第7話:ままならぬ想い
7:ままならぬ想い
天湖の水に身体を預けていると、水面を撫でるような柔らかな風が滑るように吹いて来た。
「――フォン」
閉じていた瞼を開け、ラスターは水中から身体をゆっくりと起こした。
『アラスター。 加減は如何です?』
言葉と共に、水面に真円の水紋が広がり、その上に白銀の長い髪をなびかせた長身の男の姿がふうわりと現れた。 空を思わせる明るい青の瞳はラスターとも似ている。
「かなり、楽にはなりました」
『それは重畳』
柔らかな笑みを浮かべる〈東〉の〈風の王〉であるフォンは、ラスターが衣を身に着け終えるのを待って、静かな口調で言葉を切りだした。
『シロエ、という女を知っていますね?』
フォンの言葉に、ラスターは肯首した。
『この女が、あなた方がこちらへ参られた日に麓の森に現れました。 ただならぬ殺気を放っておりましたので捕らえ、今は北山の風穴に封じてあります。 ――会いますか?』
フォンの言葉は、質問というよりは確認に近かった。
「案内を願います」
ラスターは北山の方角へ身体を向け、歩み出しながら返答を口にした。
風穴の中には一切の光は無く、地の奥底から吹き出してくる強い風が、獣の唸り声のように荒々しい響きを上げている。
暗い洞内に足を入れ、足場の悪い坂をしばらく下った先に、ぽうっと青白い光が滲むように周囲の岩壁を照らしている地点が眼に入った。
『かなり憔悴しておりましたが、手負いの野獣の如く暴れ狂うので、意識を封じて眠らせてあります』
風輪で身体を縛られたシロエは、ぐったりと首を下に垂らし、僅かにも動く様子は見られない。 周囲を照らしている青白い光は、フォンが封縛の為にシロエの頭上に作った光珠が発する光であった。 青白い光に照らされたシロエの横顔は、血の通わない蝋細工の人形のようだった。 よほど人形の方が生気というものを感じさせるのではないかというほど、やつれ傷付いていた。
『この者は、アラスター、そなたを大層憎悪している様子でした。 キソス地下での出来事は、この者の記憶から大凡窺い知ることが出来ましたが、そなたは何故、この者達を消さず生かそうとしたのです? 弟には、ウルドが宿りかけていたからと得心いたしましたが、この女には、その価値は無かったでしょうに』
フォンの言葉に、ラスターはすぐには答えず、俯いたシロエの布で隠し覆われた左眼に視線を固定した。
「――この者達の母親であるエレンヴェル=ローゼルは、遥か以前のことですが、〈斎王〉を務めておりました。 西域の古の民・ローゼルの一族の長の末娘で、〈感応〉の素質に優れた、能力者でした」
奥底に仕舞い込んでいた記憶を引き出すように、ラスターは一語一語を丁寧に語った。
「とても大人しい娘でした。 白銀の髪に淡い茶――光の加減によっては金にも見える瞳をした容姿が、その当時は誰よりも神エランに近いともてはやされ、少なからぬ人間が彼女を崇めておりましたが、当人は周囲のそういった眼差しが苦痛の様子でした。 その感受性の鋭さ故か、八年の任期満了を待たずして、エレンは心に病を抱え、精霊王殿を去りました」
『そのような者が、何故魔の者と結ばれることになったのでしょう? この者の父親である男は、ありふれた魔ではないと見受けられますが』
「父親は――おそらくは、ウルドが作り出した魔の者でしょう。 己の新たな〈器〉となる存在を生みだす為の道具として。 それが、どのようにしてエレンに近付いたかまでは判りませぬが、結果生まれたのがこの双子の姉弟だと思われます」
言葉の最後は、掠れるような絞り出すような声でラスターは切った。 シロエに向けられている天青の瞳は、シロエの先にある何かを見ているように遠い眼をしている。
『――すべてをそなたが負うことはないのですよ、アラスター』
フォンの言葉に、ラスターは何も答えなかった。 何を考えているか読み取れないラスターの横顔に、フォンは手を伸ばした。 触れられた手の優しさに、ラスター瞼を閉じた。
***
天湖から流れ出るサリ川の浅瀬にイシュアは立っていた。 冷たい水の流れを直に感じ、そこに宿る水の精霊の存在を感じ取る〈精霊使い〉の初歩的な修行をしている最中だった。 だが、いつまでたっても気持ちが水に集中出来ず、無為に時間だけが過ぎていく。
