16:「星に願いを」
星の降る夜。
少女の願いは流れ星に乗って。
確かに、俺の元に届いた。
後は、その願い。
叶えるだけだ。
冷ややかな夜の空気は、肌に纏わりつきながら。
体の熱を冷ましてくれる。
今日の夜風は、心地いい。
「さあ、何をしている、サクラ」
「……え?」
「早く俺の背中に掴まれ」
事態が呑み込めていないという風に、口をぽっかりと開ける少女。
俺はそんなサクラを、優しく諭す。
「……一人で勝手に先走ってしまう馬鹿親父に、ガツンと言ってやれるのはお前しかいないだろ?」
小さな微笑みを、浮かべて。
こくりと頷くサクラ。
その頬は、僅かに赤い。
しゃがみこんだ俺の背中に、乗りかかる少女。
胸の柔らかなふくらみが、背筋に伝わる。
「ティアも、来い」
「……わ、私もですか……?」
ティアは、まるで考えていなかったという表情を浮かべる。
「大事な大事な妹を、こんな場所に一人で置いていく兄がどこにいるんだ」
黒い瞳をビー玉みたいに丸くするティア。
それから少し俯いて、顔を上げる。
少女は頬を僅かに上気させ、にんまりとこちらを見上げた。
そのまま頷いて、俺の方に駈け寄る。
ティアに左手を差し出す。
少女は小さな手で、しっかりとその手を握り返した。
「……悪いな、ティア。生憎背中は満員なんだ」
「大丈夫です……こうして体が繋がっている……私はそれだけで十分なので」
満面の笑みで、そう呟くティア。
サクラを背中に、ティアを左手に。
さあ、いよいよ準備は整った。
顔を真っ赤に染め上げて、俺の肩をぎゅっと掴むサクラ。
少女の熱い吐息が、首筋に触れる。
とくんとくんと。
背中越しに伝わる、少女の鼓動。
俺はそんなサクラの緊張を解きほぐすように、優しく囁く。
「大丈夫だ、サクラ。お前たちの幸せな暮らしは、必ず俺が取り返す」
「……うん」
そっと、サクラは背中に身体を預ける。
じんわりと温かみを増す、少女の身体。
さあ、行こう。
サクラの家族を、取り戻しに。
「……振り落とされないように、しっかりと捕まってろよ……!」
全身にマナを集中させる。
身体が、薄青く輝く。
ぎゅっと目を閉じる、ティアとサクラ。
身体を重く包み込んでいた、重力が消える。
態勢を低くし、次に来る衝撃に備える。
俺はそのまま、思い切り地面を蹴った。
ふわりと宙に浮く体。
全身を切り裂く、猛烈な風。
俺の身体は、まるで矢のように。
一直線に。
父親の気配のする方向へ、飛んでいく。
景色が、右から左へ。
前から後ろへ、高速で流れていく。
サクラと父親が暮らした街は、もう遥か後方に。
いつの間にか、草原を駆ける俺達。
それはまるで流れ星のように。
少女のささやかな願いを乗せて、薄青く輝きながら、夜の闇を切り裂いていく。
だんだんと、父親の気配が近づいてくる。
眼前に広がる、雑木林。
どうやら、サクラの親父さんはあの中のどこかにいるらしい。
態勢を低くして、マナを分離させる。
雑木林の目の前で、俺達は静かに停止した。
「……着いたの?」
背中から、サクラの声。
全身にはびっしょりと汗をかいていて、背中越しに濡れた少女の身体が伝わる。
それはティアにしても同じで。
ぎゅっと瞑った目をゆっくりと開けて、不安そうに俺の顔を覗いた。
「ああ、どうやらこの中にいるらしい」
目の前に広がる林を見上げ、サクラはハッと息を呑む。
人の手が加わっていないのか、種々雑多な樹が不均等に枝を伸ばすその光景は。
闇夜と相まって、酷く不気味に映った。
「……ここは……」
「どうかしたのか?」
「……この林はね、このあたりでは「隠れの林」と呼ばれていて、入った人が神隠しに逢うことで有名な場所なの……。だからドネツクの町の人は、絶対に入らないようにしてる……。遊びで入って、今までに何人も行方不明になってるんだよ。どうしてそんな場所に、お父さんが……」
神隠し。
黒い鷹の離反者が結成した、マフィア団体。
敵のアジト。
そして、そこに向かったサクラの父。
……なるほど、繋がりが見えてきた。
「……時間がない。ティア、サクラ、急ぐぞ」
躊躇なく、俺は林に入る。
あ、待ってと呟きながら、俺の後を走るサクラ。
ティアも、その後に続く。
落ち葉で敷き詰められた雑木林は、歩くたびに葉っぱの割れる音がする。
うすら寒い空気の充満する林。
ひゅうひゅうと、不気味な風が吹き抜ける。
うねうねと不規則にうねる木が密生するその場所は、たまらなく薄気味悪い。
ティアとサクラはきょろきょろと辺りを見回しながら。
俺の背中にぴったりと体をくっ付けている。
林の不気味さに、よほど緊張しているのか。
