27:「唯一の生存者」
「本当に、ゼロさん、ティアちゃん。二人には世話になった。感謝してもしきれねえな」
鶏が鳴き始めてから少し経った早朝。
俺達は元聖女イリスに会いに行くため、ドネツクの町に別れを告げた。
町の前まで見送りに来てくれた、
サクラと親父さん。
親父さんは感慨深げな表情を浮かべ、右手を差し出す。
俺が黙ってその大きな手のひらを握り返すと、親父さんはふっと人懐っこい満面の笑みを浮かべ、
「元気でな!」と声を張る。
「ああ、親父さんも、元気で」
「おう、また何かあったらいつでもこの町に来てくれ、歓迎するからよ!」
「じゃあね、ティアちゃん、ゼロ君。また、この町に逢いに来てね」
少しの寂しさを瞳の奥にブレンドしながらも。
普段通りのテンションで、健気に笑うサクラ。
きっとそれは。
彼女なりの気遣いなのだろう。
最後は笑顔で見送り、俺を安心させようとしているんだ。
だから俺も、
「ああ、必ず」
笑顔で。
サクラに右手を差し出す。
少女は一瞬びっくりしたように眉を持ち上げた。
それからにんまりと微笑んで、まるで宝物でも握りこむみたいに、
両手で俺の手のひらを包み込む。
しばらくそうして見つめ合った後。
昨日の夜の出来事でも思い出したのか、
サクラはふっと赤くなり、手を離した。
それから言い訳でもするように、あたふたとティアの方を向く。
「て……ティアちゃんも元気で!」
「あれ、サクラさんどうしたんですか……? 顔が赤いですが……まさか風邪ですか……?」
「な、なに!? 本当かサクラ!?」
「ち、違うよお父さん、ティアちゃん! 私は健康体! もーう、これ以上ないくらい絶好調だよ!」
「だっから、いいのですが……?」
「ほらほら、ティアちゃんも私と握手握手!」
話題を逸らすような、不自然極まりないサクラの行動。
ティアは頭にはてなを浮かべながらも、
その手を握り返した。
「じゃあな、サクラ……それに、親父さん」
「うん、また会おうね」
「おう、またいつでも立ち寄ってくれ!」
こうして俺達はドネツクの町に、
サクラに、
別れを告げた。
草原を歩く、俺とティア。
俺達の姿が完全に見えなくなるまで、サクラと親父さんは両手を大きく振っていた。
☆★☆
「そう言えばゼロ様。これから会いに行くご友人は、いったいどんな方なのですか?」
太陽が眩しい草原を東に進んでいる最中。
不意に、ティアはそう尋ねる。
そう言えば、まだこの子には言っていなかったっけ。
「イリス・ラフ・アストリアって知ってるか?」
「イリス……ラフ……アストリア……?」
「そうだ、知らないか?」
「イリス……イリス……どこかで聞いたような……」
小さな顎に手を置いて、考え込むティア。
風に乗って、ふりるの付いた紺色のスカートがさわさわと揺れる。
「あれ……そう言えば、前の聖女様と同じ名前ですね……うーん……誰なんでしょう……」
答えが登場したにも関わらず、
なおも考え込む仕草を崩さない、幼げな少女。
まさか、今から会いに行くのがその聖女様だとは、
夢にも思っていないのだろう。
聖女。
エメリア唯一の宗教組織であり、
国教である聖ウェルフィース教会の頂点に君臨する者。
国王が政治的権力の頂点であるならば、
聖女はいわば宗教的権威の頂点。
大賢者と並び、エメリアで国王に匹敵する力を持つ存在。
慣習から、聖女に選ばれるのは必ず二十歳以下の女性と決まっており、
相手の正体を見破る鑑定魔法を高レベルで使用出来るということが、
聖女として選出される条件となっている。
先代の聖女であったイリス。
<心眼>とまで称される天才的な鑑定魔法の素質を持っており、初代聖女であるウェルフィースの再来とまで言われた。
その妖精のような美貌と相まって、
一時期エメリアでは国王を凌ぐほどの人気があったが、
とある事情で突然聖女を辞任。
今は、消息不明となっている。
どうして俺が行方不明であるイリスの居場所を知っているのかと言うと。
それは俺と彼女が腐れ縁だからであり、
聖女を辞任する際、俺だけに居場所を告げてきたからだ。
……あれからもう二年近く。
今年で十九になるはずだが、元気にしているのだろうか。
「……うーん……イリス……イリス……聖女様以外でそんな人いたでしょうか……」
ティアはまだ、横でうんうんと唸っている。
その姿が少し可笑しくて、ふっと笑いが込み上げる。
