24:「謎の女の子」
深い闇を星々が照らす夜
俺達四人は、宿に向かって歩を進めていた。
来る時は不気味に思えた林も、何故だが今は、風が心地よい。
歩くたびに鳴る葉っぱの音も、遠くから響く獣の鳴き声も、不思議と今は耳触りが良い。
それはティアにしても同じようで、あれだけ怖がっていた癖に。
今はるんるんとリズムを取り、頭を少し揺らしながら笑みを浮かべている。
さっきから俺の隣を歩くサクラは緊張しているのか。
顔を赤くし、少し俯むき加減。
そんなサクラを事情を知らないティアはハニカミながら、不思議そうにちらちらと眺めてる。
静寂が支配する林の中を、俺達は何も言わず。
ただ、確かな満足感だけを胸に抱いて。
歩き続ける。
そんな風に、俺達が宿を目指し始めてか五分ほど過ぎた時。
不意に、ティアが俺の袖を引っ張る。
それから俺にしか聞こえない小さな声で、ぼそりと呟いた。
さっきとは打って変わり、ゆらゆらと不安に揺れ動く黒い瞳が俺を見上げている。
「……お兄様……向こう側に変な人がいます……こっちを見て……両手に……何かを抱えています」
サクラたちに気付かれないようにか、ティアは目線で合図する。
幸せそうにしているサクラと親父さんに、心配をかけないよう配慮しているのだろう。
こんな林に、人。
……まさか、研究所の残党か。
ティアが合図した方向を、横目で確認する。
林の奥の奥。
月明かりがぼおっと照らす、薮の中。
両手に何かを抱え、こちらをじっと見ている怪しい人影。
丸太のような何かを右肩に担ぎ、左手にも何かをぶら下げている。
……なんだ、あれは。
横目をじっと凝らす。
だんだんとシルエットが、浮かび上がる。
ピントが合っていき、ぼやけていた相手の姿がくっきりと瞳に写り込んでくる。
……女の子……?
肩を撫でる白銀の髪に、貴族が着るような格調高い礼服。
透き通った白い肌。
まだ幼さを感じさせる、少し吊り上がったワインレッドの瞳。
不敵に笑む、サクラ色の口元。
林の向こう。
こちらをじっと覗いているのは、この世のものとは思えない、美しい女の子だった。
おそらく、ティアよりも少し年下だろう。
13歳か14歳か、その辺りだ。
そして。
抱えているのは……人……?
俺が地下室に入る前に倒した……三人組……?
「……!」
不意に、少女と目が合う。
俺が見ていることに気付いたのか。
微笑みを浮かべながら、謎の少女はスカートの裾を広げ、しなやかな動作で会釈をする。
それから。
ふっくらとしたサクラ色の唇を、ゆっくりと動かす。
はっきりと、一語一語正確に。
あどけなさの残る、小さな口を動かして。
何かを俺に伝える。
全て言い終わった後。
少女はもう一度俺に小さく頭を下げ。
まるで闇に溶けるように、すーっと姿を消した。
「……また、会いましょう……?」
おそらく、少女はそう言った。
それはいったい、どういう意味なのか。
あの少女は、一体何者なのか。
少女のいなくなった林を覗いても、答えにたどり着けるはずはない。
横にいる、ティアを振り返る。
ティアは顎に手を置いて、難しい顔をしていた。
「……あの人……どこかで見たような……」
考え込むように、じっと地面を睨むティア。
何度か瞬きを繰り返した後。
答えにたどり着けないもどかしさからか、うーっと唸る。
「……ダメです、思い出せません……」
悔しそうに、髪を掻くティア。
何も知らないサクラは、不思議そうな顔でこちらを覗く。
「……ねえ、何かあったの?」
穏やかな月の光に照らされる、薄茶色の瞳。
濁りのない少女の双眸が、仄かな不安に揺れている。
「いや、なんでもないよ」
微笑みながら、俺はサクラに返答する。
あの少女のことは、よくわからない。
敵なのか、味方なのか。
はっきりとはわからない。
けれど、なんとなく。
用があるとすれば、それは間違いなく。
俺とティアだろう。
何故だか、そんな気がした。
サクラや親父さんに伝えても、きっと不安を煽るだけだ。
「……そっか」
腑に落ちない表情を浮かべながらも、納得した様子を見せるサクラ。
親父さんも、サクラも。
二人とも幸せになって、ハッピーエンドで幕を閉じたこの物語。
だったら最後までこの二人には、勝利の余韻に浸っていてほしい。
余計な情報でこの夜が台無しになったら、元も子もない。
サクラに少しの申し訳なさを感じながらも、俺は最後まで微笑みを崩さなかった。
この選択は、きっと正しいはずだ。
再び前を向き、小さく鼻歌を歌いだしたサクラ。
リズムを取りながら、小さく首を揺らす親父さん。
少女の涼やかな歌声は風に乗って、いったいどこまで広がっていくのだろう。
優しい月明かりが照らす林の森に、幸せな親子がそこにいた。
☆★☆
「やっと着いたー!」
あれから三十分ほど歩き、ようやくドネツクの町に帰ってきた俺達。
開口一番。
宿の玄関扉を思いっきり引き開け、サクラは両手を思い切り広げる。
それから、そのままソファー飛び乗った。
後に続く親父さん。
親子して子どものようにソファーではしゃぐ二人に、俺もティアも小さく苦笑いを浮かべる。
一階の、受付兼待合室。
まだ数時間しかたっていないが、とても懐かしい気分だ。
「……ようやく、帰ってきましたね」
「ああ……そうだな」
まるで平和そのものの、この風景。
さっきまでの非日常が嘘のように感じられる。
『……二人きりで話したいことがあるから、宿に帰ったら……テラスまで来てくれない?』
さあ、後はサクラとの約束を果たすだけ、だな。
「サクラ」
少女に小さく呼びかけて、目線で合図をする。
俺の意図に気付いたのか、人目も憚らずはしゃいでいた少女は、急にしおらしくなった。
小さくこくりと頷いて、俯きながらこちらに歩いてくるサクラ。
仄かに紅潮した面持ちで、小さく耳打ちをする。
「……あの……その……ティアちゃんやお父さんが寝てからでも……いい……かな……?」
少女の膨らみが、腕に触れる。
緊張で震えた、熱っぽい吐息。
俺は苦笑いしながら、少女の瞳を覗く。
透き通るような薄茶色の瞳は、水面に俺だけを映してさざ波を立てている。
「……いいよ」
「……ありがとう」
少女の細い指先が、そっと俺の掌に重ねられる。
天井を見上げると、大きなプロペラがくるくると回っていた。