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第1話:祭の日に

   1:祭の日に


 秋の収穫祭が終わり半月もすると、その年一年の陽光の恵みに感謝し、無事の冬越しと、来年の変わらぬ恩寵(おんちょう)を祈念する〈謝陽祭〉(冬越しの祭り)が各地で行われる。

 カラが多くの時を過ごして来たレーゲスタ大陸の南部では、冬が比較的温暖である為か形ばかりの簡略化された祭が多かったが、東部キソス周辺から北の冬は概して厳しいこともあり、十一の月の二十五の日を挟んだ前後三日間、陽の神ソルギムを(たた)える祭を盛大に開催する都市や村が多いのだとイリスミルトが教えてくれた。

 その言葉を証立てるかのように、キソスの街中は、大人も子供もはしゃいだ雰囲気を漂わせながら、祭の準備に連日汗みずくで取り組んでいる。

 祭は、陽光への感謝と冬季の平穏を祈ることが主眼ではあるが、同時に、春を迎えるまで続く沈黙の季節を目前にした、その年最後の無礼講が許される大切な娯楽の時間でもあった。

 家々の入り口や窓辺は、各戸の工夫を凝らした小物や灯火で飾られ、キソスの街中(まちなか)全体が普段以上に華やかに賑わう。 賑わいは眼からだけでなく、買い物や祭見物に集まる人々の明るい会話が耳を軽快に愉しませる。

 イリスの旅籠も、毎年趣向を凝らした飾り付けで旅籠の客や通りすがり人々の眼を楽しませている。 その飾り作りの中心は、言うまでもなくアルフィナだ。

 今年もまた、アル主動の装飾作りが大詰めを迎えている。

 丸い、(てのひら)にすっぽり収まる大きさの蝋燭を包み込む星花の飾りを、年若い者達が一部屋に集まって作っている真最中である。 例年ならとっくに作業を終え、飾り付けも済んでいる時期なのだが、今年は、カラ達の来訪に伴う取り込みが続いた為に作業が遅れ、その遅れを早急に挽回しようと、アルはとにかく必死だった。

 対照的に、カラとイシュアはおしゃべりを楽しみながら、細い銅線で星花細工を作っている。


「ふうん。 じゃあシュアは、その〝〈水の守〉〟っていう〈精霊使い〉になるための修行をはじめるの?」


 アルに教えられた通りに作ってはいるつもりだが、カラの作る星花はどこから見ても同じ形になるはずの綺麗な放射状の花にはならない。 星型の枠から外すと、何故かしらどこかの花片が歪んでいる。


「うん。 しばらくはナハさんに付いて〈精霊使い〉の基礎を教えてもらうんだけど、いずれはナハさんのお友達の〈水の守〉に弟子入りさせてもらう予定なんだ」


 おっとりと話しながら、けれど手早く器用に美しい形の星花をシュアは作っていく。

 《名》を失ったままのカラは、時間を置いて再会した相手が〝カラ〟という《名》どころか存在すらも忘れてしまう呪いを未だに受けたままなのだが、その対策に、アル達はカラの《名》と容姿を詳細に書いた木札を常に身に付けるようにしている。 お陰で、彼等がカラの事を忘れてしまうことはぐっと少なくなった。


「カラは騎士を目指すの? ラスターさんから短剣を授けられているのなら、もう師弟の関係になっているってことだよね? すごいなあ、騎士になるのはとても大変だって、噂話にだけど聞いたよ。 正騎士に叙任されるには、とても厳しい審査や試験もあるって」


「うん。 でも俺まだちゃんとラスターの弟子になったわけじゃなくって、単に必要があったから短剣を渡されただけなんだ。 本当に弟子になれたらいいんだけど、ラスター、ならせてくれるか全然わかんなくてさ……」


 考えながら作業を行った為か、銅線がぐちゃぐちゃに絡まって、星花どころか、不格好な円月になってしまっていた。 はっと我に返って銅線を元の一本線に戻そうとしていると、ひりつくような視線を額に感じた。 顔を上げると、やはりアルフィナが突き刺すような苛立った眼でカラを見据えていた。


「あんたが不器用なのは十分に知っているつもりでいたけど、どうすればそんな芋みたいな物体が出来るのか聴きたいわね。 一種の才能よね、そこまで下手に作るのって」


 ツンと嫌味を言い自分の作業に戻ったアルを、カラも睨み返して隣で退屈そうに銅線を丸めているエイリナを指差した。


「なんだよ、不器用なのは俺だけじゃなくてエイリナも一緒じゃないかっ! エイリナなんか一個もちゃんとしたの作ってないのになんで何も言わないんだよ、ずるいよっ」


 カラに指差されても、エイリナはお構いなしに銅線を丸めては伸ばしまた丸める、といった無意味な動作を繰り返している。


「俺にこういう地道な作業をさせるのは無理ってアルは知ってんだよ。 俺の得意は聴き分けと歌唱だけで、あとはまったくの役立たずなの」


「そういうこと。 エイリナに何かさせようとすると、余計な作業を増やされるだけでこっちが大変になるだけなんだから。 本当のこと言えば帰ってもらった方が鬱陶しくないんだけど、大人しく座ってるって約束したからそこに座らせているだけで、戦力としての頭数には入ってないわ、最初から」


 容赦ないアルの言葉をへらへらと笑いながら受け流しているエイリナの本名は、エイ―ル=コートリーと言い、サンリルールという伝統楽器の演奏家として高名な一族の跡取り息子なのだという。 跡取りでありながら、エイリナは肝心のサンリルールには興味が無く、自分の好きな歌唱にばかり熱中していて親の頭を悩ませているという話だが、あれ程の美しい歌を歌えるのだからそれも仕方ないのではないかとカラは思った。


