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40:「アリス」



 扉は鈍い音を立てながら、こちら側に開く。

 けれど、ほんの僅かの隙間が出来たところで、扉の開閉は止まった。

 俺たちの方に向かって少しだけ隙間の出来た扉の奥から、幼げな声が漏れる。


「お姉ちゃんに、会いに来たの……?」


 年齢は、まだ一桁だろうか。

 こちらの様子を伺うようにドアの隙間から顔を出す少女は、小さな体を更に縮め、不安げな眼差しで俺達を覗いていた。

 もしかしたら、急な訪問で怖がらせてしまったのかもしれない。

 俺は腰を下ろし、奥にいる少女と目線を合わせ、敵意がないことを証明するような微笑みを浮かべた。

 少女はさらさらと艶の良い茶色の髪をしており、着ている衣服も清潔なものに見えた。

 どうやら、孤児院は正常に運営されているらしい。

 少女の背後にはもう何人か子供がおり、俺はその子達にも聞こえるように、少しだけ声を張る。


「ああ、そうだ。少し用事があってな」

「お兄ちゃんは……悪い人じゃ……ない?」


 どこか怯えを瞳に胎ませながらそう問う少女。

 俺はその態度に若干の不自然さを感じながらも「ああ」と返答しようとした――すると背後から


「お兄ちゃんは悪い人じゃないよ!」「お兄様は悪い人じゃありません!」


 俺が返事をするより先に、ティアとアリスが声を大にする。

 その態度に面食らったのか、扉の奥の少女の瞳が丸くなる。

 俺はやれやれと苦笑いしながら「だ、そうだ」と少女に笑いかけた。

 怯えが潜んでいた女の子の表情が、安心したように少しだけ柔らかくなる。


「俺とイリスは昔からの知り合いでな……今日は少し用事があって会いにきた。イリスは留守か?」


 そう伝えた時だった。

 再び、少女の表情が曇る。

 茶色の髪をした少女はぎゅっと唇を噛み、俯いた。


「どうした?」

「お姉ちゃんは……お姉ちゃんは……」


 少女は顔をしかめながら、まるでその先を伝えたくないというように、同じ言葉を繰り返す。

 せりあがってくる涙をこらえるようなその姿に、俺は確かな違和感を覚える。


 留守中だと思われるイリス。

 訪問者に対して露骨に怯えを見せた子供たち。

 ……まさか、な。


「……どうした。何かあったのか」


 声のトーンを低くする。

 こちらを見上げた少女の表情は、まるで何かに縋るような面持ちを浮かべていた。


「……連れて……行かれちゃったの……」

「……なに?」

「お姉ちゃん……連れていかれちゃったの……!」


 少女の叫びとともに、半開きだったドアは勢いよく開いた。

 堰を切ったように、涙がボロボロとこぼれ出す。

 心に凍えそうなほど冷たい風が吹き抜け、俺は一瞬時が止まった。

 それから、少女を真っ直ぐに見つめ返す。


「連れて、いかれた?」


 少女は俯きながら、こくりと頷く。


「お姉ちゃん……大賢者様が死んじゃったって聞いてからずっと落ち込んでいて……それで毎日お墓の前で……でもエリン達そんなお姉ちゃん見たくなくて……それで何とかお姉ちゃんが元気になるようにって色々工夫して……」


 扉の奥から、大げさに飾り付けられた玄関が目に入った。

 傷心したイリスを元気付けようとしたのだろう。

 壁には子供たちが描いたと思われるイリスの似顔絵が貼ってあり、廊下にも可愛らしい人形たちが並べられていた。


「……けど、お姉ちゃんちっとも元気になってくれなくて……元気づけるたびに、どこか寂しそうな笑顔を浮かべるだけで……毎日毎日……朝から晩まで、お墓の前でずっと泣きそうな顔をしているだけで……」


 膝をがくがくと鳴らしながら、少女は声を震わせ必死に言葉を紡ぐ。

 俺は決して聞き漏らさないように、その声だけに耳を傾ける。

 心臓の鼓動が速くなり、全身に熱く、けれど冷たい何かが駆け巡る。


「それで……ちょうど三日前……いつもみたいにお姉ちゃんが泣いていたら……急に変な人たちが訪ねてきたの……それで、それで……」

「連れて行かれたのか」

「うん……そう……」

「変な人とは、一体どんな奴らだ」

「……何人かいたし遠くからだったから、そんなに詳しくはわからないんだけど……一番記憶に残ってるのは、すっごく冷たい目をした……何もかも分かってるような目をした……銀髪の女の人……」

「銀髪の……女?」

「うん……帰る時、エリン達に向かって吸血鬼には気を付けろって……よくわからないことを笑顔で叫びながら……でもあの時のその人は……どんな化物よりも、ずっと怖い目をしていて……」