時折。
足元の石につまづきそうになり、その度に小さな悲鳴を上げる二人。
その姿が何だか可愛しく、俺は場違いにもふっと笑いそうになる。
そうして。
親父さんの気配を辿り、しばらく進んでいくと。
俺達は開けた場所にたどり着いた。
その場所だけ、木々が一本も生えていない。
まるでそこだけ人為的に、樹木が刈り取られたようだった。
雑木林の中、不自然に出来た円形のサークル。
親父さんの気配は、そこで消えていた。
勿論、辺りを見回しても、サクラの父親の姿はどこにも見当たらない。
「……おかしいな。この場所で、気配が消えている」
俺がそう言った瞬間。
サクラの表情に、不安がよぎる。
心配げに、こちらを見つめるティア。
口元に手を当てて、脳みそを回転させる。
考えろ。
どうしてサクラの父親の気配が、ここで消えている。
サクラの親父さんは、一体どこに消えた。
『この部屋は地下、おまけに密閉されている。マナは、薄くなります』
不意に、ギルバルドの言葉が頭によぎる。
そうだ。
地下だ。
地下はマナが薄くなる。
マナとは、光によって生み出されるものだからだ。
光が届ぬ地下では、薄くなるのが道理。
マナの薄い地下室までは、気配を追跡出来ない。
サクラの父親は、この下にいる。
俺が気付いた、その時だった。
サークルの中心点が、ギシギシと音を立て始める。
落ち葉の下に隠れていた、鉄のプレート。
それを引き開け、地下より現れる、三人の男達。
全身黒づくめ。
そして、顔をフードで隠している。
その姿には、見覚えがあった。
ティアを襲ったヴァンパイアハンター。
あいつと、全く同じ格好だ。
身構える、サクラとティア。
俺の背中に体を隠し、ぎゅと目を瞑っている。
三人はサークルの隅で佇む俺に気付いたようで。
一瞬びくりと体を震わせてから、素っ頓狂な声をあげた。
「……なんだなんだ、驚かせやがって……一瞬幽霊かとおもっちまったじゃねえか。なんだ、お前らは、こんな場所に何しに来たんだ?」
「お前達こそ、これからどこに行くつもりだ」
男たちの質問には答えず、俺は問いを投げかける。
三人は一瞬沈黙した後、何かに気付いたように顔を見合わせた。
「ほう、後ろにいるのはあの時の娘かあ……せっかくボスが呪いをかけたのに、まだ生きてやがったんだな」
けっけっけと、品性のかけらもない声を上げる三人。
サクラは俺の後ろで、ぎゅっと体を寄せる。
「……てことは、なるほど、親父を取り返しにきた……てことか?」
一人が馬鹿にするような態度で、俺達にそう投げかける。
こくりと頷くと、三人は一斉に笑い出した。
拳を震わせる、サクラ。
ティアも、三人を睨みつけている。
「もう一度聞く。お前達、これからどこに行くつもりだ」
「決まってるだろ、町に火を放ちに行くんだよ。あのバカ親父、本当にボスの言うことを信じて、馬鹿じゃねえかなあ。昔奴隷を逃がして、ボスの顔に泥を塗ったんだ。戻ってきたら許すって、そんなわけねえだろ。逃げても地獄、戻っても地獄だ。これからあいつはたっぷりと痛めつけられた上に、自分の町を燃やされるんだぜ? 傑作だろ?」
ぎゃははと、楽しそうに笑う三人。
顔面を蒼白にするサクラ。
「……それは、傑作だな」
「そうだろそうだろ。おまけに娘までわざわざやってきて、ここで無様に死ぬんだからよお!」
死ね、マナを持たない哀れな吸血鬼!
地獄で泣きわめけ!
三人はそう叫んで、俺に飛び掛かる。
そうか、いつの間にか鑑定されていたのか。
マナを待たない……か。
そうか、そうだったな。
俺は、半人だった。
ドネツクの町が暖かすぎて、すっかり忘れていたよ。
悲鳴を上げ、ぎゅっと目を閉じるサクラ。
けれど、いつまでも襲ってこない三人に痺れを切らしたのか。
ゆっくりと、その眼を開ける。
無残にも、地面に倒れている三人。
「……お前……半人じゃ……」
無様な声をあげ、硬直しきった体で俺を見上げる三人。
その瞳には、得体のしれない恐怖が滲んでいる。
急所を的確に突いた、今日はもう一歩も動けないだろう。
「……傑作だな。殺したはずの娘は生きていて。おまけにお前らのつまらない策略は、たった今から俺に潰されるんだから」
目を丸くして、俺を見上げるサクラ。
頭の中で何かが符号したのか、そのまま唇を震わせ、じっとこちらを見つめる。
薄茶色の瞳はだんだんと潤んでいって、俺を捉えて離さない。
「あなたは……あの時の……お父さんと私を助けてくれた……」
「……そんな昔のことは、もう忘れたよ」
さあ、行こう。
この物語に、決着を付けにいこう。
ハッピーエンドは、すぐそこだ。