「そういえばアルは、祭で舞を奉納するんだってね? その舞は冬越しの祭りの中で一番大切な催事だから、誰でもに任せられるものじゃないって聞いたよ。 すごいね、そんな大切な役を任されるなんて」


 シュアが率直に感心すると、アルもまんざらじゃない様子で少し頬を染めた。


「うん。 ほんとのこというと、決まった時は初めての大役でちょっと緊張したんだけど、稽古をしっかりしてきたから問題ないわ。 さっき衣装も出来あがったし、いよいよ本番が来ると思うと今はむしろわくわくしちゃう。 舞っている間って、自分の中に違う自分がいるみたいで、でも周りの空気と自分がひとつになるみたいな感覚もあってとっても楽しいのよ」


「なんたって、アルはキソス一の美人だし俺の未来の嫁だし、ガサツだけどこう見えてこいつ、舞踊がすげー上手いんだぜ。 キソスでやる祭で、陽の神ソルギムに捧げる〈讃陽舞〉を舞えるのは先代の神殿付きの舞姫を除けば、今のキソスにはアルしかいないってもんだよな」


 何故か自慢げに語るエイリナの言葉をアルは無視しつつも、舞う時の緊張感や高揚感を嬉しそうに重ねて話し、皆に当日は必ず観に来て欲しいと念を押すように言った。

 いつにない楽しそうな様子で話すアルに、カラは言い出せなかった。 アルが舞を納めるその日に、カラはキソスを離れることになっているのだと。


「それより聞いたかアル、〈器の巫子〉にフェリルが選ばれたって」


 ぽんとエイリナが口にした名に、アルははっきりと顔を曇らせた。


「フェリルって、あのエルフェルディア=ラークソニアのこと? だとしたら、それって本当なの? だって、フェリルはあんなに病弱なのに。 そりゃ確かに〈感応〉の力は少しはあるかもだけど、フェリルに八年もの勤めが出来るとはとても思えない」


「そうなんだよな。 あいつ、そこまでの能力者じゃないと思うんだけど、お前が突っぱね続けてる間に、ラークソニアの男共が揃って大神殿に押しかけて、結局ごり押ししたらしいぜ。 一族から〈斎王〉が出たとなればこんな名誉なことないもんな。 あそこんちの親父さん、お前のお袋さんが歴代最高の〈斎王〉だったってことにかなり嫉妬してるっぽいし。 フェリルはフェリルで、お前に妙な対抗心持ってるだろ? だから本人もしてやったり、とか思ってるみたいだぜ、どうもさ」


 アルは考え込む様に眉根を寄せて、作りかけていた星花を作業台の上に置いた。


「……まあ、〈器の巫子〉に選ばれたら必ず〈斎王〉に任じられるってわけじゃないみたいだから、精霊王殿の判断が適切であることを祈るしかないわね。 それにしてもフェリルの父親は何を考えているのかしら? 自分の大切な娘が――……」


 言いかけて、アルはきゅっと下唇を噛んで俯いた。 アルの変化に気付かないのか気にしないのか、エイリナは椅子の背にもたれ、ギシギシと言わせながら身体を反らせ、間延びした暢気な調子で会話を続けた。


「それにしても、キトナ大神殿はよくアルを諦めたよな? 〈器の巫子〉にしようって、お前がまだ鼻たれのチビの時からずっと口説き続けてたってうちの親父殿から聞いたぞ。 半ば強制的に大神殿に入れようって話もあったって。 最近もすっげー口説きに来てたんだろ?」


「まあね。 でもあたしにその気がまったく無いし、イリスもあたしの気持ちを尊重してくれるから、強制しようたってされやしないわよ。 それになにより、思わぬ援護が受けられることになったから、大神殿も無理強いはできなくなったしね」


 アルとエイリナの話の内容が、途中から自分にはまったく分らないものになって、カラはなんとなく面白くなかった。 自然、むっつりと黙りこんで、アルに芋と評された星花細工を乱雑にほどき作り直そうとしていると、シュアが問題点を具体的に教えてくれた上に、作り方のコツも丁寧に教示してくれた。


「それとね、僕の気のせいかもしれないけど、カラも、エイリナと同じくらいアルと仲良しだと思うから、あんまり気にしちゃダメだよ。 アルとエイリナは幼馴染だから、お互い知っていることが多いのは当然だもの。 仲の良さって、歳月に比例するところと、それ以外の、なんていうのかな、ひらめきの様な、理屈ではない相性っていうものがあって、カラとアルは、その理屈じゃない相性がとってもいいんだなって僕は感じたよ。 人とのつながり方は他人と比べることなんてないよ……って、よく僕が祖母に言われてたんだ。 ごめんね、違ってたら」


 言い終えると、シュアはおっとりと微笑んで自分の作業に戻った。 ぼんやりしている様でいて、シュアは周囲の様々なことに眼が行き届いていて、状況を的確に察することもできる。 カラは感情が顔に出やすいので、考えていることが簡単に分ったのかもしれないが、ずばりを言い当てられて(いささ)か恥ずかしくもあった。 けれど、他人から見ると、アルとカラも仲がよく見えるという事実を知り、なんとなくこそばゆく思った。


