22:「忠告」
鈍い音を鳴り響かせ、振動を続ける地下室。
詳細はわからないが、どうやらこの研究所はつさっき破棄されてしまったらしい。
このままでは、生き埋めになってしまう。
この場所から、早く抜け出して。
地上に出なければならない。
拷問部屋を出る寸前。
ふとある考えが思い浮かび。
俺は壁際に寄りかかる、グランヴァイオを振り返る。
「……言い忘れていたが。サクラの町を火の海にする計画、あれは俺が事前に阻止したぞ」
頭を落とし、ぐったりと項垂れる狐顔の男。
首をもたげ、小刻みに振動を続ける天井を見つめ、少し嬉しそうにふっと笑った。
「死体蹴りですか? 悪趣味ですね……くく……」
「……いや、なんとなく、後悔してそうだったからな」
早く早く、と。
向こうの部屋から、サクラの呼ぶ声がする。
ティアと親父さんが、心配げにこちらを覗いている。
三人は、既に向こうの部屋まで行ってしまった。
拷問部屋に残っているのは、俺とグランヴァイオだけだ。
グランヴァイオは俺の瞳を真っ直ぐに見据えた。
口角をにやりと上げ、いつもの調子でくくと笑う。
「買い被りですよ……私は生粋の悪党なので……くく……」
「……そうか、じゃあな」
グランヴァイオに背を向け、向こうの部屋から手招きをする、皆の元へ向かおうとした時だった。
背中越しに、調子はずれの声。
「……これはただの勘ですが……あなたはきっと、この先ヴェルフェルム様と剣を交える日が来る……そんな気がします」
足を止め、グランヴァイオを振り返る。
「……いや、もしかする……もう、交えているのかも……くく……くく……」
手足をだらんとさせ、ぐったりと壁に寄りかかる男。
首の力が抜けたように俯いているから、奴の表情は見えない。
けれど、きっと。
グランヴァイオなりの、忠告なのだろうと。
俺はその時、そう思った。
「ゼロ君……早く早く!」
「お兄様!」
「ゼロさん、やべえぞ、揺れが大きくなってる……!」
三人の、呼び声。
額に汗し、向こうの部屋から必死に俺を呼びかける。
これ以上、ここに留まるのはまずいか。
「今行く!」
振り返らず。
グランヴァイオに別れを告げず。
俺はただ真っ直ぐに。
鉄の扉をくぐり。
拷問部屋を、駈け出した。
☆★☆
地下を疾走する、俺達四人。
俺達以外誰もいない地下室に、足音が反響する。
薄暗い室内。
だんだんと大きくなる振動。
揺れによって、周囲を薄く照らしていた蝋燭は床に落ちてしまっており、視界はいっそう悪い。
さっきまでは通路の奥先まで見通せていたが、今は数メートル前を走るティアの姿を確認出来る程度だ。
ハーフ・ヴァンパイアであるティアは、人間の数十倍夜目が効く。
例え暗闇でも、昼間とほとんど同じように、周囲を見通すことが出来るらしい。
だから、今は取り敢えずティアを先頭にして、俺達の先導を任せている。
勿論俺も4分の1ではあるが、吸血鬼の血が入っている。
意識的に目を切り替え(ティア曰く少しコツがいるが、30秒程で出来るようになるらしい)俺が先導することも出来る。
だが、今はそんな時間すら惜しい。
それに、前を走ると皆の姿が見えなくなる。
振動を続ける地下。
何が起こっても、おかしくはない。
だからこそ、俺は三人の様子を確認出来るポジションを取るのが最善だと判断した。
ティアを先頭に、真ん中にサクラと親父さん。
そして、最後尾に俺。
何かあった時、すぐに対処出来るようにだ。
「……! もうすぐ出口です!」
ティアの叫び。
突き当たりに、出口への階段を発見したのだろう。
歓声を上げる、サクラとサクラの父。
二人のスピードが、一気に上がる。
振動を続ける地下室。
大きく、強くなる、揺れ。
