斉木千歳≪未だ気づかぬ罪と罰≫
「あなたには精神鑑定を受けてもらいます。」
「・・・・・え?」
裁判が終盤に近づいての精神鑑定は誰もが意外だったようで、上司など呆気に取られた顔をしていたのを、思い出し和久利は一人苦笑いを浮かべながら、目の前の女性に決定事項を告げた。
「でも私、おかしくなんてないわよ?」
「それでも、受けてもらいます。決まったことですから。」
自分にしては迅速な行動だったと思う。榊と飲んだあの日から一ヶ月も経ってはおらず、こんな時だけ行動が速いなんて我ながらおかしくてしようがなかった。
精神鑑定の日時が決まり榊に連絡をすると「一つ用意しておいてもらいたいものがある」と言われた。指定されたその物は、果たして精神鑑定に必要だろうかと首を傾げるものであったが、言われるがまま和久利はツテを使ってそれも用意させた。
そして当日。鑑定の行われる場所へ行くとある一室に案内された。
そこにはすでに榊が来ていて、和久利が斉木千歳を連れて入ると妙な笑みを浮かべ、待ちかねていた様子を見せた。
「精神科の先生は?」
「もう来ている。」
榊は自身の背後にある仕切を指差した。
「頼んだものは?」
「・・・ああ」
和久利は持っていたカバンの中から袋に入れたそれを取り出すと、榊に手渡した。
中を改めた榊はそれを持って仕切の向こうへと姿を消す。
そして次に現れた時、その手には何もなかった。仕切の向こうの人物に渡したのだろうか。
「では、始めようか。・・・和久利、お前は席を外してくれるか。」
「!・・しかし」
「大丈夫だ。」
有無を言わせぬ強い口調に、和久利は従わざるを得なかった。
「・・・廊下に居る。終わったら言ってくれ。」
「ああ。心配するな。」
和久利は斉木千歳を部屋の中央へ行くように促し、自身は部屋の扉をくぐった。
扉を閉めながら後ろを振り返り、部屋の中を見ると、榊が彼女を仕切の向こうへ行くようにと背を押しているのが見える。
不安そうに振り返る斉木千歳と目が合った。
和久利は笑みを浮かべ、小さく頷いてみせる。
すると、斉木千歳は前を向きそのまま仕切の向こうへと姿を消した。
扉が閉まり和久利は扉の前に立ち尽くす。これからこの部屋で何が行われるのか見当がつかなかった。しかし分かるのは一つ、通常の精神鑑定などではないということ。
「・・・・榊、お前は何をしようとしてるんだ。」
不安に苛まれながらも旧友を信じるしか、この時の和久利に出来ることはなかった。
部屋の扉が開かれたのはそれから一時間が経った頃だった。
突然目の前の部屋の扉が開かれ榊が顔を出したのだ。
こちらへ来い、とでも言う様に顎をしゃくり部屋に戻った、その後を追うように和久利は部屋に入る。
部屋を見回した和久利は怪訝な表情を浮かべた。
この部屋で何か行われたのだろうかと聞きたくなるくらい、室内は変わりを見せないまま。
そこには斉木千歳と榊、そして和久利の姿があるのみだった。
「もう・・・終わったのか?」
早すぎる、暗にそう告げるが榊は飄々とした笑みを浮かべ頷くだけだった。
「終わったよ。終わったからお前を呼んだんじゃないか。」
斉木千歳に視線をやると、彼女の様子も何も変わってはいないように見えた。
大丈夫なのか、そう聞きかけた言葉を飲み込み彼らの側に近づくと、榊が手に持っていた大きな茶封筒を渡してくる。受け取り中を確認すると厚みのある紙の束が収められていた。
「彼女の鑑定書だ。裁判に提出するなりすればいい。」
「ちょっと待て。いくらなんでもおかしいだろう、どうして鑑定書がもう出来上がってるんだ。」
たった今行われた、通常より遥かに短い時間の鑑定。
かつ作成された書類はその時間内で作られるにはあまりに膨大な量の報告書だった。
いくらなんでもこれはおかしい。
お前は一体今、何をしていたんだ。
「・・・・・・・・」
そう訊ねたかった。しかし和久利は聞けず言葉を飲み込んだ。
何かおかしいと分かっていたのだ、自分は。
それを今更聞いた所で何も変わりはしないのだ。
