13:「告白」
「この料理……すっごく美味しいですね」
「そうだろ、それはな鶏肉を二時間トマトと一緒に煮込んだんだ。宿の看板メニューなんだぜ」
料理を頬張りながら舌鼓を打つティアに、サクラの父は得意げな顔で答える。
あの後、俺達は高台から宿に帰った。
宿に付いた頃にはもうすっかり夜になっていて、黄昏の茜空は姿を消していた。
俺たちの帰るタイミングと、夕食が出来上がるタイミングはピッタリだったようで。
『お、よく帰ってきたな、丁度今晩飯が出来たところだぜ』と。
顔をほころばせる父親が、俺達を出迎えた。
「しかし……本当に、星がよく見えますね」
満点の夜空を仰ぎ見ながら、ティアは「はーっ……」と感嘆の声をあげる。
雲一つない夜空。
部屋の中で食べても味気ないので、外のテラスで食べようとサクラが提案したのだ。
そんなわけで。
俺達は今、宿の裏側にあるテラスで、満点の星空の下夕食を取っている。
見上げれば、星降る夜空。
手を伸ばせば、今にも手が届きそうなほど星が近い。
視線を下におろせば、父親が腕によりをかけて作った豪勢な料理。
鶏肉のトマト煮込みをメインに。
卵とチーズのリゾット。
色とりどりのサラダの盛り合わせ。
そして、デザートにはちみつをかけたパンケーキが添えられている。
どれも、本当に美味しい。
美しい夜空と相まって、この食事は、忘れられない思い出になりそうだ。
俺達四人は他愛もない話に花を咲かせながら、夕食を楽しんだ。
父親がサクラの昔話をする度に、赤い顔で抵抗するサクラがやけに可愛くて、思わず顔がほころぶ。
星が咲き乱れる夜空。
俺達はいつまでも、笑いあっていた。
☆★☆
「ごちそうさまでした」
四人で一粒残さず綺麗に完食し、俺は手を合わせる。
久しぶりの、落ち着いた夕食。
ほっぺたが落ちそうになるほど、美味しかった。
本当に、泊まったのがこの宿で良かったと改めてそう思う。
「どうだ、美味かったか?」
ナフキンで口をふいていると、対面に座っていた父親が身を乗り出してそう尋ねてくる。
「勿論。今までで、一番かもしれない」
「そうか……そりゃ良かった。ティアちゃんはどうだ?」
「私も、今までで一番かもしれません」
俺達がそう返すと、父親はとてもうれしそうに、にんまりと笑顔を作った。
「良かったね、お父さん」
「ああ、俺も娘の恩人様に「美味しい」と言われた今日が、人生で一番嬉しいかもしれない」
満面の笑みを浮かべる父。
けれど、その後。
父親は少し無言になった。
思案気に俯いて、思い立ったように顔を上げる。
「……なあ、ゼロさん」
あまりに真剣なその表情に、一瞬身構える。
そのまま強く唇をかみ、父親は俺の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「……もしよかったら……サクラを一緒に……旅に連れて行ってもらえないか」
「……なに?」
それは、思いもよらない頼みだった。
賑やかだった場の空気が、凍る。
青い顔をして、父親に反論するサクラ。
「ちょ……ちょっとお父さん、どういうこと!」
そんな娘に一瞥もくれず、じっと俺の方を見つめるサクラの父。
今までの父親からは想像できないような、真剣な眼差し。
鋭い眼光は、瞬きもせずに、俺を視線に捉え続ける。
……決して冗談で言っているわけじゃない。
父親は、本気なのだ。
本気で、娘を連れていけと言っている。
「理由を聞かせてくれ」
見つめ合う、俺達。
急に現れたシリアスな雰囲気に、おろおろと不安げなティア。
「……なに、可愛い子には旅をさせろっていうだろ。そろそろサクラも十七だ。この町以外にも、外の世界を見てきた方がいい」
表情をほころばせ、微笑みを浮かべる父。
一目でわかった。
作り笑いだ。
この男は、嘘を付いている。
テーブルを両手で強く叩き、サクラは尚も反論する。
「……今日の昼……約束したじゃない……ずっと一緒だって……約束したじゃない」
「……」
涙目のサクラに少し動揺したのか。
父親の瞳に、微かな揺らぎが生まれた。
なんだ。
いったいどうなっている。
何がどうなっているのか、さっぱりわからない。
だが。
一つだけ確かなこと。
この二人は、何かを隠している。
ティアと俺だけが、場の雰囲気から取り残されていた。
「どうだ、ゼロさん。サクラは器量も良いし、気配りも出来る俺の自慢の娘だ。あんたの旅の邪魔にはならねえ」
サクラを振り向かず、父親は俺を視線に捉え続ける。
……そう言えば。
出会った時から、この二人は妙だった。
まず、娘の方にだけかけられた呪い。
どうして父親には魔法をかけず、娘だけ呪うんだ。
賊は金品を奪う為に、相手を抵抗できなくさせる必要がある。
だから本来。
