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第2話:情報屋の青年

   2:情報屋の青年


 白銀の髪にべっとりと血が絡みつき、黒く固まろうとしていた。

 血は、自分のもの。 眼球を抉り取られた眼窩(がんか)から流れ出た、あり得ない流血の結果の。

 熱を持った顔面を地に擦りつけるように、少女は身体を震わせながら(うずくま)った。

 凍え冴える星の輝きも、肌を切る夜気の厳しさも、少女には一切関係なかった。


「――あの、男のせいだわ……」


 残された燃える赤の(まなこ)から涙を流しながら、少女はぎりりと唇を噛んだ。 そこから、自傷の末に血が流れても、構わず更に前歯に力を入れた。 ぱたぱたと血が滴り落ちた。

 いつもならば、自分がこのように感情に乱れを生じさせた時、半身である弟が優しく言葉をかけ、抱きしめ慰めてくれた。

 だが、かけがえのない唯一人の肉親である弟は、今は傍らにいない。

 身体に風穴が開いたような、焼けるような激しい痛みの伴う喪失感に身も心も裂かれそうだった。


「許さない、許さないあの男……忘れやしないあの顔、あの《名》――アラスター=リージェス。 忌まわしい〈聖血の器(エラノール)〉」


 少女は腕に嵌めていた長手袋を外すと、眼球の無くなった眼をきつく覆った。


     ***


 陽が西に傾き、薄闇が降り始めると気温が急激に下がり、身体に余分な力が入る。 吐き出す息は日中よりも濃い白に変わっていた。 陽光の温もりを失った空気が四方から容赦なく押し潰すように迫って来、じわじわと体温を奪っていく。 それでなくとも歩き通しで身体には疲労が溜まっているので、微妙な負担の増加も意外に堪えるものだが、新調してもらった外套は店主の言葉通り軽いのにとても暖かくて、カラは寒さをたいして感じずに済んでいる。 


「あ、あそこに看板があるよ。 上の字はわかんないけど、下のは〝エ、クエ、ル……ト〟って読むのかな? もうあと五百ランスって書いてあるよ。 町が近いのかな?」


 看板類を目にしても、読み書きのできなかったカラにはただの板でしかなかったが、現在(いま)は違う。 看板には二種類の文字があり、一方はラスターから教わっている公用語だった。 読み取れた内容から、おそらく道標(みちしるべ)のようなものなのだろうと思った。

 道標を過ぎてしばらく行くと、樹高の高い木々に挟まれた林道から、突然視界の開けた緩やかな丘陵地に出た。 周囲の広々と見通しの良い地はどうやら畑のようで、時期が時期だけに何も植わってはいないが、模様のように(あぜ)が何本も走っている。 その畦を幾つか超えた先に、光が点在している場所が見える。


「あれが〝エクアエルト〟の町だよ。 今晩の宿はあそこで取るよ」


 ナハの言葉で、またひとつ綴りの読み方を覚えたカラは、忘れないように口の中で繰り返した。


「カラ、ずいぶんと読めるようになったね。 どう、字が読めるって楽しいでしょう?」


 シュアがカラの顔を覗き込むように話しかけると、カラは少し恥ずかしいような自慢したいような、むずむずとした気持ちで頷いた。


「うん。 俺さ、字なんか読めなくたって生きてくのには関係ないって思ってたけど、読めるのってすごく面白い。 知ってる言葉を見つけると楽しくなるし、知らない言葉を覚えたら、その時は頭いっぱいになるけど、なんて言うのかな、持ってる物が増えて、宝物が増えたみたいなわくわくした気分になるんだ。 俺いつかさ――……」


 言いかけて、カラはシュアから視線を外して俯き気味になった。


「どうかしたの? 〝いつか〟――どうしたの?」


 珍しくシュアが踏み込んで質問をしてくるので、カラは一瞬迷った末に、ぼそぼそと言葉の続きを口にした。


「自分ひとりで、本を読んでみたいんだ。 俺、まだ教えて貰いながらじゃないと子供用の本も読めないから、誰の力を借りないでも、自由に本を読めるようになりたいんだ、いつか」


 陽が山向こうに落ちた後なので、おそらくシュアにはカラの顔色ははっきりとは見えないだろうが、照れくさそうな話しぶりで、カラの顔が真っ赤になっていることは察することが出来ただろう。 シュアにはカラの思いが好もしくて、思わず笑いが漏れてしまった。 その笑いをカラは失笑と受け取ったのか、少し不機嫌な様子で頬を膨らませそっぽを向いた。


