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47:「ルーシェ」




 イリスとの想い出を振り返りながら、俺は地下を進んで行く。

 初めは一本道だった通路だが、次第に枝分かれし始め、俺は僅かに感じるマナの気配へと、足を速める。

 空気はだんだんと濁りを増しており、土と薬品が混ざったような臭いが鼻に付く。


 ここも、何かの研究所なのだろう。


 地下に降りてから何度か、打ち捨てられるように横たわる、黒い何かを発見した。

 地上で見た時とは違い、既に死んでおり、身体はドロドロに溶け、腐ったチーズのような異臭を発させていた。

 地面には黒い液体が不均等に散らばっており、のたうち回ったような跡のように見えた。


 勿論、詳細はまだわからない。

 一体あの生物の正体が何なのか、明確な答えは見つかっていない。


 この地下通路を隈なく調査すれば、何らかの回答は見つかるかもしれないが、今はイリスを探すのが最優先だ。


 ……まぁ、とは言っても、大方予想は付いているが……な。


 地下の冷たい床に横たわっていた、幾つかの死体。

 その中の、一つ。

 壁に寄り掛かるように死に絶えていた、一体。

 溶けかけたアイスクリームのような身体の中に、白い布きれが、微かに見えた。


 ……俺の予想が間違っていなければ、あの黒い物体は。


「……人体実験、か」


 風通しの悪い地下に、甲高い靴の音と、誰にも聞こえない呟きだけがこだまする。


 胸の内に微かな苛立ちを秘めながら、俺はイリスだけを目指して地下を進む。

 地下をぼんやりと照らす蝋燭の灯りは、不気味にその炎を揺らめかせていた。



☆★☆



 城に聳える塔の最上部で、銀髪の女は窓に寄り掛かりながら、唇に笑みを浮かべていた。


 その表情には、世界が全て自分の思い通りに動くことを確信しているような、驕りと自惚れが深く滲んでいる。

 薄闇の中、ひたすらにその存在感を放つ真紅のドレスは、彼女のどこか狂った美しさを病的なまでに強調しており、ある種の呪いを帯びていると言われても信じてしまいそうなほど、その赤は返り血のように悍ましい。


 ルーシェ・ディオラシ・ストリリバー

 別名、千里眼の女神。

 同盟国側の『元』英雄。

 完璧主義の魔女。


 ジークフリードの圧倒的な力を前に、ルーシェは数多の兵を、部下を置き去りにしたまま、敵前逃亡をした。

 完璧な勝利を理想とする彼女にとって、エメリアの少年との直接対決は、あまりにリスクが大き過ぎると判断したのだ。

 例えほんの僅かな可能性であったとしても、勝てない試合をするのは彼女の美学に反していた。


 ルーシェ・ディオラシ・ストリリバーに、敗北は許されない。

 理想の為なら、目の前で命がどれだけ失われようと、関係ない。

 どんな手を使ってでも、完璧な勝利のみをよしとする。


 それが、彼女の美学だった。


 世の中の全ては彼女の理想を達成するために存在するのであって、その為に自分がその美学を曲げるのは、ライオンが飢えた兎に自らの肉を差し出すようなものだ。

 彼女は、本気でそう考えてた。

 だから、彼女が逃亡したことによって部下の統率が取れなくなり、それによって幾千もの命が失われようとどうでもよかったし、たった一人の少年にすら歯が立たない部下達を嘲笑いすらもした。

 軍に身を置いているのは国を守りたいという正義感からではなく、より多くの人間を跪かせ、蹂躙し、殺したいという、彼女の欲求を満たすためだった。


 エゴにまみれた、完璧主義のサディスト。

 それが、彼女の本質だった。


 他人など欲望を満たすための餌でしかなかったし、良心など持ち合わせていなかった。

 彼女はどこまでも悪人で、どこまでも自らに正直だった。

 目の前に屍の山を築き上げることだけが、彼女の渇きを癒した。

 そして戦争は、その全てを肯定した。



 百年戦争の後半。自らの理想の為、国を捨てて逃げた彼女に待ち受けていたのは、激しいバッシングだった。

 非難。

 嘲笑。

 侮蔑。

 ルーシェは、自国を捨てた愚か者と罵られ、地位も名誉も失った。

 あらゆる者が彼女を責め、無責任な対応を非難した。



 だが、どうして自分が責められるのか、彼女には理解出来なかった。



 敵国兵士の死は喜ぶくせに、自国民の死は悲しむし、憤る。


 彼女はそんな人間のありふれた感情が、理解できなかった。

 怒りすら覚えた。

 自国だろうが、敵国だろうが、人が死んでいることには変わりない。

それなのに、立場が違うだけで、敵国民が自国民に代わるだけで、どうして愚か者共はここまで憤るのか。

 だから、殺した。鼻で笑いながら。

 自らの理想を邪魔する、うざったいハエを。


 戦後。自国を離れた彼女は、ただひたすら、ある観念に囚われた。

 ルーシェ・ディオラシ・ストリリバーに、敗北の二文字は許されない。

 ジークフリードを、自身に初めて恐怖の感情を植え付けたあの少年を、この世から葬り去る。

 

 戦後の彼女は、ただその為だけに、人生の全てを捧げた。

 黒い鷹も吸血鬼の研究も、それほど興味はなかったが、それがあの男に死を与える一番の近道であるならばと、惜しみなくその身を差し出した。

 そして、計画は成しえた。


 ジークフリードは、死んだ。

 

 直接ルーシェが手を下すことはなかったが、あの男は、確かに絶命した。

 

「……これで私を邪魔する者は、もういない」


 声を押し殺しながら、銀髪の女――ルーシェは笑った。

 ジークフリードさえいなければ、彼女は無敵だった。

 獅子が兎を狩る時すらも全力を出すように、ルーシェは例え誰が相手であろうと、調査を怠ったりはしない。


 百パーセントの勝利を確信した上で、敵を嘲笑いながら蹂躙することが、彼女の理想だった。


 今回、聖女を救うため城へ侵入してきた謎の少年。

 例の娘が寄越した、吸血鬼の少年。

 既に、調べはついている。

 カークライドの城にはある仕掛けが施してあり、敵の実力を冷静に分析出来るようになっているのだ。

 少年のマナは、いたって平凡。

 失敗作との戦闘を見る限りそこそこやるようだが、千里眼の女神にとって、それは取るに足らないものだ。

 敗北する可能性は、ゼロ。

 負けは、あり得ない。

 ……おまけに、今は例の副産物もある。

(やはり、私が負けるはずがない)

 確信した勝利。ルーシェはすらりと長い首をもたげ、天井を仰ぎ見る。


「……そろそろ、向かわれた方がよろしいのではないですか?」


 部屋の隅で完全に気配を殺していた長身の男が、いつまで経っても少年の元へ向かおうとしないルーシェに、そう諫言する。

 ルーシェは微笑みを浮かべながら、長身の男を振り返った。


「勝つだけなら、動物でも出来る。……アインハルト、人間はね、勝ち方を選べる生物なのよ?」


 ルーシェは、無邪気に笑った。

 長身の男。その瞳の奥は、底の見えない果てしない黒で染まっていた。




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