「シュアって、なんとなくナハに似てるよね。 俺、シュアといるとすごくホッとする」


 カラがしみじみと言うと、シュアは驚いた顔をして作業の手を止めた。


「そ、そんな、ナハさんと似てるなんて、そんなことないよ。 あんな風に、なんでもゆったり受け止められる大人になれたらいいなっては思うけど、僕、色んなことに全然余裕がなくって」


「そうかなあ? 俺からみたら、シュアはすっごく色んなことを知ってるし、上手くなんでも出来るし、十分余裕あるように見えるんだけどな」


 教わった通りに星花を作り直しながら、カラが思ったままのことを口にすると、シュアは照れくさそうにはにかみながらゆっくりと作業を再開した。


「そう、かな? あんまり、自分ではそういう風には思えないけど。 でも嬉しいな、僕と居てホッとするなんて言ってくれたのは、祖母以外ではカラが初めてだよ。 特に最近は、僕と居ると苛立つって人が多かったから、なんだかちょっと不思議な感覚だよ」


 言いながら、シュアは少し困った顔で微笑んだ。 多くを語りはしないが、シュアも、カラと同じく決して恵まれた環境で育ってきたわけではないらしく、イリスの旅籠に来る前の破落戸(ごろつき)の手下になっていた時は、日々いびりの対象になっていたと苦笑しながら話していた。 破落戸の仲間には、あのトランも入っていたと聞いて、思わぬところで他人との因縁は結びつくのだと驚いた。


「そう言えばカラ、もうそろそろ時間じゃない? 行かないとラスターさんを待たせるんじゃないの?」


「あ、うん、そうなんだけど――……」


 シュアが思い出したように言うと、カラはちらとアルの顔を見て口ごもった。

 意識が戻り、落ち着いた生活が送れる様になると、ラスターは一日の内に僅かずつだが時間を作って、カラに字を教えることを再開した。 旅の道中に教えてくれていた時と同じく、ラスターの教授法はとにかく淡々としていて、学びつけない身としては少なからぬ緊張を強いられるのだが、この教えるという行為が、旅の夜の、長い時間を潰す為の気まぐれなどではなく、真に今後のカラの為を思っての、ラスターなりの思いやりなのだとナハからこっそり教えられ、カラは態度に表すことこそ抑えたが、感激のあまり涙腺が緩みそうになって困ってしまった。

 覚えが早いとは決して言えないが、毎日のこの時間が、カラの密かな楽しみになっていた。 ただし、アルの顔色を窺うことに、毎回かなりの神経を使っているのだが。


「ヘンな遠慮なんかしないで行ってくれば? 星花作りはあんたがいなくてもシュアがいてくれたら十分だもの。 だけど、飾り付けはやってもらうから、終わったらぼさぼさしないで戻って来てよ、祭は明後日からなんだから。 前日までには飾り付けを終わった状態にしておくのが普通なんだから、あんたにも飾り付けくらいはしっかり働いてもらうわよ」


 カラの顔を見ずに、アルはとがった早口で言いながら、作り終わった星花の飾りに蝋燭をはめ込む作業をてきぱきとこなしている。

 アルの言い方に、いつもの如くむっとしはしたが、ここで迂闊な愚痴を言い返すと間違いなくこてんぱんに言い負かされそうなので、不満は呑み込んで、カラはシュアに作りかけの星花を託してそそくさと作業部屋を出ていった。

 ラスターの部屋の扉を叩くと、ナハが扉を開いてカラを招き入れた。


「ナハ、いたんだ。 ラスターと話してたの? まだ話終わってないなら、俺もう少し後で来るけど――……」


 ラスターとの勉強の時間を楽しみにしつつも、ナハがいると肩の力が抜けて安心を覚えてしまう。 ナハの顔を見上げながら、同時に背後のラスターの様子を窺った。


「私の用件は終わったから大丈夫だよ。 それよりカラは勉強、頑張っているみたいだね? どうだい、ラスターは良い先生かい?」


 教材の準備をしているラスターを横目で見ながら、ナハが愉しげに訊ねて来たので、カラは思わず考えこんだ。


「……わかんない。 俺、誰かに何かをちゃんと習うのって初めてだから、良い先生とかよくないとか、どうやって決めるのかわかんないよ。 でも、ラスターがもう少し笑ったり、勉強以外の話もしながら教えてくれたらいいなって、思ったりもするん、だけ、ど……」


 上目遣いでラスターの様子を窺うカラの肩をぽんと叩いて、ナハも友人の顔を覗き込んだ。


「だ、そうだぞ、アラスター先生?」


 ナハのおどけた調子の言葉を、まるで聞こえなかったかのように無視すると、ラスターは教材にしている本を開き、短い言葉でカラに席に着くように指示をした。

 友人のいつもの調子に、ナハは肩を竦めて苦笑すると、カラの隣に椅子を持ってきて、頬杖をついて授業風景を見物する姿勢に入った。


「――何故、ここに留まる?」


「いやなに、お前の教授ぶりを見たくってね。 カラは私が居たら邪魔かい?」


 突然自分に言葉を振られ、カラは焦ってしまったが、ナハがいるといつもとは違うラスターが見られるかもしれないという、いささか邪な思いが勝って、ナハの同席を歓迎した。

 カラの返答に対しラスターは何も言わず、厚かましいほど当然顔で居坐った友人はいないものとして無視することに決めたのか、その後はいつも通り淡々と文字を教え、綴りの成り立ちを説明し、カラが引っかかる部分を簡潔に講釈していった。


