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35:「黒い何か」



「……え、この山に入るの……?」


 運転手に行き先を告げ、ローラルを出発してからしばらく。

 山の麓に差し掛かったところで、アリスは不安げに顔をしかめた。


「そうだが、何かあるのか?」


 運転手がさっき教えてくれたところによると、この山はガロウ山というらしい。

 頂上へ向かうにつれて岩肌が露出し、ごつごつとかなり揺れるらしいが、生息している動物たちは比較的温和で、襲われる危険も少ないという。


 この山を越えるとサンドバル平原という場所に出て、そこから見えるラザロ山の山頂付近にイリスは住んでいる。

 イリスの元へ向かうのに必ずこの山を越える必要はないが、ここを通るのが最も早く辿り着くルートだ。


 俺がアリスを覗きこむと、幼げな少女は小さく唇を動かす。


「……いや、大丈夫……変なこと言ってごめんなさい」

「そうか? だったらいいんだが」

「うん!」


 隣に座っている少女は、わざとらしくにかっと笑う。

 葉っぱの間から差し込むちらちらとした太陽の光に照らされる、少女の笑顔。

 けれどその笑顔は、悲しい過去に無理やり蓋をするような、本心を隠す作り笑いのように見えた。


 ……昔アリスはこの山で、何かあったのだろうか。

 俺もティアも、アリスの過去を知らない。

 俺たちと出会う前、賊の元で一人苦痛に耐えていた少女。

 金色の髪に、青い瞳。


 必ずというわけではないが、エメリアにおいて貴族など高貴な家柄の人間は、金髪碧眼である場合が多い。

 いったいアリスは、どういう経緯でローラルまでたどり着いたのだろう。


「……なあアリス」

「ん、何お兄ちゃん?」

「……いや、なんでもない」

「んー?」


 頭にはてなを浮かべ、愛らしい少女は不思議そうに首を傾げる。

 なあ、アリス……お前は何がどうあって、ローラルでスリなんてやっていたんだ。

 さっき親御さんはいないと言っていたが、何かあったのか。

 そう聞こうとして思い返し、疑問をのどの奥に仕舞い返したのだ。


 人には言いたくないことの一つや二つあるものだ。

 だったら、アリスから語ってくれるのを待とう。

 小首をかしげるアリスをよそに、青い青い空を見上げ、俺は目を細める。

 そうしていると、ティアがこちらを見上げながらふふっと笑った。


「お兄様は……優しいですね」

「俺は何も言っていないぞ、ティア」

「……ふふーん。そういうことにしておきます」


 体をこちらにもたれ、ティアは楽し気に鼻歌を歌う。

 少女の柔らかい体は少しだけ熱っぽく、

 山のひんやりした空気に冷えていた体温が少しだけ上昇する。

 それから、なぜかアンニュイな表情を覗かせ、独り言のようにぼそりと呟く。


「……でも、本当は私に一番優しくしてほし……」

「何か言ったか?」

「ああ! また心の声が! い、いえ、聞かなかったことにしてください!」

「そうか? ならいいんだが」


「お客さんたち、この先は揺れますんで、少しだけ注意してください」


 前の方から、馬のたずなを引く男の忠告が響く。

 そのすぐ後、ガクんと前後に馬車が大きく揺れる。

 ティアとアリスはびっくりしたのか、きゃっと小さく叫び、真ん中に座っている俺に抱き着いてきた。

 俺の腹にぎゅっと両手を絡ませ、体を寄せる少女たち。


「わりと揺れているが、大丈夫なのか?」

「へい、問題ありません。単に馬が歩き辛いだけなので、ここを通る時はいつもこんな感じです」

「そう、か」


 顔を俺の腹に埋めながら、頭を押し付けるティアとアリス。

 アリスはまだ小さいからそういう行動を取るのもわからなくはないが、ティアも揺れが怖いのだろうか。

 確かにそこそこ揺れてはいるが、ここまで反応するほどだろうか。


 ……怖がりな女の子だな。


 そう思い、もぞもぞと腹に突っ込まれた少女の黒髪を上から覗いていると、こっそりと盗み見るように顔を上げるティアと目が合った。

 一瞬ちらりと見えたティアの顔は、明らかに揺れを怖がっているようなものではなく、

 どちらかといえば、ニヨニヨと小さな夢が叶ったような嬉しげな表情をしていた。


「はっ!」


 隠し事が見つかったような顔で、少女は再び顔を埋める。


「楽しそうだが……どうかしたのか?」

「……揺れ、収まりませんねー……」


 俺の脇腹に顔を埋めたまま、誤魔化すように少女は呟く。


「揺れは収まらないが……なあ、ティアお前本当に揺れ、怖いのか?」

「がたがた言ってますねー……」

「おいティア……」


 あえて俺の問いを無視するようなティア。

 なんとなく不審に思ったが、本人が言いたくなさそうなので、俺はそれ以上追求しないことにした。


「……お兄様の体温……匂い……好きです……」

「お客さん、いいものが見えますよ」


 ティアのこもった声が微かに聞こえた時、運転手はこちらを振り返る。


「いいもの?」

「へい、右手をご覧ください」

「……あれは……城……か」


 運転手が指し示す方向に見えたのは、森の中に聳える大きなお城だった。

 木々に覆われていて全貌を把握することはできないが、天を突くようにとんがり屋根の先が顔を出しており、立派な家であることがわかる。


「あれはカークライド家という、この変じゃちょっとばかし有名だった貴族の屋敷なんですよ」


 カークライド家……そう言えば聞いたことがある。

 確か、ルイス・カークライドという男が数十年前賢者の補佐官(賢者に次ぐポジション)だったはず。

 今生きていれば八十歳くらい、か。

 俺が王宮に入った頃には既に退任した後だったが、名前だけは聞いたことがある。

 なんでも、度が過ぎるほど真面目な男で、

 魔法の才能は大したことがなかったが、国を良くしようとする確かな志を持った人物であり、その熱意を買われ補佐官にまで出世した、と。


「なんでも屋敷の主人は昔王宮に使える貴族で、賢者の補佐役をしていたらしいんですがね、まあ四十年以上前の話ですが、それで三十年ほど前に隠居して、息子夫婦と一緒にここで暮らしていた、とか」