四人の足音も、大きく、強くなる。
俺とティアとサクラと、三人でこの地下室に入ってから、いったいどのくらいの時間が経過したのか。
三人で階段を降り。
広間で二十人と対峙し。
拷問部屋で、親父さんを救い出した。
随分前のように感じられるが、おそらくせいぜい数時間、か。
色々なことがありすぎて、時間の感覚がマヒしているのだろう。
なかなかに、中身の濃い数時間だった。
……今日は、疲れたな。
宿に帰ったら、すぐに寝よう。
外はまだ入った時と同じく、真っ暗なはずだ。
全力で、出口を目指す四人。
ゴールは、すぐそこまで来ていた。
目と鼻の先だった。
数メートル先に、階段が見える。
あれを登り切れば、ようやく、この長い長い夜も終わりだ。
四人の表情が緩む。
スピードが、上がる。
けれど、完全なる勝利は。
いつも寸前で。
俺達を嘲笑うように。
手元から、離れていく。
「……!」
石造りの冷たい天井に、小さなひびが入る。
それはそのまま、一瞬のうちに。
巨大な亀裂となり、俺達に襲い掛かった。
ゴールの目の前で、天井が崩落する。
雪崩のように、降ってくる瓦礫の山。
前を走る、三人の足が止まる。
突然牙を剥いた天井を見上げ、茫然とするティア。
顔を歪ませる、サクラ。
そんなサクラを庇うように、決して傷つけないように。
身体の内側に、抱きしめる父親。
……本当に今日は、最後までトラブル続きだな。
意外と俺は、運がないのかもしれない。
けれど。
そうであるならば。
運命が俺を嘲笑うのであるならば。
その運命を、力づくで。
ねじ伏せるだけだ。
完全なる勝利はなどいらない。
俺は、俺達四人が、無事にここから出られれば。
それでいいから。
「――ティア、サクラ、親父さん、大丈夫だ」
牙を剥く、天井を睨み上げる。
吹き抜けの、高い天井。
猛烈な勢いで、俺達めがけ降ってくる瓦礫の山。
……そうだな、燃やし尽くしてしまうか。
右手に、今日初めての相棒。
レーヴァテインを召喚する。
地獄の業火が、剣先に灯る。
俺は、真っ直ぐに剣を振り上げた。
残像を残し、天を仰ぐ、伝家の宝刀。
炎は瓦礫に燃え移り、跡形もなくなるまで。
粒子一粒すら残さず、燃やし尽くす。
一瞬のうちに、瓦礫の山は燃え去った。
雪崩のように押し寄せる天井の残骸は、視界から消滅した。
まるでマジックショウのような光景に。
呆れかえるような笑みを浮かべる、三人。
「……崩れてきた天井を……一瞬で……」
まん丸に見開かれたティアの瞳。
ぽっかりと空いた天井。
現れる、美しい夜空。
ああ、やっぱりか。
やっぱり、まだ夜だ。
幾千の星たちが瞬く、闇夜の空。
金色に輝く月が、俺達をのぞき込んでいる。
なおも続く、揺れ。
安心するには、まだ早い。
「……さあ皆、早く出よう。今度は天井じゃなく、足元まで崩落してきそうだ」
「本当に、ゼロさんはすげえな……一体、何者なんだか」
「……ありがとう……ゼロの大賢者様」
ぽつりと、サクラは呟く。
「え?」と、聞き返す父親。
返事をせず、階段を駆け上がるサクラ。
俺も聴こえない振りをして、サクラの後に続き、出口まで一直線に階段を駆け上がった。
「……やっと抜け出せましたー!」
俺たちより一足先に。
先頭を走っていたティアが両手を広げ、歓喜の雄たけびを上げる。
「やったー!」
「うおおおおおおおおお!」
続いて。
会心の笑みを浮かべ、満天の夜空に向かい、両手を突き上げる、
サクラとサクラの父。
瞼をぎゅっと絞り、全身で喜びを分かち合う。
「……やっと、終わったな……」
久しぶりの、地上。
透明感のある、澄み切った森の空気。
肺の中いっぱいに詰め込んだそれは。
今までで感じたことのないくらい。
美味しかった。