「これは思わぬ発見だな。 ラスター、お前に学問の師の素質があるとはな。 剣の師ならばまあ理解はできるんだが、お前、学舎(まなびや)の教師も務まるかもだぞ。 もっとも、その無表情無感動対応では、子供達が懐かないだろうがな。 カラも言っていたろう? 少しは笑う稽古をしてみたらどうだ? 職の選択肢が増えるかもしれないぞ?」


 のんびり笑いながら言うナハの言葉を、やはり無表情で受け流すと、ラスターは今日の勉強はここまでと告げた。 一切の雑談をしないのはいつものことだが、カラはどうしても聞きたいことがあって、いつまでも席を立たずに物言いたげにしていた。


「どうしたんだい? ラスターに何か言いたいことがあるんじゃないのかい?」


 ナハが呼び水になる言葉を向けてくれたお陰で、ラスターもカラの顔に視線を向けた。 特に言葉を発することはしなかったが、青の瞳が、言いたいことがあるならば話すようにと促しているようだった。


「うん、あ、あのね、ラスター。 俺達の出発、どうしても二十五の日じゃないとだめなの? せめて二十六の日、とかじゃだめなの?」


 遠慮気味に、しかし出来る限り明確に希望を口にすると、ラスターは、やはり表情を変えることなく黙考した後、「何故?」と短い質問を返した。


「えっと、あの、明後日から祭があるの、ラスターも知ってるよね。 〈謝陽祭〉。 その祭、二十五の日が一番の中心の日で、その日に色んな〝もよおしもの〟ってのがあって、その中のね、あの……」


 カラが口ごもると、ナハがくすくすと笑いながら言葉を引き継いだ。


「〈讃陽舞〉を観たいんだよ。 今年はアルが舞うから、アルの晴れ姿を観たいんだよ、皆で」


 ナハの言葉を聞いて、ラスターは少し首を傾げて考える素振りを見せた。


「アルフィナが舞うからといって、私達の出発となんの関係がある? シクルに、二十七の昼までに着かなければならないと、先日説明はしたはずだ。 この日時を譲ることは出来ない。 あの街まで、旅慣れないカラの足では一日では厳しい。 故に日述べはしない」


 予想通り、ラスターは取り付く島を与えない。 シクルという、キソスから二日程の距離の小都市で、どうしても会わなければならない人物との面会が決まっているのだと、一昨日告げられた。 その人物のもたらす情報によって、今後の行動が変わってくるかもしれないのだという。 とても重要な面会なので、行動の遅延は許されないと念押しをされていたのだから致し方ないのだが、やはり心残りは消えない。


「――確か、舞が始まるのは陽が南中する半刻前からだな。 昼過ぎに出発しても、シクルに着くのは二十七の昼少し過ぎくらいじゃないか? 日述べは出来んだろうが、僅かな誤差で、あの人が、どうこう言うことは無いと思うがなあ」



 指折り数えながら、のんびりした口調で言うナハに、ラスターは僅かに険しい視線を送った後、小さくため息を吐いて、教材にしていた本を仕舞い始めた。


「途中、休息を短くして構わないならば、なんとか可能だろう」


 ラスターの言葉の意味を受け取りきれず、カラはラスターとナハの顔を交互に見比べた。 ナハはにっこりと笑ってカラの頭をくしゃりと撫でた。


「シクルの街に着くまで、途中で疲れた時の休憩時間が短くなっても構わないなら、舞を観終わってからの出発でも大丈夫だって言ったんだよ。 どうだい? カラ、頑張って歩けそうかい?」


 ナハが噛み砕いて話してくれて、はじめてラスターが譲歩してくれたことを理解した。


「大丈夫! 俺、いつもよりずっと速く歩くよっ。 ラスターありがとう! ナハもありがとうっ!」


 顔が紅潮するのが自分でも分ったが、気にはしなかった。 あらためて礼を言うと、カラはラスターの部屋を転げるように飛び出した。


「本当に、素直な良い子だね。 お前や私とは大違いだ。 奇跡的だな、かなり荒んだ環境に置かれ続けていただろうに、ああも真っ直ぐに育ったのは。 ――似ているのかい?」


 煙管を取り出し口にくわえると、ナハはラスターの顔を横目で見遣った。


「――そのように、感じている。 だが彼は、もっと自信に充ち溢れていた」


 窓外に視線を送りながら、ラスターは呟くように答えた。


「それはまあ当然だろうな。 それで、いつ話して聴かせるんだ?」


 北西の方角から、黄金の有翼獣が真っ直ぐに飛んできて、ラスターの立つ窓辺の縁にふわりと舞い下りた。 一声鳴いて、主人であるラスターに言葉を渡すと、ラスターはガーランの喉元を優しく撫でた。


「時が来れば、その時に――……」



 昨日作業部屋に戻ると、アルは宣言通り、まったく遠慮することなくカラに飾り付けを手伝わせた。 脚立を上ったり下りたりする飾り付けは意外に体力を要し、シュアとエフィルディードも加勢して、夜遅くまでかかって旅籠全体の飾り付けを終えた時は、カラはくたくたになってしまっていた。

 翌朝目を覚ますと、あらためて前日に飾り付けた装飾を見た。 天河が降り下りる様を、大小の星花飾りと青、黄、白の光沢ある生地の細帯で流れる様に表現した装飾は、ひとつひとつの飾りの印象よりぐっと華やかで、夜に星花飾りの蝋燭に火が灯ると、とても綺麗だろうと思った。

 飾り付けも終わったので、今日はゆっくり過ごせるのかと思っていたら、朝食後、アルに買い出しの手伝いを頼まれた。 シュアと、同じく駆り出されたナハと共に、多量の重い荷物を運ぶ役をこなしたかと思うと、午後からは、翌日の祭の期間中旅籠に立ち寄った客人をもてなす為の、林檎の砂糖煮を生地に練り込んだ、〈謝陽祭〉には欠かせないパヌルという焼き菓子作りを手伝わされた。

