39:「休息」
「訪問者だ!ドアを開けてくれるか?」
俺は木製のドアをノックしながら、建物の中に向かって声を張った。
内部の人間にしっかりと自分の存在が伝わるように、大きな声を出したので、中の人物には間違いなく俺たちの存在が伝わる――
――はずだったのだが。
「……」
返ってきたのは、空しい沈黙だけだった。
「……誰も、出ませんね」
横でティアが怪訝そうに首を傾げる。
夕焼け空はだんだんとその濃さを増し、太陽の光を鈍くさせる。
ドアをノックしながら声を張ったつもりだったが、返ってくるのは沈黙だけだった。
中からは、こちらに向かって歩を進めるような足音が、全くしない。
つまり、中の人間は誰も俺たちに反応していないということだ。
一体、どうしたというのだろう。
ここにイリスが住んでいるということは、さっき俺の墓が建てられていたことから間違いない。
イリスは今、どこかに出かけているのだろうか?
仮にそうだとしても、さっき外から見えたように、少なくとも今中に二人の子供たちがいるはずだ。
その子達が扉を開けてくれてもいいように思える……が。
いや、寧ろイリスが留守ならば、扉を開けないのが自然……か。
この山奥に、元聖女のイリスが住んでいることは、俺以外知らない。
であれば、俺以外で訪ねてきた人間などいないのだろうと推測するのが理にかなっている。
もしかすると、突然の訪問者に驚き、どう対応していいのかわからないのかもしれない。
「……俺はイリスに用があってきた! 怪しい者じゃない、彼女に会いに来ただけだ!」
ノックをしながら、もう一度声を張る。
けれど、やはり中からは、沈黙しか返ってこなかった。
俺はやれやれと肩を竦める。
勿論力づくで開けることも出来るが……。
仕方がない、か。
「……ティア、アリス、すまん……ここで一緒に、扉を開けてくれるまで待ってくれるか?」
俺は扉の半歩前にあった岩に座り込み、二人に苦笑いをする。
無理やり扉を開けることも出来るが、相手は親を失った孤児院の子供たちだ。
怖がらせてしまうのは、避けたかった。
中にイリスがいるのかいないのかははっきりとはわからないが、仮にいる場合。
こちらの様子が見える窓などから俺達の姿を確認しに来るだろうし、仮にいない場合でも、すぐに帰ってくるだろう。
状況的に、イリスはたった一人で孤児院を営んでいるはずだ。だとすれば、何日も用事で建物を離れるとは考え辛い。
どの道、待っていればそのうち扉は開くだろう。
イリスのマナを探知すれば中にいるかどうかは把握出来る……と思ったが、あいつと最後に会ったのは二年前だ。マナの探知は、最近顔を合わせた人間にしか使えない。体内のマナは、ある一定の期間で全て入れ替わってしまうからだ。
だから、今俺があいつの居場所を察知出来る方法は、ない。
やはり、待つしか方法はなさそうだ。
ティアとアリスはそんな俺の意図を汲んでくれたのか、笑顔で「はい!」「うん!」と返事をした。
「お兄様と一緒なら私は何時間でも何日でも……!」
「アリスも待てるよ……!」
二人は瞳に光を灯しながら、きらきらと俺を見つめた。
胸に暖かいものを感じ、俺は微笑みを浮かべた後、そんな二人の髪を両手で押し撫でる。
一瞬表情を崩した後、ティアとアリスは気持ちよさそうに目を細めた。
「お兄ちゃんの手って……なんだか優しいね。やっぱり男の人だから骨ばってて触ると固いし、ちょっとごつごつしてるんだけど頭を撫でられるととすっごく気持ちいい。なんでだろ……とっても温かいからかな……?」
アリスは俺の手を両手で軽く掴み、じっと俺を見上げた。
真っすぐにこちらを見つめる純粋な疑問に彩られた少女の瞳に、俺は苦笑いを浮かべる。
俺の手が優しい……か。
悪いがアリス、それは間違いだ。俺の手は、血で穢れている。
今自分が握っているものが、血塗られた手であることに気付いていない少女の飾らない感想を、俺は心の中で否定した。
俺の歴史は、殺しの歴史だ。
百年戦争――ある小国の皇太子が観光先の国でスパイ容疑で投獄、そして死刑になったことをきっかけに起こった、世界規模の戦争で、俺は数えきれないほどの兵士を殺してきた。
自分の国を……エメリアを守るために、俺は自らの手を血で染めた。
……勿論、それに関してなんの後悔もない。
自らの手を汚さず、綺麗なまま誰かを守れるなんて、そんなおとぎ話を信じるほど、俺の頭はお花畑ではない。
過去も今も、俺は自分の信念に従って行動し、そして自分が感じたままに行動するだけだ。
ある意味で、ものすごくワガママな人間なのかもしれない……な。
自分の手のひらを見て、俺はふっと苦く笑った。
「お兄様の手は、優しい手です……お兄様がご自分でどう思っているのかは知りませんが……私は、そう思います」
ティアは俺の手のひらを優しく握りこみ、瞳を真っすぐに見据えながらそう断言した。
まるで俺の心を読んだようなその言葉に、俺は一瞬イリスの幻影がティアに重なり、ハッと瞼を押し上げる。
そう、だ。
こういう風に心を当てられることが、あいつと一緒に暮らしていた時、よくあった。
「……俺の考えていることが、よくわかったな、ティア……心眼を持っているわけでもないのに」
「お兄様の考えていること、なんとなくわかるようになりました」
「お前も、イリスと同じように高いレベルで鑑定魔法を使えるのか?」
俺がそう問うと、ティアは照れくさそうにハニカんだ後、左右にゆっくりと首を振った。
「いいえ、とてもじゃありませんが、私はイリス様みたいな技は使えません……これはきっと、愛の力です……!」
「……愛の……力?」
「はい……あの……なんていうか……その……自分が気になっている人のことは、もっと知りたいと……思うじゃないですか……そういう風にずーっとその人のことを考えていると……なんだかその人の考えていることが分かるようになる……気がするんです」
ティアは恥ずかしそうに顔を赤らめ、目線をキョロキョロと動かす。
「……もしかしたら……鑑定魔法の力なんかじゃなくて、それはイリスさんも――」
――ティアが誰にも聴こえないような小さな声で、ポツリと何かを言いかけた時だった。
唐突に、さっきはうんともすんとも言わなかった木製の扉が、鈍い音を立てながら、開いた。
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