14:「流星」
席を外してもらうため、ティアと父親には宿の中へ入ってもらった。
俺はサクラと向かい合う。
どうしても、二人きりで話したいことがあったからだ。
しっとりとした空気の包み込む、満天の星空。
サクラは俯いて、俺の方を見ようとしない。
「……今まで黙ってて、ごめんね」
俯きながら、サクラは弱々しく呟く。
俺は何も言わず、黙って首を左右に振った。
「ありがとう。ゼロ君は優しいね」
サクラは顔を上げる。
涙で赤くなった少女の瞳。
顔をくしゃりとさせ、サクラは俺に笑いかける。
「……あのね、実は私とお父さんは……本当の親子じゃないの」
俺に背中を向け、天を見上げるサクラ。
いつもピンと伸びていた少女の背中は、なぜかその時、ひどく歪んで見えた。
「私はね、黒い鷹に貴族の貢物として拉致された、かわいそうな女の子だったの」
振り返り。
まるで楽しい話でもしているような表情で、サクラは笑った。
悲しいくらい場にそぐわぬその態度に、一瞬心が揺れる。
少し目を伏せ、サクラは生い立ちを語り始めた。
「偉ーい貴族様に、献上するようだったんだって。ね、私ってすごいでしょ。お偉い様用に幼くて可愛くないとダメだから、わざわざ家に踏み込んで両親を殺してまでして私を連れ去ったんだよ」
ひと時も笑顔を崩さず、声のトーンも明るい。
けれど、その声はまるで作り物のように。
無機質で、冷たく感じられた。
「……お父さんはね、私のお世話係だったの……檻に入れられた私に、毎日二回食事を渡す係。初めはね、凄く怖い人かと思った……全然笑わないし、私が話しかけても、うんともすんとも言わない」
でも、とサクラは言った。
「ある時ね……寝ぼけていた私は、食事を渡しに来たその人に……お父さん?って言っちゃったの。まあ、単なる言い間違い。その時私は幼いながら大分参ってたから、つい言っちゃったんだと思う」
くすっと、思い出し笑いをするサクラ。
後ろ髪をかきながら、照れたように笑う。
「するとね、私が何を言ってもうんともすんとも言わなかったその人が、急に泣き出したの……檻の前で膝をついて、子どもみたいに声をあげながら。そしてね、私にごめんなさいって何度も繰り返すの」
呆れるように、サクラはふーっとため息をついた。
「……本当に馬鹿だよね。謝るなら、最初から黒い鷹なんて入らなけりゃいいじゃん。……その人にもね、昔娘がいたんだって。でもね、ずっと病気だったの。それも、治療費がすっごくかかる厄介な病気でさあ。だからね、娘の治療費を払う為に、汚い仕事にも手を染めた……そうしていたら、いつの間にか黒い鷹にまで流れ着いちゃったんだって」
本当に、馬鹿だよね。
言葉とは裏腹に、サクラは慈しむような微笑みを浮かべる。
「でね、結局その娘さんは助からなかった。その人の奥さんも、黒い鷹で悪事を働くその人に愛想をつかして出て行っちゃってね……ひどいでしょ、その人は娘を守るために一生懸命だったのにね」
口をへの字に曲げるサクラ。
夜空には、きらきらと星が輝いている。
「もう何もかもどうでもよくなって、自分の感情を押し殺して、死んだ目で生きてきて……私に会ったのは、丁度その頃みたい」
サクラはゆっくりと目を閉じた。
その瞼の裏側には、一体どんな景色が広がっているのか。
何も知らない俺に、わかるはずはない。
「私が間違えてお父さんって呼んだときね。自分の娘も守れなくて、おまけに他人の娘まで不幸にして……いったい自分は何やってるんだ、って思ったんだって」
サクラは静かに、目を開く。
真っ直ぐに見つめ合う俺達。
満天の星空に輝く月だけが、俺とサクラを見ていた。
「それからのその人は凄かった。次の日上司の机から鍵を盗んできてね、私を連れだしたの。次の日だよ? 信じられないでしょ?」
すらりとした腰に手を当てて、サクラは笑う。
俺も笑いながら「そうだな」と返した。
「貴族の慰み者になる前に、どうしても私を逃がしたかったんだって。でも、流石にもうすこし段取りってものがあるよね。全然計画とか立ててなかったから、勿論途中で見つかってさあ。怖い人達に追われるのなんの」
大切な思い出を、懐かしむようなサクラ。
そのまま少し目を伏せて、小さくため息をつく。