「ふん、どうせ俺には無理だって思ったんだろ?」


「違うよ。 ごめんね、可笑しくて笑ったんじゃなくて、カラの気持ちが嬉しいっていうか、応援したいなって思ったらつい笑っちゃって。 大丈夫、すぐに読めるようになるよ。 カラ、とっても熱心に勉強してるし。 目標がはっきりしてるんだから、達成もきっと早いよ。 僕で手伝えることがあったらいくらでも手伝うからね、頑張って」


 あらためておっとりとシュアが微笑むと、左肩にどっかりと乗っているナジャが、熱を含んだ鼻息を吹き出しながらしししと笑った。


『お前がそんなに早く読めるようになるとは思えんな。 お前のどんくささと記憶力の悪さはいっそ敬服に値するからの』


 とにかくカラを挑発するような言葉しか言わないナジャに、いちいち突っかかるのは馬鹿だとは思うものの、反論せずにいることも気持ちが収まらない。


「なんだよ、ナジャだって文字なんか読めないだろ? いっつも偉そうに俺のこと馬鹿にするけど、ナジャだって同じじゃないか!」


 カラがむきになって言い返すと、ナジャは硬い尻尾でひとつカラの背中を打って、長い鼻息を吐きだした。


『誰もが自分と同じと思うことが、そも愚かで誤った認識よ。 字のひとつやふたつ読めぬでどうする? お前のようなうすのろの餓鬼と一緒にするでないわ』


 ナジャの思わぬ返答に、カラは顔ごと肩のナジャへ視線を向けた。


「よ、読めるのっ?」


「どうかしたの、カラ?」


 シュアも驚いて、少し心配げな様子でカラの顔を覗き込んだ。


「ナジャ、字が読めるって。 なんで? 蜥蜴(とかげ)なのになんで字が読めるんだよ? あ、蜥蜴の文字でもあるとか? そんなのは数に入んないからな!」


 少し非難めいた調子で言うと、ナジャが呆れた様子で再びしししと笑った。


『自分が出来ぬ事を他人――いや、蜥蜴のワシが出来ると悔しいか? まあ、偏狭なお前らしいがな。 ただの蜥蜴には字は不要だろうが、ワシは読めるのさ、お前等人間の文字がな。 たかがあれしきの記号の羅列、容易(たやす)いことよ』


 嫌味ったらしくゆっくりとした口調で言うと、ナジャは大欠伸をしてそっぽを向いた。


「〝読める〟なんて、そんなの口で言ってるだけかもじゃないか! 本当なら何か読んでみせろよ!」


 言いながら、周囲に何か文字の書かれている物がないか探したが、生憎と先程の道標以後、道沿いには何も見当たらない。

 延々と言い合いを続けるカラとナジャをなだめるように、シュアが言葉をすべり入れた。


「でも、ナジャはすごいんだね。 炎を吐けて、カラと会話が出来るだけでも凄いのに、文字も読めるなんて。 まるで昔語りに出て来る生命と智慧の守護者の竜の王みたいだね。 名前も似てるよね? 確かナジャルーン=カイナルって言ったよね、昔語りによく出て来る竜は」


 シュアが心底感心したように言うので、カラは即座に否定した。


「守護者である竜の王と、こんなずんぐりした蜥蜴を一緒にしたらダメだよっ。 名前はたまたま似てるだけで、ナジャルーン=カイナルとナジャなんて、神様と魔物くらいに違うよっ!」


 カラの言葉に、ナジャは言葉では返さず尻尾で背を思いきり打つことで意思表示をした。 その仕打ちに対しカラが言葉で返すと、ナジャはやはり無言で背を叩く、の繰り返しとなった。


「本当に、カラとナジャは仲がいいよね。 ずっと昔からの友達みたいだ」


「どこが仲がいいって見えるんだよ? ナジャ、俺には嫌味しか言わないのにっ」


 ふてくされてシュアに突っかかると、シュアは笑顔を崩さず、顔を横に背けているナジャの顔を覗き込むように見詰めた。


「僕にはナジャの言葉は解らないから、カラにどんな嫌味を言っているか分らないんだけど、ふたりの会話ややり取りしている様子が、とっても楽しそうに見えるんだ。 僕の印象ではね、お互い遠慮しないで言いたいことを言い合えて、あえて感情を隠す必要も無い親友のような関係にふたりは見えるよ。 ナジャの言葉は、もしかしたらカラにはすごくきつい言葉なのかもだけど、カラも思いっきり言い返してるよね? カラは、ナジャとの会話は他の誰とよりも楽なんじゃない?」