「なかなか集中出来ないようだね。 今日はもう止めておくかい?」
川傍の大石に腰かけ煙管をくわえていたナハが、浮かない顔のまま水に入っているシュアの背中に声をかけた。 シュアは自分がぼうっとしていたことに今更気付いたのか、慌てて修行の継続を希望したものの、少し考える素振りを見せた後、振り返ってナハの顔を遠慮がちな様子で見た。
「ナハさんは、ラスターさんと長いお付き合いなんですよね?」
「うん、まあ長いね。 ははん、カラとラスターのいざこざが気になってるのかい?」
のんびりとしたナハの言葉に、シュアは曖昧に笑みを返してから、言葉の続きを口にした。
「カラ、とても不安だろうなって思って。 ――実を言えば、僕もずっと引っかかっていることがあって……」
シュアの重くなった口に対し、ナハは「何が気になっているんだい?」と言葉の続きを促した。
「以前お話したと思いますけど、僕、キソスの旧宝物庫でナハさんと別れた後、どうしても気になって、トランを詰め所に連れて行った後に旧宝物庫へ戻って地下へ入ったんです」
「聞いた時は驚いたよ。 ああいった出来事の後で、よもやわざわざ地下へ入って来るとは思いもしなかったからね。 君は見た目によらず思わぬ行動力がある」
言葉の調子のまま笑ったナハに、シュアは申し訳なさそうな笑顔を返した。
「小さなランプの灯りを頼りに、暗い地下をしばらく歩いた記憶はあるんですけれど、その途中からのことを全く覚えていないんです。 次に気が付いた時にはイリスさんの旅籠の寝台に寝ていて、左肩には刺されたような傷痕が薄っすらとありましたけど、いつそんな傷を負ったのか、ぜんぜん記憶が無くて。 明らかに新しい傷なのに、その傷はほぼ完全に治っていて。 イリスさんに、僕がどうして旅籠にいるのか伺ったら、ラスターさんの手配で僕は運ばれたっていうお話でした」
左肩の傷痕がある辺りに手を置いて、シュアは考え、再びゆっくりと話しだした。
「ラスターさんは旅籠に戻られてから寝込まれてしまったので、なかなかお話を伺う機会がなくて。 それでも床を離れられた後、一度だけ伺ってみたんです。 けれどラスターさんはほとんど話してはくださらなくて。 以後はなんとなく同じ質問はし難くて。 訊いても、同じ答えしか返って来ない気がして……」
「まあ、なんとなく想像は付くけど、あいつ、なんて言ったんだい?」
「〝君はあの地で終わる命では無かった〟とだけ」
困惑した表情のシュアに、ナハは苦笑で応えた。
「カラじゃないですが、ラスターさんの仰っている言葉の意味が――考えてらっしゃることが解らなくて」
「まあ、あいつは自分がその時必要と思うことしか話さないからね。 長年の付き合いの私でも、理解に苦しむことは少なくないから、君やカラみたいに付き合いが浅い者には余計だろうね」
煙管の煙を細く吐き出しながら、ナハは身体が冷えるだろうから水から出るようシュアに言った。 シュアも、今の落ち着かない気持ちのままでは修行にはならないと判断したのか、ゆっくりと岸に上がって脱いでいた靴を手に取った。
「こんな愚痴、すみません」
申し訳なさそうに謝るシュアに、ナハは隣に座るよう促した。
「なに、愚痴は溜め込み過ぎると身体に悪い。 それに、ラスター本人にそういった愚痴をぶつけた所で素通りするだけで、愚痴を言った側は余計に不満が鬱積するだけだ。 私でよければいくらでも聴くよ。 ちなみに、君は今でもラスターの言葉の意味を知りたいかい?」
ナハの思わぬ質問に、靴を履きかけていたシュアは瞳を見開いて、煙管をくわえている柔和な顔を見返した。
「ナハさんは何かご存知なんですか?」
「全てが解るってわけではないがね、ラスターの言葉の根拠はなんとなく察しが付く。 あいつはね、〈先見〉が出来るんだよ」
「〈先見〉……ってなんでしょうか?」
「簡単に言えば、未来を見透す特異な能力の事だよ。 眼にしたものの未来を知ることが出来る。 おそらくではあるが、ラスターは地下で君に会った時、君の未来の姿を見たんだよ。 その未来の姿故、君を地下に放置せずにイリスの旅籠へ運んだ」
「僕の未来……ですか? いったいどんな未来だったんでしょう?」
