19:「グランヴァイオ」
「だんだん、空気が冷たくなっていきますね……」
髭面の男の発言に従って、俺達は右側の通路を真っ直ぐに進んでいた。
岩肌が剥き出しになった壁。
ティアの言う通り、空気はだんだんと鋭さを増していた。
湿っぽい地下の空気は、通路を進むにつれ張りつめていく。
白い息を吐き出しながら、慎重に。
だが迅速に地下を進む俺達三人。
コツンコツンと、反響を続ける地下の壁。
決戦の刻は、近づいていた。
☆★☆
「……ここが、拷問部屋か」
五分ほど進んで。
俺達は、扉の前にたどり着いた。
左右から赤い蝋燭の炎が照らす、重々しい鉄の扉。
耳を当てると、微かな呻き声が聞こえる。
どうやら、ここで間違いないらしい。
ティアとサクラに、目で合図をする。
二人は表情を引き締めた後、こくりと頷いた。
緊張しているのか、サクラの額には汗が伝っている。
ティアも深呼吸するように、大きく息を吐き出している。
俺は、扉の取っ手に手をかけた。
冷たい金属の感触が掌に浸透する。
鍵は開いていた。
閉まっていたら、魔法で吹き飛ばす予定だったが。
どうやら余計な手間はかからなさそうだ。
金属の擦れる、不快な音を鳴る。
俺は扉を、勢いよく開け放った。
「……まだ、先があるのか」
現れたのは。
奥まで真っ直ぐに伸びた、幅の広い一室。
突き当たりには、また扉が見える。
どうやら、拷問部屋はまだ先らしい。
まだ、焦らしてくるのか。
俺は、舌打ちをする。
そして、目線を下に移した瞬間。
部屋の異様さに、気が付いた。
「きゃ……」
「ひどい……」
ティアとサクラが、小さな悲鳴を上げる。
俺も目の前に広がる凄惨な光景に、思わず息を呑んだ。
部屋を埋め尽くす、異様な光景。
仰向け、うつ伏せ。
ねじ曲がった手足。
露出した内臓は、とっくに水分を失って、干からびている。
床に散らばっていたのは、人間の、死体だった。
死体になってからの日数に差があるのか。
白骨化しているものと、腐りかけのものと。
散らばった死体は、少しづつ状態が違っている。
それは正しく、異様な光景だった。
思わず、ティアの目を塞ぐ。
少女は、一瞬驚いたようで。
身体をびくりと震わせる。
「……あまり、見ないほうがいい。サクラも、目を瞑っていろ」
サクラは、首を左右に振った。
「……私は、見る。ゼロ君と……同じ景色を見たいから」
「……私も……もう少し、強くなりたいです……だから、お願いします」
俺は苦笑いしながら、ティアの瞼から手を離した。
「辛くなったら……すぐに言えよ」
二人は、こくりと頷いた。
奥まで真っ直ぐに伸びた、室内。
扉の向こう側から聞こえてくる、確かな呻き声。
……間違いない。親父さんは、あの中にいる。
部屋の両端には、鉄格子の檻が隙間なく配置されていて。
床だけではなく、檻の中にも死体が散らばっている。
一体なんなんだ、ここは。
疑問を胸の奥にしまい、
死体を避けながら、駆け足で進む。
扉へ近づくたびに、強くなる呻き声。
一体この場所が何なのか。
何が行われていたのか。
グランヴァイオを倒してから、ゆっくりと問い詰めよう。
俺は、思い切り、鉄の扉を、引き開けた。
「――おや、誰ですか? 私のお楽しみを邪魔するのは」
部屋に入った瞬間。
氷のように冷たい声が、俺たちを出迎える。
礼服に身を包んだ、細身の男と目が合う。
恐らく、三十代前半。
狐顔。
まるで能面をかぶっているように、表情には一切皺がなく、薄気味悪い。
こいつが、ここのボス。
……グランヴァイオか。
思っていたよりも、若い。
「……お父さん……!」
「……サクラ……」
サクラが、悲痛な叫びをあげる。
弱々しく、父親が返事をする。
滴り落ちた血。
両手を縛った鎖で、天井から吊るされた父親。
顔の形は変形していて、原型を留めていない。
紫に腫れ上がった顔面。
抜け落ちてしまった歯。
ねじ曲がった、足の指。
肩の肉はそぎ落とされていて、骨が見えてしまっている。
出会った時の比ではない。
父親は、瀕死だった。
高さのある天井。
スペースのある、広い室内。
並べられた、拷問器具。
天井から振り子の付いたベッド。
針が敷き詰められた、金属の箱。
壁に掛けられた、刺のついた首輪。
どれもこれも、血で錆がついている。
怒りが、ふつふつと湧いてくる。
マナが、集積される。
「……お前が、グランヴァイオか」
「そうですが……なんですか、あなたたちは?見ない顔……ファミリーではありませんね」
不快感を露わにする、男。
やはりこいつが、グランヴァイオ。
男はジロジロとこちらを凝視した後、何かに気付いたように、表情をハッとさせる。
「ああ、なるほど。そこにいるのは私が呪いをかけてあげた娘ですか。生きていたとは驚きです。ということは……なるほどなるほど……父親を救いに来たんですね……いやあ、麗しき家族愛」
うんうんと頷きながら、楽しげに独り言を繰り返す、表情の薄い男。