「確かに遠慮は全然しないし楽だけど、でもナジャは俺のこと馬鹿にしかしないし、腹立つ事ばっかり言うし……」


 カラが拗ねたように言うと、シュアはふふと笑って、カラとナジャへ向けていた視線を進行方向へ戻した。


「それにカラとナジャって契約を結んだ仲だよね? ナハさんに聴いたんだけど、聖獣と契約を結べるのは、その聖獣と縁が深い、魂の結びつきがある人間だけなんだって。 ナジャが聖獣かは判らないけど、カラとは何らかの結びつきがあって、だから契約が成り立ったんだよ、きっとね。 僕、〝(えにし)〟って言葉好きだな。 必要以上の言葉なんて要らない、純粋な結びつきって印象で。 眼には見えないとても深いところで繋がっているのだとしたら、とても素敵だなって思うんだ」


 縁――という言葉を聞いて、カラはキソスの地下で見たラスターの表情を思い出した。


――何故、ここに――……。


 ナジャを見て驚いたあの表情が、言葉が、どういう意味だったのか未だ分らないままだった。 地上に戻ると同時にラスターが寝込んでしまったので、直後にそれらの真意を確かめられなかったのは致し方なかったことだが、ラスターが(とこ)から離れた後も、疑問点を明らかにすることは出来なかった。

 ラスターがナジャについて何かを語ることは無かった。 気のせいでなければ、ラスターは意識的にナジャを避けているように感じられた。 ある日、勉強が終わった後に一度だけ、意を決して訊いたことがある。 ナジャのことを知っているのか、と。 その問いをラスターは肯定も否定もせず、ただ「断ち切れぬ(えにし)がある」とだけ言った。

 それ以降は、ナジャについて訊くことはなんとなく(はばか)られて、結局なにも分からないまま今日まで来ている。


「断ち切れない〝縁〟って、なんだろうな……」



 エクアエルトの町で一泊した後、カラ達一行は一路シクルを目指して道を急いだ。 二十五の日の出発の遅れは昨日までに回収して、当初の予定通り昼までには到着できる見込みではあるが、昨晩ラスターの使いでシクルへ飛んだガーランが持ち帰った報せを聞いて、対面の相手が少しでも早い到着を望んでいるとのことなので、道を急ぐことになった。

 歩き続けて一刻を過ぎた頃から、道ですれ違う旅人の数が大幅に増えた。 大きな荷馬車を操る男の声や乗り合いの駅馬車の車輪の音が賑やかにカラ達を追い抜いていく。 キソスも馬や馬車の往来は多かったが、それに負けないくらいの賑わいが既に感じられる。


「シクルって、大きな街なの?」


 並んで歩いていたシュアに訊いたが、シュアも行ったことが無い街なので分らないという答えが返ってきたが、二人の後ろをのんびりと歩いていたナハが、やはりのんびりした調子で会話に混じって来た。


「シクルは、キソスよりはぐっと小さいけど、活気はキソスに負けないくらいある賑やかな街だよ。 周辺に良質な貴石が採れる地が幾つもあるから、貴石交易の東の拠点として栄えた街なんだよ。 中心の大通りには貴石の卸問屋が軒を並べていて、買い付けに来た大陸中の商人と貴石の売人が賑やかに値段交渉をしているのがシクルのお馴染の光景だな。 丁々発止のやり取りを見るのは面白いもんだよ、結果決まった値段には驚くことも少なくないけどね」


 若者二人が感心したように声を上げると、ナハは「ただし」と言葉を付け加えた。


「悪質な犯罪は少ない街だが、雑踏には掏摸(スリ)や貴石を通りすがりの客に高値で売り付けようとする密売人が多いから、懐中物と突然馴れ馴れしく近付いて来る奴には気を付けるんだよ。 特にカラ、君の短剣は狙われ易い。 なんていったって貴石の街だからね、目利きが多いからその貴石の正確な価値を見極める奴等は少なくない。 その短剣本体も価値が高いからね。 売人が売ってよこせと言い寄って来るかもしれないから、出来れば隠しておく方が安全だよ」


 ナハに忠告されて、カラは少し悩んだ末に、短剣のオスティルの部分に布を巻いて、何があっても石だけは見えないようにした。 ただの短剣ならば旅人は誰でも持っている物だから、狙われる率も少しは低くなるだろうと考えた。

