その側近、有能(過ぎる)
『お前、私のものになる?』
地下の牢獄は寒くて寒くて。処刑を待つまでもなく、この貧弱な体じゃあうっかりぽっくり逝きかねないなと、ぼんやり考えていた時だった。
闇から滲むように現れたのは背筋が震えるほどの美女。若干、体つきが残念ではあるものの、マニアにとっては垂涎ものだろうからそれはいい。でも、赤い虹彩が彼女の正体をこちらに突きつけていた。
『こんなところに、魔王直々に足を運ぶなんて……魔界って、人材不足なんですか?』
死に掛けの人間、それも小娘に聞かれて、当時の魔王陛下はぶんむくれた。『その通りよ!』と怒鳴ったのである。
『力が全てなんてポンコツがうようよして、会議も政策も一歩も進まない! それどころか全力疾走で逆走していくし、『遊ぼー』なんて気軽なノリで竜族は果し状送って寄越すし! なんなのよ、魔王だって暇じゃないのよ、遊びじゃないのよ仕事しろって話よ!』
『ははあ、それはひどい』
魔界、想像以上にヤバイじゃないか。それもう組織として機能果たしてないにも程があるような。
『巨人族はね、悪くないの。悪くないけど、致命的にノロマで頭も気も弱すぎるの! スライム族は何考えてんだかわかんないしポヨンポヨン震えてるだけだし、淫魔はとりあえずヤってから考えたいなんてアホぬかすし、吸血族は気位ばっかり高くてあっちこっちで諍い起こすし! それがもう百年以上よ、いい加減頭にもくるわよ!』
むしろよく百年もそんな惨状を我慢したものである。短気に見えて実は気が長いんだろうか。
『だから、思ったの。優秀な人材がいないなら、私が直々にスカウトしてくればいいじゃない! って!』
あ、これは違うわ。多分百年経ってからようやくその結論に達しただけだ。さてはこの魔王、周りがさらにポンコツで目立たないだけで、自分自身も結構ポンコツな自覚ないな?
残念な人、もとい、残念な美女だなあと。視線だけじゃなく、顔全体でこれでもかと語っているのに気づかない。幅ばかりとる豪奢なドレスを着た美女は、だからね、と続けて膝をついた。
『アンタは私のものにならなくちゃいけないの。いい加減、うんざりしてたでしょ? ここらで一発、第二の人生、魔界で過ごしてみない?』
『……アットホームな職場です?』
『むしろ殺伐としてるわね。毎日いたるところで乱闘決闘なんでもござれよ』
『そんな即死しかねない職場はちょっと』
この牢獄で凍え死ぬか、魔王のお膝元で魔族同士の諍いに巻き込まれてプチっといくか。二択にしても選択肢がひどすぎる。
魔王はそこで初めて、そうだった! とでも言うように目を見開いた。あー……これは想像以上のポンコツっぷりで……。
腕を組んで、考え込むことたっぷり十分以上。そろそろ知恵熱出るんじゃない? というくらいになって、閃いた! と魔王は顔を上げる。
『じゃあ、私がアンタを即死しない体にしてあげようじゃない! とりあえず、堕天使とかどーお?』
『それは……最っ高に皮肉が利いてますねー……』
堕天使、堕ちた天使か。今の私が天使というわけじゃないけど、つい最近まで神に仕える立場だった、ってとこだけは共通してる。
なにかダメだったのかと、魔王はきょとんと瞬いている。本気で皮肉のつもりはなかったんだろう。
私はなんだか、笑ってしまった。
『……しょーがないですねー。そんなに言うなら、ついて行ってあげてもいいですよー』
『やった! ねえじゃあ、アンタ、これから私の側近ね! それもとびきり有能な!』
『はいはい。それじゃあちゃっちゃと行きましょう、我が君』
『ええ! ジャンヌ……で、いいのかしら。でもこれって、アンタ自身の名前じゃないわよね……』
『いいですよ、ジャンヌで』
『いいの? 人間卒業ついでに、名前も一緒に変えちゃえるわよ?』
魔王の手のひらで、闇が踊る。ソレが私を人間から――聖女と呼ばれた存在から、堕天使に変えるものだと、本能的にわかった。
『いいじゃないですか、皮肉が利いてて』
『そういうもん?』
『ええ』
魔王の側近くに侍る堕天使の名前が、ジャンヌだなんて。
(ざまあみろ、カミサマ)
私は絶対、アンタたちの言いなりになんかなってあげない。
「思えばあの頃、若かった私」
「それ、私に対する嫌味?」
我が君は今日もぶんむくれ。勇者ご一行が無事魔界入りしそうだと、水晶眺めて一喜一憂し続けている。
勇者サマに会えるのは嬉しい。でも、正体がバレるのはイヤ。乙女心は複雑だ。
今現在、勇者サマは宿屋にて寛いでいらっしゃる。お仲間とも少し話をして交流しよう、ってところかな? 幼馴染の魔術師はともかく、神官の方は聖都で引き合わされたのが初対面。人となりを知ることは、これからの旅にも重要、とか。まあそんなところだろう。
『ジルベールは、どうして旅に同行しようと思ったんだ?』
遠見の水晶、改良版はなんと音声まで届く。いやはや、最近の遠見の一族、開発に力を入れまくってるなあ。