戸惑いを表情だけでなく声にも滲ませて、シュアはナハに質問した。 雲に陽光が遮られ、吹く風がいっそう肌寒く感じた。
「それは流石にラスターでないと分からない。 どれくらい先の未来を見たかも私には判らない。 ただ、あいつの〈先見〉は違うことは無いんだよ。 俄かには信じがたいことかもしれないけれど、ラスターの行動の理由はそういったことだと私は考える。 あいつは言葉足らずで理解し難いことは多いが、無意味な行動も決して取らないからね。 ――という説明で、少しは蟠りは解けるかい?」
ナハの言葉に、シュアはそれでも戸惑い気味の表情を解かなかったが、疑問の一端を解くことが出来たことに感謝の言葉を述べた。
「では、ラスターさんにはカラの未来も見えているのでしょうか?」
「どうだろうね。 なにぶん語らない奴だからね。 ただ、〈先見〉とは言っても、見えるものと見えないものがあるらしいから、何もかもを知っている訳ではないと思うよ。 まあ、これは私の想像だけどね」
言いながら、ナハは立ち上がり大きく背伸びをした。 陽を隠していた雲が切れ、再び二人の上に柔らかな光が注がれた。 冬の弱い光ではあっても、陽の温もりはとても心地よいものだった。 シュアはほっとひとつため息を吐いた。
「でも、〈先見〉――未来を見透す力なんて、なんだか怖いですね」
「怖い。 君はそう感じるかい?」
靴の紐を結びながら呟くように言ったシュアに、ナハは興味深そうな声で質問をした。
「はい。 ラスターさんが怖い、という意味じゃなくて、未来が見えてしまうということが、怖い事のように感じるんです。 将来起こることが先に分かることはとても便利なようにも感じますけど、見える未来が、必ずしも明るい、楽しみになるようなことばかりではないですよね、きっと。 もしとても怖くて悲しい未来を見てしまって、それが変えようのない確約された将来だとしたら、それまでのどれ程かの期間を、その悲しみや恐怖を抱えたまま過ごさなくてはいけない……のだとしたら、それはどんなに辛いことかと思って」
「――そうだね。 ただ安心していい。 少なくともラスターは、常に〈先見〉をしているわけではないから。 本人の意思で見ることも見ないことも出来るようだよ、優れた能力者であれば。 実際、ひっきりなしに未来を見続けていたら精神が持たないだろうよ。 いくらあいつでもね……」
言葉じりを曖昧にぼかすと、ナハは腹が減ったからとシュアに帰宅を提案した。
***
案内された部屋は、まるで部屋自体が宝箱のようだと思った。 四方の壁には様々な絵画が飾られ、床に敷かれた敷物の凝りに凝った意匠も、ものを知らないカラにもひと目で高価なものだと感じ取ることができた。 普段が無装飾に近い生活のカラには、あまりに華美な装飾は、ごちゃごちゃとした煩い賑やかしさにしか感じられなかった。
「こちらに掛けてお待ちください」
それなりに高齢の家令が、長椅子を示しながら丁寧な口調で言った。 使用人の服すらも、カラが身に着けているものより高級そうな光沢のある布地を使用してある。 頭を下げて老家令が部屋を出て行くと、カラは思わず長いため息を吐いた。
「本当に金持ちなんだなこの家。 こんなごちゃっとしたのが、金持ちは好きなのかなぁ?」
いま自分が座っている長椅子の背の装飾や貼ってある布地の一面の模様に眼が回りそうだった。 見上げるばかりに大きな窓の外には、冬なのに葉を青々と茂らせている木が風に揺れている。 窓の外を覗いてみたくなり、長椅子を立って窓際に近付いた時、扉が開き、侍女に付き添われた自分と同じ歳くらいの少女が入って来た。
シュアよりも明るい金の髪をさらさらと揺らしながら、少女は弾むような軽い足取りでカラの隣へやって来た。 上下揃いの鮮やかな緑色の、裾に向かってふわりと大きく広がったスカートの襟元やそで口には白の細かな透かし編みの飾りが付いている。 見るからに良家の子女といった装いだと感じた。 抜けるように白い肌の頬は薄紅に染まり、明るい灰色の瞳は、眼の前に居るカラに対する好奇心で輝いていた。
「あなたがお父様が探してきてくれたお友達になってくれる子なのね。 お名前はなんていうの?」
無邪気な笑顔で訊ねて来た少女に、カラも釣られて笑顔で応えた。