 そうこうしている間にも、すれ違う旅人は数を増し、道の左右にはちらほらと小さな露店が目に付きはじめた。 多くは温かな湯気を立てる軽食の屋台のようだが、中には貴石の欠片なのか、小さな石を並べている店も出ている。 露店の数の増加と共に往来の人々の賑やかさも増し、シクルの街が近付いていることが五感で感じられた。 少し行くと、大きく堅牢そうな楼門を備えた城壁が眼に入った。


「あれがシクルの入口だよ。 大金が動く街だから入境審査が少々うるさくてね、おっかなそうな門兵にちょっと睨まれるかもしれないけど、ラスターがなんとかしてくれるから心配はいらないよ」


 ナハの言葉はラスターの耳にも届いているだろうが、ラスターは僅かも反応を返すことなく、一人無言で先頭を歩いていた。

 門を通る際、身分の証明とシクル訪問の理由を門兵が居丈高な調子で訊ねて来たが、ラスターが〈方円の騎士団〉の徽章である〈八芒日月(イータ・ル・ユーソ)〉を示し、騎士であることを証立て訪問理由を短く告げると、門兵は態度を一変させ、一行を最敬礼で街中へ送り出した。


「騎士の身分がとても高いってことは知ってましたけど、こんなにあらたかなんですね。 僕達の身分証明は訊かれなかったですけど、大丈夫なんですか?」


 シュアが感心と若干の心配を込めてナハに訊くと、ナハは頭を掻きながら笑った。


「確かに、もし私達が不穏な企てを画策している集団だったら、あの門兵は懲罰どころでは済まないだろうね。 まあ、レーゲスタでは騎士ってのは絶大な信頼が基底に在る、正義の象徴のような扱いだからね、疑うって頭が無いんだよ、兵卒ともなれば余計に。 良いか悪いかは置いておいて、一緒にいると恩恵に(あずか)ることは少なくないもんだよ」


 あっけらかんとしたナハの言葉に、カラは瞳を輝かせ感嘆の声を上げたが、シュアは多少の戸惑いがある様子だった。

 街中の賑わいは、カラの予想以上だった。

 つい先日、キソスの〈謝陽祭〉で大勢の人出を眼にしたばかりではあるが、あの祭の賑わいとはまた違う、煌びやかな活気が方々から感じられる。

 煌びやかさの所以(ゆえん)は、主に通りの左右にびっしり並ぶ貴石や宝飾品の卸問屋の、取り扱う品の輝きと贅を尽くした装飾性の高い店構えにあるのだが、加えて、誰がシクルの売人で誰が買い付けに来た旅人か定かではないが、肌の色や髪色、瞳の色も多様な人々の、色彩豊かで意匠の凝った様々な民族衣装の華やかさが賑わいに更なる彩りを添えている。 それら全ての要因が交わることで、通りに溢れる変化に富んだ独特の雰囲気を醸成しているのだろう。 耳に入る言語の数の多さも、活気に影響を与えているのは間違いなかった。

 左右を見回して、ただひたすらに驚いているカラとシュアに、壮年の鼻髭を生やした男がすっと近付いてきた。 服装こそごく平凡な、どこの街中にでもいそうな中年男だが、指に嵌めている三個の高価そうな指輪が異質に目立っていた。


「これはこれは、旅人のお坊っちゃん方、シクルは初めてですかね? おや、黒髪の坊っちゃんは変わった獣を連れておられる。 それは蜥蜴ですかな? これは珍しい黄色の蜥蜴ですな、いや、良いものを眼にした」


 一見優しげな笑顔を浮かべ、柔らかな調子で語りかけて来た男の言葉に二人は瞬間ぽかんとし、それから思わず顔を見合わせた。

 二人は眼で合図を送り合うと、何も言わず男の横を通り抜けようとしたが、男の連れなのか、もう一人大柄な中年男が出て来てカラ達の前に立ち塞がった。 この男も顔に仮面のような笑顔を貼り付けている。


「何をそんなに急いでなさる? ああ、疲れてるんで早く宿で休息を取りたいんですね? 宿はお決まりですかい? なんなら良い宿があるんですが、どうです、見るだけ見に来てみないですかい? 坊っちゃんたちは特別だ、良い宿を紹介しますぜ」


 (へつら)うように笑い、中途半端に慇懃(いんぎん)な言葉で語ってはいるが、男の眼は笑っていない。 値踏みでもするように、カラとシュアの頭から足元まで視線を素早く走らせ審査をしたのだ、自分達の客になり得るか否かを。 おそらく、二人が着ている外套が新しく、しかも安物ではないので、それなりの所持金があると踏んだのだとみえる。 男達は媚び笑いを浮かべたまま、カラ達を強引に誘導しようと押しを強めた。