呪いをかけるならば、娘ではなく戦力になりそうな父親の方のはず。
どうして賊は娘を……娘だけを呪ったんだ。
その上。
呪印に施された魔法陣は、高レベルだった。
Bクラスというのは、魔法使いの上位2%と言っても差し支えない。
わざわざ積荷狙いの強盗などやらずとも、もっと割の良い働き口など、いくらでもあるはずだ。
……なんとなく、話が見えてきたな。
「……追われているのか?」
俺が問いかけた瞬間。
サクラと父親の表情が凍った。
図星、だ。
なるほど、やはりそういうことか。
この親子を襲ったのは賊ではない。
この二人に、何らかの恨みがある人物だ。
そうか、なるほど。
だから娘の方にだけ呪いをかけたわけか。
父親に。
娘を救えなかったという十字架を。
一生背負わせていくために。
一体。
誰がこの幸せな親子に、恨みを。
「あんたには……全部お見通しってわけか」
父親は、ふーっと大きなため息をつく。
それから鼻をぽりぽりと掻いて、天を見上げた。
夜空には、眩しいほどの星空が広がっている。
「……俺とサクラはな、もともとこの町の住人じゃないんだ」
「……」
サクラは、すっと目線を逸らした。
「俺達は七年前に……ここに流れ着いてきた。ある組織から逃れてな」
「ある組織?」
ポケットの手を突っ込んで、父親は立ち上がった。
満点の夜空を見上げ、背中を向けたまま答える。
「黒い鷹……っていうな」
黒い鷹。
その言葉には聞き覚えがあった。
エメリアの北西部を拠点とする、犯罪組織集団。
マフィア。
という呼ばれ方もする。
かつてはエメリアで最大規模を誇るマフィアグループで、政治にも大きな影響力を持っていた。
実際、俺が大賢者として政治を動かしている時も、貴族たちの影にこの組織が見え隠れしたことが何度もあった。
だが、近年。
ボスである【ルード・ヴェルフェルム】の高齢化と、
主要幹部の相次ぐ離反により、勢力を大きく落としていると聞く。
なるほど、話が繋がってきたな。
「俺はな……そこの構成員だったんだ。組織を逃げ出してから、七年間何事もなく平和だった……どうしてこうなっちまうかねえ」
父親は自嘲するように笑った。
「本当に、偶然だったんだ。本当に、な。黒い鷹はな、最近組織が内部分裂していて、主要幹部が何人か構成員を引き抜いて新しいグループを作るのが主流になっているらしい」
沈黙するサクラ。
ティアは何も言わず、不安げなまま俺達を見つめている。
「その中のグループの一つが、最近この地方を拠点にし始めた……しかも、いつの間にそこまで出世していたのやら。ボスは俺の、かつての上司でなあ……。本当に、笑うに笑えないぜ」
「今朝襲われたのは、それが原因か」
「ああ、どうもそうらしい。本当は、もう少し前から目を付けられていたみたいだ。組織に戻るか、逃げるか。どちらかを選べと言われたよ……もう、七年も経つのによ、いい加減顔を忘れてくれと呪ったよ」
「逃げればいいじゃないか、サクラと、二人で」
父親は笑いながら、首を左右に振った。
「……もし逃げたら、町に火を放つと脅された……この町は好きだ。流れ着いた俺たちにも、親切にしてくれた。この町を、裏切りたくはない」
ふっと、怒りが湧いてくる。
拳をぎゅっと握りしめると、父親は「ありがとう」と言った。
「……怒ってくれて、ありがとうな。だけど、あんたでも無理だ。奴らには敵わない。向こうの構成員は三十人以上いる。どいつもこいつも、一筋縄じゃいかない魔法使いだ。……あんたには、本当に世話になった。連中はな、サクラを死んだと思っている。あんたが助けてくれるなんて、完全に想定外だったんだ。だから、奴らに従うのは俺一人でいいんだ」
サクラは俯いたまま、こちらを見ようとしない。
いつもの笑顔で父親は二カッと笑った。
「なあ、ゼロさん。あんたがサクラを旅に連れて行ってくれれば、これでもう全て解決だ。この場所から離れれば、もう二度と組織と関わることもないだろう。おまけに、あんたと一緒なら安心だ」
父親はこちらに向き直り、姿勢を正す。
そのまま真っ直ぐに俺の目を見つめ、大きく頭を下げる。
「頼む……。迷惑なこともわかってる……常識はずれなこともわかってる……だけど、サクラは俺の……大事な大事な娘なんだ。こいつはな、俺に付いていくって聞かないんだ……お父さんが好きだから……付いてくるって聞かないんだ……」
だんだんと、涙声に変わる。
ティアもサクラも、目を覆っていた。
「……でも、あんたと一緒なら、サクラも納得してくれると思う……そうだろ、サクラ?」
サクラは何も言わない。
ただ、俯いて。
顔を両手で覆っている。
「……サクラと二人で、話をさせてくれないか」
星が流れる夜空。
そのあまりにも美しすぎる夜景を壊さないように、俺は静かにそう言った。