49:「再会 sideジークフリード」
地下の最奥。
石造りの通路が広がる地下で、木製の立派な観音扉は一際周囲から浮いていた。
まるで鳩の群れに白鳥が紛れているように、粗雑に造られた地下通路は、そこだけ別世界のようだ。
この中に、イリスがいる。
俺は、手の平を扉に思い切り押し込んだ。
魔力で開閉されているらしき扉は俺がマナを込めると、鈍い音を立てながら、ひとりでに開く。
部屋の中は明かりが点いていないらしく、薄暗い。
重厚に造られた扉に劣らず、最奥の一室は広々とした造りになっており、ちょっとしたパーティーを開くことも出来そうだった。
中央には屋根の付いた大きなベッドがどしりと存在感を示しており、十人は宅を囲めそうな長テーブルの上には、豪華な食事が置かれている。
監禁されているというよりは持て成されていると言った方が適切なほど、その一室は立派で、最悪の状況も想定していた俺は、少しほっとした。
俺は瞼を絞り、イリスを探す。
吸血鬼の瞳は、暗闇でも良く見通せる。
イリスは、すぐに見つかった。
彼女は広々とした部屋の隅っこに蹲り、何かをぶつぶつと呟いていた。
どうやら、空想の中の俺に話しかけているらしい。
……俺がいなくなったと聞いて、あいつがショックを受けているとは聞いていたが、ここまでか、と苦笑いをする。
「私がありがとうって言うの……そんなに変かな?」
膝を抱えながら顔を埋めている姿を見るに、どうやら俺に気付いていないらしい。
というより、部屋に誰かが入ってきていることにすら、気付いていないのだろう。
俺は苦く笑いながら、イリスの元へ近付いていく。
彼女の身体は綺麗なままで、少し大げさな洋服から見える肌にも、傷一つ付いていなかった。
「……そうだな。お前はいつも、ぶっきら棒だったからな。あの時は、驚いたよ」
最後に会った時から、少しだけ大人っぽくなった聖女様に、俺はそう返事をする。
どうやらまだ俺が側にいるのに気付いていないらしく、顔を埋めたまま、イリスは少しだけ嬉しそうな声色で、
「しょうがないじゃない。……世の中は、好きな人に素直に好きだって言えるような、素直な子ばっかりじゃないんだもの」
と言った。
思わず、心臓の脈がはねる。
胸の内に、今までのわだかまりを溶かすように、優しい何かが溢れ出す。
本当に、お前は……手のかかる娘だ。
「……そうだったのか。お前は……わかりにくい奴だな」
「だってさ、あなたが私のことをどう思っているのか、私には見えちゃうんだよ? 父親としてこの子を幸せにしてやろうなんて固く決意とかしちゃってる人に、女としてあなたが好きですなんて、言えないじゃない」
無意識の告白は、まだまだ続き。
俺は、思わず笑いが込み上げそうになった。
目の前に俺がいると知ったら、イリスは一体どういうリアクションをするんだろう。
すぐに伝えてやろうかと思ったが、俺が口を開くよりも先に、イリスの甘い言葉は、とめどなく溢れ出す。
「私は、あなたが好き。ずっとずっと、前から。あなたを、愛してる」
……本当に、お前は。
ずっと、確信が持てなかった。
本当に、お前を拾って……育てて正解だったのか。
俺がサクラ親子を助けたのは、もしかしたら、羨ましかったからなのかもしれない。
あんな風に、互いに通じ合える、血の繋がらない親子が。
……今なら、言える。
俺はお前を育てて、良かったよ、イリス。
「……イリス」
「……本当は幻じゃなくて、本人に伝えたかったんだけどね……でも、今が我慢する。だからもう少しだけ、私の話を聞いて?」
今すぐにでも、伝えてやりたかった。
俺はお前の元へ帰ってきたぞと、抱きしめてやりたかった。
けれど、きっとその時の俺は自分でも信じられないくらい情けない表情をしていると思って、この子にそんな顔を見られたくなかった俺は、
「……わかったよ。好きなだけ、言え」
後ろ髪を掻きながら、そう笑った。
「えっとね……本当に、私はあなたに会えて幸せです。優しくて、カッコよくて……でも、ちょっとだけ不器用で……いつも少しだけ言葉が足りない、そんなあなたが好きです」