「お……あたしは、ラクラっていうん……です」
「そう、ラクラちゃんね。 私はシルフィっていうの。 仲良くしてね。 座ってお話ししましょう、ね、来て」
言いながらシルフィは、カラの手を引いてやはり弾むように歩いた。 小さな白い手は、アルフィナの水仕事や馬の世話をしている手とは違い、あかぎれやマメといったものとは無縁の、人形のように綺麗な手だった。
「ラクラちゃんはシクルの出身じゃないのよね? どこから来たの? 何歳? ご家族は何人いるの? ラクラちゃんの瞳って綺麗ね、お月さまみたい。 お父様やお母様もそういう色なの?」
カラの手を握ったまま、シルフィは前のめりになって質問をしてくる。 笑顔を絶やさず頬を上気させている様子は、初対面のカラにも喜びが伝わって来るもので、よほど話し相手になる〝友達〟が来ることを楽しみに待っていたのだろうと思われた。
「あ、あの、お……あたしのことはラクラって呼び捨てにしていいよ……です。 〝ちゃん〟って呼ばれ方慣れないから……です」
「そうなの? じゃあ私の事もシルフィって呼び捨てにしてね。 わあ、なんだか親友みたいね。 それとね、私に敬語なんて使わなくっていいのよ。 いつものラクラの話し方で話して。 その方が私も嬉しいもの」
無邪気に笑うシルフィの笑顔が綺麗だと思うほど、騙していることに後ろめたさを感じる。 申し訳ない思いが顔に出ていたのか、シルフィはカラのその表情を緊張しているのだと思い込んで、あらためて念を押すように普通に接して欲しいと告げた後に、先程矢継ぎ早に出した質問をあらためて訊いて来た。
「出身は、キソス……で、家族は……祖母と兄と……同い年のきょうだいが一人いる、わ。 祖母とアル――同い年のきょうだいは、キソスにいて、今は兄と旅をしている途中、なの。 兄の眼の色は、空みたいな青色、よ」
苦し紛れの家族設定であったが、カラの気持ちの上ではそう間違いではない認識だった。 アルを姉とするか妹とするかで迷った末に言い誤魔化したのだが、シルフィは気にする様子もなく素直にカラの話している内容を受け取っているようだった。
「旅の途中なの? それじゃあすぐにいなくなっちゃの?」
目に見えて悲しそうな顔をするシルフィに、カラはどう言ってよいか判らず視線を泳がせていると、シルフィの少し後方に控えるように立っている侍女と眼が合った。 無表情に見えるが、眼は鋭くカラを見据えている。 その眼差しが、どこか疑念を抱いているかのごとく細められているのに、カラの胆は冷えた。 もしかしてこの侍女は〝ラクラ〟が男であることを見抜いているのではないか、という思いが頭から離れない。
「いつまでシクルにいるの?」
「え、あ、うーん、よくわかんない、の。 いま兄さんがちょっと身体の調子が悪くて休んでるから、もうしばらくはいるかも……だけど……」
ごにょごにょと言い淀んでいると、シルフィは気遣わしげな眼差しでカラの手を更に強く握った。
「お兄様ご病気なの? 大丈夫なの? お医者様には診て頂いているの? なんだったら、お兄様をここへお招きして診て頂く? 良い先生をお父様が紹介してくださるわ」
シルフィの言葉に、侍女が窘めるように声掛けをしたが、シルフィは「私の頼みならお父様は絶対聴いてくださるもの」と言って譲らなかった。 カラは侍女の険しくなった眼差しが怖くて、敢えてシルフィの顔だけを見るようにした。
「だ、大丈夫……だと思う、わ。 お医者さんじゃないけど、病気にすごく詳しい人に診て貰って、休めば治るって言われたから。 でもありがとう。 シルフィって優しいね、のね」
素直に思ったことを口にすると、シルフィは頬を真っ赤にして、それまで以上に嬉しそうな顔をした。
「だってお友達のためだもの。 ……ダメかしら、勝手にお友達にしちゃ。 ラクラ迷惑?」
金持ちの一人娘という話だったので、どんな我儘な少女が現れるかと内心覚悟していたカラは、シルフィの混じり気のない素直さと優しさに、ただひたすら好感しか抱かなかった。
「ううん、俺も嬉しいよ」
思わず気が緩んで〝いつも通りの話し方〟で話してしまった。 カラの言葉に、シルフィは顔を強張らせた。 自分の失敗に気付いたカラは、慌てて「あたしも嬉しいの」と言い直した。
