32:「男の子(女の子)」
血生臭い死体の転がる路地。
それを出て少し歩いたところで、
俯きながら歩いていたティアはふっと顔を上げ、俺の袖を引っ張った。
何か言いたげなティアの瞳が、じっと俺を見つめている。
「どうかしたのか、ティア」
「あの……あの子を、置いていくのですか……?」
潤んだ双眸。
優しいこの子らしい問いだった。
そうか、ティアは気付いていないのか。
俺は少女の頭を軽く撫で、目線で背後を指す。
「後ろ、見てみな」
「……後ろ?」
ティアが背後を振り返った瞬間。
人通りのない都市の外れに、子どもの叫び声が響く。
「あ、あの……お姉ちゃん……ペンダントを盗んで、ごめんなさい!」
膝に手を付きながら、大声で謝罪する少年。
さっきからこっそりと、俺達の後を付けてきていたのだ。
ティアは少し驚いたように俺の方を見上げる。
首元には、鮮やかな青のペンダントが揺れていた。
「ごめんなさいだとさ、ティア」
「後ろにいるの、気付いて……おられたのですか」
「ああ、勿論」
俺がそう返すと、ティアはふっと呆れたように笑った。
「……やっぱり、お兄様は凄いです……それに、優しい」
そうポツリと呟いた後、
ティアは手のひらをメガホンみたくして、大声で返事を返した。
「いいえー! 全然気にしてないですよ!」
屈託のないティアの笑顔を見るや否や、
今にも雨が降り出しそうな曇り空だった少年の表情は、
少しだけ明るくなった。
けれど、
まだ何か言いたげに唇を噛み、今度は俺に向かって声を発した。
「さ……さっきはあいつらをやっつけてくれてスッキリした……ありがとう……!」
「……別に、あいつらが殴りかかってきたから応戦しただけだ。お前が礼を言う必要はない……それに、最終的には自爆したしな」
「でも……凄くかっこよかった。あいつらにまた物盗んで来いって言われて……その後、その必要はないってお兄ちゃんが言って、あいつらをボコボコにやっつけて……凄く、かっこよかった」
「それは、どうもありがとう」
微笑みを返すと、少年も少しだけ笑顔を見せた。
けれど、また何か言いたげに表情を曇らせる。
言いたいけど、もし断られたらどうしよう。
そんな、想い人に告白する直前の少女みたいな表情で、
少年はこちらをチラチラと見つめていた。
彼が何を言いたいのか、手に取るようにわかった。
わかってしまった。
俺はやれやれと、拳を握りしめたまま硬直してしまった少年へと近づく。
しゃがみ込み目線を合わせ、ざっくりと切られた金色のショートカットをさわさわと撫でる。
少年は驚いたように、ふっと視線をあげた。
「……言わないと、わからないぞ」
少年は強く瞬きをする。
再び俺から視線を外し、俯く。
「……あの……その……」
「ん?」
「……頼れる人とか……いなくて……」
「そうだろうな」
「……お父さんとかお母さんも……いなくて……」
「うん」
「……」
そこまで言って、少年はまた、黙ってしまう。
「どうした、何か言いたいことがあるんじゃないのか?」
「……」
「言わないと、わからない。俺は聖女様じゃないからな、言葉にしないと伝わらない」
俺は聖女様じゃないからな、言葉にしないと伝わらない。
無意識に出たその言葉に、俺は苦笑いする。
昔。
アイウォルンの屋敷を出た後。
行く当てもなく町を彷徨っていた俺に手を差し伸べてくれた傭兵団のリーダー。
……父親代わりに俺を育ててくれた、ライル・アドリアノ。
初めて会った時、彼に言われたそのセリフ。
ああ、知らず知らずのうちに、影響を受けていたんだなあ。
あの人も、もうすぐ還暦を迎える年のはず。
随分長い間会っていないが、元気だろうか。
俺が死んだと聞いて、あの人はどう思っているのかな。
……頑固親父だったが……少しは悲しんでくれているだろうか。
まあ、あまり期待しないでおこう。
「とりあえず、言ってみろ。どんな結果になったとしても、言わないよりは……何も変わらないよりは、マシだ」
微笑みを返すと。
少年は決心したように顔を上げ、ぐっと俺の方を見つめた。
期待と不安と、決意。
様々な感情が揺れ動く青い瞳が、真っ直ぐに俺を見据える。
「あの……仲間に入れてください!」
やっぱり、言いたかったことはそれか。
言い切って、すっきりとした表情を浮かべていたのも束の間。
少年の顔に、曇り空が侵入してくる。
断られるんじゃないか。
そんな不安げな眼差しで、こちらを見る。
真っ直ぐに見つめ返し、俺は優しい笑みを作る。
「……仲間には、入れられないな」
「え……」
絶句したように、男の子は押し黙る。
俺は目にかかる髪を、優しくかき上げた。
「だが、とりあえず次の目的地までなら……着いてきてもいいぞ」
「次の……目的地……?」
「ああ、知り合いが孤児院をやっているんだ。……俺が頼めば、多分お前も受け入れてくれるだろう。俺達とずっと一緒……というわけにはいかないが、それでもいいと言うなら、ついてこい」
「……その孤児院の人は……いい人?」
「ああ、いい人だ。女の子と子供には、とびきり優しい」
少年の顔が、パーッと明るくなる。
「付いていく! 女の子と子供に優しいなら……アリスにも絶対優しい!」
少年(?)は、声を張り上げる。
……ん?