俺もお前に出会えて、幸せだったよ、イリス。
お前は普段はぶっきら棒で、つんと澄ました顔をしているけれど、人の痛みのわかる優しい子だ。
少し言葉が足りないところもあるが……そこは、俺に似たのかな。
「いつも素直になれなくて、あなたにわがままばかり言った私だけれど、側に置いてくれて、ありがとう。……実は寝ている間に、あなたにキスしたことあるんだけど……気付いてた?」
感傷に浸っている俺に、イリスはそんな爆弾を投げかける。
俺は思わず吹き出して、笑いの止まらない顔を片手で覆う。
「……それは、初耳だ」
「そっか。気付いてると思ってたんだけど……本当に、肝心なところでいつも鈍いね」
「ほっとけ」
イリスの告白は、なおも止まらない。
「あなたは私の人生で、一番大切な人です。私にとって、ジーク以上に大きな存在になる人は、きっと、出てこないと思う。……本当にあなたのことが、好きでした」
けれど、イリスはそう言い終わってから、急に肩を震わせて――
「……言いたかったよ……言いたかった……伝えたかった。ねえ、どうして……どうして私より先に、いなくなっちゃったの?」
涙声で、そんなことを言い始める。
絨毯の敷かれた床に、イリスの悲しみを吐き出すように、大粒の涙がボロボロと零れだす。
「全部全部……ちゃんとジークに伝えたかった……。でも、言えなかった……言えなかった」
イリス、ジークフリードは、しっかり全部聞いたぞ。
だから、泣くな。
お前が泣く必要は、もうないんだ。
「……俺は、ここにいるぞ。イリス」
「ううん、もう死んじゃったの。それくらい、私でもわかってる」
力なく首を左右に振って、イリスは俺の言葉を否定する。
俺は、一体どのくらいこの子を悲しませてしまったのだろう。
……後で、謝らなくちゃいけないな。
「……お前の中のジークフリードは、簡単にくたばるような奴か? あいつは、捕まったお前を置いて地獄に行ってしまうくらい、無責任な奴なのか?」
俺はイリスに近付きながら、そう言葉を返す。
すると、少女は怒ったように肩をびくりと持ち上げ、
「あなたにジークの何がわかるの! 馬鹿にしないで! ……仕方ないの……死んじゃたんだから……仕方ないの……」
そう、愛にあふれた反論を返す。
お前が反駁している相手は、そのジークフリード本人だと知ったら、イリスはどんな顔をするのだろう。
俺は彼女の優しさに思わず笑みをこぼしながら、イリスの側までゆっくりと歩いていく。
「……もう、放っておいて……幻は、もういらない……」
間近で見たイリスは、すらりとした身体を小さく丸めていて。
背中の震えを何とか鎮めてやりたくて、俺は後ろから、彼女を抱きしめる。
イリスの背が少し伸びたことと、俺の背が少し縮んだことが重なって、最後に抱きしめてやった時と比べて腕の中は少しだけ窮屈になっていたけれど、それでもイリスはまだまだ女の子で、身体はぴったりと俺の腕の中に納まっていた。
突然抱きしめられて驚いたのか、後ろから話しかけていた時は振り返りもしなかったイリスが、驚いたように目を丸くしながら、頭をもたげる。
そして――
「……え……嘘……嘘……」
俺の方をじっと見つめながら、小さく愛らしい口を、ぱくぱくとさせる。
十九になったイリスと、いつの間にか彼女よりも年下になってしまった育ての親。
これから、説明しないといけないことが山積みだなと、俺は少しだけげんなりと苦笑いしたが、心眼のおかげで最低限の説明で済みそうだなと、思い直す。
「待たせて、すまない」
心の内が見え過ぎてしまうせいで、これまで沢山思い違いをした俺とイリスだったが、そのおかげで、こうして再会することが出来た。
さて、後はこの物語をハッピーエンドで締めくくるだけだ、な。
俺は地下への階段を下り始めた数人の気配に気を引き締めながら、彼女に笑いかけた。
「ただいま、イリス」
そして、告知です!
なんと、ゼロの大賢者の試し読み漫画がもうじき公開されるらしいです!
サイト等の詳細はまた、追ってお伝えいたします!
皆さまの応援、本当に感謝いたします!