「ごめんね、驚かせて。 あたし、男の子と遊ぶことが多くて、言葉遣いも男の子達の言葉がうつっちゃってるの。 よく注意されるのに、癖で抜けなくって」
我ながら苦しい言い訳だが、シルフィは納得したように安堵の顔になると、少ししかめっ面をしてカラの顔を見た。
「すごいのねラクラは。 私、男の子なんて大嫌い。 乱暴だし意地悪だし、私のことすぐに苛めるし」
「そういった男の子がいるの?」
「従兄弟もそうだし、以前出入りしていた庭師の息子もそうだったわ。 従兄弟なんて、私の宝物を壊したのよ。 大切なお母様の形見なのに」
言いながら、シルフィは涙目になり、俯いて終いには本当に涙を零しはじめた。 眼の前で女の子に泣かれたことがあまり無いカラは、どうしてよいか分からず、おろおろとした末にシルフィがしたように、膝の上で握っていたシルフィの手を取ってきゅっと握った。
「シルフィのお母さん、いないの、ね」
シルフィは小さく頷くと、空いた手で涙をそっと拭った。
「今年の夏前にお亡くなりになったの。 お母様、ずっとお病気で寝込んでいらっしゃったのだけど、お父様はお仕事が忙しくてずっと家にいらっしゃらなくて、お母様が亡くなった時にも、東都へ行ってらっしゃったの」
「そう言えば今日も旦那様はいないって、最初に出迎えてくれたおじさんが言ってた。 あたしてっきりお父さんに最初に会うのかと思ってたから、ちょっとびっくりした」
「お父様は一昨日からお仕事で東都へ行ってらっしゃるの。 お父様がいらっしゃらない間は家令のエインがお父様の代わりをするの」
「ふうん。 でもシルフィ寂しいよね、でしょう?」
「ええ。 でも、お母様がいなくなられてからは、私の為にってシクルにいてくださる時間が増えたのよ。 私のお願いもなんでも聴いてくださるわ。 お父様はなんでもできるのよ。 欲しいと思ったものはなんでも手に入れてくださるの。 でも、どうしても月の半分以上はお仕事の為にシクルを離れられるの。 お父様がいらっしゃらない間、私が寂しいだろうからって、お友達になってくれる子を探してくださるのだけど、シクルには私と同じ歳くらいの女の子が少なくて、お父様も困ってらっしゃったのだけど、今日ラクラに会えたわ」
涙が乾くと、シルフィはまた明るい笑顔を見せた。 男嫌いの理由は判った。 宝物というものが、母親の形見の品だということも判った。 だがシアから課せられたのは〝宝物を見せて貰う〟ことだ。 シルフィは〝ラクラ〟を友達とみなしているようだが、いくら友達といえど、初対面の相手に母親の形見だという大切な品を見せるだろうか?
「シルフィ、大変だったのね。 お母さんいなくなったの、とっても悲しいよね。 わかるよ、あたしも両親がいなくて、これ見て、形見だけが残ってるの。 これがあたしの一番の宝物なの」
カラは首から下げていたペンダントを引き出してシルフィに見せた。 これが両親がカラに残した唯一のものだということは事実なので、嘘を吐いていることにはならない。
「ラクラはご両親がいなくなってしまわれたの?」
シルフィが再び泣きそうな顔になったので、カラは慌てて言葉を足した。
「あ、で、でも、ほら、祖母がいるしきょうだいもいるから、うん、今は寂しくないよ。 ぜんぜん寂しくない……ことはないけど、ひとりぼっちじゃない……と思えるから。 本当の独りの時とは違うから、今はうん、大丈夫」
カラの言葉を聴きながら、シルフィはペンダントの表面が鑢で削ったように傷付いていることに首を捻り、どうしてこんな疵が付いたのかと質問をしてきた。
「え、あ、それ、は、それはね、意地悪で嘘吐きな男の子がふざけて石に擦り付けたらそうなっちゃって。 ほんと、男の子って乱暴よね。 あたしも男の子なんて大っ嫌い。 だからシルフィの気持ちわかるわ」
かなり口慣れて来た女言葉でシルフィの意見に同調することを言うと、シルフィは長椅子から立ち上がり、カラの手を引いた。
「ラクラが宝物を見せてくれたんだから、私も見せるわ。 ううん、お友達のあなたに見て欲しいの。 ね、来て。 私の部屋に大切に隠してあるの」
シルフィに手を引かれ、カラは賑やかな応接部屋を後にした。