15:「光」
「……サクラさんのお父さんが……いなくなりました!」
テラスの窓をガラリと開け、ティアは青い顔でそう伝える。
ここまで全力で走ってきたのか。
全身にはびっしょりと汗をかいていて、はあはあと肩で息をしていた。
予想外の事態に、サクラの表情が消える。
口元に手を当てて、唇をわなわなと震わせる。
「……きっと、奴らのもとに向かったんだ」
力なく項垂れて、サクラは足元にしゃがみ込む。
さっきまで頭上に輝いていた月。
だが今は、雲に隠れて見えない。
俺は冷静に、状況をティアに確認する。
「状況を詳しく教えてくれないか、ティア」
ティアは唇を噛む。
「……あの後宿の中に入った私達は、一階のソファーで待っていたんです。それで、サクラさんのお父さんは、少し書類の整理をしてくるとカウンターの奥にある部屋に入っていかれて。私、外に出しちゃいけないと思って、外に出ようとしたら止めるつもりだったんです……でも、奥の部屋だったら大丈夫かと思って、それでなかなか戻ってこなかったから、どうしたんだろうと思って扉を開けたんです……そしたら誰もいなくて……おかしいです、窓なんてどこにもないはずなのに……」
おろおろと狼狽えながら、ティアは早口で説明する。
窓のない部屋から、抜け出した……?
一体、どういうことだ。
心当たりがあるのか、サクラは表情をハッとさせる。
「……奥の部屋は、本棚の裏に隠し扉があるの。……もしも、黒い鷹の人達が乗り込んできても逃げられるように、お父さんが……」
……なるほど、本棚の裏に隠し扉、か。
いざという時にそこから外に出て、裏から扉を隠せば、相手には気づかれず外に出られる……ってことだな。
まさか黒い鷹ではなく。
黒い鷹から親子を守ろうとする俺達相手に役に立つなんて、皮肉なもんだ。
……これで状況ははっきりした。
サクラの父親は、黙って敵の元へ乗り込みに行ったんだ。
自分一人で全てを解決させるつもりなんだ。
一人組織に戻り、この物語に幕を下すつもりなんだ。
サクラを一人、俺たちのもとへ残し。
……悪いが、そんな結末認めはしない。
この親子には、必ず幸せになってもらう。
「ティア、親父さんが奥の部屋に入ったのは、どれくらい前だ」
「……十分くらい前だと思います……本当にごめんなさい……私がちゃんとしていれば……」
ティアは俯いて、涙目になる。
十分……か。
「サクラ、親父さんが向かった先に心当たりはあるか」
枯草のように地べたにうなだれて。
サクラは無言で首を左右に振る。
「……ごめんなさい……敵のアジトがどこにあるのか……私にはわからない……あいつがお父さんに場所を告げていたのは知ってるんだけど……その時呪いで苦しくて……詳しい場所までは聞き取れなかった」
放心したように、サクラは静かに夜空を見上げる。
頭上には、曇り空。
もう、星は見えない。
星に手を伸ばそうとして、そのまま、何もかも諦めたように。
サクラはゆっくりとその手を、下す。
目を閉じて。
瞼の内側に、懐かしい思い出だけを描く。
未来を諦めた人間は、過去に思いを馳せるしかない。
「……なあ、サクラ。どうしてそんなに項垂れているんだ。さっき約束しただろ。俺がハッピーエンドに作り変えてやるって」
「もう、無理だよ……もう無理」
目を伏せ、サクラは諦めを口にする。
「……ティアは、どう思う?」
「お兄様……」
ティアも、俺の目を見ようとしない。
「――なんだ、まだ諦めていないのは俺だけか」
空気中のマナを集中させる。
身体を空間に溶かす。
そんなイメージを構築する。
俺の足元に、魔法陣が出現した。
薄青い光が、全身を包み込む。
光は夜の薄闇を照らし出し、幻想的な光景を作り出す。
光はだんだんと強さを増し、いつしか空に輝く月のように。
まるで俺達を導くかの如く、周囲を明るく照らし出した。
異変に気付いたのか、俯いていたサクラはハッとして首をもたげる。
目と目が合う、俺とサクラ。
俺は、微笑みを返す。
「……光が……広がって……何、この魔法……こんなの見たことない……!」
サクラが目を丸くしている。
虚ろが支配していたその眼差しに、光が満ちる。
俺の方を見上げ、口をぽっかりと開けるサクラ。
それはティアにしても同じで。
突然目の前で起こった理解不能な出来事に、驚愕を浮かべるばかりだった。
「――見つけた」
空気中に漂う、無限のマナ。
俺はそれを、自由自在に操ることが出来る。
意識を極限まで集中させると。
空気中のマナを通して、人の気配を感じるなんてことも容易い。
ある程度触れ合ったことのある人物ならば、個人を特定することも可能だ。
この町から、東へしばらく行ったところ。
間違いない、親父さんの気配だ。
勿論。
こんなことが出来るのは、世界でただ一人。
俺だけだろう。
2人が驚くのも、無理はない。
「……え?」
サクラは俺を見上げる。
さっきまで、抜け殻のように打ちひしがれていた少女の瞳。
今は、確かな光が灯っていた。
「親父さんを見つけた。ここから少し、東に行ったところだ」
薄茶色の瞳が、大きく開かれる。
絶望が希望に、塗り替わる。
「……見つけた?」
「ああ。今から行けば、まだ間に合う」
信じられないという風に。
俺の方をじっと見つめるサクラ。
「……本当に……あなたはいったい……」
サクラは表情を、驚き一色に染める。
俺はあの時みたいに、微笑みだけを返す。
いつの間にか顔を出す、雲に隠れていたはずの月。
夜空には再び。
幾千もの星が浮かび上がっていた。