アリス……?
今、この子は自分のことをアリス、と呼んだのか。
すると、もしかして。
「……お前、もしかして女の子か」
アリスはきょとんとした顔をする。
「うん、そうだよ……?」
汚れた、薄金色の髪。
煤けた頬。
泥が付着した衣服。
青い瞳。
形の良い鼻。
……確かに。
よくよく顔を観察してみると、孫うことなき女の子だ。
金髪のショートカットに、青い瞳。
長期間ろくにお風呂にも入っていないのだろう。
頬は煤けていて、髪の毛も黒ずんでいる。
そのせいで、男の子だと思い込んでいた。
俺は今まで勘違いをしていたのか。
苦笑いをしていると、後ろからティア。
「……お兄様……もしかして、男の子だと思っていたんですか?」
振り向いて、
何も言わずに苦く笑っていると、ティアはふっと笑顔を見せる。
「お兄様にも、わからないことがあるんですね……なんだか、安心しました……けど、女の子の性別を間違えちゃダメですよ!」
「ああ、次から気を付けるよ」
「え、お兄ちゃんアリスのこと男の子だと思ってたのー!?」
「ごめんごめん」
むすっと口をへの字にした女の子の髪を撫でながら、俺はごめんと繰り返す。
アリスは物言いたげな顔をしていたが、髪を撫でられたのが心地よかったのか、
すぐに表情を明るくした。
それからコホンと畏まったように咳をする。
「……本当にありがとうございます……お兄ちゃん、お姉ちゃん。ふ、不束者ですが、しばらくの間よろしくお願いします」
礼儀正しく、俺とティアに頭を下げる女の子。
ティアは愛しい妹を見るような目で微笑みを返す。
「いいえ、私の方こそよろしくお願いしますね」
「うん!」
「俺の方も、よろしくな」
「うん!お兄ちゃんもよろしく!」
「そういやアリス……お前……俺たちは吸血鬼だが、怖くないのか?」
アリスはキョトンと目を丸くする。
「んん?どうして怖いの?だって、お兄ちゃん達はすっごく良い人じゃん。……人間にだって、あいつらみたいに悪い人はいるし、結局は本人次第、だよ!」
アリスは屈託なく笑う。
まだ幼いが……この子はとても頭が良いのかもしれない。
俺はそんな少女の髪をぐりぐりと押し撫でる。
「……お前の言う通り、だな」
「うん!」
俺の横で、ティアはとても嬉しそうに笑っていた。
☆★☆
「……本当に、お兄様は優しいですね……ますます好きになりそうです」
三人で路地を歩いている最中。
ティアはぼそりとそう呟いた。
「別に、優しくなんかない。目的地が偶然孤児院だったからな、そのついでだ」
「き、聞いておられたのですか!?」
顔を真っ赤にして狼狽えるティアを、アリスは不思議そうな顔で見つめていた。
遅くなって申し訳ありません!
そして皆様、今年も一年お疲れ様でした。
ゼロの大賢者の連載を開始したのが11月23日。
あれから、約1ヶ月ちょっと。
いやあ……月日が経つのは早いものです(しみじみ)
応援してくださっている皆様に、この場を借りて一年のお礼を言わせください。
2017年。
まだまだ拙い私の作品に付き合っていただき、本当にありがとうございました!
そしてどうか!(ここ重要です)
2018年も「ゼロの大賢者」の応援、よろしくお願い致します!
次回の更新は1月3日になります!
(今度は必ず間に合わせますっ!何度も何度も公約を破り、本当に申し訳ありません!)
最近めっきり更新ペースが落ちてしまいましたが、
1月が終われば(1月は予定が多くて……)2日に1回ペースには戻れる(はず)です!
それでは最後にもう一度。
2017年、ゼロの大賢者に付き合っていただき、本当にありがとうございました!
また、来年もよろしくお願いいたしますっ!