 食事と僅かな休憩時間以外、立ちっぱなしで忙しく働き続けたので、時間はあっという間に過ぎてしまい、カラは、アルに二十五の日にキソスを出立するということを告げられずにいた。 忙しくて言いだす暇が無いことが言い訳にもなったが、祭の開始が近付くほどに、気持ちは重くなっていった。

 昼過ぎになると、祭に参加する商人や見物に来た客人が旅籠に次々と到着し、イリスとアル、そして手伝いを買って出たシュアは忙しく立ち働き続けた。 カラも水を汲んだり薪を準備したりと、裏方の出来得る限りの手伝いをした。 《影》を取り戻し、外見上は〝普通〟に戻ったのだから、表の仕事の手伝いも出来るのだが、自ら輝く金の瞳は、薄暗い室内や夜間は目立つことに変わりはない。 多様な民族が集うキソスでは、オ―レンのような異物を見るような不快感をぶつけられることは少ないのかもしれないが、不要な注目は浴びないに越したことはないので、裏方に徹することにした。

 二十二の祭り初日の朝は非常に冷え込んだが、その分天気はここ最近にない程良く、陽の恵みに感謝するには最良の天候に恵まれそうだった。 初日、二日目と、祭見物の客が旅籠の窓や室内の飾りを見物しに立ち寄ると、イリスとアルはもてなしに追われ、旅籠の清掃や裏方の雑事は、シュアとカラ、そして加勢を申し出たエフィルディードが立ち働いて回した。 食事時以外、目の回る忙しさが続いたが、オ―レンの鍛冶屋でこき使われていた時とは違う、心地よい疲労にカラは充足感を覚えた。

 祭三日目の昼食を終えると、イリスが若者達に祭を楽しんで来るようにと、僅かずつの小銭と共に旅籠から送り出した。 祭の期間中、街のあちらこちらに市が立ち、キソスの民だけでなく周辺の町や村からも、職人や商人が名物の食べ物や名産品を売りに来て賑わうので、子供達は少ない小遣いをかき集めて、買い食いをしたり気に入りの玩具を買ったりして楽しむのだと事前に聞いてはいたが、カラは自分がそういった体験を出来るとは思っていなかったので、イリスから小遣いを渡された時は、勝手が分からずに舞い上がってしまった。

 祭には小盗や酔漢もよく出没するので、念のために保護者としてエフィルディードが付き添った。

 キソスの街中は、人でごった返していた。

 普段から様々な言語を耳にする機会のある開けた都市だが、今耳に入る量はその比ではない。 耳にまったく覚えのない響きの言葉があちらこちらから聞こえて来る。 中には、カラがいたオ―レン周辺の南部訛りの声もある。

 通りには、至る所に仮設の店が設えられていた。 天布を細い柱に括りつけただけの簡素なものから、ちょっとした建造物の様な立派な出店まで様々で、商っている品も軽食から図柄の凝った布地や既成の衣料、高級そうな宝飾や調度品まで実に多様だった。

 人々の活気に溢れたざわめきと眼から入る賑やかな色彩や紋様が、気持ちを一気に高揚させる。 カラは周囲をキョロキョロ見回してばかりいて、他の見物客に何度もぶつかりそうになった。


「あたしは慣れてるんだし、カラとシュアはこれでも一応男なんだから、フィルが用心棒代わりに付き添う必要なんてないのに。 エイリナに至っては、しょっちゅうろくでもないところに入り浸ってんだから警護の必要なんてさらさらないし。 フィルのせっかくの時間がもったいないわよ」


 そう言いながらも、アルはフィルと並んで楽しそうな笑顔を絶やさなかった。


「私個人の時間に対してのお気遣いならば、それは無用です。 キソスは幾度となく訪れていますが、〈謝陽祭〉の時期に滞在するのは初めてですから、私も、市の見物は楽しみなのですよ」


 黒衣の騎士姿とは違い、白の幾分ゆったりした上着と黒のズボンを軽く着こなしたフィルは、変わらぬ生真面目な調子で、穏やかに微笑みながら答えた。

 フィルの答えを聞くと、アルはフィルの腕を取って、あちらこちらの露店の説明をしながらさっさと先に進んで行き、男三人が置いていかれるような状態で取り残された。


「ところでお前さ、マジでウルドとやり合ってるわけ?」


 エイリナが、市に来た途端に買ったパヌルを口に放り込みながら、赤茶の瞳だけでカラを見た。


「? やり合ってるって、どういう意味?」


 カラが首を傾げると、エイリナは呆れた顔で大袈裟にため息をついて肩を竦めた。


「お前頭回転悪いな、やり合ってるって言ったら、やり合ってんだよ。 戦ってんだろ、お前《ふたつの宝》をウルドに奪われたから、それを取り戻すためにウルドを探して旅してるんだってアルが言ってたぞ。 けどさ、お前なんで《宝》をそんなとんでもねえ魔物に奪われたわけ? ウルドってやつは相当ヤバい奴だって、いろんな古曲の中でも歌い継がれてんぞ。 逆に言えば、そうそうは出くわすことのねえ、特別な魔物だってもな。 お前みたいなチビが、なんでそんな魔物の親玉みたいなのと遭うことになったわけ? お前、なんか訳ありなのか?」


 エイリナは、あからさまな好奇心を声の調子にも表して訊いた。 だがその質問に、カラは言葉が詰まって答えられなかった。


 何故――?


