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3:「吸血鬼の少女」



 あれから俺は、還らずの森を彷徨い続けていた。

 日の光が一切届かぬ常夜の森。

 昼なのか夜なのか、それすらもわからない。


 一体、ここに連れてこられてから、どのくらいの時間が過ぎたのだろうか。

 太陽が昇らぬこの森では、時間の感覚が麻痺してしまう。

 それでも、おそらく一週間は経過しただろう。


 目を覚まし、兵士たちに唾を吐きかけられ、ギルバルドへの雪辱を誓った、あの思い。


 それも、今は遠い昔のことのように感じられる。


 あの後すぐ、俺はオオカミの集団に襲われた。

 ギルバルドに呪印を施され、魔力が封じられた俺は、逃げるしかなかった。

 人間の倍以上のサイズがある生き物だ。

 魔法なしでは、勝負にすらならない。


 長年の王宮生活でなまった足腰に鞭を打ち、ただひたすらに走った。


 だがこの時。

 体力の衰えに、俺は愕然とした。

 何とか逃げおおすことはできた。

 しかし、息はあがり、鉄のように重くなる足腰。


 若い頃はどれだけ動こうと、疲れとは無縁だったこの体。

 いつまでも若いつもりだった。


 しかし、そうではなかった。

 老いの苦しみは、誰にでもやってくる。

 ギルバルドに不覚を取り、森でオオカミに襲われ、俺は初めてそれを実感した。


 疲労がどっと溢れ、俺は眠ろうとした。

 たき火を起こし、木の葉をベッドに木陰で眠る。


 けれど安眠を許してくれるほど、還らずの森は甘くない。


 眠りに入りそうになる度、立ち現れる魔物の気配。

 獲物が寝静まるのを待っている、何者かの雰囲気だ。

 大方、ゴブリンかオークだろう。


 臆病な奴らは、起きている獲物には手を出さない。

 獲物が眠ってから、牙を出し、捕食を開始する。


 その瞬間。

 俺から眠るという選択肢が、なくなった。



 還らずの森に放逐され、一週間。

 最早、限界だった。


 目はかすみ、頭はぼんやりと靄がかかる。

 足腰はもうずたずたで、森の落葉を踏みしめる度、ずきずきと痛むふくらはぎ。

 飲まず食わず、おまけに一睡もせず。

 体力的にも精神的にも、限界が来ていた。


 それでも。

 俺は最後の瞬間まで、出口を探す。


 それだけは、諦めるわけにはいかない。


 俺のいなくなった王宮。

 次の大賢者は、おそらくギルバルドだ。

 あいつがレイアの側近として、エメリアを動かしていくのだろう。

 ギルバルドの目的は、わからない。

 あいつがこの国をどう動かすつもりなのか、俺には見当もつかない。


 だが、ギルバルドはレイアに矢を打ちこんだ真犯人。

 そんな奴を、あの子の傍に置くわけにはいかない。

 一刻も早く王宮に舞い戻り、真実を告げなくてはならない。


 こんなところで、死ぬわけにはいかないんだ。



 そんな風に、折れそうな自分を、鼓舞した時だった。




「……助けて……ください」



 消え入りそうなくらい、微かな少女の声。

 ふっと息を吹きかければ、飛んで行ってしまいそうなくらい。


 初めは、聞き間違いかと思った。

 還らずの森に、人がいるはずない。

 ついに幻聴が生じたのかと、自分自身を嘲笑しそうになった。



「……お願いします……助けてください」



 今度は、はっきり聞こえた。

 幻聴などではなかった。

 深いしわが刻まれた、樹木。

 薄気味悪い色の葉っぱを蓄えた、うねる木に寄りかかるようにして、

 血だらけの少女が。

 美しく長い黒の髪をした少女が。


 漆黒の闇を背に、確かにそこにいた。


 ずたずたに引き裂かれた、華やかなドレス。

 露出した少女の肌には、鋭利な刃物で切り付けられたような痕。

 胸には、弾丸で打ち抜かれたような、大きな穴。

 地面に向かって、全身から血がしたたり落ちている。


 一目見ればわかる。

 瀕死だ。


 虚ろな眼差しで、少女はもう一度懇願した。



「……助けてください」



 どうして還らずの森に、自分以外の人間がいるのか。

 どうして、傷だらけなのか。


 聞きたいことは、山ほどあった。

 少女は、謎に溢れていた。

 切り傷は、まだわかる。

 だが、銃で撃たれたような穴。


 少女の胸にぽっかりと空いたその傷。

 どう考えても、魔物にやられたでは、説明がつきそうになかった。


 しかし、一つだけ確かなこと。

 俺は、この子を助けられない。



「……すまない、あいにく今俺は魔法が使えないんだ。お前に、ヒールをかけてやることは出来ない」



 出来ることなら、今すぐにでも助けてやりたかった。

 暗くてはっきりとは見えないが、おそらく、レイアと同い年くらいだろう。


 弱く息をする十五、六歳の少女。


 だが、どうしようもない。

 ギルバルドに刻まれた呪印のせいで、俺は今、マナを取り込むことが出来ない。

 少女を助けることは、不可能だ。


 しかし、黒髪の少女は小さく首を左右に振った。



「……欲しいのは、魔法でも、ヒールでもありません」



 沈黙の森に、少女の声だけが澄み渡る。



「欲しいのは――あなたの血です」


 少女の黒い瞳が、真っ直ぐに俺を射抜く。

 心臓が、強く脈打った。


 まさか、この子は。

 


