とある落第バンカーの異世界転生
異世界ものをちゃんと書くのは小説家になろうでは初めてです。仕事の傍ら執筆していきます。
いつだって理想というやつはひどく脆い。
追い求めてきたソレが何だったのかなんて俺はもうすっかり忘れてしまっていた。
否、忘れたかったのかもしれない。
忘れずにいるには、少々生きにくい社会だ、と思う。
メガバンクの一角。紫を基調とする、新日本勧業銀行の行員としてはや5年。
がむしゃらに働き、会社、ひいては社会経済に尽くしてきたつもりだ。
だが、それはきっと幻想だったのだろう。その寄与分は必要な人間には全く届いてはおらず、一部のでっぷり太った高給取りの役員や天下りの頭取が卑しくも食らいつくしてきた、のだろうと今となっては思う。銀行という、ピラミッドの下層にひしめく、愚昧な兵士たちは今日も、きっと彼らの養分でしかないのだ。
赤く、赤く、染まる。
情景が歪み、鋭い痛みが全身を駆け巡る。
『この人殺しっ!』
「あ、ぁああああ!血がっ血がぁあああああああああ!」
俺はたまらなく叫んだ。怒りに燃える瞳が、俺を冥界へと引きずり込む。
刺さっていた。
腹部を一突き。包丁。
二突き、三突き。激痛に悶え苦しむ俺を、少女は微塵の容赦もなく、めった刺しにする。
「あっ……がっ……」
『お父さんを殺したっ!お前を!あたしはっ!絶対に許さないっ!殺す殺すコロスコロスコロスゥウウウウウウ!』
揺れる炎が愉悦を湛えたとき、明けることのない永遠の夜が訪れた。
俺は全てを受け入れた。
ごめん、友よ。
俺の主要取引先の一社、吉川産業。
業歴50年の地場優良企業、社長の吉川喜一はひどく愚直な男だった。
常に自社の技術力を高めるにはどうすればよいかを考え、従業員を家族のように大事にし、納入先の一次下請けに対し、常に最高のパフォーマンスを上げるべく、努力していた。
そんな吉川社長とは10以上も年が離れていたが、不思議と馬が合い、工場で部品の設計書と新設した設備を見ながら、夜通し語り合うことも一度や二度ではなかった。
「麻生君は僕の家族も同然だよ」
そう言ってくれた。
次の社長は自分の娘に決めている、とこっそり教えてくれた。
「麻生君は独身だったよね。もしよかったら、僕の娘をもらってくれないか?」
「そんなもったいないですよ、あはは。私なんかでは、ね」
吉川社長の娘は非常に聡明で、有名私立大を首席で卒業。
日本最大の自動車メーカー織田自動車に就職。
「吉川の次の社長はあたしだからさ、それまでしっかり会社を守っててよね。お父さん」
良い娘を持った、と吉川社長はいつも誇らしげだった。
吉川社長は笑顔の似合う人で、実際いつも笑顔を絶やさない人だったが、二人でいる時だけは時折こんなことを言った。
「時々不安になるんだ」
「……何が不安なんですか?」
「吉川はいわゆる中小企業だ。吹いたら飛んでしまうほどに弱い会社だ。もし何かあったら、なんていつも考える」
「心配なんて、らしくないですよ。社長」
「いいや。僕は弱い人間だよ。心配しっぱなしさ」
「そうですか……でも大丈夫ですよ。会社の技術力、盤石な取引先、将来有望な後継者。不安材料なんてありませんて」
「そう、かな……そうかもしれないね」
ふと寂しげに言葉を切った社長は何かを覚悟したような凛とした顔つきで、突然こう切り出した。
「なぁ、麻生君。君に頼みたいことがあるんだ」
結局、叶えられなかったその願いが、呪縛となって、今でもなお。
俺を苦しめ続けている。
◇ ◇ ◇ ◇
八重洲中央支店。俺の職場だ。
支店の朝は行員口にて、支店長を出迎えることから始まる。
まさに支店長は一国一城の主、現代に生きる大名だ。
「おはよう。麻生君」
「はい、おはようございます。支店長」
「話があるんだ。後で支店長室に来るように」
出社早々、支店長が俺を支店長室に呼びつけた。
きっと良い話ではないのだろう。
支店長はいかにも高そうなブランドものの腕時計を弄りながら、思案顔だった。
支店長室のドアをノックし、入室する。
支店長の能面のように張り付いた笑顔が不気味だ。
「麻生君。単刀直入に言うけどね」
「はい、なんでしょう?」
「君の昨日の稟議書だがね」
「はぁ、いかがされましたか?何か問題でもございましたか?」
「少し甘すぎる、とは思わないかね」
「甘すぎる、と仰いますと?」
「借金とはお金を借りることだ」
「はぁ……仰る通りです」
「麻生君。人からものを借りて、大事に大事に使ったら、そのあとどうするんだっけ?」
「お礼を言って……」
「返すよね。そのお礼が利子だ」
「はっ、それは仰る通りですが」
「お礼だけ言って、約束を違えて返さないってさぁ?そんなことまかり通るのかな?非常識だよね?」
「ですが……」
「いい加減小賢しい口を閉じたらどうかね。麻生君」