「親切そうなフリしてるけど、お前ら〝密売人〟ってやつだろ? 誤魔化したって判るんだからなっ!」


 男達の態度に苛立ちを感じたカラは、思わず啖呵(たんか)を切った。 シュアが慌てて言葉を止めたが、時すでに遅かった。 男達の顔にあった笑みが、剥ぎ取るように消えた。

 後から現れた男が気色ばみ二人に太い腕を伸ばした瞬間、カラ達の背後から一人の青年が滑り込むように現れ、無言のまま男の顔に右足を叩き込んだ。

 青年は右足を宙で構えたまま、地に倒れた男とその横で青ざめている鼻髭の男を見据えて皮肉そうな笑みを浮かべた。


「こんなガキ共が、お前らのカモになるような金持ってるわけねえだろううが。 もうちっと客を見極める眼を養えよ、いい歳したおっさんなんだからよ」


 青年がゆっくりと足を動かすと、男達は奇妙な悲鳴を上げて転げるように逃げていった。

 周囲にいる人々は、こういった騒ぎに慣れているのか、大して関心を示さないか、視線を向けても一瞬のことだった。

 腰に手を当て男達を見送った青年の後ろ姿に、カラとシュアの視線は自然固定された。 明灰色の髪は、光を受けると銀糸のように輝いた。 引き締まった敏捷そうな身体つきは、子供のそれではないが、大人の成熟した体型にもなっておらず、ようやく少年期を脱したばかりの繊細さを残している。

 二人が自分に視線を向けていることに気付いたのか、青年は左肩越しに二人を見、にやりと笑った。


「見惚れるほど、俺っていい男か?」


 二人が眼を丸くすると、青年は不敵そうな笑顔のまま、身体ごとカラ達へ向き直った。


「あの、ありがとうございます、助けてくれて」


 シュアが一歩前に踏み出して礼を言うと、青年は自分が好きでやった事だから気にするなと言った後に、カラへ視線を向けた。


「お前さ、馬鹿なの?」


 カラの金の瞳を見ながら、青年は変わらぬ笑顔のまま言った。 濃い黒茶の瞳は、愉快そうに細められている。


「ば、馬鹿って俺のことかっ?」


「お前以外に誰がいるんだよ。 お前、殺人犯に殺人犯かって訊いたようなもんなんだぜ? 正体当てられて退()く相手ならいいが、居直ったり逆上したりする相手だったらどうするつもりだったんだ? 実際、あいつらそういうどうしようもない大人だし。 相手の素性も力量も判んねえのに最初から事を大きくすんのは、余程の手練(てだ)れでなけりゃただの馬鹿のやることだよ。 で、お前等はずぶの素人のただの子供だから、当然後者だ」


 容赦ない物言いは、つい先日別れた友人のそれに似ていた。 だがこの青年の眼は、アルとは違い状況を楽しんでいる余裕を感じさせる。 まるで猫が捕らえた獲物を生かしたまま眼の前に置いて、次の動作を待っている時のような、隙の無い好奇の眼差しをしている。


「そんなのわかんないだろっ、もしかしたら俺達だって――」


「わかるさ、貴重品をこうも簡単に()られて、それにまだ気付かないんだからな」


 言いながら、青年は腰元から何かを取り出しそれを頭より高い位置に持ち上げた。 見ればその手には、カラの腰に在るはずのオスティルの短剣と小さな巾着があった。


「俺の短剣!」

「僕の財布……」


 二人同時に声を上げた。 オスティルの短剣もシュアの財布も、どちらも見えない外套の下にあった物なのに、いったい何時どうやって掏り盗ったのかが分らない。


「返せよっ!」


 飛びかかるように青年に手を伸ばしたが、青年はするりと半身を捻ってかわし、カラの足を払って派手に転ばせた。 その勢いでカラの肩にいたナジャは放り出され、傍で見ていたシュアに抱え助けられた。


「ほれ、もういっちょいただきだ。 これ棍か? 無駄に重いな。 お前にこんなの使えるのか?」


 青年の言葉に慌てて起きて振り仰ぐと、青年の左手にはカラの赤い棍が握られていた。


「お前掏摸(スリ)なんだなっ、返せよ、俺のだぞっ」


「まあその技術はあるが、掏摸がこんな堂々と通りの真中で技を披露するかよ」


「じゃあ何なんだよっ! 返せ、返せよっ!」


 必死になって取り返そうと飛びかかるが、青年は流れるような動きでカラをするするとかわし、からかうようにカラの頭頂部や背中を奪った棍で突くが、カラを痛めつけようとも逃げようともしない。 その態度がカラを馬鹿にしているようで、余計に腹が立って仕方なかった。