 今春、闇森で〈主〉を探し当てた時は、むしろようやく自分に運が向いてきたと、明るい感覚をカラは抱いた。

 そのとんでもない思い違いが、自分を更に追い詰め、結果、この旅の始点ともなった。

 あまりに次々と経験したことのない出来事が起き、濁流の様に進んでいくので、経緯を振り返り考えることはなかったが、今あらためて考えてみると、〈闇森の主(ウルド)〉は何故、あの時カラと取引をしたのだろうかという疑問が、こんこんと湧いて出て頭から消えない。 〈主〉を求め闇森に入ったカラが、いとも簡単に〈主〉を探しあて、あっさりと取引の手筈が整ったのは、今更思うに出来過ぎている。

 自分は、最初から狙われていたのかもしれない――。

 キソスに来てから耳にした、大人達の言葉の数々から、そう思わずにはいられなかった。

 〈闇森の主〉はカラの身体を乗っ取ることを目論んでいる。 オ―レンで奪い損ねたカラの〈器〉を、今でも耽々と狙っているのだと告げられた時は、意味が解らず反応の返しようがなかったが、時間が経って、自分の頭で言葉を咀嚼し再考しているうちに、自分はとんでもなく怖ろしい状況に、自分から飛び込んだのだと思うに至った。

 何故〈闇森の主〉が〝カラ〟の〈器〉を奪いたいのか、大人達は未だ理由を語ってはくれない。 ただ、理由が奈辺にあるにせよ、〈主〉にとってカラは、大きな蜘蛛の巣に己から飛び込む小さな羽虫のようなものだったのだろう。 巣のあまりの大きさに、その全容に気付かず、気付こうともせず、ただ無暗に前へと飛び急ぐ、とてもちっぽけな――。


「あんた達なにぐずぐずしてんのよっ。 別行動とるなら最初からそう言っておいてよね!」


 鋭いアルの言葉で、カラは考えを断ち切られた。 思わず安堵のため息を吐いた。 もしアルの声が思考に割り入って来なかったら、また負の螺旋に陥りそうだったから。


「ちょっとあんた、来て」


 アルが不機嫌な声のままカラを睨みつけた。 自分だけが怒られているような雰囲気に、カラは戸惑いと腹立たしさを覚えた。

 むっとしてなにも言わずにそっぽを向くと、アルがカラの袖を掴んで無理矢理歩かせる行動に出た。 残された男二人は、フィルと話しながらゆっくり楽しそうに歩いているのに、何故自分だけこんなに急かされ苛立たれているのかが分らず、カラは不満表明を込めて突っ張るように足を止めた。


「なにすんだよ、いったいなんなんだよ、遅れてたのは俺だけじゃないだろっ!」


「あんたも遅れてたのには違いないでしょ! 後ろにいると思ったらいないんだもの、お陰で親爺さんに変な顔されたんだから。 迷惑なのよ、こっちの調子が狂っちゃうじゃない」


 やはり意味のわからないことを言いながら、アルは問答無用でカラを引っぱって、最終的に小さな露店の店先にまで連れていった。


「な、なんなんだよ、アル、なに言ってんのかさっぱり分かんないよっ」


 繰り返されるカラの不満を無視して、アルは小さな店内の、布で仕切られた奥へと声をかけた。


「おや嬢ちゃん、戻って来たかい」


 半ば白髪になった初老の男が、ひょいと布影から髭面を出した。 アルがあらためて挨拶をすると、店主と思われるその男は大きな掛け声をかけながら立ち上がり、手に荷を持って店頭へと出て来た。


「なるほど、そのボウズのかい?」


「そうなの、ちょうどいいと思う?」


大凡(おおよそ)いいとは思うが、まあ、着せてみるんだな」


 言いながら、店主は折りたたまれた布をアルに手渡した。 アルは受け取った布をばさりと広げると、またカラをつんと睨んで「着てみて」と短く命じるように言った。 よくよく見ると、布は外套のようだった。


「え、なんで?」


 きょとんとして思わず問い返すと、アルは苛立った様子で有無を言わさずカラに外套を羽織りかけ、襟元の留め具を留めた。


「あんた、明日旅に出るんでしょ。 これから寒さが厳しくなるのに、外套無しの旅なんてありえないでしょ! 前のやつ地下に置いてきたんだから、新しいの買うしかないじゃない」


 アルの言葉に、カラの心臓は跳ねる様に大きく打った。


「えっ、あ、アル、知ってた……の?」


「知ってるわよ。 知ってたわよ、どうせいつまでもキソスに居るわけじゃないのは分ってたことだもの。 いいから手を下ろして真っ直ぐ立って、ちゃんとした丈がわかんないじゃない」


 アルは外套に視線を落としたままぶっきら棒に言うばかりだった。 カラもそれ以上はなにも言えず、素直に腕を下ろし、言われるままに腕を動かしたり動いてみたりした。


「少し大きめのようだが、なに、そのボウズの年頃ならすぐに丁度よくなる。 それはトルサニの中でも最上級の毛で作ってあるからな、雪中の旅でも暖かいし、軽いから身体への負担も少ないぞ。 ボウズみたいなチビなら、身体に纏うもんは少しでも軽いに越したことはないからな」