分かっていて彼女を差し出した自分も、もはや共犯でしかなかった。
「お帰りいただいて結構だぞ。」
和久利は斉木千歳をまじまじと見つめた。
ここへ連れてきた時と同様、特に変化は認められなかった。
榊は、この精神鑑定にかければ彼女が変わると言った。
あの言葉が正しいと言うのならば、自分の目が節穴なのか。
「本当に大丈夫ですか?」
「・・・・ええ。大丈夫です。」
彼女自身も首を傾げながらそう言った。
自分に何が為されたのか分かっていないのか、何もされなかったのか。判断がつけられないままだったが、しかしいつまでもここにいる訳にはいかない。
「・・・何かあればまた連絡する。」
それだけを口にすると斉木千歳を促し、後ろも見ないまま渡された茶封筒を小脇に抱え室外へと出た。廊下を歩きながら和久利は聞いた。
「何があったんですか。」
「・・・・」
「斉木さん?」
「それが・・・・・分からないんです。私、あの仕切の向こうにあった簡易ベッドに横になって目を閉じるように言われて・・・・そして次に目を開いた時にはもう、終わったと言われて・・・・でも」
言葉を切った斉木千歳は立ち止まった。そして空ろな瞳で廊下の天井を見上げる。
「夢を見ました。」
「・・・夢?」
「はい・・・夢を」
無言でその場に立ち尽くす彼女に、和久利は榊の言葉を思い返した。
この件で彼女は変わると榊は言った。しかし和久利の目にはそうは映らない。
今回の件に一体どんな意味があったのか、彼女にどんな変化が与えられたのか。この時の和久利は事態を理解出来ないでいた。
「先生。」
不意に強い口調で呼ばれ、ハッと我に返ると斉木千歳がこちらを見ていた。
「何ですか?」
「・・・一度でいいので、家に・・・・帰れませんか。」
「家に?」
「三十分でいいんです。お願い出来ませんか・・・」
彼女の口からそんな言葉が出るとは思わなかった。その言葉は何を意味しているのか。しかし和久利は首を振った。
「・・・・出来ません。」
「先生」
「あなたが次、家に戻れるのは・・・裁判で確定した刑を終え、罪を償ってからです。」
「・・・・・そう、ですよね」
それきり彼女は口をつぐんだ。
「何か気になることでもあるんですか?」
和久利の問いに彼女は首を振るだけだった。
この時、斉木千歳はどんな気持ちでそれを尋ねたのだろうか。和久利には終に分からないまま斉木千歳の裁判は進行し、そして結審の日が訪れた。
斉木千歳は懲役八年の実刑判決を告げられた。
彼女は裁判長を真っ直ぐに見つめ、それを受け入れた。控訴はしなかった。
これで良かったのだろうかという思いを和久利は抱いていた。心残りが後悔となって付きまとうのだ。
もう少し、量刑を軽く出来なかっただろうか。なぜなら斉木千歳にはまだ幼い娘がいるのだ。
その少女が大人になるまで、会うこともままならないなんて。それでなくとも裁判に二年を費やしたのだ。子供にはあまりに長すぎる時間ではなかろうか。
しかし、斉木千歳が罪を犯したが故のことであり、仕方がないと言ってしまえばそれまででもあった。
和久利はウイスキーの入ったグラスを煽った。
自宅のリビングで一人酒を飲みながら、テーブルに置かれた茶封筒を睨みつけていた。
榊から渡された斉木千歳の精神鑑定書のコピーだ。
封筒を手に取ると中身を取り出す。最初のページに鑑定医師の名前が印刷されている。
「・・・・青柳穂紬・・・」
聞いた名前だった。しかし、どこで聞いた名前なのかが思い出せない。
そうそうある名前ではないので、恐らく記憶に引っかかっている人物と同一である可能性が高いのだろうが。
「そのうち思い出すか・・・?」
呟くとコピーを封筒内に戻し、またグラスを煽る。
中身を飲み干し空になったグラスをテーブルに置くと、立ち上がり大きく伸びをする。そしてその足で寝室へと向かった。
終わってしまえば過去になる。今は気にかけていても時間が過ぎればこの感情も薄れていってしまうのだろうと、この時の和久利は思っていた。
まさかまた、再び彼女らに関わることになるなどとは露ほどにも思わないままに。