「……あ、違う。あなたは偽物でしたね。あなたは偽物の娘。ふふ、偽物、ふふ」
グランヴァイオは、楽しそうに笑う。
能面のような顔をニヤつかせ、目を見開きながら、不気味に微笑む。
サクラは、ぎゅっと拳を握り締める。
「……しかし、不思議ですね。どうやってここまで辿り着いたのですか? 私の部下は、いったい何をやっているのでしょう……また、お仕置きが必要ですね」
グランヴァイオは、ニヤつきを崩さない。
お前の部下は、全員死んだよ。
そう挑発する気が起きないほど、その時の俺は、頭に血が上っていた。
全身に、マナがみなぎる。
駄目だ。
このままでは、このアジトそのものを崩壊させてしまう。
気持ちを落ち着けようと、俺はふうーっと息を吐いた。
上った血が、降りてくる。
俺は少しだけ、冷静さを取り戻した。
「ほう、とりあえず鑑定してみましたが。そこにいる黒髪の少年とお嬢さんは吸血鬼ですか。吸血鬼が、この場所に。……なんだか、運命を感じますねえ」
意味ありげに、呟いて。
グランヴァイオはうんうんと首を縦に振る。
ニヤついた笑顔を崩さず。
嘗め回すように、俺とティアをじろじろと覗く。
「ん? そこの少年。あなたからはマナを感じませんね。まさか……半人ですか?」
俺は奴を睨みつけたまま「そうだ」と答えた。
「ははははは! これは傑作です。吸血鬼の、おまけに半人。あなたはいったい、何をしにここに来たのですか!」
高らかに笑ってから、グランヴァイオはこほんと咳をした。
うすら寒い瞳でこちらを見つめ、口角をにやりと上げる。
「……正直イライラしていたのですよ。せっかくお楽しみの最中だったのに、ノックもせずに邪魔が入って。しかしまあ、半人の吸血鬼とは、虐めがいがありそうです。少しだけ、楽しくなってきました」
臨戦態勢に入る、グランヴァイオ。
態勢を低くして、体からマナを放出する。
右手に出現する、鎖鎌。
間違いない、あれは神器。
一流の魔法使いである、証。
「……逃げろ……サクラ……ゼロさん……ティアちゃん……こいつは……強い……」
掠れた声で、言葉を紡ぐ親父さん。
一体こいつから、どれほど酷い仕打ちを受けたのだろう。
陽気に笑う顔が想像出来ないほど、その顔面は醜く歪んでいた。
再び、怒りが湧いてくる。
「……グランヴァイオ。最後に一つ、聞きたいことがある」
「なんですか? マナがゼロの哀れな吸血鬼さん」
「お前は、父親と約束したよな。……組織に戻れば、町に火を放たないと」
狐顔の男は、楽し気に「ああ」と相槌を打つ。
「確かにしましたねえ。そんな約束」
「……どうして、守らなかった」
グランヴァイオは、思ってもみなかったという表情を浮かべた後。
肩を震わせ、嘲るように笑い出す。
「あなた馬鹿ですか? この男は昔そこの娘を勝手に逃がして、私の顔に泥を塗ったのですよ。守ると思っている方が、どうかしている!」
「……お前が守りたかったものは約束じゃなくて、そのちっぽけなプライドだったってことか」
ムッとする、グランヴァイオ。
額に筋を浮かべ、薄気味悪い顔で俺を睨みつける。
「あまり調子に乗るなよ、哀れな吸血鬼君――」
男は勢いよく、地面を蹴る。
こちらに向かって高速で突進する、グランヴァイオ。
「――お前のちっぽけなプライド……そんな下らねえ物のためになあ、幸せな家族を壊させるわけにはいかねえんだよ」
男を視界に捉えたまま、ブレードを召喚する。
レーヴァテインで欠片一粒残さず、
焼きつくしてしまいたいのはやまやまだが。
この男には、まだ聞きたいことがある。
右手に浮かび上がる硬質のブレード。
グランヴァイオの表情に、驚愕が入り込む。
「お前……半人じゃ……!」
インパクトの直前で、目を見開くグランヴァイオ。
今更気付いても、もう遅い。
歯を食いしばり、俺の首を刈り取るべく。
なおも鎌を振り上げる。
ひと時も目を離さず、俺は奴の瞳を見据え続ける。
勝ち誇っていた双眸に、恐怖と困惑が浮かび上がった。
振り下ろされる、鎖鎌。
応戦するべく、突きあげるようにブレードを振りあげる。
ぶつかり合う、剣と鎌。
ギィィンと。
鋭い金属音が地下室を振動させる。
そのまま、互いの武器を押しつけ合う。
奴が上で、俺が下。
だが、勝利の女神がどちらに微笑んだのか。
それは、確定的に明らかだった。
「……そんな剣で、どうして私の神器が……!」
肩を震わせるグランヴァイオ。
目を大きく見開き、突如として現れた脅威に顔を歪める。
「――話はこれから、ゆっくり聞かせて貰う」
ほんの少しだけ、剣に力を込める。
グランヴァイオの鎌に、ヒビが入る。
そのまま、押し返すように。
俺は剣を振り上げた。
強烈に光り輝く、ブレード。
粉々に砕かれた、グランヴァイオの神器。
飛び散る、鮮やかな血飛沫。
男は叫び声をあげながら、俺の真横に倒れこむ。
抉れた腹部を押さえ、床をのたうち回るグランヴァイオ。
勝負は、一瞬で決まった。