30:「圧勝」
「――おい、豚……その手に持っているペンダントは元々ティアの物だ。だから、返せ」
ティアの物だから、返せ。
俺がそう吐き捨てると、
憤りからか、豚はわなわなと唇を震わせ、怒鳴り声をあげた。
「誰が豚だ! 小僧っ!」
豚と呼ばれたことが、よっぽど勘に触ったのだろう。
拳を握りしめ、男は瞳に激しい怒りを滲ませる。
そのままペンダントを握りしめ、俺の方へと地面を蹴り、駆けようとした時。
水を差すように、後ろから痩せた男が素っ頓狂な声をあげた。
「……ま、待ってください兄貴!」
「なんだ!」
怒りに顔を歪め、豚は背後を振り返る。
痩せた男は興奮した様子で、朗報でも告げるように早口で喋る。
「今、鑑定してみました、その二人組吸血鬼です……!」
「なに?……ってことは」
「はい!殺して例の女の言った所に持っていけば、俺達億万長者ですよ!」
「……なるほど」
「おまけに、男の方はマナがゼロ……楽に殺せます。兄貴、これはとんだ掘り出し物に当たったかもしれません!」
「……しょうもない物しか盗んで来ないクソガキも、たまには役に立つってことか……まさか吸血鬼を連れてくるとはな……!」
俺の方を振り返り、豚は薄気味悪く笑う。
例の女?
吸血鬼を殺して持っていけば億万長者?
……一体、どういう意味だ。懸賞金でも懸けられているのか。
吸血鬼の血から、不老不死の秘薬を作る研究をしている、黒い鷹。
その親玉、ルード・ヴェルフェルム。
ティアの家族を皆殺しにさせた、張本人。
こいつらも、例の女も、その関係者か。
……いや、考えても仕方がない、か。
本人達から聞くのが、一番手っ取り早い。
ヴェルフェルムが吸血鬼を探しているのなら、いずれ俺たちともぶつかる可能性は高い。
研究所では、結局詳しいことまではわからなかった。
……吸血鬼に懸賞金を懸けているらしい例の女について聞いておいて、損はないだろう。
「……と、言う訳だ小僧……絶滅寸前の天然記念物だろうが俺達には関係ねえ……死ね!」
拳を振り上げ、巨体を揺らしながら、豚が走る。
肉に埋もれた瞼を思い切り見開く、醜い男。
瞳の奥には、ぎらぎらと野心が渦巻いている。
恐怖からか、男の子は小さく声をあげ、俺の膝をぎゅっと握りしめた。
「――大丈夫だ」
「……え?」
「死ねえ吸血鬼いいいいいいいいいい!!!!!!!!!」
マナを纏い、豚の拳が怪しく輝き出す。
見た所、単純な身体強化魔法。
それも、表面に薄くマナを張っただけの、威力の弱い魔法だ。
「はっはっはっ、すぐ死んじまったらつまんねえからなあ! せっかくの半人だ、散々痛めつけてから殺してやるよ!」
「やっちまえ兄貴!」
「吸血鬼退治だ!」
ニヤつきを崩さぬまま、迫りくる男。
なるほど。
長時間俺をいたぶろうと、あえて魔法の威力を弱くしたのか。
つまり、死なないように、手加減しているわけだ。
……俺も舐められたものだな。
まあ仕方ないか。
この姿を見てゼロの大賢者だと察することが出来るのは<心眼>持ちのイリスくらいだろう。
あまり文句は言えないな。
「そっちのお嬢ちゃんは、後でたっぷり遊んでやるからな! ぐはははは! おらあ、一番乗りだああああああああ!」
こちらに向け、真っ直ぐに飛んで来る豚の拳。
スピード、重さ、威圧感。
どれをとっても三流以下の、蚊が止まったような突き。
俺は奴の勝利を確信した瞳を真っ直ぐに見据えながら、
手のひらで、豚の拳を捕まえる。
バシンッと、拳を握りこむ音がした。
確定したはずの勝利が手のひらからこぼれ、唖然と目を見開く男。
ティアのペンダントが、カランともう片方の手から落ちる。
「……なっ……」
「散々痛めつけてから、殺すんじゃなかったのか?」
「まぐれで良い気になるな半人があああああ!!!」
凝りもせず拳を引き戻し、再び打撃を放つ豚。
纏うマナは、さっきよりも厚みを増していた。
……だが、温い。
温過ぎる。
ギリギリまで引き付け、首を捻り、躱す。
反動で男は態勢を崩し、向こう側まで突っ込む。
「あ、兄貴……!」
「畜生っ!!!」
異変に気付いたのか、
加勢しようと豚の取り巻きの二人組が走ってくる。
男の子は頭を伏せ、俺の膝をぎゅっと握りしめた。
何人いても、同じことだ。
「魔法が使えない吸血鬼の分際でえっ!!!!」
「――誰が使えないって……?」
マナを手のひらに集め、衝撃波を飛ばす。
突然光り輝く右腕に、取り巻き達は驚愕を浮かべ、
そしてすぐさま、その餌食になった。
「ぐあっ!!!」
「ぐえっ!!!!」
路地の壁に叩きつけられ、衝撃に嗚咽を漏らす二人。
半人の俺が魔法を使ったことを、未だに信じられないという様子で、
地べたを這いながら、涙目をぱちくりとさせている。
「くそっ!!!!」
勝てないと悟ったのか、豚はティアの方へ走りだす。
大方、少女を人質にでも取ろうと言うのだろう。
……全く、往生際が悪い。
迫りくる豚に、ティアは体を強張らせる。
そのままぎゅっと瞳を閉じ、唇を硬く結ぶ。
いち早く相手の意図に気付いた俺は、
奴の手がティアに届く前に、背を向けた襟を捕まえる。
反動で首が閉まり、豚は潰れたカエルのような鳴き声を上げた。
「――手加減っていうのはな、こうやってするんだ」
「あああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
手のひらから雷撃を発生させる。
豚は白目を剥きながら、断末魔のような叫び声をあげた。
ドサリと。
そのまま力なく地面に倒れこむ、太った男。
さっきまで確信した勝利に輝いていた瞳は、恐怖と絶望で揺れている。
男のそばに転がるティアのペンダントを拾い上げ、埃を払う。
よかった、傷付いてはいないみたいだ。
膝にぎゅっと掴まっていた男の子は、狐につままれたように目を丸くしながら、俺を見上げていた。
「おい、お前達」
遥かなる高みから睥睨するように、
睨みを利かせ、三人に問いかける。
男達はビクリと体を痙攣させ、怯えた目つきで俺に視線を合わせた。
「――さっき言っていた例の女とは一体誰のことだ、詳しく聞かせてもらおうか」