20:「不死の研究」
血で濡れた腹部を押さえ、床をのた打ち回るグランヴァイオ。
石造りの冷たい床には、染みだした血液で血だまりが出来ている。
つい先程まで余裕の表情を浮かべていた男は、額に脂汗を滴らせながら、顔面を醜く歪ませている。
細い目を思い切り見開き、こちらを見上げるグランヴァイオ。
恐怖と驚嘆を瞳に灯らせ、床を血で染める。
勝負は、決まった。
親父さんが繋がれていた鎖をブレードで断ち切り、
落ちてくる親父さんを受け止める。
衰弱しきっている、サクラの父。
身体中のあちこちに痣が出来ており、手足の指はあらぬ方向に折れ曲がっている。
小さく微笑んで「……グランヴァイオを……倒しちまうなんて……本当に……ゼロさんはスゲえ……ありがとう」と俺に告げた後、親父さんは意識を失った。
「……お父さん!」
駈け寄るサクラ。
不安と緊張に押し出された涙で、瞳は潤んでいる。
「大丈夫だ、サクラ」
安心させるように、少女に告げる。
マナを集中させ、ヒールを発動させる。
掌が、薄青く輝く。
瞬く間に。
父親の傷が、塞がっていく。
砕かれた骨も、元の状態に戻る。
死んだ人間は、例えどんな魔法を使っても、蘇らせることは出来ない。
だが、生きてさえいれば。
ヒールで癒すことが出来る。
……親父さんが生きていて、本当に良かった。
「……身体の傷は、全て修復した。すぐに目を覚ますはずだ。それまで、見守ってあげてくれ」
少女の顔が、ぱあっと明るくなった。
身体の緊張が解けたように、その場にしゃがみこむサクラ。
肩を震わせながら、浅い呼吸を繰り返す。
「……良かった……良かった……」
大粒の涙で、床がぽたぽたと濡れる。
俺はそんな少女の髪を、優しく撫でた。
「……あなたは……何者ですか……」
グランヴァイオは絞り出すように、問いを投げかける。
その声にさっきまでの威勢のよさは、影も形も見当たらない。
「お前と会うのは、二度目だな」
一歩二歩、狐顔の男に近付く。
静寂が支配する肌寒い地下に、足音が反響する。
グランヴァイオは、困惑を浮かべた。
「……二度……目……?」
床を這いつくばり、首だけでこちらを見上げる。
俺は「ああ」とだけ返事をした。
目線を落とし、記憶を探るよう眉間に皺を寄せるグランヴァイオ。
そのまま、ぶつぶつと声にならない独り言を繰り返した後。
答えにたどり着いたように、ハッと顔を上げた。
見開かれた二つの瞳が、俺を捉える。
「……まさか……あなたは……あの時の……七年前……森で娘と父親を助けた……!」
そうだとも、違うとも、答えなかった。
俺はただ黙って、奴を見下ろし続ける。
グランヴァイオは肩を震わせながら、静かに笑い始めた。
「……なるほど……私のような三下が相手にならないわけだ……そうか、そうか……還らずの森から生還されていたのですか……ゼロの大賢者!」
楽しそうに、男はくくくと笑い続ける。
ゼロの大賢者。
そう聞いた瞬間、サクラは眉を押し上げ俺を振り返る。
驚きに染まった薄茶色の瞳が、俺を掴んで離さない。
「……しかし、ゼロの大賢者様が吸血鬼になって現れるとは……これも私達の業ですかねえ……くくく……」
意味深な呟き。
腹部を押さながら、笑みを崩さぬグランヴァイオ。
床の血だまりは、だんだんとその面積を広げていく。
「グランヴァイオ……お前に、聞きたいことがある」
「なんでしょう?」
男は首をもたげ、こちらを見据える。
「……この場所は……一体何なんだ。入口に散らばっていた試験管、薬品の臭い……一体ここで、何が行われている」
グランヴァイオは、にやりと笑みを浮かべた。
「いいでしょう、ゼロの大賢者様。英雄の名に免じて、特別にお教えします。ここは研究所ですよ……いや、正確には研究所だった、ですがね」
「……研究所……だった?」
「ええ、そうです。吸血鬼の血から、不老不死の秘薬……その精製を目的とする、ね」
心臓が、強く脈打つ。
吸血鬼の血から、不老不死の秘薬……だと。
グランヴァイオは、なおも言葉を紡ぐ。
「吸血鬼の血には、不老不死の作用が存在すると、古くから言い伝えられています……実際に、多くの吸血鬼が不死を目指す欲深い人間の犠牲になりました」
しかし。
と、狐顔の男は強調した。
「……実際に、吸血鬼の血から不老不死の秘薬を作る。それは、誰も成し得なかった。……どんなに試行錯誤をしても、少し効き目の良い栄養ドリンクを創るのが、せいぜいだったのです」
それは俺も、よく知っている歴史だった。
サンペルグル伯爵。
ルポターシャ公爵。
歴史上の様々な人物が、不老不死を目指し、吸血鬼の血を研究した。
しかし、結果は全て失敗。
どんなに試行錯誤を繰り返しても、不老不死の効能を得られる薬を精製することは出来なかった。
人類における不老不死の夢は、あえなく頓挫した、と。
「……勿論。吸血行為を通し、ジークフリード。あなたのようにヴァンパイアとなり、不老不死を成し遂げた人間も僅かながら存在したようです。しかし……吸血鬼に血液の全てを差し出す上、その生存率は五パーセント以下。とてもじゃありませんが、そんな博打に身を投じることはできません。こうして、不老不死の研究は歴史の中に埋もれていきました」
グランヴァイオはにやりと笑って、血を吐き出す。
俺の靴に、血の飛沫が付着した。
「……しかし、この死んだ研究を再び復活させた男がいました……我らが黒い鷹のボス……ルード・ヴェルフェルム様です……!」
グランヴァイオは、高らかにそう宣言した。
ルード・ヴェルフェルム。
今から数十年前に、この国最大のマフィアグループである、黒い鷹を創設した人物。
エメリアの国王が表社会のボスであるなら、
ルード・ヴェルフェルムは裏社会のボス。
……もっとも。
情報が確かなら、ヴェルフェルムは既に齢七十を超えているはず。
近年は高齢化から、その影響力を大きく落としており。
黒い鷹を離反する者も多いと聞く。
そんな男が、不老不死の研究だと。
胸の底に、薄ら寒い風が、吹き抜けた。