26:「ハッピーエンド」
「ねえ、ゼロ君が……ゼロの大賢者様だっていうのは……本当なの?」
純真無垢なサクラの瞳が、真っ直ぐに俺を見据える。
ゼロの大賢者ジークフリード・ベルシュタインは、国賊だ。
エメリア王レイア・ノーヴィス・エメリアを暗殺しようとした大罪人として、
国民からは認識されている。
国王を暗殺しようとし、哀れにも失敗。
そして還らずの森をへ放逐され、
死んだ、と。
きっと、
サクラもそれを知っているのだろう。
俺を見る彼女の瞳が、
決して憧れだけを映しているわけではないことから、それは明らかだ。
けれど、その時。
俺はどうしても、サクラに嘘を吐く気にはなれなかった。
どうしてだろう。
俺は、熟成されたウイスキーみたいな色をした、美しいサクラの瞳を見つめ返す。
「ああ、本当だ」
「……やっぱり……か」
後ろでを組んで、サクラは目を伏せる。
次に来る言葉は、
『どうして、国王様を暗殺しようとしたの?』
のような、純粋な疑問だろうか。
それとも、敵意とともに発せられる、
「……帰って」
という軽蔑だろうか。
けれど、サクラの言葉は。
その、どちらでもなかった。
彼女は一面に咲く向日葵のような笑顔で、
そうであることに一切疑問を持たないような純粋さで。
「――じゃあ、ゼロ君が無実だって知ってるのは、世界で私だけなんだね」
と言った。
「えへへ。二人だけの秘密が出来ちゃった」
「……」
「あ……もしかしてティアちゃんも知ってる!?」
顎に手を当てて、おどけるサクラ。
多分その時、俺はひどく間抜け面を晒していたと思う。
胸の奥にじんわりと、暖かいものが広がる。
苦笑いをしながら、小さくこくりと頷いた。
「そーだよね……一緒に旅をしてるから、ティアちゃんが知らないはずないよね……じゃあ、ティアちゃんと私だけかー……うーん……ゼロ君を独り占め出来なくて残念……」
本当に残念そうに、サクラは項垂れた。
「俺が無実だって……信じてくれるのか?」
その質問が来ることをまるで予想してなかったという風に、
サクラは目を丸くした。
ふーっとため息を吐いて、それからにこっと笑う。
「私ね、人を見る目はあるほうだと思うの。私の独断と偏見によると、ゼロ君は千二百パーセント、もうため息が出そうになるくらのお人好しだから、逆に信じるなっていう方が無理があるよ」
お人好し、か。
間違いないな。
向かい合う、サクラと俺。
にんまりと微笑みながら、サクラは半歩前に出る。
身体の熱が、微かに伝わってきそうな距離。
俺の手のひらを、そっと握る。
少女の熱が、伝わってくる。
「……だからね、例えエメリアの人みんながゼロ君の敵になったとしても、私だけは最後まであなたを信じる。この場所で、ゼロ君が帰ってくるのを待ってる。勿論、ゼロ君が私の助けが必要なんだーっって言ってくれれば、喜んで飛んでいくよ。……あ、大賢者様にゼロ君って……失礼かな?」
口元に手を当てて、サクラは不安げにこちらを覗く。
「……いいや、寧ろ今更大賢者様なんて言われる方が、むずがゆい」
「……えへへ。よかった」
手を握ったままのサクラ。
てのひら越しに、少女の鼓動が伝わってくる。
サクラは顔を赤らめながら、眉を少し上げ、上目遣いでこちらを見上げた。
「七年前からね、ずっと探してたの……あの時私とお父さんを助けてくれた人は、いったい誰だったんだろうなーって。町で金髪の男の人を見る度にね、もしかしたらって、目で追っちゃったりして……多分、初恋の人だったんだと思う」
初恋の人だったんだと思う。
そう言い切った瞬間、サクラの頬がかーっと赤くなる。
トマトみたいに沸騰した少女は、そのまま照れ隠しのように表情だけで笑って、
目を泳がせた。
「ま、まさかね、髪の毛の色も変わって、しかも年齢も若返ってるなんて、思うはずないよね。お、おまけに吸血鬼になっちゃってるなんて、すっごくびっくりした」
話題を逸らす様に、あたふたと慌てふためく少女。
しばらく沈黙が流れた後、サクラはふっと真剣な顔つきになる。
「……ねえ、明日にはもう行っちゃうんでしょ?」
「ああ、朝にはこの町を出ようと思ってる」
「……じゃあさ、最後に1つ……思い出だけ、貰っていい……?」
潤んだ、すがるような瞳。
飼い主に捨てられる前の猫みたいな顔で、サクラはじっと俺を見る。
「……目を、瞑って」
俺が何も言わないことを、肯定と受け取ったのだろう。
頬に、熱っぽい手のひらが添えられる。
つま先で少し背伸びをするサクラの顔が、目の前に来る。
整った、目鼻立。
少し陽に焼けた、健康的な肌。