「ティア」
「なんでしょうか、ゼロ様」
「これから会いに行くのは、その、元聖女様だ」
「……はい?」
「だから、その前聖女イリス・ラフ・アストリアに会いに行くんだ」
「……はい? えっと……イリス様のそっくりさんか何かですか?」
「本人だ」
未だにピンと来ていないのか、
ティアは「本人……?」といっくり来ていない様子だった。
「今から会いに行くのは、イリス・ラフ・アストリア。先代の聖女であり、銀髪の淑女だ。」
そこまで説明して、
ようやく理解したのか、
ティアの真っ黒い瞳がみるみるうちに驚きに染まっていく。
軽くパニックにでもなったのだろう。
普段は控えめで物静かなティアが、
珍しく大声を上げる。
「……え!? どどどどどどどど、どういうことですか!? 本人、本人ですか!?」
「そうだ、本人だ」
「今からあのイリス様に会いにいくのですか!?」
「そうだ、会いに行くよ」
「お、お知り合いなのですか!?」
「……まあ、長いこと大賢者をやってたからな。それに、イリスと俺にはちょっと色々あるんだ」
「さ、流石ゼロの大賢者様です……」
羨望の眼差しで俺を見つめるティア。
俺はそのキラキラと輝く瞳を、苦笑いで見つめ返す。
それからティアは、急に不安げな表情を覗かせた。
「……どうしましょう……もし、私。イリス様に失礼なことをしてしまったら……」
「ティアだったら、大丈夫だよ。それにイリスは女の子には優しいんだ、だから、大丈夫」
「……うう……不安です……」
項垂れる少女の艶やかな髪を優しく撫でる。
ティアは泣きそうな顔で、こちらを見上げた。
かける言葉見つからなくて、
苦笑いだけを返す。
「あれ、そういやティア、露店で買ったペンダントはどうしたんだ?」
不意に気がかりになって俺がそう言うと、
ティアは少しだけ嬉しそうに、
胸のポケットを軽くさする。
「……お兄様からいただいた、初めての贈り物。ここに、大事にしまってあります」
まるで宝物でもしまってあるかのように、
少女は優しく微笑みながら、胸の膨らみに手を置いた。
見ないと思ったら、そんなところに仕舞っあったのか。
「着けないのか?」
「……なんだか、勿体なくて……せっかくお兄様にいただいたものなので……」
静かに微笑みを浮かべるティア。
頬を少し赤く染め、照れたように笑いかける。
「そうか、着けないのか。似合いそうなのにな」
少女にそう微笑みを返すと、草原のど真ん中でティアは急に立ち止まった。
「……どうかしたのか?」
ふっと視線から消えた少女を振り返る。
ティアの首には、トパーズのペンダント。
さっきまでは間違いなくポケットにあったはずのそれが、ぶら下げられていた。
「……ど、どうでしょうか……?」
勿体なくて、着けられない。
さっきまでの言葉に反し、ティアの首でキラキラと輝くトパーズのペンダント。
少女は上目使いで、もじもじとこちらを覗く。
「……とてもよく、似合ってるよ」
苦笑いしながらそう言うと、ティアは破顔した。
満面の笑みを浮かべ、こちらまで駆け足で走ってくる。
海みたいな色をしたトパーズのペンダントは、
太陽の光を反射させ、ティアの首元で宝石みたいにキラキラと輝いていた。
さあて、
まずはここから山を一つ越えた所にある、交通都市ローラルを目指すか。
エメリアの交通路の中心点であり、沢山の人々が往来するローラル。
そこでタクシー代わりの馬車でも捕まえて、イリスの元へ行こう。
ティアもいることだ。
障害物の関係上、
山の中はマナを集中させるより、馬車を使う方が安全だ。
ドネツクは田舎町。
探したが、タクシー用の馬車は見当たらなかった。
イリス・ラフ・アストリア。
昔エメリアで起こった、大貴族ユーベルグ・ルシフェルの汚職事件。
概要は、黒い鷹からの多額の献金。
王宮では大問題に発展し、すぐに捜査が開始された。
いち早く汚職の証拠を掴む為、俺はたった1人で奴の邸宅に踏み込んだ。
その地下室。
幾つもの南京錠で厳重に鍵の掛けられた、開かずの間。
力尽くで、こじ開けた。
そこで偶然発見された、死体の山。
凄惨な、奴隷の虐殺。
その中で。
蹲るように膝を抱えていた、唯一の生存者。
……名前すら持たぬ、哀れな少女。
あれからもう、10年経つ。
イリス・ラフ・アストリア。
俺が引き取った、渇いた目をした少女。
彼女は、元気だろうか。