勇者の問いかけに、神官は困ったような笑みを浮かべた。
聞いちゃいけないことだったかと、あっさり勇者が引き下がろうとした矢先。『俺もそれは興味があるな』と横槍を入れてきたのは魔術師だ。
真っ赤な髪に、隆々とした体躯。筋肉の塊が後衛職なんてとんだ外見詐欺である。魔術師のローブが似合わないことこの上ない。
『アルは大事な恋人のため。俺は腐れ縁のアルを手助けしてやるため。で、神官殿はどうだい? 次期神官長になるための地盤固めかい?』
『ステファノ!』
『……そう、思われても仕方のないことです、アルブレヒト殿』
無礼なもの言いに――基本的に、神官っていうのは尊敬を集める職業なのだ。奉仕活動とかしてるしね。ついでに勇者はどこまでも生真面目なので――とがめようと魔術師を呼んだ勇者を、神官が止める。
朴訥とした勇者、いかにも男、というような大柄で荒削りな容貌の魔術師に比べ、随分と繊細で貴族的な容貌を憂いに曇らせ、神官は苦悩するように両手を祈りの形に組み合わせた。
『死地へともに向かう同行者に、偽りを述べることは神の教えに反しましょう』
神官は、婚約者を迎えに行くのです、と呟いた。
『婚約者?』
『神官は、妻帯を禁じられているはずじゃないのか?』
神だけを至上とし、神のみに仕える神官にとって、伴侶を得ることは神に対する背信か、はたまた伴侶に対する背信かのどちらかになる、とかなんとか。
小難しい理屈をこねくり回した結果禁じられているのだけれど、何事にも抜け道はある。
「アレ、アンタの婚約者だったの?」
「……そういうこともありましたねー」
抜け道に、思い当たったのか。まさか、と魔術師と勇者は互いの顔を見合わせた。
『聖女ジャンヌか……!』
神官は続ける。憂いに満ちて、悲しげな調子で。
『聖女は神の映し身……私は幸運にも彼の方の伴侶に選ばれておきながら、おめおめと魔王に連れ去られてしまったのです』
「ものすごく、ものは言いよう、って言葉を突きつけられるセリフですねー」
「ねえ、ちょっと。この言い方だと、私がものすごく悪いヤツみたいじゃない」
「あはは、我が君は面白いですねー」
「だから! 今私何も面白いこと言ってないんだけど!?」
勇者どころか、魔術師までも悪いことを聞いた、とばかりに沈黙してしまう。
それに、神官は苦しげに微笑んだ。
『……魔王のもとでひとり、辛い日々を過ごされているだろうあの方のために……私は絶対に、この役目を他の神官に譲るわけにはいかなかったのです』
「……重い。重すぎるわよ、アンタの婚約者」
「いやあ……こんな人だったんですねー」
「なにを他人事のように」
だって、他人事だったからなあ。
「ご存知です? 聖女の選定方法」
「知らないわ」
「コネと賄賂ですよ」
ついでに私は、聖都の神殿にぽいっと捨てられていた孤児だ。神殿ヒエラルキーでは底辺も底辺。外面はともかく、内部はどろどろに腐りきってたあそこじゃあ、いくら嬲られても黙って耐えるしかない身分。
幸運だったのは、孤児の養育を引き受けていた神官が将来自分の手駒にしようと、やたら教育に熱心だったことだろうか。地位なんて金で買える。でも、神力と呼ばれる補助魔術や回復魔術が使えないんじゃ、一番美味しくて目立つ儀式でのパフォーマンスができない。そのための道具が、下っ端で身分も金もコネもないけど神力だけはある孤児たちだった、ってわけである。
当代聖女はちゃんといる。どこぞの国のお姫様、まさにコネと金と権力で聖女になった典型的なお嬢さんで、神力なんて欠片もない。でもパフォーマンスで神力を使わざるを得ないことも多々あって、そういう時にこっそり役割を肩代わりしている聖女のお付き。それがかつての私である。
だから私に名前はない。聖女ジャンヌ、その神力が人の形を模したのだとか、何とか。苦しすぎる言い訳は、身に宿した神力が強大すぎて云々と、もっともらしく神官長が説明すればまさかの聖女自身すら信じ込んでしまう始末。
なるほどねえと、我が君は何度も頷いている。じゃあもしかしてと、水晶越しに神官を指差した。
「コレ、アンタを連れ戻してまたその茶番を再開しようとしてる、ってこと?」
「私、有能ですから」
聖女とは神の映し身。当代最高の神力を持っていなければいけないし、それを自在に操れなければならない。
おおかた、私の代わりなんてすぐ見つかると高を括っていたら、うまいこと見つからなくって焦ったんだろう。いやあ、辛いわー。私が有能過ぎて辛いわー。
我が君はぷくっと頬を膨らませた。気に入らないわと、水晶を小突く。
「アンタは私のものなのに、最初にアンタを『いらない』って言ったのは向こうなのに、どうして今更連れ戻されなきゃならないのよ」
「私が有能だからですねー」
「こんなヤツ、大人しく無能な聖女と結婚でも子作りでもしてればいいのよ!」
「やだ、我が君ったら卑猥です」