「暮らしていた?」

「ああ、なんでも主人とその奥さんが二年ほど前から怪しげな魔術にはまったらしくてね……確か、孫が病気だったとかで……詳しい話はわかりませんが……それで、まあ、いろいろあったらしいですよ……最終的には一家は離散、あの大きな屋敷はもぬけの殻ってね……まぁ、栄枯盛衰ってやつですわ、ざまあないですね」



――悲惨な話の内容とは裏腹に、運転手が嬉し気にそう語った時だった。



 突然、馬たちは怯えるように声を上げ、馬車は急停止する。

 ガクンと大きく揺れる馬車に、こちらを振り返りニヤニヤと顔をにやける運転手の表情が歪む。


「……なんだいったい……って……え?」


 前に向き直った運転手は、間抜けな声を上げる。


 それはそうだろう。


 男の目の前にあったのは、

 森の木々たちの間から、俺たちの前に突然飛び出してきたのは、



「……おう……おう……おう……」



 呻くような声を発しながら、こちらに敵意を露わにするそれは、

 体の表面がドロドロに溶けた、辛うじて熊のような形をした


――生物とはとても言えないような、黒い何かだったのだから。



「……え、な……おい!」

「お、お兄様……!」

「お兄ちゃん!」



 黒い何かは体を左右に揺らしながら、こちらに向かい進んでくる。

 さっきまで顔を埋めていたティアとアリスは、瞳に怯えを露わにしながら、俺の名前を呼ぶ。



 なんだこの生き物は……こんな生物、見たことがない。



「……ちょ……おま……こっちに来るな! お、おい……!」



 黒い何かは運転手を掴み、持ち上げる。

 突然の出来事に恐怖で全身を震わせる男は、

何とか謎の生物から逃れようと、でたらめに魔法を放つ。



「……うおおおおおおおおおおおおお離せえええええええ!」

「……おう……おう……おう……」



 しかし、その魔法はまるで効いていないようで、うめき声をあげながらも、

 黒い何かは全く動じている様子がなかった。


 ……仕方がない、な。



「おい、あまりデタラメに打つとティアとアリスに当たる。……死にたくなかったら打つのをやめて、少し、頭を下げろ」

「……え? あんた……って」



 一瞬表情に希望を覗かせた男の顔が、みるみる絶望に変わる。



「お前半人で、おまけに吸血鬼じゃないかよ……! そんな奴がどうやって俺を助けるって言うんだ! くそっ……まさかグルか! この変な黒いのと……!」



 醜い豚のように喚き散らす男。

 憶測を語り、怒りに体を震わせている。

 こんな状況で鑑定、か。

 他にすることがあるだろうに。


 まぁ、侮られるのは慣れっこだ。

 今更腹も立たない……が――



 ぱっくりと、大きな口を開ける黒い物体。

 牙のような何かを覗かせながら、男の頭部に噛り付こうとする。


 

――目の前で死なれるのは、後味が悪い。



「う……おおおおおおおおおおおお!」

「……早く頭を下げろ」

「くそっ……俺は騙されねえからな……魔法が使えないのにどうやって俺を助けるっていうんだ! ファイア!!!!!!!!」



 迫りくる黒い物体の牙に、なおも無駄な抵抗を続ける男。


「……くそっ……効かねえ……!どうなってやがる……!」

「……いいから早く頭を下げろ!!!!!!!!!!」

「っ……!」



 気迫に気圧されたのか、びくりとして男は頭を下げた。

 ……よし。


 ブレードを顕現させる。

 右手に現れる魔法剣。

 俺は勢いよく地面を蹴り、黒い何かへ向かって矢のように突き進む。

 高速で流れていく景色。



「……消えろ」



 黒い何かに、刀身がぶつかる。

 ドロドロとしているが、意外に中は硬いようだ。

 なるほど、確かに生半可な魔法では歯が立たないだろう。


 ……だが、いくら硬くとも俺には関係ない。


 そのまま力で押し切る。

 一瞬で真っ二つになる、黒い何か。



「うご……おおおおおおおおおおおおおお!」



 断末魔のような悲鳴を上げる何か。

 全身をゼリーのようにドロドロろさせた何かは、二つに分かれうねうねと地虫のように地面を這いつくばる。


 どさりと、地面に落ちる男。

 何が起きたのかわからないという風に力の抜けた瞳で、こちらを見上げた。


「……す……すげえ……何がどうなって……化物を一瞬で……あ……あんた、半人じゃ……い……いったい……」

「……余計な詮索はするな。早く馬車を出せ」



 俺がそう言うと、男はびくりと肩を震わせ「は、はい!申し訳ありません!」と叫び、

 足がもつれそうになりながら、馬車の方へ駆けた。


 



申し訳ありません。

投稿予定日を勘違いしておりました。

(15日を16日だと……)


次回の更新は、1月22日になります。

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