「……お前まさか、吸血鬼か」

「はい――私は闇夜に生きるヴァンパイア……お願いです、あなたの血をわけてください」


 首をもたげ、少女は俺の目を見据える。


 吸血鬼。


 人の生き血を餌とする、怪物。

 日光に弱く、昼間は墓地や棺桶の中で眠る。

 不死の存在。

 だが、金属の杭や、銀の弾丸を心臓に打ち込まれると死亡する。


「……まだ、生き残りがいたのか」


 吸血鬼は、数十年前に絶滅したと聞いている。


 吸血鬼の生き血には、人を不老不死に変える力があると信じられていて、

 其れゆえに、多くのヴァンパイアが不死を目指す欲深い人間の犠牲になったからだ。


 俺自身も実際に見たのは、初めてだった。



「お願いします……助けてください……なんでもします……血を……血を……」

「どれくらいの血があれば、助かるんだ」

「助けて、くださるのですか」


 少女の声色が変わった。

 さっきまで絶望一色に染まっていた声に、微かな希望がさす。


「……どのくらいの血が、必要なんだ」

「二リットルほど、あれば」


 二リットル……か。


「致死量、だな」


 少女は黙った。

 無言の肯定。

 黙って、俺の方を見つめる。


 もう、頼れる人が、俺しかいない。

 俺に断られたら、死ぬしかない。


 そんな、希望と絶望を黒い瞳に混ぜ込んで、縋るように俺を見つめてくる。


 ……残念だが、俺は、ギルバルドを倒さなくてはならない。

 こんな場所で、死ぬわけにはいかないんだ。



「悪いが、俺はまだ死ぬわけにはいかないんだ」


 踵を返す。

 吸血鬼の少女を背にして、俺は闇夜の森を進む。

 ……すまない。



「……やはり、そうですよね。でも、良かったです。最後に会話したのが、あなたのような優しい方で」


 後ろから、囁くような声が聞こえた。


 絶望するでもなく、自分に言い聞かせるでもなく。

 その言葉は、本心から溢れ出たものだろう。

 何故だか、そう確信した。


 俺は、立ち止まる。

 おい、どうした、俺。

 なに立ち止まってるんだ。



「……でも、でも……やっぱり……死にたくない……まだ生きたい、生きていたい」


 今度は、涙声。

 鼻をすすり、語尾を震わせ、少女は言葉を紡ぐ。



「……死にたく……ない……死にたくないよお……誰か……誰か助けてよお……誰かあ……誰かあ……」



 さっきまでの奥ゆかしい言葉遣いは崩れ去り、少女は子どものように泣きじゃくり始めた。

 死にたくない、死にたくない。

 悲痛な叫びが闇夜にこだまする。


 自分自身の意思とは無関係に、体は、勝手に動いていた。

 俺は、再び踵を返す。

 自分自身に舌打ちをしながら、少女の元まで駆け足で舞い戻る。



「……え?」


 死んだ人間と再会したような顔で、吸血鬼は俺を見上げた。

 腰を屈め、少女と目線を合わせる。


 腰まである、黒の長い髪。

 陶器のように、なめらかな肌。

 涙で真っ赤に染まった、黒の瞳。

 ドレスはズタボロで、形の良い胸元が、大きくはだけている。


 彼女の瞳は、怯えを孕んでいた。

 そりゃそうだ。

 いなくなったと思った人間が、再び現れたのだから。


 俺は安心させるように、少女の頬に手をやった。

 とくんとくんと、小さな脈動が掌に伝わる。



「……大丈夫だ、安心しろ。お前は死なない」

「それって……」

「ああ、もってけ。二リットルとは言わず、全部持っていけ」



 少女の瞳が大きく開かれる。

 なるほど、さっきは遠くだったからどういう顔なのかはっきりわからなかったが、

 こうして近くで見れば見るほど、その美しさに、魅せられていく。


「いいのですか、あなたはまだ……やるべきことが残っているのではないのですか?」

「今ここで生き残っても、どうせ死ぬだけだ。俺だってわかってるんだ。還らずの森を抜けることなんて、出来ない」

「し、しかし」

「……心残りはある。それも、とてつもなく大きなのがな。だけどな、ここでお前を助けなきゃ、もっと大きな後悔が残ってしまいそうなんだ」



 心残りはある。

 だが、泣きじゃくるこの子を、どうしても見捨てることはできなかった。


 なぜだろう。


――ああ、そうだ。


 その泣き声が。

 震えるか細い鼓動が。

 昔助けられなかった妹に、とてもよく似ていたからだ。



「……ありがとう、ございます……この御恩、一生忘れません」


 少女の目から、涙が溢れ出す。

 そのまま、何度も何度も、感謝の言葉を繰り返す。