 思い出し、恐怖を再燃させたのか。

 エリンと名乗った少女は、身体をぞわりと震わせる。


 冷たい目をした、銀髪の女。

 そして、吸血鬼には気を付けろという発言。


 直感した。


 イリスを攫ったのは、路地裏で男達が語った、あの女だ。


 確たる証拠はない。

 けれど俺の中の何者かが、間違いないと、そう断言した。


「……イリスが連れていかれた先に、心当たりはあるか?」

「……わからない……その人達のこと、何も知らないし……訪ねてきたのも……初めてだったから……それで今日お兄ちゃんが来て……今度はエリン達を攫いに来たのかと思って……けどお兄ちゃんそんなに悪い人には見えなくて……」

「イリス以外は、大丈夫だったのか?」

「うん……そう……お姉ちゃんだけ……連れていかれちゃった……」


 声を上ずらせ、少女は泣きわめく。

 俺はそんな悲しい女の子を、ぎゅっと抱きしめた。

 胸の中、少女は嗚咽を強くする。

 イリスは銀髪の女に連行された、か。

 そして――


「手がかりはなし……か」


 女の子が語ったように、どうやら手がかりはないらしい。


 ……であれば、自分の思考から何とか正解を導きだすしか方法はない。

 それしか、イリスを救う手段はない。


 連れていかれたのは三日前。

 殺すつもりであれば、わざわざ連行せず、その場で殺しているはずだ。

 つまり、奴らは何らかの方法でイリスを利用しようとしていると考えて良い。


 頭の引き出しを探り、イリスが連行された場所を必死に考える。


 事件の全貌を、解き明かそうとする。

 思考のスピードを、加速させる。


 銀髪の女は黒い鷹の関係者だ。

 隠れの林に関する知識を持っていたことから、それは間違いない。

 しかし……そんな人間が、どうして元聖女であるイリスを攫う。

 黒い鷹は、いったい何を企んでいる。


「……ねえ、お兄ちゃん」


 脳内を高速で駆け巡る思考は、背後からの声で中断された。

 後ろを振り向くと、アリスがぎゅっと膝を握りしめながら、静かに立っていた。


「……アリス……ちゃん?」


 真剣な表情でこちらを真っ直ぐに見据えるアリスを不審に思ったのか、ティアは少女に呼びかける。

 けれどアリスは振り向かず、俺の瞳を見つめ続けた。


「お兄ちゃんにとって、イリス様は……いったいどんな人だった?」


 質問の意図が、掴めなかった。

 場違いだと、思った。

 だが、アリスの表情は全くふざけている様子ではなく、俺は記憶の中のイリスを思い出しながら、少女の問いを真摯に受け止めた。


「……わからない。けど、絶対助けたいと、今はそう思ってる」

「そう、か」


 アリスはやっぱりそう来たか、と言いたげな笑みを浮かべた。

 それから二歩ほどこちらに歩みより、ゆっくりと、小さな口を開く。


「イリス様はね、多分カークライドのお城の中にいると思う」


 イリスは、カークライドのお城の中にいる。

 アリスは、俺を真っすぐの見つめながらそう言った。

 カークライドの城はここに来る途中、森の中で見た城だ。

 俺たちの間に、沈黙が流れる。


「……それは、確かか?」

「うん、多分。……あ、お兄ちゃん……どうしてアリスが知っているのかは、まだ聞かないで。……必ず、話すから」


 アリスは今にも泣きだしそうな顔で、俺に笑いかけた。

 膝はがくがくと震えていて、声にも全く力がない。

 どうして今は言えないのか。

 真意は、掴めなかった。


 けれど。

 アリスが必死に。

 俺の為に。

 何か自分の中の決して触れられたくない領域に自ら足を踏み入れたことだけは。


 確かに伝わった。


「わかった。……お前を信じよう」

「うん……ありがとう」


 いつの間にか、黄昏の空に重たい夜が降りてきていた。

 俺は不機嫌な空を見上げながら、ゆっくりと息を吐く。


 墓の前でずっと泣いてた……か。

 あいつ、嬉しいことを、してくれるじゃないか。

 娘を泣かせてしまうなんて、そんなに悲しませてしまうなんて。

 ……父親失格だな。


『親みたいな顔をしないでよ!私は、そんなことあなたに望んでない……!』


 最後の日。イリスと交わした言葉が過る。

 ……親みたいな顔をしないで、か。


「だったら……俺はいったいどういう顔で、お前に会えばいいのかな」


 ポツリと、呟く。

 背後から、元気なアリスの声がした。


「……お兄ちゃんはお姫様を救いに来た、王子様みたいな顔をすればいいんだよ!」


 目を丸くして、後ろを振り返る。

 笑顔で親指を立てるアリス。

 やりきれないような表情で笑うティア。


 俺は胸の底に暖かいものが広がるのを感じつつも、ふっと苦く笑った。

 それからもう一度夜空を見上げ、不機嫌な空を睨みつける。



「ティア……アリス……少し、ここで待っていろ――すぐに、戻る」




遅くなってしまいました……!

次回の更新も一週間以内にはします……!

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