを確かめるように俺の身体を両手でぎゅっと抱きしめ、肩に顔を埋めた。

 二つの柔らかな膨らみが顔に押し付けられ、少女が動く度、形を変える。


「もぅ……はなさなぃ……! ぜったい……はなさなぃ!」


 微かな痛みを感じるほど、イリスは俺を強く抱きしめる。

 部屋中に響き渡るような声で、甘過ぎて窒息しそうになるような言葉を叫ぶ。


「なにが……ぁぅても……もう……はなさないかぁ!」


 溢れ出す涙は、俺の肩を湿らせる。

 それはきっと、今まで俺が彼女に与えてしまった悲しみと寂しさで。

 

「……ごめんな、遅くなって」


 そのままイリスはしばらく、とめどなく溢れ出す涙で、俺の肩を濡らし続けた。

 声を震わせ、時折嗚咽を漏らしながら、不安と後悔を押し流すように、大粒の雨を俺だけに降らせていく。




「……ぅぅ……うぅ……どぅして私より……若くなってるのよぉ……」

 

 あれからしばらく。

 ようやく落ち着いたのか、俺の前にちょこんと座り、イリスは赤く腫れた瞼を擦りながら、そんなことを尋ねる。

 声はまだ震えていたが、それでも幼児のように泣き喚いていたさっきよりかは随分マシで、イリスは少し恥ずかしそうに俺から視線を外している。

 

「お前には見えるだろ? 一体何があったのか」

「……わかるけど……わかるけど……意味がわからないじゃない!」


 イリスは怒っているように、プイと顔を逸らす。

 けれど頬は照れくさそうに真っ赤に染まっていて、きっと、さっきの無意識な告白を恥ずかしがっているのだろうと推測した俺は、やれやれと後ろ髪を掻く。


「まあ、世の中……不思議なこともあるらしい」

「……よかったね」

「ん?」

「生きて還れて、よかったね!」


 また、イリスは怒ったように声を張り、俺から顔を逸らす。

 さっきまであんなに素直だったくせに、どうやら今は恥ずかしさと照れくささの方が勝って、あなたが還って来てくれて嬉しいと、言えないらしい。

 今更隠してもどうしようもないだろと、俺は苦笑いを返すばかりだったが、そんな少女の不器用な態度も、今では愛らしい。


「……ねえ、いつから聞いてたの?」

「ん?」

「……わ……私の独り言……」


 視線をきょろきょろと泳がせ、俺のコートの裾を、縋るようにつまむ。

 俯いて表情を隠そうとしてはいるが、少女は耳まで真っ赤に染まっており、ドギマギと揺れ動く感情が、手に取るようにわかった。


「……俺に言いたいことが、沢山ある……ってところから、かな」


 そう答えると、イリスはビクンと肩を震わせ、目を回したようにこちらに向かってうつ伏せに倒れこむ。

 俺は慌てて、少女の身体を抱きとめた。


「だ、大丈夫か?」

「……それって……全部じゃない」


 見られたくないのか、真っ赤に紅潮した顔を両手で覆い、イリスは恥ずかしさとやるせなさを吐き出すように、唸るような声を発する。

 よほど、俺に全て聞かれていたというのがショックだったらしい。

 俺は腕の中で行き場のない感情を爆発させる少女を見下ろしながら、苦く笑う。


 しばらくそうしているかと思えば――


「……ふふ……ふふふ」


 今度は身体を小刻みに震わせながら、イリスは笑いをこぼし始めた。

 俺は少し心配になって、


「イリス……?」


 彼女に呼びかける。

 けれどイリスは返事をせずに、肩の震えだけを大きくし――


「あっははは――」


 口を大きく開けて、幸せそうに笑い始めた。

 腕の中のイリスは吹っ切れたように、晴れやかな表情で俺を見つめ、


「私は、あなたが好き」


 飛び切り素直な表情で、飛び切り素直な言葉を俺に投げかける。

 虚を突かれた俺は、思わず眉を顰めてしまう。

 そんな俺を見て、再びイリスはおかしそうにころころと笑う。


「……どうしたんだ、急に?」

「いやあ、もう隠してもしょうがないなあって。全部聞かれていたのに、今更隠しても私が馬鹿みたいなだけだなあって。そんなことを考えていたら、急におかしくなって」


 幸せそうな顔で、イリスは笑う。

 少女につられ、俺の表情も自然と綻んでいく。


「……そう、か」


 少女は、言いたくても言えなかった言葉を、もう一度伝えるように。

 

「イリスは、ジークフリードが好きです」


 流れ星に願い事を三回唱える時のように、やけに早口で、やけに忙しく。


「イリス・ラフ・アストリアは、ジークフリード・ベルシュタインが好きです」


 少しだけ照れくさそうに、けれど晴れやかに笑いながら、永遠に伝えられないと思っていた思いを、言葉に乗せる。


「……三回も言うこと、ないんじゃないか?」

「世の中、やらなかったことを後悔する人は沢山いるけれど、やり過ぎたことを後悔した人はいないって言うじゃない?」

「……好きにしろ」

「うん、私はあなたが好き」


 笑顔でそう返す少女の頬は、やはりまだまだ照れくさそうに赤く染まっていて、俺はだんだんとこちらに近付いてくる気配に意識を配りながら、イリスを見つめ返す。


「……イリス、もうすぐ――」


 少女の肩を少しだけ押し戻し、俺はこれからのことを伝えようとする。

 そうすると、イリスは何もかも分かっているという表情で――


「わかってる。もうすぐ、ここに敵が来るんでしょ?」

「ああ、そうだ」

「仕方がないなあ……じゃあ、少しだけ敵に、あなたを貸しておくね。……ごめんね、ジーク……私今、力を殆ど使えないの……だから、手伝ってあげられない」


 申し訳なさそうに、イリスは頬を人差し指でかく。


「何か、あったのか?」

「ううん……ジークが死んじゃったのがショックで、魔法が殆ど使えなくなっちゃって……多分、もうそろそろ使えるようになると思うんだけど……」


 予想通りの返事に、俺は苦笑いがこぼれる。


「わかった、お前は俺の後ろに隠れていろ」

「特等席で、見てるわ……ジーク、敵はたぶん――」

「ルーシェ、だろ? 大丈夫、二分で片づける」

「本当、頼もしい。ジーク、好き」


 イリスが抱き着くように俺の胸に顔を埋めた時、固く閉ざされていた入口の扉が、ゆっくりと開いた。

 さあ、決着を付けようか、ルーシェ。



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