 声をうわずらせ、泣きじゃくる少女。

 さっきよりも遥かに、涙の粒が大きかった。



「落ち着いたか?」

「……はい……お恥ずかしいところをお見せして、すみません」

「さぁ、早くしろ」

「……では、いただきます」



 照れ臭そうに微笑み、俺の首に手を回す。

 冷え切った身体に、少女のぬくもりが浸透する。

 熱い吐息が頬にかかって、くすぐったい。


 けれど、どういうわけか、

 潤んだ少女の瞳には、ためらいが混じっていた。

 そのまま、しばらく見つめ合う、俺たち。



「どうした……早くしないと、俺の気が変わってしまうかもしれないぞ」


 冗談めかしてそう言うと、少女は「すみません」と小さく頭を下げ、恥ずかしそうに目線を逸らす。


 そう言えば、聞いたことがある。

 吸血鬼において、人間の血を吸う行為。

 それは、深い親愛の証。

 男女の交わりを意味すると。



「……それでは、今度こそ、頂かせていただきます」


 意を決したように、首元まで顔を近づける少女。


 身体と身体が重なり合う。

 柔らかな太ももが、俺に絡みつく。

 温もりが、肌に触れる。


 柔らかな胸を俺に押し付け、少女は荒っぽい呼吸を繰り返す。

 発情しているのか、瞳はとろんと揺れていた。



「不思議です、本当はいけないことなのに……とても、幸せな気持ちがします……何故だかあなたとは初めて会った気がしません……昔どこかで、お逢いしたこと、ありますか?」


 すんでのところで、少女はそう尋ねた。

 その声は、どこか熱っぽい。

 とくんとくんと、身体を通して伝わる、緊張の入り混じった少女の鼓動。

 破れたドレスの隙間から覗く、少女の身体。

 幼さの残る可愛らしい顔とは不釣りあいなほど、少女の身体は大人っぽかった。

 胸も、レイアのそれと比べるのが失礼なくらい、確かな弾力を持って、俺の身体に乗りかかっている。

 いや、この例えはレイアに怒られるか。

 拗ねるレイアが頭に浮かんで、俺は小さく苦笑いした。


「残念だが、お前のような可愛い娘にあったのは、初めてだよ」

「……そうですか」


 恥ずかしそうに赤く染まる少女の頬が、愛らしい。

 吐息はさっきよりも、熱を増していた。



「……その言葉……一生の宝物にします」



 首筋に、鋭い痛みが走る。

 俺の意識は、急速に急速に、混濁に飲み込まれていった。






 5歳の時に、母親に捨てられた。

 父親は初めからいなかった。

 母親は娼婦だった。

 俺は、望まれぬ子だった。

 おまけにマナを宿さぬ半人。

 人として、半分。

 この世界では、マナを宿さぬ人間は、人とは認められない。

 銀貨1枚で、俺は奴隷商に売られた。

 朝食のパン一切れが、俺の生の価値だった。

 新しい主人は、腹に肉の絨毯を敷き詰めた、醜い化物。

 アイウォルンという、サディスティックな男。

 毎日が地獄だった。

 俺の他に、4人の子供がいた。

 子供たちの苦しむ姿を見るのが、奴の生き甲斐だった。

 俺たちは、玩具だった。

 けれど、どんな地獄にも、安らげる場所はある。

 ミライという少女。

 地獄の中、いつもめそめそ泣いていた、赤い髪の女の子。


 彼女は俺を兄と慕った。

 半分同士。

 俺たちは、2人で1人だった。


 だが、奴はやり過ぎた。

 首を絞め、死ぬ寸前で放す”遊び”

 奴のお気に入りの、それ。

 けれど、その日は、遊びでは済まなかった。


『――』


 ミライは死んだ。

 呆気なく。

 横たわる、枯れ果てた妹。


 俺はまた、半分になった。


『……お前、半人じゃ……!?』


 その日は、始まりの日。

 俺が、生まれ変わった日。






 ……良かった。

 今度は救えて……良かった。




☆★☆



 目を開ける。

 辺りは、暗闇。


 天国だろうか。

 はたまた地獄だろうか。

 状況的には地獄なのだろう。

 真っ暗な天国なんて、聞いたことがない。

 だが、それにしては、やけに暖かい。

 それになんだか、柔らかい。

 だが、少し重い。

 まるで、重量のある雲が、身体に乗っかっているようだ。


「お目覚めですか……!」


 視界に現れたのは、死ぬ間際に見た、吸血鬼の少女。

 雲などではなかった。

 足を絡ませ、俺の身体に覆い被さるように密着していたのは、


――俺が命をかけて助けた、吸血鬼の少女だった。

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