「……周りを囲まれて、もうダメだ、ってなったんだよね……でね、二人して目を閉じた。そしたらね、不思議なことに次に目を開けた瞬間、今まで私達を追っていた人達が、全員地面に倒れていたの。それでね、金髪の男の人だけがそこに立ってた。きっとその人が、助けてくれたんだと思う」
うっとりと、少女は目を輝かせる。
「何も言わず、その人は少しだけ微笑んですぐにその場からいなくなっちゃった。……どこかで見たような記憶はあるんだけど……結局誰だったのかは、分からずじまい。そうして何とか組織から逃げだした私達は、この町に流れ付いたの」
「……なるほど、な」
「その人ね、私を本当の娘みたいに扱ってくれた。私が熱を出したら近所中に頭を下げて、熱を冷ます方法を聞いたり。ちょっと怪我すると、死ぬんじゃないかってくらい大騒ぎしたり……本当に、馬鹿でしょ?」
「良い親父さんだな」
サクラはとても満足気に、こくりと頷いた。
「……だからね、私もいつしかその人のことが好きになってた。お父さんって初めて呼んだ日ね、もう信じられないくらい泣いたんだよ。まだ宿屋の営業時間中だったからさ、お客さんもいったいどうしたんだーって感じでさ。もう、大変だったんだから」
星空を見上げるサクラ。
そのまま両手をいっぱいに広げて、星を掴もうとする。
「お父さんはね、私がいないと駄目なの。あんなお父さんだけど、私にとっては世界で一番のお父さんなの。……だからね」
「だから、付いていくのか」
サクラにかぶせるように、俺はそう尋ねた。
少し目を丸くして、少女はそれから小さく頷く。
「……そう。私は、お父さんについていく。お父さんはゼロ君に付いて行けって言ったけど、やっぱりそれは出来ない。……今までありがとうね、ゼロ君。」
「それは、お前の満足いく結末なのか?」
「……うん。私はお父さんが、好きだから」
微笑みながら、サクラは小さくお辞儀をした。
それは、別れの挨拶だった。
この章に幕を下ろす、少女の決意だった。
幕はブザーを鳴り響かせながら、だんだんと降りていく。
ビターエンドに満足した観客達が、帰り支度をし始める。
その中で、一人。
ただ一人満足していない者がいた。
俺は立ち上がり、急いで舞台まで走る。
「なあ、サクラ……」
「ん?」
満足気に笑みながら、少女は俺を振り返る。
俺の表情があまりに鬼気迫るものだったからか、サクラは一瞬ビクリとした。
「だったらどうして……お前は俺に、この町で一緒に暮らさないか、なんて言ったんだ」
あの時、サクラは俺に言った。
『この町で一緒に暮らさない?』
本当に父親と町を離れる気なら、果たしてそんな提案をするだろうか。
サクラは何も言わず、俯いた。
「どうして、お前はまたこの町に会いに来てなんて、出来もしない約束を俺に取り付けたんだ」
『……あのね、ゼロ君とティアちゃん。やらなければいけないことが終わったら……もう一度、この町に会いに来てくれる?』
サクラは俺と目を合わせようとしない。
唇を噛んで、俯いたままだ。
「サクラ、お前はあの時最後、何か言おうとしたよな。一体お前は、何を俺に伝えようとしたんだ」
『ねえ……ゼロ君……いや……ごめん、なんでもない』
幕が下がりきる前に。
俺は、何とか間に合った。
身体を滑り込ませ、舞台袖に下がろうとしているサクラに、思いを伝える。
身体を小刻みに震わせるサクラ。
俯いたまま、涙をボロボロと溢す。
雨粒のような涙でくしゃくしゃになった顔で、サクラは俺を見上げた。
「……本当は……この町から……離れたくなんかない……あんな奴らのいるところに……戻りたくなんか……ない……お父さんと二人で……この町で暮らしていたい……ねえ、ゼロ君……助けて」
ねえ……ゼロ君……助けて
偶然か、必然か。
その時。
満天の夜空に、一つの星が流れた。
「――その言葉が、聞きたかった」
「……え?」
幕は、再び上がる。
まだ終わっていない。
この親子の物語は、まだ終わっていない。
終わらせるものか。
こんな、ふざけたエンディングで、満足するものか。
「安心しろ、俺が全部ハッピーエンドに作り変えてやる」
涙で赤くなった目を丸くするサクラに、俺はそう約束した。
サクラは震える声で、応答する。
「え? でも敵は……三十人以上……それも、一筋縄じゃいかない……」
その時だった。
勢いよく、テラスの窓がガラリと開いた。
中から現れる、ティア。
血相を変え、緊急事態の発生を俺に伝える。
「……大変です、サクラさんのお父さんが……いなくなりました!」