俺は、瞼を閉じた。
興奮しているのか、
鮮明に聞こえてくる、荒いサクラの呼吸音。
「……目を開けちゃ……ダメだよ……」
唇に触れる、柔らかい感触。
それは、小鳥がついばむような。
軽く触れるだけの
可愛らしい、少女の口づけだった。
「……」
「……」
ゆっくりと、目を開ける。
耳まで真っ赤に染まった少女が、目の前にいた。
よほど恥ずかしかったのだろう。
小さく唇を噛みながら俯いて、体をふらふらと揺らしている。
「……た、多分しばらくは会えないと思ったから……あの……その……初めてはゼロ君に貰って欲しくて……その……か、軽い女ってわけじゃないよ!……な、七年前からずっと思ってたから……こ、これは、七年越しの純愛なの!」
言い訳を繰り返す度に、ますます顔を紅潮させていくサクラ。
俺は笑いそうになるのをぐっとこらえ、少女をそっと抱き寄せた。
びくりと持ち上げられた瞼。
今にも破裂しそうな心臓が、サクラの中心で大忙しだ。
「……もし俺がもう一度この町に帰ってきたら、また、この町を案内してくれるか?」
「も、もちろん、喜んで! 広場だろうと高台だろうと、大人の店だろうと……!」
墓穴を掘ったのか、サクラはしまったという顔をする。
俺はその表情があまりにもおかしくて、思わず噴き出してしまった。
「もうー、笑わないでよ! これは、不可抗力だから!」
増々おかしくて、空を見上げて笑う。
赤い顔をむすっとさせて、責めるように俺をぺちぺちと叩く。
しばらくそうしていると。
いつの間にか、サクラも笑い出していた。
抵抗するのを諦めたのだろう。
もう、どうにでもなれ。
一緒に楽しんでしまえ。
快活な少女のことだ、そう思ったに違いない。
星の落ちそうな夜空。
俺達の笑い声だけが、天まで上る。
「あはははははははっ」
「ふふふふふふふっ」
幕はだんだんと下りていく。
用意されていたような、ハッピーエンド。
馬鹿みたいに笑う俺達の声をBGMに、エンドロールが流れ始める。
もし仮にこれが舞台なら、
目が肥えた観客たちは、きっと気難しい顔をしているだろう。
地下室から抜け出た後、父親は残党に切り殺されるべきだったとか。
少女を守って死ぬべきだったとか。
出入り口に固まって、口々に不満を語り合っているに違いない。
二頭を追って、二頭とも得るような物語は陳腐だと、不満気な観客の呟きが聞こえてきそうだ。
……でも、俺はこれでいいのだ。
誰も彼も救ってしまう、そんな絵に描いたような英雄が、一人くらいいてもいいじゃないか。
真っ直ぐに生きようとする少女と父親が、
二人とも幸せになるような、そんな最高のエンディングがあっていいじゃないか。
「ねえ、ゼロ君……必ず、もう一度会いに来てね」
「ああ、約束する」
星が落ちそうな夜。
俺たちが交わした約束を、闇夜を優しく照らす月がまるで結婚式の神父さんのように、いつまでも見守っていた。
☆★☆
……さあ、次はいよいよ元聖女様に会いに行く番だ。
相手の本質を見破る《心眼》を持つ、
イリス・ラフ・アストリア。
腐れ縁の、元聖女。
とある事情で聖女を辞め、今は山奥で孤児院を営んでいるはずだ。
死んだと思い込んでいる俺がひょっこり現れたら、
いったいイリスはどんな顔をするのだろう。
泣くのか、笑うのか、それとも罵声でも浴びせてくるのか。
最後に喧嘩別れしてしまったが……一体どうなるのだろうか。
案外。
大号泣で出迎えてくれるのかもしれない。
……いや、それはないか。
いつもツンツンした彼女のことだ。
きっと、今回も素っ気ない対応をされるのだろう。
「……へー、生きてたんだ」
みたいな。
まぁ、その方が俺も落ち着くというものだ。
ジークフリードの無実を証明する為には、
生きていることを証明する為には、
必ずイリスの力が必要になる。
無事に会えると、良いのだが。
これにて、サクラ編は完結です!
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます!
連載開始から約20日。
ここまで毎日更新が続いたのは、間違いなく読んでくださった皆様のお力添えがあったからです。
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本当に、励みになっております。
この場を借りて、厚く御礼申し上げます。
さて、
次回から、聖女編が始まります。
まだまだ物語は始まったばかり、序章も序章ですが、引き続き読んでいただけると、作者的には大喜びです!
それでは、これにて失礼したします!