「ふざけんなっ、早く返せよっ!」


「おい、ナハ、もういい加減いいだろう? うるせえよ、このガキ」


 青年が(いささ)かうんざりした顔でカラの背後へ声をかけると、今までどこへ行っていたのか、ナハとラスターが雑踏から現れた。


「すまんね、シア」


「ナハさん、お知り合いなんですか?」


 ナジャを抱えたままのシュアが、戸惑った様子で視線を向けると、ナハはやや苦笑気味にシュアとカラを見た。


「彼はシアといって、私の友人でね、この街で情報屋をやっている。 不意の状況で君達がどういう対応を取るか見ておきたくてね、シアに一芝居頼んだんだよ、(いささ)か予定は狂ったけどね。 試してすまなかったね」


 カラとシュアは眼を丸くして、一瞬言葉を失った。 思いがけない仕打ちに、カラは腹が立って文句を言おうとしたが、シュアがその言葉をやんわりと止めた。


「じゃあ、さっきの男の人達もナハさんが頼んで絡ませたんですか?」


「あれは偶然に、本物の密売人が声をかけて来たんだよ。 それにしても、シュアも財布を掏られたのに、カラとは違ってずいぶん落ち着いていたね。 なにか理由があっての静観だったのかい?」


 シュアは申し訳なさそうに少し俯くと、ナジャを下ろしてシアの顔を確かめるように見た。


「明確な根拠があったわけではないんですけど、シアさんがあまりに堂々としていて、掏摸をするような人には思えなくて。 堂々として見せることが相手を騙す手だった可能性もあるとは思いましたけど、ご本人が言っていたみたいに、掏摸が往来で自分の技を見せびらかすように披露することはしないと思いますし、何より、シアさんは逃げようという素振りがまったくなかったですから。 本当の掏摸なら、少しでも早くその場から離れようとするだろうと思って……」


 シュアの言葉に、シアは短く口笛を吹いて感心した様子を見せた。 ナハはナハで、視線を向けて来たシュアに満面の笑みで応えた。


「ちなみに、あの男共にこの大勢の中から何故自分達が狙われたか、分るかい?」


 ナハの問いかけに、カラは首を傾げ、シュアは一考した後に、自分達が地理不案内の余所者で、見知らぬ地で浮かれた隙だらけの若年者と(あなど)られたからだろうと答えると、ナハはおおらかに破顔した。


「経験は次に活かせばいいだけのことだ。 掏摸の危険性についても、シアの実演を見たから言うまでもないだろう? 一瞬たりとも隙を見せるな、というのは難しいことだが、そういった状態に近付こうとする意識は必要だよ」


 つまらなそうにナハの言葉を聞いていたシアは、カラとシュアに掏り取った物を返すと、(きびす)を返して歩き始めた。


「とりあえず早く来てもらわねえと、案内役にされた俺が睨まれるんだよ。 はぐれんなよ、特にガキ二人は」


 文句を言いながら歩くシアに、ラスターが付いて歩き出し、ぽかんとしていたカラとシュアの背をナハが軽く押して促した。

 しばらくは大通りの雑踏の中を歩いていたが、幾度か道を曲がると、次第に道幅は狭くなり、通りを歩く人々も商人や買い付けに来た旅人より、職人や、呪術師と見られる装飾を額や腕にじゃらりと着けた癖のある人々が多数見受けられるようになっていった。 真昼間だというのに、既に酔いつぶれて通りの端で転がっている男も少なくない。 更に数回角を曲がって、カラにはもうどういう道を通って来たか分からなくなった頃、シアがある建物の裏へ回り、古びた木戸を引き開け薄暗い室内へ入った。 入った途端、甘やかな香の匂いがふわりと鼻に届いた。


(ねえ)さん、着いたぜ」


 シアが面倒くさそうに声を上げると、奥からぱたぱたと軽い足音が聞こえ、すぐにその音の主が姿を現した。


「待っていたわ、ラスター、会いたかった!」


 白銀の波打つ髪を揺らしラスターへ飛び付いた女は、その勢いのままラスターの唇に己の赤い唇を重ねた。


挿絵(By みてみん)

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