45:「二人の英雄」
城の一階部分に進入した俺は、足音を殺しながら地下への階段を探していた。
均等に配置された蝋燭の灯りが重なりながら揺れる城の廊下。
赤い絨毯を、注意を払い進む。
進入する前に探知で索敵を行ったが、どうやらこの城の一階部分には人がいないようだった。
だが、それでも万が一に備え、警戒は怠らない。
マナ探知は、人間にしか有効でないという特性があるからだ。
さっき黒い何かに俺が気付かなかった原因はそれだ。人間固有のマナを探知しているがゆえ、野生生物には機能しない。
故に人間以外の敵は、完全に目視で確認しなければならない。
蝋燭の灯りだけが頼りの夜だ。
もし俺が人間のままであれば、骨の折れる作業だっただろう。
――だが。
薄暗い城の廊下の奥を、俺の双眸が凝視する。
眼の奥に力を入れ、瞳を凝らす。
「……いない、な」
果てしなく長い廊下の突き当たりまで何もいないことを確認した俺は、ぽつりとそう呟く。
吸血鬼の特性である夜目によって、今の俺は灯り一つない夜でも、昼間のように見透すことが出来る。
注意を怠らなければ、敵に発見されることはないだろう。
「……これは」
廊下の中腹で、あるものが目に留まり、俺は思わず立ち止まる。
壁に掲げられている、精巧に描かれた家族の絵。
恐らく、カークライド家の肖像画だろう。
紳士服に身を纏った老夫婦と、息子と思しき男。そしてその妻と幼い子供が、額縁の中、幸せそうに収まっている。
「……アリス、か」
薄ぼんやりとした蝋燭の光に照らされる絵。そこでハニカム幼い子供は、髪の毛が長いことを除けば、アリスとよく似ていた。
察してはいたが、やはりあの子はカークライドの孫娘……か。
名家の孫娘が、ローラルでスリ紛いの生活。
『なんでも屋敷の主人は昔王宮に使える貴族で、賢者の補佐役をしていたらしいんですがね、まあ四十年以上前の話ですが、それで三十年ほど前に隠居して、息子夫婦と一緒にここで暮らしていた、とか』
『暮らしていた?』
『ああ、なんでも主人とその奥さんが二年ほど前から怪しげな魔術にはまったらしくてね……確か、孫が病気だったとかで……詳しい話はわかりませんが……それで、まあ、いろいろあったらしいですよ……最終的には一家は離散、あの大きな屋敷はもぬけの殻ってね……まぁ、栄枯盛衰ってやつですわ、ざまあないですね』
馬車に乗っている最中、運転手とした会話を思い出す。
病気の孫に、怪しげな魔術。
そして、吸血鬼を追う銀髪の女に、黒い鷹。
偶然のわけがない。
怪しげな魔術とは十中八九、吸血鬼に関する研究だろう。
吸血鬼の研究に、謎の黒い生物。
さて、一体この屋敷で何が行われているのか……。
まあいい。
どの道すぐに明らかになる。
☆★☆
「……やけに、静かだな」
地下への階段を下りながら、俺は先ほどから感じていた疑問を口にした。
微かに水分を含んだ湿っぽい地下の空気に、くぐもった足音だけが反響する。
マナの濃度が薄くなる故、地下への階段を発見することは、それほど難しいわけではない。
空気中に偏在するマナの密度が小さくなっている場所へ、向かえばいいだけだ。
最小の時間ロスで地下への階段を発見し、俺は壁を伝いながら、打ちっぱなしの地下通路を、下へ下へと降りていく。
あまりにも、順調だった。
順調過ぎた。
どうやらこの地下はどこからか空気が漏れているらしく、隠れの林の時とは違い、マナを探知することが可能だった。
恐らく、中に地上へと繋がる隠し通路でもあるのだろう。
空気の循環が保たれている場所であれば、地下であってもマナの濃度が一定に保たれる。
この僥倖を最大限活用するべく、俺は地下のマナを探知して索敵を行った――のだが。
「……地下に誰もいない。そんなこと、あり得るのか」
発見出来たマナは、地下の最奥から感じた微かな気配だけだった。
恐らく、一人。
俺の勘が間違っていなければ、イリスだ。
見張りも何もいない。
つまり、道中で敵に発見される可能性は、ほぼゼロ。
それは、願ってもない状況だった。
――だが。
「……順調過ぎる」
ぼおっと周囲を柔らかく照らす松明の明かりだけが頼りの地下通路で、俺は自問自答をするように呟く。
地下にイリス一人だけを放置して、無人。
見張りも置かず、不用心にも程がある。
身動きも取れないほど、よほど酷い状態で監禁されているのか……。
いや、そうだとしても、イリスはエメリアで有数の魔法使いだ。
たった一人で放置しておくには、敵にとってあまりに危険過ぎる。
一体、どういう――。
「……いや、待て」
地下通路を下りながら思案していた時、俺は不意に、ある可能性に気が付いた。
脳を駆け巡る稲妻のような電流。
それは、今までの妙な幸運に必然性を与える、たった一つのピースだった。
「そう……か」
城の見張りである門番の不在。
内部に侵入してから、一度も敵と出会わないという幸運。
地下にイリス一人だけを放置する大胆不敵な戦略。
その余りにも杜撰な敵の行動を全て合理化する、その全てを肯定する、たった一つの可能性が、確かにある。
俺は体の中心から湧き上がる高揚感を抑えるように、唇を舌で舐める。
なるほど……確かに、今までの予想を遥かに上回る幸運も、十分に考えられる。
――あの女が、いれば。
長らく脳の奥底で眠っていた記憶を、再びサルベージする。
現れる、たった一つの可能性。
ルーシェ・ディオラシ・ストリリバー。
百年戦争で、エメリア含む連合国を幾度となく苦しめた、同盟国側の美しい魔女。
別名――千里眼の女神。
通常、索敵を行う種類の魔法はない。
だが、ルーシェはその常識を覆す索敵能力を披露し、英雄の名を欲しいままにした。
敵の位置を寸分たがわず完璧に把握する常軌を逸した能力で、百年戦争の中盤、同盟国側の勝利を揺るぎないものにした、天才。
戦争の終盤。戦況を完全にひっくり返し、エメリアに勝利をもたらした少年の登場までは常勝無敗を誇った、カリスマ的軍人。
そう、か。
銀髪の女は、お前か。
確かに、あの女がこの城にいると考えると、全て納得がいく。
イリスを攫ってしまえるほどの実力と、ザル過ぎる城の警備も、何もかも説明が付く。
なるほど、つまり初めから全てお見通しだったわけ、か。
俺が結界を解いた時も、その後黒い何かを剣で突き刺した時も。
そして、姿を隠し、俺がイリスを救ったところで、部下を引き連れて現れるつもり、か。
……なるほど、確かにそれはお前が大の得意な戦法だったな。
敵の情報を何もかも把握し、相手を油断させたところで、地獄に叩き落す。
俺は地下への階段を踏みしめながら、微かに唇の端から笑みがこぼれる。
「……二十年越し、か」
恐らく、お前は俺の正体に気付いていないのだろう。
正体に気付けば、あの時みたいに、一目散に逃げ出すはずだ。
……言われてみると、結局お前が逃げ出したせいで、決着を付けていなかったな。
今度こそ、完全決着といこうか、ルーシェ。
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