「誰がチビだよっ、俺そんな力なしじゃないぞっ」


 むきになって言い返すカラの言葉を、店主は陽気に笑い飛ばしながら、手元に置いていた荷箱から手袋を取り出しアルへ差し出した。


「これからの時期の旅ならこれもあった方がいいだろう? これも同じトルサニの皮で作った手袋だ。 丈夫だぞ。 外套と一緒に買うんなら、外套が三ガラムだからおまけだ、これは三十インスのところを二十五に負けてやるが、どうだい?」


 にこやかに売り込んで来る店主から手袋を受け取ると、アルはカラにはめてみるように言うと同時に、十五に負けろと交渉に入った。

 幾度かの数字のやり取りの末に、二十で決着がついたが、カラは慌てて辞退を申し出た。 二十インスとは、カラの感覚では二、三ヶ月分の食事が余裕で賄える大金なのだ。 百インスが一ガラムなのだから、外套もカラにとってはあまりにも高価過ぎる。


「外套は必要だけど、そんな高いの要らないよっ。 手袋だって無くても大丈夫だし。 だって俺今までも、どんなに寒い冬でも手袋とか持ってたこと一度もないから、無くたって平気――」


「〝今まで〟の話はこの買い物に関係ないでしょ! 昔がどうだったとしても、少なくとも今は持てるんだから、本当に必要なものは持てばいいのよ。 これからあんた北へ向かうってのに、あっちの寒さを舐めてるわ。 あとで後悔するより先に備えをしておくに越したことは無いでしょ、手袋なんてそんな荷物になるわけじゃなし」


「でもそんな高いの要らないよっ、俺、金なんて持ってないんだから」


「お金はラスターから十分に預かってるからあんたが心配することはないわ。 寸法も問題ないようだから、それでいいわよね?」


 カラの戸惑いなど取り合う様子もなく、アルは胸元に下げてしまっていた巾着を取り出して、店主に代金を支払った。


「商人だから言うんじゃないがな、ボウズ、全部が全部そうだって言うんじゃないが、安いもんってのは安いなりの理由があるんだ。 同じく高いもんには高いなりの意味が大抵はある。 安いがすぐにダメになるもんを何度も買うより、最初にしっかりした物を買う方が賢い買い物って場合もあるんだぞ」


 代金を受け取りながら、店主はおまけだと言って、小さな青色の石の付いた根付けをふたつくれた。 石は、相思石(ラクラ)という貴石の欠片で、同じ母石から分かれた細石(さざれいし)は、互いに呼び合うように引き合うので、再会を約束する仲間同士で持ちあうことの多い貴石なのだと、店主は意味ありげな笑みを浮かべながら言った。

 アルはややむっとした顔をしつつも、根付けを受け取り礼を言うと、ひとつをカラの外套の留め具に括りつけて落ちないようにした。


「いい、落とさないでよね。 いくらおまけの物でも、失くしたらもったいないんだから」


「え? これ俺が持ってていいの? だってふたつしかないのに――……」


「あたしとイリスで持ったって仕方ないでしょ」


 つっけんどんに言いながら、アルはいまひとつの根付けを自分の衣袋にしまい、何も言わずにすたすたと歩み出した。 カラも慌てて後を追うと、半歩後ろにぴたりと付いて歩いた。 何かを話したいけれど、ぴりぴりした様子のアルに何を話してよいか分らず、黙々と歩くしか出来なかった。


「明日のいつ?」


 ぽんと、アルが言葉を発した。 受け答えの準備が出来ていなかったカラは、反射的に「何が?」と問い返してしまった。

 アルは一拍の間を置いて、ひとつ大きくため息を吐いて歩みの速度を落としたが、顔は正面へ向けたまま動かす気配は無かった。


「明日の出発時間のことに決まってるでしょ。 シクルに二十七の昼までに着かなきゃなんでしょ? なら昼前には出発よね? あたし、明日は早朝から舞の準備で家を出るから、見送りなんて出来ないからね。 あんたがいつ出発したって知ったことじゃないけど、でもやっぱり、友達を見送りもしないってのも、なんとなくスッキリしないけど――……」


 言葉を切ると、アルは少しの間沈黙してから空を仰いだ。


「あーあ、それにしても残念ね、あたしのせっかくの晴れ姿を観られないなんて」


「――俺観るよ、アルの舞」


 カラの言葉に、アルは真実驚いた顔をして振り返った。 カラは真っ直ぐにアルの黒の瞳を見た。


「ラスターが、アルの舞を観終わってから出発していいって言ってくれたんだ。 だからアルの舞を観てからキソスを出発するんだ。 だから、観るよ俺、ちゃんと」


 頬を真っ赤に染め、必死に言葉を伝えようとするカラの金の瞳をしばらく見詰めた後、アルはにっこりと微笑んで、止めていた歩みを再びゆっくりと進めはじめた。


「そう。 じゃあ余計にしっかりと舞わなくちゃ。 あんたが観るってことはラスターも一緒でしょう? ラスターにみっともない舞なんて絶対に見せたくないもの。 ――あんたにも、あたしの舞が〝この程度〟なんて思われたくないし。 いい、観るからには眼に焼き付けるくらいしっかりと観てよね」


 明らかに先程までより明るくなった声を聞きながら、カラはやや複雑な気持ちで、アルが結びつけてくれた相思石に触れた。 天の青に似た貴石の色は、ラスターの瞳の色にも似ていると思った。


 翌日二十五の日の早朝は、いつも以上に冷え込んだ。 その日が良い天気となることを知らせる冷気に身を縮めながら起き出し、旅の為にイリスが用意してくれた装束に着替えた。