その張り付いた能面が憤怒の表情に変わっていく。
「君はっ!そんな当たり前のことがわかってないんだよっ!わかってんのかなっ!?脳みそついてんのか、この無能がっ!」
「っ!?申し訳ございません」
「吉川産業の融資は打ち切れ」
「っ、それは待ってください。支店長っ!」
「黙れ」
「いいえ、黙りませんっ!……吉川産業にとって、当行は長年のメインバンクです。今期と来期は赤字でしょうが、遊休不動産の処分等で再来期には当期利益は黒字になる見込みです。社長も報酬をゼロにして頑張っていますっ!」
「それがどうした?大赤字をこいて、債務超過は必至。切るしかあるまい」
「吉川はご存知の通り、大手自動車メーカーの一次下請けより、モーター部品を一手に請け負う有力な二次下請けです。国内でも随一の技術力を持っております。現に他社よりの受注は堅調で、利益率は年々上がっております。今回の日ノ丸無資格検査問題は不運な事故でした。日ノ丸の生産抑制により、売上が急激に落ち込んだことで、一時的に資金繰りを圧迫しておりますが、今月の融資さえ受けられれば、きっと持ち直します。一昨日提出させていただいた、中期事業計画は非常に合理的です。長年のメインバンクである当行は本社や預金担保を時価評価で3億ほど取得しております。保全の状況から言いましても、我々が支えずして、誰が吉川を支えるのでしょうかっ!支店長、何卒ご再考を。ご再考願いますっ!」
「わかった」
「……では支店長、よろしいのですか?」
「いいや」
「残念だよ、麻生君。次の人事異動に期待してくれたまえ」
「さようなら」
そして。
翌朝向かった場所で俺は29年の生涯を閉じた。
冒頭の赤の景色に繋がるわけだ。
で、何故生きている?
意味が分からない。
見渡す限りの大草原。
丘の向こうから、心地よい風が爽やかな季節を運んでくる。
……だなんて、呑気にポエムってる場合ではないのかもしれない。
まさに茫然自失。
--俺はいったい、今どこにいるのだろうか?
俺は蒼く光る、細剣を持っていた。
細剣は光を反射し、俺の姿を刀身へと投影する。
「え……誰だこいつ……」
そこにはよく見知った俺の顔ではなく。
切れ長の瞳、凛とした顔つきをした20代前半くらいの、少し怖そうな男が写っていた。
軍服?らしきものを着ている。スーツよりもかっちりしており、やや息苦しい。
ここに居てもどうしようもないので、少し歩いていくと小さな村が見えてきた。
が、どうにも様子がおかしい。
火薬と血の匂いがする。
どうも野盗に襲われているようだ。
これは、夢か?
わからない。
村に入ると、野盗らしき者たちと斬り結ぶ男たちが次々と捕縛され、逃げ惑う女子供は追い立てられ、村の端に追い込まれていた。
村の入り口で村人らしき男と出会った。
「そこの方、軍人さんか?」
「あ……いえ、違いますが」
「ん?訛りが強くて何いってるのかよくわからんっ!何でもいい、手を貸してくれっ!報酬は言い値で出すからっ!頼むよ!」
「ううん、どうしたらよいのか」
「しかし、あんたどっかで見たような気がするな……ううん思い出せん!ってそんなこと気にしてる場合じゃないな」
その村人のすぐ後ろに野盗が迫っていた。弓を引いてこちらに照準を合わせている。
「危ないっ!」
村人を突き飛ばし、飛んできた矢を細剣で打ち落とす。
細剣で打ち落とすなんて芸当、俺にできるなんて。俺自身が一番驚いている。
「何モンだっ!お前はっ!」
野盗が誰何すると、その野盗の頭目らしき男が前に躍り出てきた。
「この『名無し髑髏』頭目のドゥス・クラッシュ様が相手、だ……って、え?えぇええええええええ」
頭目は後ずさる。
「『冥王』ペイル・ソーサ。帝国軍魔術騎士団の元ナンバー2がなぜ……確か、王のシンパ、カーネル伯の娘に婿入りして--」
「頭目っ!確かぁ、兵を率いて、西方の異民族軍に合流。その後すぐに命を落とした、はずですぜ?」
「ならば、なぜここに?」
「わかりません!ガセだったってことですかね……」
「なんにせよ、万が一にも勝ち目はねぇ。帝国の最終兵器とか言われてた男だぜ?ずらかるしかねえよ」
「なぁ、おい」
「ひぃい」
俺が声をかけると、野盗は震え上がった。
「誰か殺したのか?」
「い、いいえっ!奴隷として売ろうと思っていたので、誰も殺しちゃ、い、いませんっ!」
「本当だろうな?」
村人は答えた。
「ああ、まあ殺しちゃいないよ。家とか色々ぐちゃぐちゃにされたけどな」
「す、すみませんでした!必ず元通りにしますのでっ!」
どうも『名無し髑髏』は滅ぼされた国の元騎士らしく、人を殺したことはないらしい。
かといって、人を捕まえて奴隷として売ろうなんて外道のやることだ。
俺は行く当てもないので、しばらく滞在して村の復興に手を貸すことにした。