4:「目覚め」
「お目覚めですか!」
これは、夢だろうか。
俺は、死んだはずだ。
吸血鬼の娘を助けるために、自らの血液を、全て差し出したはず。
それなのに。
どうして目の前に、少女がいるんだ。
「よかったです、目が覚めて…!」
少女の目は、涙で潤んでいた。
俺の身体にまたがりながら、よかったよかったと繰り返す。
……やはり、少し重い。
「……すまんが、どいてくれないか」
喉の調子が悪いのだろうか。
耳に響く自分の声が、いつもと違うように感じられる。
普段は、もう少し深みのある俺の声。
どういうわけか今日は、いつもよりだいぶ高い気がした。
例えるなら、そう。
変声期が終わってまだ日が浅い、十代半ばの少年のような声だ。
「あわわ、申し訳ありません!」
転がり落ちるように俺から降りる少女。
目をきょろきょろと泳がせ、的を射ない言い訳を繰り返す。
「あの、その、眠っておられる間に、身体を使って温めていたのです。その、決して変なことをしていたわけでは」
何故か、顔は真っ赤に染まっていた。
俯きながら、上目遣いでこちらを覗く。
「……いや、そんなことはどうでもいい。一体何が起きたのか、そっちを説明してくれないか……俺は、死んだんじゃなかったのか」
少女はこほんと咳をした。
それから「気を確かに聞いてください」と前置きする。
まるで、患者に余命宣告をする時の医者のようだ。
「……私の命の恩人様。あなたは、吸血鬼になってしまったのです」
「は?」
吸血鬼になった。
一体、どういうことだ。
俺は死なず、吸血鬼になったということか。
何故。
予想だにしなかった告知。
思考の整理がつかない。
俺は立ち上がった。
急いで、身体を確認する。
鏡がないので正確にはわからない。
だが、肌艶が多少良くなっていることを別にすれば、いつもの俺の身体だった。
……いや、違う。
普段より、手が、足が、指先が、ひとまわり小さくなっている気がする。
気のせいか?
「驚かれるのもわかります。私としても、これは完全に予想外でした」
落ち着きを払った、少女の声。
いや、待てよ。
そう言えば、聞いたことがある。
吸血鬼は血を吸った人間を、吸血鬼に変えてしまう力がある、と。
「……血を吸った者を吸血鬼に変えてしまう力がある、か」
確かめるようにそう問うと、少女は小さく首を縦に振った。
肯定、だ。
「その通りです。ただ、本当にぎりぎりでした。私は、吸血鬼としては半端者です……あなたの目が覚めない可能性も、十分にありました」
吸血された人間が、誰しも吸血鬼になるわけではない。
俺が生き残れる確率は、5パーセント以下だった。
少女はそう付け足す。
なるほど……昔、腐れ縁の聖女に貰った加護。
あれのお陰かな。
俺は、苦笑いした。
「それと、実はもう一つ伝えなくてはいけないことが」
「なんだ?」
「……あの、どうやら若返っておられるようなのです」
「は?」
「初めて会った時も、渋くて素敵でしたが、こっちも……は!私は一体何を言っているのでしょう!」
少女はポコポコと、自分の頭を叩く。
若返っただと。
そうか……さっきから感じていた違和感は、それか。
一回り小さく感じる身体。
そう言えば、随分と体が軽い。
「……おそらくですが、私を通して吸血鬼の血が体内に入り、細胞が活性化され、若返ったのだと思われます」
なるほど。
吸血鬼の血には不老不死の力があるとは聞いていたが。
若返りの作用もあるのか。
「髪の色も、変わっているようです。前は美しい金髪でしたが、今は真っ黒になっています」
そう言えば。
視界に現れる髪の雰囲気も、いつもと違う。
暗くてはっきりとはわからないが、なるほど、髪の色が変わっているのか。
「それも、吸血鬼の血と関係が?」
「……はい、人が吸血鬼になる時。血を吸った吸血鬼の外見的特徴を引き継ぐと聞いています。今回は、私の黒髪を引き継いだのでしょう」
「吸血鬼は皆、黒髪なのか?」
「いいえ、一口に吸血鬼といっても、多種多様です。金髪もおれば、銀髪もおります……そこは、人と一緒ですね」
今回は、偶然この子が黒髪だっただけ、か。
「今、私達には同じ血が通っています……。言うならば、私達は兄妹」
少女は俺の胸筋に、そっと掌を這わせる。
目を閉じて、柔らかな身体を俺に預け、囁く。
「……本当に、生き残ってくれて、ありがとうございます」
ぬくもりを、命ある証を確かめるように、少女は俺の胸に顔を埋める。
よかった。よかった。
何度も何度も繰り返す。
「……そう言えば、自己紹介がまだでした。私はティアと言います。あなたの、名前は――」
その時だった。
ズドンと。
俺たち2人に横槍を入れるように。
けたたましい銃声が鳴り響いた。
銀の弾丸は、俺たちの真横にあった木の幹を抉る。
メキメキと音を立てて、真っ二つに倒れる樹木。
「……なんだ、仲間が1人増えてやがる。そのガキも吸血鬼なのかあ、お嬢ちゃん?」
黒の外套。
深く被ったフード。
右手には、ライフル。
闇の中から現れたのは、見るからに怪しい男。
「……そんな、結界を張っておいたのに……」
白い肌が、青ざめる。
男を見つめ、小刻みに震えだすティア。
胸元にあった傷。
血だらけで倒れていた少女。
右手のライフル。
吸血鬼を殺す、銀の弾丸。
パズルのピースが符号する。
形作られる、一枚の絵。
「……なぁ、もしかして、お前が倒れていた原因は……こいつか」
俺の腕の中。
怯えきった瞳で震えるティアは、静かにかぶりを振った。
「……この男は、凄腕のヴァンパイアハンター……逃げましょう……早く……!」
少女は小さな手で、俺の腕を掴む。
早く早くと、表情を不安と焦り、恐怖で染め上げ急かす。
そう言えば、聞いたことがある。
吸血鬼の生存を信じ、未だに彼等を追っている人間が存在する、と。
胸の底に、ふつふつと怒りが湧いてくる。
集積される、マナ。
以前の自分とは、比べ物にならない。
これが、全盛期の身体か。
腹に刻まれた呪印は。
ギルバルドに敗れた証は。
一瞬で消え去った。
俺は、首を横に振る。
「少し、確かめておきたいんだ」
「……えっ?」
射殺すような眼差しで、俺は男を睨みつける。
ハンターは薄気味悪く、ニヤリと笑った。
「――自分が今、どれくらい強いのか」