 食堂へ行くと、アルは既に神殿へ舞の身支度を整える為に出かけており、イリスとシュアが朝食の食卓を整えていた。

 キソスでの最後の食事を終えると、カラは寝室に戻り、旅用の長靴と腰帯を身に着け、オスティルの短剣と棍をしっかりと装着した。

 ほんの一ヶ月半程の短い時間だったが、自分の寝室として割り当てられた部屋を、カラはいとおしむように見た。


「いつかまた、帰って来られるかな……」


 寝台の上にナジャが座っていたが、カラの呟きに言葉を返すことはしなかった。 俯き気味だった顔を上げると、カラは新品の外套を着、ナジャを肩へ上らせて部屋を出た。

 いよいよイリスの旅籠を出る時、イリスはカラを優しく抱きしめて、「いってらっしゃい」とだけ言って柔らかに微笑んだ。 イリスの言葉は、他のどんな言葉よりも温かくカラの身の内に沁みた。


「俺――行って、来るね」


 詰まりそうな言葉をなんとか押し出すと、カラとラスター、そしてナハ、シュア、フィルが共に神殿の舞楽殿へと向かった。 よくよく見ると、ナハとシュアも旅装に身を包んでいる。


「あれ? ナハとシュアも旅に出るの?」


「あれ、言ってなかったかい? 私達もカラ達と一緒に北へ向かうって。 とはいっても、途中で別行動になるだろうけど、少なくともしばらくは一緒だよ。 賑やかな旅ってのもいいだろう?」


 のんびりと笑顔で応えるナハの横で、シュアも少し悪戯っぽい笑顔でカラの顔を覗き込んだ。

 キソスを離れること、知己になった人々と別れることを寂しく残念に思っていたが、思いもよらぬ旅の仲間がいることを知り、カラは萎れかけていた気持ちが伸びるように明るくなった。


 舞楽殿に着くと、既にその場は溢れんばかりの人の熱気に満ちていた。 中央が舞台のようだが、背の低いカラには肝心の舞台がさっぱり見えない。


「おーい、ラスター、ナハ、こっち」


 良く通る声がカラ達一行に向けられた。 声のした方へと視線を向けると、数人の男を従えたエイリナが手招きをしていた。 ナハが促しそちらへ移動すると、付いて来いとエイリナが先に立って歩いた。 案内されるままに人混みを掻き分け、門番の立つ小さな入り口を通り抜け、狭い通路と螺旋状の階段を少し上ると、舞台が一望できる小部屋に出た。


「流石コートリー家だね。 こんな特別席を確保できるのは名家故の特権だな」


 ナハが感心しながら手すりに手を置き周囲を覗き込むと、エイリナはふふんと鼻を鳴らして、整然と並べられている布張りの椅子のひとつに腰を下ろした。


「まあ、それこそ特権だよな、神殿関係には嫌ってほど顔が利くから。 親父殿が〝アラスター殿の為なら、座席の十や二十、いくらでも用意させましょうぞ〟ってはりきってさ。 ほら、親父殿はあんたに惚れ込んでっからさ。 今日の演奏を引き受けてなけりゃ会えたのにって、そりゃあ、泣き崩れそうな勢いで残念がってた、〝ご尊顔を拝せないのが悔やまれてならない〟って。 くれぐれもくれぐれも、よろしくってさ」


 エイリナの話が終わらない内に、ピィンと、弦を弾く硬質な高い音が場内に響いた。 それまでは賑やかしく会話に花を咲かせていた観客が、水を打ったようにしんと静まり返った。

 カラは慌てて乗り出すように舞台を見た。

 舞台の中央に、明るい黄朱の衣を身に纏った長い髪の少女が、両膝を付いて座っている。 深く俯いていて顔は見えはしないが、アルに違いなかった。

 再びビィィンと、今度は低く深い弦の音が響いた。 音の出所は、舞姫の後方に居る男の手にある弦楽器。 物語で聞いた竪琴の様な三日月型の枠に、数え切れない本数の弦が張ってある。 これが、サンリルールという楽器で、あの演者がエイリナの父親なのかと気を取られていると、シャン、と高らかな鈴の音が響いた。

 はっとして舞台の中央へ眼を戻すと、俯いていた舞姫は顔を上げ、右手を天へ伸ばすように緩やかに動かした。 袖口からするりと現れた手首には、無数の鈴の付いた腕輪がはめられている。

 サンリルールの、水の様な音が囁きのように流れ始めると、舞姫――アルはゆっくりと立ち上がり、天を仰ぎながら右足を半歩前へ出し、爪先でひとつ地を打った。 手首の腕輪と同じ飾りが足にも付いているらしく、清らかな鈴の音が静寂に包まれた場を振わせた。

 アルの手が足が、緩やかな線を描くように動き、すっと鋭い動きを合間に入れる度に、鈴がシャンと鳴り空間を包んでいく。 それらの動きや音を包み込む透明な皮膜のように、サンリルールの控え目な音が流れ続けている。

 アルの編まれていない長い黒髪、黄朱のゆったりした袖と濃紫のスカートとが空気と風をはらんで柔らかに靡き動く。 元よりカラよりは幾分大人びた雰囲気を纏っているアルではあるが、今の舞う姿は、カラとは別世界の住人である、まさに〝姫君〟のようだった。

 まるで絵本の一場面を見ているようだとカラは思った。 色鮮やかで美しい、けれどどこか霞みのかかった、おとぎ話のような、夢のような光景。

 その一枚の絵のような友人の姿を、カラは大切に眼に焼き付けた。

 舞の終わった舞台から、割れんばかりの拍手に包まれたアルが去るのを見送って、カラは一人遅れて席を立った。


挿絵(By みてみん)

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